第10話 邂逅
ユリアが目を覚ましたのは、またしても自室だった。
ついさっきまで見ていた夢のことも、その直前のことも鮮明に思い出せるが、不思議とユリアは冷静だった。
(とても怖かったけれど…あれはまだ、未来の話だもの)
夢の中とは言え強烈な恐怖を感じたことは間違いなかったし、あの嫌な感覚も決して気のせいなどではなかったが、不思議と頭の中はすっきりしていた。
前回目を覚ました時とは違い、部屋が静かだったからなのかもしれない。
(…?)
ここで、ふとユリアは首を傾げた。起き上がり部屋の中を見渡すも、誰もいない。父や母はおろか、侍女であるマリーすらいない。
「あの…誰かいるかしら?」
(おかしい…いつもなら誰かが近くにいるはずなのに)
ユリアはこの国唯一の公女であり、第一王子の婚約者という立場でもある。その為、彼女の部屋の前にはいつも騎士や侍女が待機していた。誠実でユリアを大切にしてくれる彼らが彼女の問いかけに対し、何の返事も返さないというのは妙な話である。
「マリー??お父さま??」
はしたないとは思いつつも、もう少し大きな声を出す。
しかし、それでも人の気配が感じられない。まるで、この屋敷全体から人がいなくなってしまったかのようにも思えた。
そこまで考えて、ゾッと嫌な気配が背筋を這う。ここまで来たら、探しに行ったほうがいいかもしれない。何らかの異常事態が起きてしまっているのかもしれない。そう思い、寝台から降りようとした時だった。
「まだ動かぬほうがよい」
「きゃあ!」
突然の聞きなれない声にユリアは驚き、咄嗟の反応で毛布の中に潜り込んだ。ドッドッドッと心臓が激しく脈打つ。得体の知れない誰かがそこにいる。
(なに、誰!?ゆ、誘拐…!?いつから…!?)
心臓の音は変わらず早鐘を打ち、ユリアは意味がないとなんとなく悟りつつも、ぎゅっと目をつぶり毛布に隠した体をより一層縮こめた。そうしている間にも、その声の主が近づいている気配がする。足音を隠すこともなく、コツ…コツ…とゆっくりと近づいてきた。ユリアの心臓が爆発してしまいそうなほど緊張が高まった時、足音は止まり、ぽふ、と毛布越しに柔らかな感触が伝わってきた。
「驚かせたか…すまない」
(な、なに…?)
相変わらずユリアは毛布に潜ったままだが、その何かはお構いなしに毛布越しにユリアを撫でている。手つきは丁寧で、優しい。ユリアの恐怖を感じ取って、落ち着かせるような動きだった。
「怖がらせるつもりはなかった。もちろん危害を加えるつもりも今はない」
(今は!?今はって言いましたわ!!)
この手の主がどういうつもりで言っているのかは不明だが、ますます怪しい。今は、ということはいずれは危害を加えるということだ。そんな相手に毛布越しとはいえ触られているという現状は、非常にまずいのではないだろうか。まずいに決まっている。
「お、おやめになって!!」
がばっと起き上がって無理やり中断させる。勢い良く起き上がったせいで毛布がはがれ、正体不明の謎の誰かと目が合った。
漆黒の髪と、炎のようにゆらゆらと輝く赤い瞳。いっそ不健康なほどに白い肌と、それを包む黒い服。装飾は決して華美過ぎず、かといって決して地味にならない程度の程良いバランス。美しい、という言葉がよく似合う男性だった。
不審者のイメージとはかけ離れ、むしろ一目見ただけで高貴な存在だと感じさせるような存在感がそこにはあった。
なぜこんなにも存在感のある人に、声を掛けられるまで気が付かなかったのだろう。
姿をきちんと捉えると、不思議と先ほどまで感じていた正体不明の恐怖が落ち着いてくる。見るからに感じるような敵意や悪意が彼からは感じないというのもきっと理由の一つだろうし、先ほど感じた手は本当に優しく穏やかなものだった。
「異常な揺れを感じて訪ねただけだ。…その中心にいたのがお前だったというのには驚いたが」
「…わたくし?」
「ああ。自覚はあるだろう。まさか禁書がこんなところにあるとはな…運命というのは突然に書き換えられる。困ったものだ」
「?」
禁書とは恐らく無属性魔法の育成アイテムの本のことだが、それ以外は何を言っているかはよくわからなかった。
首をかしげるユリアだったが、その男は何も説明せずにユリアの頭を軽く撫でた。一瞬びくりとした反応をみせつつも、ユリアは何となくその手を拒むことはしなかった。自分でも不思議に感じることではあったが、この男の言葉通り、”今は”大丈夫だと思ったのだ。
「あなたは…誰なの?どうやってここにいらしたの?」
「ふむ、教えてやってもいいが。そろそろ時間だ、ユリア」
「どうしてわたくしの名前をご存じなの?」
「知っているさ。今のお前が生まれる前から、ずっと知っている」
とても意味の分からない言葉だった。自分が生まれる前から知っている?それはあまりにも矛盾が大きい。今日はわからないことばかりだ、とユリアが少しすねたような表情をすると、その男はくすくすと笑う。
「いつかわかる。それが幸せなことだとは限らないが」
と言うと、その男は堂々と廊下へ続く扉へ歩いて行った。
そっちには騎士が、と言おうとした瞬間、扉がぐにゃりと歪む。
「え」
そうしてそのまま男は優雅に片手をあげ、当然のように歪んだ扉の中に消えていった。あまりの出来事に呆然と扉を見ていると、ゆっくりと扉は元の形に戻り、そして外側からノックの音が聞こえた。
「失礼いたします」
ユリアの返事を待たずに入ってきたのはマリーだった。おそらく看病のために来てくれたのだろう。扉を見つめるユリアを確認して、涙目で駆け寄ってくる。
とても心配をかけたのだろう、先日に引き続いての気絶、しかも大絶叫をした記憶もある。心配をかけたのは間違いない。
しかしである。
(な、なに、あれ…)
ユリアはマリーを宥めながら、歪んだはずの扉を呆然と見つめることしかできないのであった。
悪役令嬢のハズが気づいたら女帝になってたんだが? @tikurin818
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