第8話 バグ
公爵邸の書斎は、実際のところ書斎よりも図書館という言葉が似合っていた。なんと国の中でも王宮の敷地にある王立図書館に次いで規模の大きいものなのだ。
そのうえ公爵は一部の書物を除き、王国の祝祭日にこの図書館を解放していた。滅多に訪れることのできない場所に人々は目を輝かせ、思い思いの本を手に取っていたことがユリアには印象的だった。
「おや、ユリア様」
「こんにちは、本を読みたくてきたのだけれども…入ってもいいかしら?」
「勿論です。手の届かない位置の本が欲しいときは私をお呼びくださいね」
「ええ、よろしくね」
扉の前の騎士に声をかけると、彼はにこやかに書斎へ入れてくれた。
部屋の中に籠る、古い紙の匂い。仕事で書斎に籠る父からもよく、同じ匂いがした。優しくて暖かなこの匂いが、ユリアは大好きだった。
公爵邸の書斎の蔵書の幅は多く、王族にのみ伝わる書物以外はこの国のありとあらゆるものが揃っていた。
そしてユリアは広いこの空間を、迷うことなく進む。物心ついた頃からここはユリアのお気に入りの場所で、よくマリーにおねだりして連れてきてもらっていた。難しい話や外国の文字を理解することはできなかったが、ユリアは楽しかった。マリーも沢山の本を読み聞かせしてくれたし、文字の勉強をする時はその経験がとても役に立った。
(あった、ここだわ)
マリーはどんな本も喜んで読んでくれたが、ただ一つ、ある棚の本だけは一度も読んではくれなかった。書斎の1番奥に、ひっそりとたたずむ本棚。他の本よりも分厚いものが多く、そして埃をかぶっていた。
何を書いているのかもわからない、ぐにゃぐにゃとした文字列の背表紙。読むことはできないはずなのに、ユリアはこの奇妙な文字を知っていた。
【戦乙女の涙】の中に、魔力育成アイテムとして出てきた本に書かれていた文字だ。
「やっぱりこれがそうなのね…覚えていてよかったわ」
そう言ってユリアは一冊に手を伸ばし、埃を丁寧に払う。藍色の表紙に、金のインクで書かれた奇妙な文字。きっとこれが、あの話の中で出てくる魔導書だ。
この世界の魔法は、大きく分類を分けると6つあり、炎、水、風、土、雷、無に分けられる。炎〜雷はその属性に基づいたもので、逆に無属性はそのどれもに当てはまらないものを言う。例えば対象の重力を変えたり、身体能力を強化するもの、治癒の魔法など…自然界の力を利用せず使う魔法に関しては全て無属性とされる。
そしてこの藍色の本は、【戦乙女の涙】では最高レアの育成アイテムとして登場しているもので、無属性の魔力を扱えるようにするものだった。
(わたくしは無属性魔法が使えるかどうかまだわからない…けれど、ストーリーにも出てこない公女が使えるはずもないわ)
無属性の魔法は特殊で、己の努力など関係なく生まれつき使えるかどうかは決まっている。この国の全ての子供は6歳の誕生日に魔力検査を行い、無属性が使えるかどうか調べられる。当然、5歳のユリアはまだ調べてはいない。
この本を使い、前世では様々なキャラクターに無属性を付与して無双していた記憶が蘇る。攻撃も、補助も回復も…正直無属性さえあればどんなキャラでも簡単に一騎当千レベルに育成できてしまい、途中の追加アップデートで本の獲得率が大幅に下降修正された記憶がありありと蘇る。
その激レアアイテムがまさか自分の屋敷にあるとは想像していなかったが…思わぬ収穫に思わず笑みが溢れる。
(やっぱり、わたくしってば運がいいのね)
わくわくしながら、手に取った本をそのまま開く。本を開いた途端、本が浮かび上がり薄く輝き始めた。幻想的な目の前の光景に、ユリアは息を飲みその光景を食い入るように見つめる。
「すごい…すごい!!本物だわ!」
きゃあきゃあと騒ぐユリアをよそに、本はしばらくして光を落ち着かせ、ユリアの手に戻った。その瞬間、ふわりと何かが心臓に流れ込んでくるような感覚があった。
その直後、事は起きた。
「…っきゃああああああア"ァ"ッ!!!??」
響き渡る絶叫
焼けるように痛む心臓、頭、喉
目の前が赤く明滅し、信じられないほどの激痛がユリアを襲った。
「っな、なに、いだ、いだいぃぃぃっ!」
立ってられないほど痛む胸を掻きむしりながら膝から崩れ落ちるユリア。
「ユリア様!!!一体何が…!?」
慌てた様子の騎士が部屋に飛び込んで来るも、様子を気にする余裕もないユリアは絶叫を続け、そのまま倒れた。
(こ、こんな描写は前世では、一度も…!)
いったい何が間違っていたのか、そもそもこれがどう言う状況なのかも理解できないまま、ユリアは意識を失った。
彼女には二つ、失念していることがあった
ひとつは、彼女は「自身に無属性は使えない」と思い込んでいたこと。
もうひとつは、【戦乙女の涙】の中で、既に無属性魔法を使える者はこのアイテムを使用できないこと
ー彼女は今、その小さな体にこの世界にとっての重大なバグを発生させてしまったのだ
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