第134話 - 嘘
「玲奈」
愛香と玲奈は杉本から休息することを勧められた後、警視庁を後にしようと駐車場へと向かっていた。
「何?」
玲奈は愛香の車椅子を押しながら尋ねる。
「帰る前に寄りたい所があるんだけど」
愛香の言葉に対して「はぁ……」と深い溜め息をついて車椅子を止める。玲奈は愛香が言い出すことをあらかじめ予測していたのだ。
「上野の家……行きたいんだけど」
「言うと思った」
玲奈はもう一度大きな溜め息をつく。
「愛香、あんた杉本警部の話聞いてた? 明日、みず帰ってくるんでしょ? あの子、大変な目に遭って相当参ってるはず。姉のあなたがしっかりして迎えてあげなきゃ。でしょ?」
愛香は玲奈の言葉を聞きながら下を向き「うん……」とか細い声で呟く。その様子を見て玲奈は
「上野の日記が気になるのね。でも大丈夫? 上野の家族に会うなんて」
愛香はスゥーッと大きく息を吸い込んだ後に答える。
「大丈夫」
「分かった。けど私が様子を見て無理そうだと判断したら中止。良い?」
愛香は玲奈の言葉に対してピクッと反応した後に玲奈の方を振り向き、ニッコリと笑う。
「ありがとう」
その様子を見て玲奈はフッと笑いながら少し頭を横に振る。
(私も愛香には甘いな……)
そう考えながら再び車椅子を押し始める。正面を見たまま愛香は「玲奈、大好き」と小さく呟き、玲奈はその言葉を聞こえていないフリをして駐車場へと向かった。
#####
愛香と玲奈を乗せた車両は上野家の近くに辿り着き、近くのパーキングゾーンへと駐車する。愛香の座る助手席側のドアが上へ稼働して開き、車椅子の床が横へスライドして外へ出される。最低地上高(地面から車体の一番低い部分)の分、下に降ろされ、その後、車椅子を固定していた機具が解除されて車椅子を動かせるようになる。
「久しぶりね……」
愛香は上野夫妻の住む大きな一軒家を見て小さく呟く。愛香は
また、菜々美の父母である上野航平・優子から瑞希が来る
––––正義感が非常に強く、自分を犠牲にして人を助けることを
精神科医である多田泉の瑞希に対する批評である。
「ちょいちょい無茶するから私たちみたいな大人が導いてあげなきゃね」
昨日、福岡での事件を聞いて瑞希たちを診に向かった多田が発した言葉である。瑞希の性格と才能、そしてその超能力は政府が新たに設置することを発表した『TRACKERS』のメンバーとして申し分ない。
愛香は瑞希が自ら加入を拒むことを望んでいるものの、前々から翔子に『愛香の役に立ちたい』と言っていること、今回の福岡での騒動のように危険を顧みず友人を助けに行ったという話から望みは薄いと感じているのも事実である。
「愛香」
愛香がぼーっとしているのを見て玲奈が呼びかける。愛香はハッとして正面を向くと既に上野宅の目の前まで来ていた。
「大丈夫?」
「うん」
玲奈の問いかけに対して即答し、上野宅の前にあるAIタッチパネルに触れる。
「IDをスキャンして下さい」
AIがそう告げ、愛香は言われた通りに住民IDをスキャンする。愛香は事前に訪ねることを知らせていたため、上野夫妻は愛香のIDを事前登録し、スキャンが終わり次第自動的に入れるようにしている。アンドロイド2体が愛香と玲奈を上野宅の玄関口へと案内する。
「久しぶりね……。愛香ちゃん」
扉を開けたところで上野航平・優子夫妻が出迎える。優子は少し痩けた頬が目立たないように精一杯に笑顔を作る。一方で航平は何も言葉を発さずに静かに頭を下げるのみだ。
「お久しぶりです」
愛香はなるべく感情を表に出さないようにして挨拶し、上野宅へと入る。愛香と玲奈はそのままリビングの方へと案内された。4人がテーブルに着くと少しの沈黙が流れる。玲奈は愛香の感情を読み取ろうと横目で観察してみたが、至って冷静な表情で菜々美との面会のような強張りは見られなかった。
(一応は大丈夫かな? まぁ、本人も家族に罪は無いって言ってたしね)
玲奈は愛香の表情を見て少しだけ安堵し、そのまま誰かが沈黙を破るのを待った。
「昨日、菜々美ちゃんに会いました」
アンドロイドが4人に緑茶を置いて戻っていったところで愛香が沈黙を破る。夫妻は静かにじっと愛香を見つめている。
「その面会で彼女は重要な出来事の記録を日記に
愛香は菜々美の事件についてあえて触れることはしなかった。それによって気を遣わせてしまうこと、話が進まなくなること、そして何より夫妻の様子を見てこれ以上苦しませたくないという思いが湧き起こったのである。優子は「はい」と静かに返事をした後にアンドロイドに指示して日記が保存されたメモリーチップを持ってきた。
「私たちはあの子が日記をつけていたのは知っていたのですが、本当に幼い頃のくらいしか見たことがなくて……。今でも中身を見ていません」
航平はそう言って愛香にチップを手渡す。
「ありがとうございます。こちら重要な資料として預からせて頂きます」
愛香は礼を告げた後にそのチップを丁寧に保管する。
「私たち、用事は本当にこれだけなので」
そう言って愛香は玲奈に合図を送り、出て行く準備をする。
「あの……」
航平は愛香の後ろ姿に向かって話しかける。
「本当に……本当に申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げながら謝罪の言葉を述べる。そしてそのまま言葉を続ける。
「娘は……瑞希ちゃんにとんでもなく深い傷を残しました。そしてそれはあなたに対しても。これは一生をかけても償いきれるものではありません……。だけどそれでも私たちは……」
愛香は背を向けたまま話を遮る。
「お二人に罪はありません……」
少しだけその声が震え始める。
「それは分かっているんです。それでも……それでも冷静でいられない私がいるんです……。あの子の中で菜々美ちゃんがどれだけ大きな存在だったか分かっているから……!」
玲奈は車椅子に座る愛香の背中を静かに見つめる。
「正直、私の中でもまだ整理はしきれていないんです。怒りと悲しみと……そして何とか前みたいに戻らないかという希望も混じっていて……私の中でぐちゃぐちゃになって……!」
愛香はそこで言葉を切って涙を拭いた後に少し優しい笑みを浮かべて2人の方を振り向く。
「いつか……菜々美ちゃんが更生して帰ってきて……また前みたいに……少しでも戻れるように願っています」
そう言うと愛香は玲奈に合図した。玲奈は軽く頷くと車椅子を押して外へと向かった。2人の姿がなくなるまで上野夫妻は涙を堪えながら深々と頭を下げ続けた。
愛香が上野宅を去った直後、夫妻に菜々美の
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愛香と玲奈は静かに車両に乗り込む。玲奈は無言で愛香の背中をトントンと軽く叩き、車を発車させた。
––––そのどちらも私に変わりないんだよ
愛香は菜々美、上野家と昔のような関係には絶対に戻れないという確信があった。菜々美が言っていたように昔も今も同じ菜々美なのだ。万が一、また外に出られたとしてもいつまた瑞希が危険に晒されるか分からない。それでも上野夫妻に対して何と言えば良いのか分からず、希望を持たせるようなことを言ってしまった。
愛香はこの〝嘘〟にキュッと胸を締め付けられたまま背もたれに身体を投げ出して軽い眠りについた。
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