百円割引券

 割引券なんてものを印刷していたことは、今の今まで誰にも話していなかった。だからか、クラスは少しだけ喧騒としだした。


「古田、お前、本当手回しするよなあ」


 そう言ったのは、実はずっと教室に待機していた須藤先生だった。声色は呆れているように聞こえた。


「……古田、質問いい?」


 そう言ってきたのは、毎度お馴染み高梨さんだった。


「何でしょう?」


「それはつまり、ミックスジュース一杯当たりの売り上げが減るってことだよね」


「そうだね。だから当初の完売予定の五百杯に対して、割引券は百枚しか用意していない。残りの四百杯は予定通り、定価の二百円で売る」


「本当に大丈夫なの?」


「何が?」


「元々、自販機もあるからって攻めた価格設定に出来ないことからの二百円だったじゃん。それなのに、本当に百円で百杯も売って大丈夫なの?」


「うん。大丈夫。で、これから話すことは他所には絶対に言わないでくれるかい? 他言無用ってやつだ。他の皆も誰にも絶対に言わないでくれ。付け込まれて値下げ要求とかされたら仕事が増えるだけだし、犯人捜しして断罪するから」


 俺はそこまで強い口調で言って、続けた。


「実は、今回のジュースの一杯当たりの原価は、三十円だ」


 クラスメイトは絶句した。


「そ、そんなに安いの?」


「うん。色々と価格交渉含めて裏で七瀬さんと先生と手回ししていた。この前お世話になった市役所にも相談したりしてね。

 犠牲になったのは、先生の車のガソリン代だけ。つまり実質タダ!」


「おい」


「ど、どうして教えてくれなかったの?」


「一つは今話した通りだよ。どこからか情報が漏れて、それを理由に値下げ交渉でゆすられるとか溜まったもんじゃないからね。金銭を用いた売り買いを、まだ子供同士である高校生間で行うんだから、下手に情報がリークされるとしょうもないいざこざに発展しかねないと思っていたんだ」


 まあ、だから本当はそのことすら表沙汰にしたくなかったのだがな。


 だけど、こうなった以上語らないわけにはいかない。


 具体的な数字で語らないと納得させられないのは、かつてこういう場を何度も体験した俺も良く知っていた。

 数字もなく、大丈夫と言われても、端から見れば不安でしかないだろうからな。


 不安を抱かれたまま出店の仕事に当たられて、また別の問題に直面した方が後々面倒だと思った。


 ……思えば、そうか。

 俺がこの割引券の存在を説明しようとしなかった理由は、そういういざこざを考慮してしまったからだよな。

 直前にこんなこと説明して、今みたいに混乱を招くことになるのは目に見えているのに。


 ……反省しよう、そうしよう。


「まあ、そういう理由もあったけどさ。一番は、皆を閉会式の結果発表の場で驚かせようと思ってたんだよねー。

 え、こんなに儲けてたの!? びっくりーって言わせたかった」


 俺はふざけるように笑った。


「……古田の思惑通りにならなくて、お天気に感謝だね」


 呆れたように目を細める高梨さんに、俺は高笑いを続けた。


「……と、言うわけで、無事五百杯全部を売り切れば、定価二百円が四百杯。百円割引百杯で。

 原価三十円かける五百杯を引いたら、学園祭実行委員に返還する初期費用を差っ引いた額。

 つまり売上金額は……述べ七万五千円」


 おおっ、と教室が湧いた。


「先生、今レギュラーってリッターいくらでしたっけ?」


「え、まさかガソリン代、補填してくれるの?」


 先生は、少しだけ嬉しそうに目を輝かせていた。

 元を正せば、自分から協力するって須藤先生には言われた気がしたんだけどなあ。まあ、それそれ。これはこれ、か。


「……そこは、後々クラスで決めましょう。一応これ、クラスの共有財産なので」


「うぐ。ま、まあ、それもそうだな」


 一応、須藤先生には今回の件、かなりお世話になったわけだけど、俺が明言出来る内容でもないなと思って、俺は曖昧な口調でしか物を語れなかった。

 まあ、売り上げが見込めたら補填できるように取り計らうつもりだし、これで須藤先生がミックスジュース売りに一層尽力してくれれば儲けものだと思った。


「と、言うわけで、須藤先生のガソリン代のために。俺達の総合優勝のために。俺が考えているミックスジュース売り対策は以上です。

 ……可決して、いいかな?」


 教室から返事の声は聞こえなかったが、燻りかけたやる気が再び滾るような、そんな熱気を肌で感じた。

 

 ……沈黙はなんとやら。


「よし。じゃあまずは、二班の料理係から、暫定対策の宣伝係にシフトする人決めをしよう。その後間に、もう宣伝に回ることが決まっている人達は、今の内にミックスジュース作成に取り掛かってくれるかな。学園祭が始まってすぐにお客が来た時に、売る物がない状態は忍びないからね」


 よしっ、とクラスの男子の誰かが意気込む声が聞こえた。

 その言葉に一つ苦笑して、俺は続けた。


「じゃあ皆、二日目の学園祭。悔いがないように頑張ろう」

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