Precious Memories

桜蓮

第1話エピソード1

◆◆◆◆◆


繁華街の裏路地にひっそりとある居酒屋。

この店はかなり前からあり、隠れた名店だった。

目印は店の入り口にある赤暖簾に提灯。

建物自体も年季が入っており、客は主に中年のサラリーマンが多い。


その店の出入り口は引き戸で、そこには紙が一枚貼り付けてあって達筆の筆文字で《本日貸し切り》と書いてある。

さっきから数組の客がその貼り紙を見てガッカリしたように肩を落とし、店から離れていく。


そんな中、ひとりの若い男性が足早にやってきた。

彼はこの辺りを縄張りとするストリートギャングと呼ばれるチームB-BRANDのNo.2 香坂ヒカルだった。


引き戸の前で足を止めた彼は、貼り紙に視線を向けたが気にすることなく引き戸をスライドさせた。


店の前にいる時から感じていた、香ばしい焼き鳥のにおいが一気に濃くなる。

食欲を刺激するその香りに若い男は思わずごくりと唾を飲み込んだ。


カウンターの中でひとり慌ただしく動いていた年配の男性が、店に入ってきたヒカルにチラリと視線を向け「いらっしゃいませ」と、景気の良い声で迎えてくれた。

だが、年配の男性に笑顔という名の愛想はない。

いかにも頑固おやじという表現がピッタリなこの男はこの店の大将だ。

いつもはバイトの大学生を数人雇っているが今日は貸し切りで、しかも来客数は多くない。

だからバイトには休んでもらったのだが、大将はその判断を若干後悔していた。

バイトがいないということはひとりで客の対応をしないといけない。

オーダーを取り、注文された料理や飲み物を準備し、運ばないといけない。

いつもなら自分は串焼きのみに専念すればよいのだが、今日はそうはいかない。

終始慌ただしく動き回らないといけないこの状況に大将は

……せめて一人か二人ぐらいはバイトを入れておけばよかった。

そう思わずにはいられなかった。

愛想が良いとは言えない大将にヒカルがなにか言おうとすると

「お連れさんは奥の座敷にいらっしゃいます」

それよりほんの少し早く大将が教えてくれた。

ヒカルは軽く会釈をすると、足早に奥の座敷に向かった。


◇◇◇◇◇


「お疲れ様です。すみません、遅くなって」

ヒカルはそう言いながらそこにいた男達に丁寧に頭を下げて挨拶をする。

座敷にいたのは、神宮蓮【かみぐうれん】と溝下絢【みぞしたけん】と神楽理人【かぐらまさと】だった。


「悪かったな。急に呼び出して」

蓮が言いながらヒカルに手招きする。

「いいえ、とんでもないです」

ヒカルはそう答えてから靴を脱ぎ座敷に上がった。


「座れよ」

マサトが自分の隣のあいている座布団をポンポンと叩き、勧めてくれる。

「はい。失礼します」

ヒカルは素直にそこに腰を降ろした。


それからヒカルは窺うように三人に尋ねた。

「逆に俺が来ても良かったんですか?」

「うん?」

「今日は初代幹部の飲み会ですよね」

そう、この日は初代B-BRAND幹部の飲み会の予定だった。

創設メンバーである蓮とケン。

それにソウタと樹と琥珀。

その5人とマサトを筆頭とする途中加入の幹部が数人。

そのメンバーで定期的に飲み会をしている。

「てか、ヒカル。お前にも参加権はあるんだぞ」

ケンが言うと

「いいえ。俺は初代の時、下っ端だったので……」

ヒカルは謙遜という言葉がピッタリな態度を示す。

ヒカルのこの態度は今に始まったことじゃない。

この定例の飲み会を開催する時、ケンや蓮は毎回ヒカルにも声を掛ける。

でもその誘いをヒカルは毎回やんわりと丁重に断り、参加したことは今まで一度もない、

それはヒカルなりに思うところがあるからに他ならない。

今でこそB-BRANDのNo.2を務めているヒカルだが、元々は彼も別のチームに所属しており、B-BRANDとは敵対関係にあった。

ヒカルが所属していたチームとB-BRANDの間には抗争が勃発し、結果的にヒカルが所属していたチームはB-BRANDによって潰された。

その後、蓮から再三に渡りB-BRANDに加入するように口説かれ続けてその熱意と蓮のカリスマ性に惹かれB-BRANDに加入した。

途中加入なのはマサトと同じ。

でもまだ人間的にも未熟で、他のメンバーの信頼を得ることができていなかったヒカルは加入当時から幹部の席が準備されていたマサトと違い下っ端からのスタートとなった。

下っ端からのスタートではあったが、周囲も驚く程のスピードで主要メンバーへの道を駆け上がっていった。

だからケンが言う通りこの初代幹部の飲み会に参加する権利はヒカルにも十分あるのだが、ヒカルは遠慮するのだ。


今回もヒカルはケンからの誘いを一度断っていた。

だけど30分ほど前に電話で呼び出され、今この場にいるのだ。

『お前も来ないか?』ではなく『ヒカル、今すぐ来い』そう言われたヒカルには拒否権がなかった。

半ば強制的にここに来る羽目になったヒカルだったがやはり自分がここに来てもいいのかという想いは強く残っていた。


そんなヒカルに

「最初は初代の幹部連中で飲む予定だったけど、今回はみんな都合がつかなくて結局3人しか集まらなかったんだ。それで3人で飲むくらいならヒカルも呼ぼうって話になってな」

マサトが経緯を説明してくれた。

「そうだったんですね」

「まぁ、仕方ねぇよ。仕事の都合もあるし。今回は結構急に決まったからな。ヒカル、なにを飲む?」

「あっ、生で。注文してきます」

ヒカルが立ち上がろうとすると

「親父、生4つ追加な」

ケンが叫ぶとすかさず、カウンターの方から「あいよ!!」と大将の声が返ってきた。

「すみません。ありがとうございます」

ヒカルが礼を言うと、ケンは笑顔で首を左右に振った。


「それでマサト、話ってなんだよ?」

蓮がマサトに尋ねる。

今日の飲み会はマサトが言い出したことだった。

なんでも話したいことがあるらしい。

蓮に尋ねられたマサトは口に咥えていた煙草を灰皿に置くと、口を開いた。


「あぁ、望月四季【もちづきしき】って覚えてるか?」

「当たり前だ」

「逆に忘れてる方が怖ぇよ」

「それもそうだな」

即答した蓮とケンにマサトは苦笑いを浮かべた。

「今度、ガキが生まれるらしい」

「本当か?」

「マジで?」

マサトから齎された嬉しい報告に2人の表情がパッと輝いた。


そのやり取り聞いていたヒカルも会話に参加する。

「四季さんってマサトさんのお友達ですよね?」

「そう。ヒカルも会ったことがあるだろ?」

「はい、溜まり場に来られた時に挨拶させてもらいました」

ヒカルの言葉にマサトは小さく頷いた。

「てか四季っていったらやっぱあれだよな」

ケンが懐かしそうに目を細め

「マサトが大変だったやつだろ」

蓮が小さな笑みを漏らす。

「そうそう、あれはマジでヤバかったよな、マサト」

「あれはできれば思い出したくない」

「なにかあったんですか?」

「ヒカルは知らないんだっけ?」

「そう言えば話したことないな」

蓮が呟くと

「ヒカル、聞きたいか?」

マサトが尋ねる。

「はい。ぜひ」

ヒカルは大きく首を縦に振った。

それを見たマサトは新たに煙草を取り出し、火を点ける。

紫煙を細く吐き出したマサトが

「あれは俺達が高校生の時の話だ」

のんびりとした口調で言葉を紡ぎだした。


Precious Memories エピソード1 【完】

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