第10話 逃げ道 Ⅴ
父なる神は地に降りてくることはない。
公正に人を裁くためだ。
父なる神は弱者にも強者にも手をお貸しにならない。
既に一切をお与えになっているためだ。
父なる神は生者に救いを与えない。
死後に救いを与えるためだ。
故に神を信じなさい。
(北方教会 正聖典 第五章第一節)
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「それでは、あなたは獄中にてファーガスからお嬢様をお助けするように依頼され、現在お嬢様を匿っている、と言うわけですね?」
「違う。
依頼されたんじゃなく脅されて、匿っているのも成り行き上だ。」
「それでも、ありがとうございます。
彼女が無事なのもあなた方のおかげです。」
そう言ってケルン・ホッフ改めてケイ・ルーベンホッフを名乗る青年騎士は深々と頭を下げた。
この国の騎士は異人を嫌うと言うが、それはマイヤー騎士団だけなのか?
いやそんな事なかったわ。女騎士がすげぇ蔑んだ目で見てきている。
と言うことはそれだけ、ケイ・ルーベンホッフと言う青年が誠実であるということだろう。
この国の騎士にしておくには惜しい人材だ。
けれどこの青年には少し気掛かりな気配もする。
俺がナイフを突き付けた時、一瞬だがひどく苦しそうな顔をしたのだ。
その顔はなにか、騎士としての誇り以外の何かを揺さぶられたみたいな……。
まぁ、普段は決して表れないほどの奥底にありそうな反応だったから大丈夫だろう。
それに、御令嬢に対する誠意も本物のようだし、俺の話を聞いてから以降は一片の敵意を示していない。
彼女の無事を聞いた時、この騎士二人は心の底から安堵した表情をした。
ケイは心の底からの感謝を、女騎士はどこかを潤んだ目で見つめてから再び俺に対して侮蔑の目を向けてきた。それも聞く前より一層侮蔑の強まった目で。
この女騎士の名前はアイラ・フォン・マクシーと言うらしい。本人が言わないので連れ添いであるケイが代わりに名乗ったのだが。
この国では貴族のミドルネームにフォンと言う言葉を入れる。
つまりこの女騎士は騎士であり貴族なのだ。
そしてマクシー家は辺境伯に長年使える家らしく、その分位も高いのだ。
しかし、これでコイツの侮蔑の目が強いのも納得がいった。
貴族様にとって身元の不確かな異人など、吐き気を催す存在だろう。
そんな人間が自身が仕えるお嬢様とずっとそばに居るなんて穢らわしいのだろう。
この女騎士にとっては「蠅に集られて可哀想なお嬢様」なんて風に見えているのかもしれない。叩き潰したくてウズウズしていそうだ。
恩人を蠅扱いとはいい心根をしている。
けれど俺のおかげで助かったっているのも分かっており、騎士としてのそんな奴を無碍には出来ないだろう。
だからこうやって、ネズミに湧いたウジを見る目をしているのだ。
慈悲深いことで何よりです。
「それで、お嬢様は今どこに?」
「こっちの岩窟で休んでいる。付いてきたいなら好きにしろ。」
そう言って、俺は岩窟までの道のりにつく。
「っ! 貴様お嬢様をこんな汚いところに──!」
「アイラ!」
なんか後ろで女騎士が喚いている。
初めて発する言葉がそれかよ、徹底してんな。
岩窟にたどり着いた頃には、すっかり日も沈んでいた。
群青に一滴の赤い雫が溶けたような空は、その半分を暗雲に隠していた。
いかん、遊びに夢中になりすぎた。
「すまん今戻った。」
「お帰りなさい。」
岩窟から女性の声がした。
だが今の声は少女のものでも母親のものでもない。
その声は、裏路地で聞いたっきりの声だった。
「お嬢様!」
後ろからドンッという衝撃がはしり左肩を吹き飛ばされた。
いってぇなテメェ。
左を抜けていったその衝撃は、声の主へと飛びついた。
「よかった、ご無事だったのですねっ!!
よかった、本当に、本当によかった──っ!!」
女騎士は御令嬢に縋り付くようにして抱きついている。
その肩は小刻みに震えており、涙さえ浮かべている。
無理もない。
彼らは心から仕える主人と別れ、その生死も分からぬままいないかもしれない主人をひたすらに探し続けていたのだろう。
それに彼らは追われる、騎士に追われながらの捜索はさぞ精神を削っただろう。
一刻も早く見つけなければ、手遅れになるかもしれない。
だがお嬢様はもう手遅れかもしれない。
そんな不安と焦りに心を擦り減らしながら探していたのだ。
こんなふうに震えたって仕方ないだろう。
「お嬢様!
貴女に剣を捧げる身でありながら真に必要な時に側にいることもできず、騎士失格であります!
この失態、どうか罰をいただきたく存じます!」
ケイがそう言って御令嬢に前に跪いた。
それは本当にそう。
お前らがちゃんと側にいたなら俺も巻き込まれていない。
ファーガス共々ちゃんと反省しろ。
「いいえ、ケイ。それにアイラ。
あなた達が全霊を持って励んでくれたことは分かっています。
ありがとう、あなた達が仕えてくれることを誇りに思います。」
「っ! ありがたき幸せ!」
臣下の礼を取りながら、ケイは感動に身震いする。
女騎士は抱きついている腕に一層の力を込める。まるで猿の赤子みたいだ。
「すみません朝護さん、この方達は……?」
「あぁ、コイツらは──」
俺は手短に事のあらましを説明した。
「つまりお二人は朝護さんに連れられてきたと言う訳ですか?」
「ハイ、私たちのことは気軽にケイとアイラと呼んでください。」
「そ、そんな、滅相もございません!
まさか騎士様と貴族様をそのようにお呼びするなど!」
「おいケイ、私はそんなこと許可していないぞ。」
岩窟はすっかり騒がしくなった。
灯りにつかった獣油の匂いが穴中に立ち込める。
穴は平民の家としても十分な広さがあったものの、流石にこの人数では手狭だった。
皆、肩を寄せ合うようにして夕食をとっている。
女騎士に至ってはほとんど御令嬢に抱きついているが。
夕食はパウロ様が一人で買ってきてくれた
俺の分を見越して少し多めに買ってきてくれたとのこと。
彼が買い物をしている間、俺は騎士どもと戯れていたのだから申し訳ない。
けれど彼一人で持って来れる量にも限度ある。
まして無駄飯喰らいの騎士が二人もいるのだ。
彼が買ってきた分だけでは到底足りい。
けれど俺たちはひもじい想いなどしていない。
何故なら、この御令嬢がご飯を作ってくれていたからだ。
短冊状の生地が入ったスープに潰したいもの芋のレンズ豆煮込み掛け、川魚のパテと言った具合で、質素ながら貧民でも手に入る食料で色々取り揃えている。
病人にも食べやすいようなペーストやスープ系のものばかりだ。
それに少し優しすぎる味だが十分に美味かった。
名門貴族の娘とは思えない料理の上手さだ。
その御令嬢だが、料理を作り始めたのは俺たちが来る前のことだった。
少女の母親はパウロ様が買ってくるから休んでいてくださいと言ったそうだが、御令嬢はきっと足りなくなるので、と言って食料をかき集めて作ったという。
そして半信半疑で待っていたら、俺たち三人がやってきて驚いたのだそうだ。
本当に言う通りになったと。
これで邪教徒の嫌疑は一層の強まった事になる。
先に買い出しから帰ってきたパウロ様も俺たちがやってきて、令嬢の予言めいた発言が現実のものとなった事で彼女が邪教徒だと確信を抱いたという。
だが、逆の確信を抱く者がいた。
少女と女騎士だ。
彼女らは御令嬢への信頼と目の前で起こった奇跡に挟まれ思い悩んだ。
その結果一つの解を導き出した。
「彼女は特別故に特例として父なる神に選ばれたのだ。」
コレならば邪教徒でなくても神の御業が使える理由にもなる。
随分と都合の良い考えだ。
しかし、実は俺もこの考えであった。
世界の常識から考えて、信者に何の得もない神を信じる事など有り得ない。
それもこの帝国規模の大国ならば、相応に強力な神を戴くか恩恵が多い神を戴くのが普通だろう。
ならば信者に力を与えないのではなく、力を与えるのが稀か条件が難しい神であるのではないかと考えたのだ。
邪教徒と迫害されるのも、希少ゆえに理解が進んでいないと言う理屈で納得できる。
そして御令嬢の瞳に宿った金の虹彩。
金の虹彩持ちの神秘への親和性を考えたら、特例として選ばれたとしてもおかしくはない。
貴族に金の虹彩持ちが多いとしても、この御令嬢が送られたカラザリア修道院は特に厳格で貴族の子女が向かうことは稀だとの事だった。
そんな厳格な修道院でも信仰心と慈悲の心を持っていたとの事なので、信仰心が他の貴族と一線を期していたと考えることもできる。
厳格な生活という試練と、熱い信仰心と慈悲深さ、そして金の虹彩と言う特別な条件によって特例的に神に選ばれたのではないか?
この考えならば帝国ほどの大国が父なる神を信仰しているのも納得がいく。
力を与えるのが稀であるとか、修得が厳しい神の御業と言うのは、得てして強力なものが多いのだ。むしろ強力ゆえに使える者が少ないと言う可能性もある。
だから、その強力な力を持って建国者が帝国規模の大国を打ち立てた、と言った筋書きもあり得る。
この筋書きならば大国がこの神を信仰している理由も納得できる。
帝国ほどの大国が無意味な神を信仰している理由。
信仰深いものが邪教徒となった理由。
御令嬢が神の御業を使える理由。
その全てがこの考えならば納得がいくのだ。
とはいえ彼女が邪教徒である可能性もある。
只人である御令嬢が神の御業を使える以上、彼女は特例か異教徒なのは確実なのだ。
そこまでいくと異端審問を行うか、本人に聞くしかない。
ただ聞いて良いもんか?
もしここで「はい邪教徒です」なんて言われてみろ。
聞いてしまったら俺たちは邪教徒に与した異端であることが確定する。今御令嬢を突き出したところで知らなかったんですは通らないだろう。
ならいっそ聞かずにただの敬虔な修道女だと思ってましたとでも言ったほうがまだマシな対応をされるだろう。ちょっとだけだが。
それにガキはまだしも騎士連中が面倒臭い。
邪教徒であることが確定したら証拠隠滅のために襲ってくる可能性もある。
俺は大丈夫だが、パウロ様達の無事が保証できない。
いや? そういえば聞く必要どころか一緒にいる必要ももうないな?
御令嬢は護衛の騎士と合流して意識も取り戻している。
準備が済んだらすぐここを立つだろう。
この国から出国させる協力者とやらはどうか知らないが、これ以上関わる必要もない。
とっととパウロ様を説得してコイツらから離れるべきだ。
下手したら協力者として騎士に追われる立場に成りかねない。
「なぁパウロさ──」
「どうしましたか?」
何やら外が騒がしい。
二人の騎士も気づいたようで御令嬢を守れる位置に移動した。
突然空気が変わったのを感じてか、パウロ様もキョロキョロしている。
少女と母親は不安そうにしている。
そして御令嬢は親子を庇うように半腰で外を見ている。
しばらくすると、その音で正体が分かった。
ガシャンガシャン、という鎧の重なり合う音。
マイヤー騎士団がやって来たのだ。
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