凰太郎

 とある高名な老錬金術師が三人の弟子を呼び寄せた。

 弟子とはいえ、まだまだ一人立ちに値しない若輩者達ばかりではある。

 そんな頼りない弟子達を厳格な視線で見渡すと、錬金術師はこう言った。

「さて、ワシもそろそろ高齢じゃ。口惜しいかな、寄る年波には勝てぬ──歳月を費やした研究が実っていれば別だったがのう。そこで、隠遁でもしようかと考えておる。ついては、この中から後継者を決めようと思ってな……」

 突然の引退宣言にざわめく弟子達。皆、口々に引退撤回を促したが、その意志は固かった。

 老錬金術師は続ける。

「後継者は一人。それを見定めるにあたり、オマエ達には最後の課題を与える。なに、身構えるでないぞ。至極簡単な審査方法じゃ。それはつまり、ワシの出した議題に論じてもらうというだけじゃ──俗に『ディベート』というやつじゃな。オマエ達が各々培った知識を剣に、自らの聡明さを示してみよ。その末に結論付いた〝答〟を、ワシに示してみよ」

 最年長の弟子が代表格として問う。

「それで、お師匠様? その議題とは?」

「ふむ、それは『絶対に孵化せぬ卵とは何か?』じゃ」


 斯くして論議は始まった。


「孵化しない卵……ですか」最年少の弟子が自問めいて呟く。「そんなものが、この世にあるのでしょうか?」

「既存の固定概念を脱却させなければ、見えないものもあるさ」と最年長の弟子。「例えば、正常な卵が生まれ落ちたとしても、親が孵化を試みなければ孵らない。それは〈孵化しない卵〉と言えるだろう?」

「ああ、なるほど」最年少は軽い感心と共に肯く。

 だが、真ん中の弟子は強く反論を示した。

「それはそうかもしれないが、このディベートには意味が無い屁理屈だよ。そもそも師匠は、そんな頓知を求めているわけじゃない」

「無論、そうだろうさ」と、最年長が苦笑う。「額面通りに受け取ってもらったのでは困るな。それは百も承知で解り易い例を述べたに過ぎないよ。あくまでも考察スタンスの心構えとしてね。さて、それじゃあ君自身は、どういう見解なのだね?」

「ハッキリとは解らないけれど、少なくとも頓知の類は違う」

「それは、もういいさ。固執脱線するほどの話じゃない。ボクが教示を求めているのは〝君なりの答え〟だよ」

「まず……そうした卵は有り得ない」

「どうして、そう断言できる?」

「それが〈自然の摂理〉だからだよ。〈卵〉が生まれ落ちるのは、それ自体が子孫繁栄を担っている種の存続行為だからだ。つまり〝自覚なき使命〟というヤツさ。そうなるべく〈卵〉は存在している。自然の法則として、当人──孵っていないけれど──の意向に関係なく、そうなるように運命は決まっているのさ」

「しかし、調理のタネになるヤツもある。捕食されるヤツだってね。こうした例外を不都合だと切り捨てて断言するのは、些か虫が良すぎる論だと思うがね」

「それは〈篩〉に掛けられただけの話さ。これまた自然の摂理法則によってね。全ての卵が無条件で孵ったら、その種族だけがインフレ状態だ。生態系バランスだって壊れてしまう。だから、自然は〈篩〉に掛けるのさ。いうなれば、それに選ばれなかった脱落者だね」

 得意満面の次兄弟子を、長兄弟子は軽薄な拍手で讃えた。

「結構。至極、真っ当だよ。けどね……」

「なんだい?」

「君の〝それ〟は、単に一般的な常識解釈を再提示しただけなんだよ。僕が求めているのは〝それ〟じゃない。取り立てて〝それ〟は君自身の考察意見じゃないと思うんだがね?」

「けれど、それが〝事実〟であり〝現実〟なんだから仕方ないだろう? それ以上も以下もないさ」

「それで満足なのかい? 仮にも知識を追い求めるのを生業とする〈錬金術師の弟子〉なのに?」

「それじゃ君には説得力に足る何かがある……と?」

「説得力ではなく可能性だがね」

「どうぞ」と、皮肉めいて促す。

「例えば〈フェニックス〉の卵だ」

「なんだって?」

「〈フェニックス〉さ。知らないのかい? つまり〈不死鳥〉だよ」自信に足りて最年長は続ける。「フェニックスというのはだね、それ自身が完璧な生命だから子孫を担わない。死期が近づくとそれを受け入れ、けれども、燃え盛る灰から復活するのだからね。いいかい? あくまでも〝自分自身〟が再生するのさ。決して〝子供〟が孵ったワケじゃない。だから、フェニックスの〈卵〉は孵らないのさ」

「それは〝卵が孵らない〟んじゃなくて、根本的に〝卵が存在しない〟んだよ。その理屈だと〈アメーバ〉のような単細胞生物も分裂繁殖だから該当してしまう」

「いいや、違うね。僕はね、フェニックスの〈卵〉は存在すると思っているのだよ」

「正気かい?」

「ああ。伝説の聖鳥とはいえフェニックスは鳥類だ。なればこそ、鳥類の性として〈卵〉を産むはずなんだよ。事実、双璧たる怪鳥〈ロック鳥〉だって卵を生む。生態系の頂点に在りながらも……だ。不必要だろう? それはつまり、卵の需要性が〝子孫確保〟のみではない事を意味する。では何故か? 僕はね、それを為せるのは〝本能〟だと考えている──魂に染み付いた古の記憶と言い換えても善いがね」

「馬鹿馬鹿しい」

「何故だい?」

「そんな自然の法則から外れた生態系など在るはずがないからさ。子供騙しの空想さ。過去に読んだ資料の中でも実在を裏付ける文献なんて見た事がない」

 それまで黙って聞き入っていた末弟子が怖ず怖ずと口を挟んだ。

「兄弟子様は相当な読書家なので?」

「ああ、そうだとも。これは手前味噌ながらの自認なるけれど、僕は月に約三〇冊の文献本から情報を吸収しているよ。情報は知らないよりも知っていた方がいいからね。君も〈賢者の弟子〉ならば、早くその域に達した方がいい」

 最年長が軽く鼻で笑う。

「君には少々悪いが言わせてもらうよ。情報ってヤツはだね、ただ単に得ただけじゃダメなのさ。それじゃ、ただの自己満足でしかない。知識吸収欲と持論考察は違う。他人の文章をそのまま鵜呑みに受け売りして持論と勘違いしているようじゃ、まだまだだね」

「公式に本へと書いてあるのだから正確さ。間違いなどない」

「その情報は、何処の誰が、どういった見識で書いているのだい? その根本から──或いは、それが流布するまでの過程に於いて──歪みが発生していたとしたら? いや、そもそも著者の主観に塗れていないかね? 巧みに誘導的な意向が織り込まれていないかね? 情報というものは、あくまでも〝情報〟──〝知識〟じゃない。己の思考理念を用いて精査製錬してこそ〝知識〟と化けるのさ。高身を目指すなら解釈を広く以てして考察すべきだ。現常識の範疇から逸脱した可能性を『ありえないから』と否定していては、新しい可能性は何も得られやしない。既存の価値観をループするだけさ」

「では、その精査製錬を為す〝知識〟こそが間違っていたとしたら? 言い出せばキリが無いね」

「成程、一理たり……だがね、それこそ水掛論さ。文献も審美眼も信頼性に足らぬ誤情報とするならば……だね、はてさて何を以て〈真実〉と見極める?」

「ボクは『文献が誤っている』なんて一言も言っていないがね? それは君が言い出した事だろう?」

「盲信は曇らせるよ。はたして、それを為せるのは結局のところ〈信念〉でしかない。つまり『自分は、こう考えている』という折れぬ自尊と矜持だね」

「それならば、ボクは散々示している。それを否定したのは君だ」

「違う違う。君の場合は〝出来合いの知識に溺れて、それを自己着地と摩り替えた論〟なんだよ。それが証拠に、能動的に考察したという言葉はひとつも無い。しこたま考察研磨した末に〈結論〉が合致したというならば、私だって異論としては認めるがね。君は〝知識を得た〟のではなく〝無自覚のまま俗論に振り回されている〟に過ぎない」

「それを言ったら、君だってそうだ。君は自分の奇論に酔って、それこそが〈真実〉だと夢想している。だけど、賛同支持を帯びない奇論は、どこまで行っても幼稚な空想さ。何よりも、君は達者な弁舌を盾にして、然も〝すわ真実なり〟とばかりに正当性を偽装している。つまり、その姿勢は『上から目線の異論排斥』だ。自分自身が確固たる立証を持たぬのにね。万事に否定態勢を取る事は、別段高尚な知性でもないんだぜ──疎い一般人には高尚に映る錯覚でもね。常套的に知識を培った人達から見れば、浅はかで安っぽい子供騙しさ」

 いつしか議論は『孵化しない〈卵〉』から『博識の在り方』に推移していた。

 双方熱論にはらむのは、否定論に被せる否定論でしかない。

 末弟子は、どうにか取り持とうとオロオロ右往左往したものの、そうした尽力が実る兆しは無く、不毛な口論は喧々轟々と加熱していくだけである。

 はたして正しいのはどちらか?

 長兄弟子の言う事も正しく映る。

 次兄弟子の言う事も正しく映る。

 いったい自分は〝どちら〟に〈真〉を見出だせば良いのであろうか?

 そうした渦中に置かれた事で、ふと末弟子は閃いた。

(あ! もしかして、そういう事か?)

 



 後日、いよいよ老錬金術師への回答日を迎えた。

 自信に満ちて述べる長兄弟子に、老錬金術師は残念そうに首を振った。

 自尊に足りて告げる次兄弟子に、老錬金術師は無念そうに首を振った。

 そして、いよいよ末弟子の番となった。

 正直、この気弱な未熟者には誰も期待はしていない──師でさえも。

 しかし、その表情を一目見て、老師はハッと己の軽視を戒める。

 実に清々しき顔であった。

 実に晴々しい瞳であった。

 普段の意思薄弱は影すら残さず、一点の曇りも無い自信に満ちているではないか。

「その様子では、何か〈答〉が導き出せたのかのぅ?」

「はい、分かりました!」

「善かろう。では、言ってみなさい」

「はい、それは『コロンブスの卵』です!」

 だから、彼は後継を辞退し、旅へと出たのである。






[終]

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凰太郎 @OUTAROU

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