外道の環

壱 落日の尾

秋始めのからりと晴れた青空は、通りの人々の営みと賑わいで埋め尽くされていた。

人混みの中を無邪気に駆ける子どもと、それを追う姉。手には小ぶりな凧を持っていて、おそらく今から河原へ揚げに行くのだろう。まろい頬を赤く染めてはしゃぎ回るその姿を、周りの大人たちも微笑ましそうに見守っていた。


​────から、ころ。から、ころ。

雑踏で入り交う下駄の音。


そのとき、どん、と大きな音がして、子どもの身体が地面に跳ね返される。松葉色の着物が視界を横切ったのに、尻もちをついたままの子どもは慌てて目線を上げた。


「ごめんね、大丈夫かい?」


ぶつかった子どもは、きっとその眼帯に驚いたのだろう。表情をあからさまに強ばらせて、思わずと言ったふうに閉口した。

ぶつかった相手​─​──​ 一つ目の男は、それを見て、いかにも人の良さそうな笑みを浮かべる。それから尻もちをついた子どもの身体を支え立たせてやると、子どもは目に見えてほっとした顔になった。

もう一度「大丈夫?」と声をかけると、こくこくと頷き返した子ども。後から来た姉がすみません、と頭を下げると、男は気をつけてねとだけ言い残し、そのまま二人の横を通り抜けていった。


​────から、ころ。から、ころ。


「よう、そこの一つ目の旦那!どうだい、八つ時にでも」


店の前でやり取りをしていたのが目に止まったのか、はたまた人の良さそうな雰囲気を掴まれたのか。暖簾の向こうからずいと身を乗り出してきた店主が、男に声をかけた。

見ると、丸々と大きな大福が、でんと天板に並んでいる。ふむ、とそれらを見繕う目が、次にはにこりと店主に向けられた。

「では、三つほど頂けますか」「三つな、まいどあり!」


そのほっそりとした作りには不似合いな、固い豆を拵えた男の手が、商品を受け取る。


「旦那、ここらじゃ見かけねぇ顔だな。他所から来たのかい?」

「ええ、つい先日」

「そうか!つっても、最近じゃここらもえらく物騒になっちまってなぁ。日が暮れる前に早く帰って、家で大人しくしといた方がいい」

「そうします」


また来てくれよな、とにっかりと快活な笑みを浮かべた店主に、控えめに微笑みを返す。





家で自分の帰りを待つ人の顔を思い浮かべながら、男は浮き足立ったふうに帰り道を歩いていた。

そのときふいに、そばで何やら話し込んでいる近隣の人らの声が、男の耳に入り込む。


「すぐ裏の通りですってよ。ほら、反物屋の奥の」

「怖ぇなぁ…、だが殺されたのは、浦田んとこのしょうもねぇ次男坊って話だろ。勘当されたっつう」

「まぁ、飲んだくれで暴力沙汰ばかり起こしてたから、居なくなっても誰も困りゃしないけれども…」


ひそひそひそ。


甘いものが好きな彼女は、きっと喜んでくれるだろう。あの嬉しそうな顔が見たくてしょっちゅう土産を持ち帰ってしまうが、そろそろこの辺りで控えた方がいいのかもしれない。

そんなことを考えながら、男は足早に帰路を進んでいった。






「あら、水鳥みどりさん。おかえりなさい」

「どうも、大家さん。大福を買ってきたんです、お一ついかがですか」


「おやまぁ、ありがとうねぇ」そう言って目元に皺を作ってにっこりと微笑んだのは、水鳥の住む仮家の大家の女。

一週間ほど前から住み始めたこの仮家は、中々居心地のいい場所だった。管理人を務める彼女には別れた家族を探して旅する放浪人だと名乗り、二月ほどの期限付きでこの家を貸してもらっている。


「そういえば、聞いた?昨日の夜、また表の通りの奥で人が殺されてたんですって。もう本当に、恐ろしいったらありゃしないわねぇ」


物憂げな顔で溜め息をつく大家。乾いた風が、足元に掃いた落ち葉を転がす。

ああ、反物屋の奥の浦田さん家の次男坊とやらか。水鳥はひとつ頷いた。


この町では最近、夜になると殺人鬼が現れる。

正体不明、目的も不明で、出没する場所もあちこちばらばらなので、役人たちも中々に手を焼いているそう。

しかしその事件の裏には、一貫して共通することが一つだけあった。それは、その殺人犯の手にかけられた人間は、決まって悪人であるということ。盗人であったり、荒くれ者であったり、町の人間を困らせてばかりの、鼻つまみ者。

そのような、たとえこの世から居なくなっても誰も困らないような、しょうもない奴ら。



​────ばしん。


そのときふと、何やら鈍く乾いたような音が、突如として辺りに響き渡った。


「酒は切らすなっていつも言ってんだろうが!!」


次いで聞こえた怒号に、ぱっと顔を反らす大家と水鳥。向けた視線の先では、門先に倒れ込む女と、それを放ったまま家の中へと戻っていく男の姿があった。


二人はすぐさま駆け寄って、倒れた女を抱き起こす。


「大丈夫ですか?」

「すみません……平気です」

「やだちょっと、腫れちゃってるじゃない!手当してあげるから、私の家に…」

「いえ、そういうわけには…。すみません、夕飯の支度があるので…」


女はそう言い終わるや否や、腫れた頬をそのままに、家の中へと戻っていってしまう。がらがらと引かれた戸がやがてぴしゃりと音を立てて閉められたのに、彼女の拒絶の意が透けて見えた気がした。


はぁ、と悩ましげな溜め息をついた大家を見て、水鳥がそろりと問いをかける。


「…いつもああなんですか?」

「そうねぇ…。早く別れたらって言ってるんだけど、随分怯えきっちゃってるみたいで…、後からどんな仕返しをされるか分かったものじゃないからって。人の家のことだから、あまり深入りもできないし…」


さっきみたいなことは、おそらく日常茶飯事なのだろう。女は叩かれた頬の腫れの他にも、たくさんの傷や痣を拵えているようだった。

今頃家でふんぞり返っているだろう男の姿が、ありありと目に浮かぶ。台所の小窓越しに見える女の顔は、ひどく窶れていた。






玄関をくぐると一番に聞こえたのは、とんとんとん、と包丁がまな板を叩く音だった。それに思わず顔を綻ばせながら、水鳥は愛しいその名前を口にした。


あおい、ただいま」


奥の暖簾の向こうから、ひょこりと小さな頭が生える。

やがて顔を出した彼女が、にっこりと微笑みながら水鳥の元に歩み寄ってきた。そして奥手の台所を指して、夕飯の材料を切り終わったことを告げてくれる。


「今日もありがとう。後は私がするから、葵は先に座っていなさい」


そう言って頭を撫でると、嬉しそうに笑う葵。彼女の濡羽色の髪の毛が、水鳥はいっとう好きだった。




うん、おいしいね。その言葉に、葵はぱぁ、と顔を輝かせた。

結局あの後、一人でじっとしていられなかった葵が台所を覗きに来て、最後まで二人で作業することになったのは言うまでもない。最終的には、いつもこうなってしまうのだ。口の端に白い粉をつけながら大福を頬張る、そんな子どもっぽい妻の姿に、水鳥は思わず笑みを零した。


「葵、今夜は少し出てくるから、留守番を頼んだよ」


ぱち、と彼女の瞳が瞬く。夫の指に粉を拭われながら、告げられたその言葉を瞬時に飲み込む。そうした後、やがて迷いなく頷いた。

水鳥はそれを満足げに見守ると、ちょうどよく味付けされた里芋を口に放り入れた。











近頃巷では、どうやら近々帯刀を禁止する法令が出されるのではと囁かれている。ふいにそのことを思い出し、水鳥は溜め息をついた。

もしそうなれば、きっと役人たちは夜間の見回りを今より更に厳しくするだろう。そうしたら、自分のこのをうまく成し遂げるのも、またひとつ難しくなるに違いない。


目の前で腰を抜かしてがくがくと震える男を見ながら、つい憂鬱な気持ちになった。


「……すまない。悪く思わないでくれ」


ゆっくりと振り上げた刀を、一振り。




すっと引いた片足の跡に、びしゃりと飛び散った血飛沫。がくりと傾いた首と開いた傷口を見たくなくて、思わず顔を背ける。




​─────あぁもう、嫌になるな。



その歪んだ口元と血に濡れた刃を、空に浮かぶ三日月だけが、じっと見つめていた。



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外道の環 @miya3510

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