転生した元悪役令嬢、村娘生活を満喫していたはずが白豚王子に嫁ぐことになりました

宮之みやこ

第1話

 心より愛した人がいた。

 でもその人には自分ではない、運命の人がいて。

 愛も王位も授けられない自分にできるのは、悪役として二人の背中を押して去ることだけ。運悪く事故に巻き込まれそのまま命を絶つことになってしまったけれど、それも心の底で望んでいたことなのかもしれない。


 全てが終わるならそれでよかった。この体も記憶も愛も全て、消え去ってしまえば……。


「――って思っていましたのに、わたくし、なぜ前世の記憶を持っているのでしょう」


 思えば、二歳にして突然流暢に喋り出した娘を、両親が見捨てずに育ててくれたのは本当に感謝してもしきれない。


 さらにそれだけでは飽き足らず、


「魔法、ないんですの!? 全く!? ではどうやって生活していますの!? 料理は!?」


 なんて問い詰めてくる二歳児。ものすごく嫌を通り越して、もはや恐怖しか感じない。悪魔憑きと言われた方がまだ納得できるだろう。


 けれど、彼女の新しいお父さまとお母さま――と言っても二人ともド平民だが――は、優しく教えてくれた。


「マッチを使って火を起こすのよ。灯りはろうそくに火をつけて。体の回復は、なんと言っても食事と睡眠ね。どうしてもの時にはお薬よ」

「基本的な部分から固めるんですのね、わかりましたわ!」


――そうして彼女の、レイチェルという名の新しい人生が始まった。


 のどかな村でおっとりとした両親に囲まれて、ちょっと、いや、だいぶ変わり者のレイチェルだったが、幸い村人たちもみんな心が広かったおかげで、のびのびと育つことができた。時はあっという間に過ぎ、気づけば花もはじらう十八歳。今は村で唯一の飯屋兼酒場で、看板娘として働かせてもらっている。


 ちなみに言葉遣いは面白がって誰も注意しなかったので、未だに直っていない。


「レイチェル! 今日薬の入荷があったってよ! おっかさんが必要なんだろう?」

「本当!? 後で買いに行きますわ、ありがとう!」

「ようレイチェル! 今日もべっぴんさんだな! 俺のとこに嫁に来ねえか!?」

「お断りしますわ! わたくし二度と恋はしないって決めていますの!」

「出たよ、それもまた“前世”とやらかぁ!?」

「ええ! その通りでしてよ!」


 昼休憩を取りに来た陽気な男達に囲まれながら、レイチェルは負けないよう声を張り上げた。


 生まれ変わる前はこれでも公爵令嬢で、国の第一王子と婚約していた時期もあったけれど、前世は前世、今は今。


 もう二度と恋なんてしないと決めた以外、レイチェルは非常に楽しく過ごしていた。なんならむしろ、身分とか義務とかから解放された分、今の方が楽しい気さえしている。


 家はと言えば、数年前に母が体調を崩して以来ずっと薬が手放せなくなっているが、それでもレイチェルと父の二人で稼げばなんとか生活はできた。公爵令嬢時代のような贅沢はできなくとも、優しい人たちに囲まれて毎日をしっかりと生きている充足感は何物にも代えがたい。何より自分で稼ぎ、自分で作ったご飯を食べるのはとても楽しかった。


 だからこの生活がずっと続くと思っていた。あの蛇のような男が来るまでは。


「お前だな。この村にいる、平民らしからぬ娘というのは」


 うららかな陽が昇る、よく晴れた日の昼。レイチェルの働く飯屋に、一目で貴族とわかる豪奢な服を着た男がやってきた。


 蛇のように鋭く冷たい眼をした壮年の男は、入るなりレイチェルに詰め寄り、上から下までじっとりとした視線で舐めまわす。


(何ですのこの方。貴族なら女性を不躾に見ることがどれほど失礼なのか、当然知っているでしょうに)


 後から知ったことだが、貴族男性の中には平民女性を人間だと思っていない人も多いらしい。この男がそうだった。


「――確かに瓜二つだな。それに、身のこなしには淑女のような気品もある。よかろう、ついてこい。今日からお前は私の娘“クリスティーナ”だ。いいな?」

「いえ、全然良くありませんわ。わたくしはレイチェルよ。あなたの娘では――」


 反論しかけたところで、男の大きな手にガッと顔を掴まれる。すぐさま村の男たちが立ち上がったが、連れの護衛達が素早く剣を抜いて牽制した。


。拒否は許さん」

「な、ん……!」


 両頬に食い込む指が痛い。レイチェルが男の腕を叩くとようやく離してくれたが、その瞳は冷たく、一言も彼女の反論を許していないのがわかる。


。私には、お前やお前の両親を潰すことぐらい、簡単にできるんだ。――だが大人しくついてくれば、両親の面倒は見てやろう。聞くところによると、定期的に薬が必要なんだろう?」


 母のことを出されて、レイチェルは黙るしかなかった。この男、腹立たしいことにちゃんと弱点を調べ上げていたらしい。


「今日の夜に迎えをよこす。いいか、決して逃げるでないぞ。もし逃げたら必ず探し出して、死んだ方がマシだと思う目に遭わせるからな」


 ギラギラと底光りする瞳を見ながらレイチェルはコクコクと頷いた。この男は本気だ。なら、今は決して逆らってはいけない。いつか必ず逃げ出すチャンスはあるのだから、と自分に言い聞かせながら。


 それからレイチェルは慌てて自宅に帰り、父と母に事情を説明した。二人ともひどく怒って一緒に逃げようと言ってくれたが、それはできない。あの男はきっと言葉通り、地の果てまで追いかけてくるだろう。悔しくとも素直に従った方が、少なくとも両親は守れるはずだ。


「いつか必ず帰るから、待っていて……」


 レイチェルには、そう言うのがやっとだった。







 その晩、言葉通り迎えをよこした男の屋敷にレイチェルはいた。


 彼女の部屋だと言って与えられた部屋はどう見てもメイド用の狭さで、ベッドの他にあるのは文机と椅子、それから小さなクローゼットだけ。身だしなみを整えるための鏡すらない。


(娘って言うなら、せめてもう少しまともな扱いをしたらどうなの!?)


 心の中で思い切り罵りながら男を睨む。そんなレイチェルに構うことなく、男は尊大に言った。


「改めて覚えろ。私はエマニエル・マルセル伯爵。そしてお前はクリスティーナ・マルセル伯爵令嬢だ。いいな?」

「……はい」


(伯爵と言うことは、前世のわたくしより格下ね)


 なんて心の中で見下してみても、残念ながらスッキリはしない。この場では従順に振る舞うしかないのだ。


「それから、こっちが本物のクリスティーナだ」


 マルセル伯爵がそう言うと、一人の少女が部屋に入ってきた。

 その姿を見て、レイチェルが目を丸くする。


 長い亜麻色の髪に、切れ長の瞳。つんと尖った鼻に薄めの唇まで、クリスティーナはレイチェルと何から何まで似ていた。マルセル伯爵が「瓜二つ」と言っていたのも納得いくほどに。


 驚いたのは向こうも同じだったようで、クリスティーナはしげしげとレイチェルを見つめた。そんな二人を急かすように、マルセル伯爵が冷たく言い放つ。


「お前は本物のクリスティーナの仕草や言葉遣いを一通り覚えるように。それが済んだら、すぐに結婚式だ」

「結婚式!?」


 思わず声が出た。何をやらされるのかずっと疑問だったが、よりにもよって結婚式だなんて。


(恋とか結婚とか、そう言うのはもうコリゴリ……! あ、いえ、前世では婚約までだったから初めてではあるけれど、それでも嫌!)


 そんなレイチェルの気持ちを代弁するように、本物のクリスティーナが声を上げる。どうやら、父親と違って彼女はいい人らしい。


「お父さま、どうか考え直してください。見ず知らずの方にそんなことを……!」

「黙れ! もとはと言えばお前がいけないのだぞ!? せっかく第二王子との結婚が決まったと言うのに、騎士なんぞと駆け落ちを企みおって……! おまけに純潔まで失ったときた。これが露呈すれば、我が家の恥どころではすまないとわかっているのか!?」


 カッ! と、雷を落とすようにマルセル伯爵が怒鳴った。「純潔まで失った」という言葉に、クリスティーナの顔にさっと朱が走る。それきり、彼女は何も言えなくなってしまった。


 まだ興奮が収まらないらしいマルセル伯爵は肩で荒く息をしながら、イライラしたようにレイチェルに向かって言った。


「いいか、明日からすぐに身代わりの準備を始めろ。そして何としてでもあの白痴の“白豚王子”にお前の純潔を捧げてこい。それが済めば、お前を解放してやる。――念のため聞くが、お前まで純潔を失ってはいないだろうな?」

「生粋の乙女ですわ」


 レイチェルが答えると、マルセル伯爵はふんと鼻を鳴らして部屋から出て行った。


(どうせ調べ上げているくせに、わざわざ言わせるなんていやらしい人!)


 埃くさい部屋に残されたのはレイチェルとクリスティーナの二人だけ。クリスティーナは父親が出て行ったのを見ると、すぐにレイチェルの足元に駆け寄ってよよよと涙をこぼした。


「ごめんなさい、本当にごめんなさい……! 謝っても謝りきれないわ。あなたまで巻き込んでしまうなんて……」

「いいのよ、泣かないで」


 原因は彼女にもあるが、レイチェルを巻き込んだのはマルセル伯爵。クリスティーナを責める気になれなかった。それに、同じ顔で泣かれると正直気まずい。


「これも人助けだと思えばいいのですわ。その……白豚王子? とやらと一晩さえ過ごせば、私は帰れるってことでしょう?」

「え、ええ……。でも、いいのですか? そんなことを引き受けていただいて」

「かまいませんわ。どうせわたくしは一生独身を貫く身。純潔を捧げただけで人助けができるなら……まあ、我慢できなくもないですわ。……多分。それに、どうせ拒否権などないでしょうし」

「本当にごめんなさい……」

「いいんですのよ、あなたが謝らなくても」


 再度落ち込み始めたクリスティーナを慰める。


(全く、わたくしは一体何をしているのかしら……)


 どうやら一度死んだせいで、すっかり肝が据わってしまったらしい。以前のレイチェルであれば、それこそ自害して嫌がったであろうことを、諦めにも似た気持ちで受け入れてしまっているのだから。


「それにしても“白豚王子”というのは、どんな方ですの?」


 まだ泣き続けるクリスティーナの気を逸らすためにも、レイチェルは結婚相手のことを聞くことにした。するとクリスティーナは気まずそうに、モゴモゴと言葉を濁らせる。


「えっと……白豚王子というのはその、第二王子のダミアン殿下のあだ名で……。あっ、もちろんご本人の前では言っちゃいけませんよ!? でも、その、見た目が大変ふくよかでいらっしゃって……」

「なるほど。つまりお太りでいらっしゃると」

「ええ、まあ、そうとも言いますわ……。それからひどい吃音どもり持ちで、そのせいで喋ると豚の鳴き声に似ていると言われていて」

「何というか、ひどい言われようですわね……」

「その上ご本人もとても乱暴で、気に入らないことがあるとすぐ怒って物を投げるとかで……」

「それはだいぶ、いただけませんわね……」


 レイチェルは眉をひそめた。太っているのとどもりはしょうがないにしても、乱暴なのは頂けない。皆の手本となるべき王子としてあるまじき行動だ。


「だからこそ、我が家に結婚の打診が来たのだと思います。他の皆さまは、ダミアン殿下が王位継承者でない第二王子ということもあって、みんなお断りしているというお話を聞きましたわ」

「そういうことでしたの……」


 レイチェルはため息をついた。残念ながら、一夜限りの夫になる人物はどう聞いても胸がときめけるような相手ではなさそうだ。けれど両親を守るためには覚悟を決めるしかない。


「わかりましたわ。わたくし、精一杯努めさせて頂きます」


 レイチェルは大きく息を吸い込むと、落ち着いた声で言った。

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