グレイス編 6

 それは、天を刺すような形の建物だった。地上一四〇メートルのシングルタワーで、足元に立つと見上げられないほどだ。

 やってきたのはエーテル・エレクトロニック・デバイセズの本社であった。隕石争奪の相手かもしれないので、いわば敵地だ。

 この本社はサウスラーク砂漠とは比較的近い州にある。途中は楽ではなかったが、そう時間をかけずに陸路で来ることができた。

 正式な捜査局の命令があったとはいえ、たった一人で巨大なビルを目の前にしてもそれほど気負っていない自分の大胆さにグレイスは驚いていた。

 グレイスを選んで送り込んだ長官の意図は聞けずじまいだ。アルバートはフラグメント回収のリーダーで輸送からは離れられず、パロットは正規のルートでの捜査官ではないからなのだろうが、もしかすると捜査希望であることを汲んでくれたのかもしれない。

「どう切り出せばいいのかな……」

 目的がわからないというのは難儀だった。エントランスは多くの人間が出入りしており、簡単に入ることができる。問題はこの先。長官が言うには令状はいらないとのことだった。市警が来ているとも言っていたが、会社の正面にはパトカーは一台もいなかった。

 ビルの中に入って上を見上げると、はるかな上層階まで吹き抜けで見渡すことができた。内側からでもビルの巨大さを感じることができる。

 受付を探してみたが、不思議なことに受付らしきところは見つからなかった。そのかわり、奥の方にいくつかのタッチパネル式の端末が並んでいる。

 会社を訪れた人間はそこに向かい、何か操作を行ってチケットを発行し、それを使って駅の改札のようなゲートを抜けて会社に入っているようだ。警備員はいるが、他は完全にオートメーション化されている。おそらくゲストや外部の人間もこの自動応対システムを利用して出入りしている。

 さすがは先端技術の企業だけある。人間の受付を必要としない入管システムなど初めて見た。とりあえずグレイスは端末に向き合ってみた。

E.L.N.エレンです。本日のご用件をお聞きいたします』

 端末の前に立つと実務的な短いメッセージが流れた。自動応答する音声のようだ。声あるいはタッチパネルによって要件を選択し、取り次いでもらうシステムになっている。

「捜査局です。代表にお取次ぎ願います」

『かしこまりました。デイチケットを発行いたしますので、よろしければチケットの記載のコードから社内アプリケーションをダウンロードしてロビーでお待ちください』

 想像以上にすんなり要件を聞き取り、自動応答プログラムらしきナビゲーターが答えた。会社に入るのはもっと手こずるかと思っていたが、あっさりと了承を取り付けることができた。

 外の世界はネットワーク障害で慌ただしいというのに、本社の中は静かだった。ここの系列会社はネットワーク系のサービスも行っているはずだが、対策は本社とは別のオフィスなのだろうか。

「ところで、アプリケーションのダウンロードとは……?」

 グレイスの端末はPDA並の機能を持っているが、さすがにエーテル系のアプリケーションと互換性はないようだ。パロットの端末を持ってきていれば、と後悔したが、発行されたチケットには「端末をお持ちでない方は貸与いたします」と記載されていた。

 このチケットは決められた時間だけ有効な使い捨てのペーパーキーで、やはり人間のスタッフに頼らずに入出の管理ができるものらしい。入れる部屋も限られている。

 時間になって案内があり、グレイスはチケットでゲートを抜けて本社へと入っていった。その際に入館証とセットで端末を借りることができた。端末の位置情報やカメラ、センサーを使うことにより、社内を移動すれば勝手にその場所を特定し、音声で質問することで案内が受けられるというものだった。

 エーテル・デバイセズの系列会社は、本社デバイス部門の他にシステム部門、ネットワーク部門、オフィス部門、そして問題の警備部門が存在し、各企業や一般家庭向けの製品やサービスを提供している……といった案内をしてくれる。本社では主にコンピューターチップの開発や試作を行っているらしく、常に最先端の技術を生み出し続けている。試作型のマイクロチップを生産する製造機械を見学できるルートがあり、グレイスはそちらへと進んだ。

 ガラスで区切られたクリーンルームの中で、次々に試作部品が製造されている。重要な製品は外部の工場ではなく本社でしか製造されないものもあるという。

 設計部門の前を通る際にはじめてここの社員を目にすることができた。広いオフィスに整然とコンピューターが並んでいる。

 あらためて会社の規模を実感した。そういえば端末で質問をすれば答えてくれるという話だったのを思い出す。

「ここのスタッフはこれで全てですか?」

『こちらのフロアは三〇〇名のスタッフで運営されており、本日は二九六名が出社しております』

 グレイスはコンピューターには詳しくないが、想像よりも規模の大きな開発現場に圧倒された。

「新型プロセッサの開発チームです。本社で最も規模のある開発部門ですね」

 グレイスの前に、一人の若い男性が現れていた。四十歳に届くかどうかという青年に見え、はじめはこのフロアのマネージャーあたりかと思った。

 だが、グレイスはその顔に見覚えがあった。その人こそ、エーテル・エレクトロニック・デバイセズの代表である若き実業家、デリック・ヘイズであった。



 社長自らの出迎えで応接室に向かっていた。大きなビルなので時間がかかるが、あまり人とはすれ違わなかった。だが、このビルならばどこでも監視システムが行き届いているに違いない。

「一番早くここに来てくださいましたね。ずいぶんお若いようですが……バッジはお持ちですか」

 上等そうなスーツを身に着けた長身で細身のデリック・ヘイズ代表は、歩きながら話しはじめた。グレイスはバッジを出して見せる。

「いや、失礼いたしました。正規の捜査官でらっしゃるのはわかるのですが、つい。なにしろ命を狙われているものですから。いけませんね。思っていたより不安を感じているのかもしれません」

「いえ、私も代表はずいぶんお若い方だと思ってしまいました」

 グレイスは思ったことを正直に返した。もしかすると彼のような人は年頃の女性に人気があるルックスかもしれないが、異性関係に一切感覚が働かないグレイスにはよくわからなかった。

 いや、それよりも彼は今何と言った? 命を狙われていると言ったように聞こえた。

「たまたま近くに来ていました。一人しか来れず申し訳ありませんが」

 グレイスは探り探りで話す。もし捜査局が襲撃の件で動く前ならうかつなことは言えない。ここに来た理由をグレイスは知らないのだ。

「いえ、とても心強く感じますよ。それに……」

 ヘイズ代表は話を続けた。命を狙われている、という話はグレイスにとっては完全に初めての話題だったが、それを表情には出さないようにした。

「もしかして同郷の方ではないでしょうか。違いますか?」

 エレベーターのボタンを押しながら、ヘイズ代表は質問してきた。

「出身はブロッサムですよ」

「やはりそうでしたか。懐かしい発音を感じたものですから」

 グレイスと代表が同郷というのは初耳だった。社長のプロフィールに出身地は書かれていただろうか。グレイスの訛りはほとんどわからない程度なので、本当に同郷の人でなければ気付かないだろう。

 グレイスの故郷は小さな島国。その数少ない出身者同士が、意外に出会うことがあるものだ。しかしそんな事より、現状がいっそう気になりはじめた。この会社は敵対者というのが頭にあったが、その代表は随分と礼儀正しく、逆に命を狙われているという。考えていた反応とは全く違う。

「私は機械に疎いので少しでもコンピューターテクノロジーを学ぶつもりでいましたが、道のりは長そうです」

 グレイスは話題を変えてみた。先程見かけた現場の話だ。

 そんな話がしたいのではない。なぜだろう。命令を知らずに来たことを後ろめたく思いはじめる頃のはずなのに、そういう感情にはフタをされているかのようだ。自分の行動に違和感を覚えた。

 エレベーターはなかなか下りてこない。雑談は続く。

「私にもわからないことだらけですよ」

「これほどの成果を出している実業家の方でもですか?」

「日進月歩の業界ですからね。実用化まで年数がかかる技術も多いですし、次々に新しい分野に投資していかなければ成長できません。常に学ばなければならない。始めた頃は私も技術者と言えたかもしれませんが、今は現場に追いつくのも困難です」

 ヘイズ代表は謙虚な発言をした。多くの人には落ち着いていて誠実そうに受け取られる態度だと思う。

「LD材料の研究などですか?」

 グレイスは探りながら言葉を出した。隕石物質はLD、リンカーデバイスの一種とされているが、研究所で合成できるものでもある。ヘイズはどう答えるだろう。何か話を聞き出せるだろうか。

「それも研究対象の一つです。よくご存知でしたね。実は一番力を入れているのはLD関連です」

「友人が研究していたんです。それほどなら、既に実用化も目処がついているのでしょうね」

 先ごろの襲撃の際に見たブレスレットはおそらくLD関連のテクノロジーだろう。もしあれの出どころが他の武器と同じくエーテル・デバイセズ製だとするなら、すでに活性化の技術を持っていることになる。

「いえ、残念ながらそれはまだ。でもいずれは可能だと思っています」

 当たり障りなく答えるヘイズ代表だったが、後半の言葉は野心めいたものを感じさせた。今もトップを走り続ける先端企業の経営者の顔なのか、それとも他の根拠でもあるのか。

「最近、そうした我が社への批判が高まっている。それは知っています」

「そうなんですか?」

「……あなたはまだご存知ありませんでしたか。それなら、先入観なく我が社を見ていただけますね」

 ここ数年で急成長を遂げたエーテル・デバイセズに対する風当たりは強い。産業基盤を破壊して経済を混乱させている、大量の失業者を生み出したといった批判は多い。中には、性急すぎるテクノロジーの進歩はいたずらに人の生活を複雑にして不幸にするといった思想活動まであるらしい。

「テクノロジーは人を幸せにするために使われるべきです。それは私も考えている。どうしてでしょうね」

 ヘイズはため息交じりに語る。ポジショントークという印象があった。

 ヘイズの考えとは逆に、情報技術は人心を壊すものだと主張する者は年々増加の傾向にある。半導体生産工場での営業妨害行為まであり、それもあって自前の警備会社を強化していったそうだ。

「警察ではお役に立てませんか?」

「それはもちろん。被害届は出していますが、工場はたくさんありますからね。従業員個人が危険にさらされるようなことになれば考えなければならないでしょうが、現状は警備の強化で対応しています」

 ヘイズはすらすらと答えた。社長が命を狙われるのもそれに関係しているのだろうか。今日はそれに関連した警備の相談で呼ばれたのか? エレベーターが下りてきて、グレイスとヘイズは二人でそれに乗り込んだ。

「……」

 それに乗るまでは多弁だったヘイズは急に黙り、ドアの方に体を向けてじっとしていた。

「……」

 グレイスは初対面の相手とよく喋る方ではないので、相手が喋らなくなれば自然に沈黙が訪れる。それに耐えきれなくなったのはヘイズの方が先だった。

「……そろそろ、本当の目的を聞かせてもらえませんか」

 ヘイズの声は震えているようにも聞こえた。

「え?」

 グレイスは疑問を返す。どうして怯えるような声を出すのだろう。この状況で緊張しなければいけないのはグレイスの方だろう。

 LDに関する質問はグレイスにしては大胆すぎたとしか言えない。だが、思ったより緊張はしていない。不思議であった。

「あなたのような存在を知っているつもりではいた。でも、こんな狭い空間に二人きりになったことなどないのですよ。殺そうと思えば一瞬でしょう。そう思うとはやり怖い。どうやらすぐにはその気がないことは安心しましたが、どうするのです? 何をしに我が社まで来たのです」

 ヘイズはとつとつと話した。グレイスは……いや、グレイスのような誰かは、その問いかけの意味がよくわかっていた。

「すぐに気づいた? 私の正体に」

 グレイスの姿をしたものは、口調だけが綺柩に戻りながら尋ねた。

「捜査官を手配していただく話はあったので、すぐにはわかりませんでした。グレイス・ハート捜査官は実在の人ですし、気づいたのは社内システムのスキャナーが警告を出した時です。私の端末に届くしくみです」

 ヘイズは振り返り、耳につけた小さなチップのようなものを指差して言った。それが受信機になっているようだ。

 なるほど、社内の監視システムは柩の正体をスキャンできるものがあるらしい。体温や透視等には人間と同じ反応しか示さない柩の肉体も、より詳細に調べれば人間と区別できる。柩の側で感知できなかったところを見ると、センシングが気付かれないパッシブ型の何かを設置していたと見える。

 そんなことをするのは、柩のようなLD存在に備えてとしか思えない。こんなオフィスにまで設備を用意しているとは、さすが軍事技術にも手を出している会社だ。油断していた。柩が知る年代認知より少し先に行っている。もっとこの会社の事を知りたい。柩にとっても興味深い場所だ。

「あなたは人間ではない。そのような存在を、私は他に知っている」

 ヘイズは柩を見ながら言った。恐怖と、わずかな怒りが瞳から感じられる。

「私を知っている?」

「いいえ。でもあなた以外を知っています。この地球上にブロッサムのあれがなければ、もうこの世界は原型をとどめていなかったでしょうね」

 ヘイズは実感を込めて語った。なるほど、柩の方でもヘイズのことがわかりはじめていた。

 柩は他の存在についても知りたい。柩の他にいる同類たちのこと。柩にとっては、その情報を得ることも重要な目的の一つである。

「命を狙われているといったね、ヘイズ。それと関係があるの?」

「……ええ。LD技術を使う者に狙われています」

 エレベーターが上層階につき、会話が一旦途切れる。ヘイズの秘書とおぼしき人が出迎え、そっと耳打ちをした。ヘイズはそれに耳を傾け、目を細めてなにかに納得したような顔をしていた。

「ノストーク支社か……やはり。通信障害の状況は?」

「前よりは収まってきています。セキュリティパッチの効果が出ていてわが社の通信網は回復してきていますが……どうするんです? これは反乱なんですか?」

「わからない。ノストークとの連絡手段は本当にないのか」

「意図的に途絶しているのかも。あそこは例の傭兵がいる支社ではないですか」

 柩の耳は会話を聞き取ることができた。どうやら、いくつかある支社の一つが音信不通になり、そこを中心に通信障害が起きているという事らしい。

「クーデターかな。命を狙われているというのもそれかね、ヘイズ君」

 柩は質問をしてみる。会社の内部事情にクーデターという表現を使うのが適切かはわからないが、深刻な顔で柩を振り返るヘイズを見る限り的外れでもない言葉らしい。

 柩が前に主張した「社内分裂している」という分析は当たっていたわけだ。

「首謀者の見当までついていそうな口ぶりだ。そんな兆候があった?」

 例の傭兵、という言葉が気になったので柩は聞いてみた。グレイスの身分を借りていることもあるし、少しは捜査官のように情報を引き出そうとする。

「いえ……彼女は私の親友でしたし、こんな反乱を起こすとは。しかし、この手口の鮮やかさを私は他に知らない」

 ヘイズは正直に話しているように見えた。柩を前に隠し事は無駄と思っているのかもしれない。

 それは過大評価だ。この地球上では、柩の力は数億分の一以下しか自由にならない。柩が人間だった頃と同程度の頭脳に、常人よりは優れた身体能力くらいしか持っていない。

 音や視界をできるだけよく観察し、外敵の接近や攻撃を検知しているに過ぎない。その方法に慣れなかった時は不覚をとることもあった。商業ビルでの一件のように。

 ノストークの傭兵、一体何者だろう。調べてみたい。

 通されたのは応接室ではなく、上階にある情報統合室だった。支社の情報や周辺の工場の各種パラメーターを一望できるそこは、さながら戦略執務室といった様相だ。一般の企業にこれだけ統合されたリアルタイムの情報システムが備わっているのは、エーテル・デバイセズが普通の会社ではないことを象徴しているようだった。

「市警が来るはずでしたが、なぜ来ないのです?」

 ヘイズは端末にいるオペレーターの一人に尋ねた。

「交通の混乱のようです。街の北側の映像を出します」

 エーテル社が設置しているネットワークカメラの一台の映像がディスプレイに表示される。確かに渋滞が起きている。あちこちに交通整備の人員がいるが、なかなか解消されない。何かが不自然だ。

「……交通整備員の身分を照会してください」

 ヘイズが命令すると、系列会社が設置している監視カメラ画像から次々と人相の照会が行われる。しかし、一般市民の個人情報を民間企業が使うことはできない。可能なのは自社の社員との照合だけだ。

 ほとんどは一般の警官のようだったが、その中で数名がデータベースの検索にヒットした。

「ESGのスタッフが何人か含まれています。市から協力要請がありましたか?」

「ないはずだ……」

 どうやら、エーテル系の警備会社のスタッフが交通を混乱させ、市警がここにたどり着くのを妨害しているようだ。

 ヘイズの顔色が変わるのを柩は見た。ここから警察を遠ざけたい理由を考えたのだろう。

「危険かもしれません。話をするなら移動して続きを」

 ヘイズは他のスタッフにも退避するように言い、足早に情報室を出た。近くにある社長室に向かう。

 社長室は一面のガラス窓からビル下の街を一望できるようになっている。ヘイズはそこにある電話を取り、誰かに連絡していた。どうやらその電話だけは通じるようだ。

「迎えが来ます。あなたも――」

 柩に向かって話すヘイズの言葉が終わる前に、社長室の窓ガラスが砕けて飛び散った。破片が撒い、耳障りな音があたりに響く。

 小型自動車ほどの大きさの濃灰色の塊が飛び込んできた。左右に二基の回転翼を備えた無人の警備機械のようだ。しかし、柩が前に参照したエーテル・デバイセズの警備ロボットのラインナップには存在しないものだ。

 着地してすぐ四本の脚部を展開、左右のローターを昆虫の羽のように背中に収納し、猫科の肉食獣のような姿勢に変化する。

 機械は柩とヘイズのいる方に頭を向け、射撃姿勢らしき形態をとった。

「何だい、この格好いいやつは?」

 柩は興味を持った。その機械は、現在の地球上のものにしてはよく出来ている。

「本社ビルの警備ロボットの一台です。でも様子がおかしい。ハッキングされているのか?」

 敵の様子を見てヘイズが言う。確かに明らかに敵対する動きだ。反乱を起こして飼い主に襲いかかっているのか?

 柩は体内起電により相手との通信を試みたが、通常の電気系統の他になにか異物が混入している感覚があった。おそらくは何らかのLDを仕込んで、暴走するように仕向けられている。

 誰かがこのビルに侵入し、警備ロボットに細工をしたことになる。まさか、調査部のオフィスに現れた襲撃者がここにも来ている?

 それはありえる。ここに来る前、廃車置場でも襲われた。だとすれば襲撃者の狙いはこちらの可能性もあるのか?

 背部に内蔵された機銃が狙っている。グレイスが狙いか、ヘイズが狙いか。柩はそのままの位置から動かない。

「屈んでいたまえ」

 柩は自分より身長の高いヘイズに言う。動けば背後にいるヘイズに被弾する。

 力の制限状態でどこまでやれるのか。爆撃への対処では、重力操作干渉のクラスが規定違反にならざるをえなかった。ちょっとやりすぎている自覚がある。備蓄していた自前のエネルギーをほぼ使い切ってしまった。やけに消耗が早いのが気になる。

 現地で取り込んだエネルギーだけで、なおかつこの地球に影響を与えない範囲での能力限界を見定めなければならない。柩はグレイスから借りている端末を左手の甲に装着した。右手には拳銃を持つ。

 機銃の掃射が始まる。鉛玉が次々に襲い、柩は一発ずつを見極めて手甲で軌道を逸らし、被弾を避けていく。

 相手は機械だけあり正確な射撃だったが、それだけに柩の動体視力と思考能力で容易に対応が可能だった。

 重力干渉は現地世界への影響力が最も少ない干渉方法だ。それを極限まで薄めて貼り付け、できるだけ手甲の装甲部分で弾丸を逸らした。

 この方法なら最小限の力で火器に対抗できる。弱った今の状態では体を使う技が必要になるのは身にしみている。突然弾丸を浴びるのは何度目かになり、こう何度も襲われればこの体での対応にも慣れていく。

 柩は右手で拳銃を撃った。弾丸は命中したが、普通の拳銃では相手の装甲を貫通することはできなかった。プラスチックや軽金属ではないようだ。

「ありゃ……」

 九ミリ弾でダメージがあるようでは警備ロボットとしては失格だ。残弾がすぐなくなってしまい、柩は仕方なく銃をしまった。

 困ったことになった。もう少し火力がないとここから動けず、相手の狙いもよくわからない。

「ショットガン持ってない?」

 柩は背後でしゃがんでいるヘイズに話しかけた。

「あ、ありません。社長室にそんなもの」

 残念ながら、事務所にショットガンを常備しているタイプの会社ではなかったらしい。ありもので撃破する方法はないだろうか。この社長室はおしゃれだが、飾り物が少なすぎる。せめて日本刀でも趣味にしてくれていれば戦いようがあったのだが。

 柩が余計なことを考える間、相手も動きを止めていた。

 機銃が通用しないので次の手段を計算しているのかもしれない。もう少し相手の動きを観察してみたくなり、柩は次の行動を待った。こうやって未知の存在の情報を集めるのは柩の本能のようなものだった。

 何千万年か、あるいは何億年かの旅の中、柩は常にそうしてきたのだ。未知の銀河の情報をできるだけ破壊せずに回収するために。与える影響は最小限でなければならない。そう厳格にルールを定められている。

 柩のとってのここでの戦いはそういう類のもので終わるはずだった。本来ならば。

『影響力Cの現実干渉を検知しました。遠宇宙クラスター由来です。幽理断裂発生を確認』

 じっと止まった相手を待っている時、柩の脳裏に警告が響いた。

「なに……?」

 柩は思わずつぶやく。間違いなく目の前にある機械を示して警告が出ている。

 これはただの地球産の警備ロボットのはずだ。そのはずが、この地球上でのイレギュラーだと言っている。遠い銀河からやってきた柩と同じように、別の原理、別の法則が支配する場所から飛来した何かなのだと。

『影響除去推奨。排除行動に限り、Cクラスまでの現実干渉性の発動を許可します』

 柩をつなぎとめている自戒の鎖の一部が引きちぎられ、抑えていたものが解き放たれていく。

 ルールは一時的に緩められ、柩はこの場で、相手と同様のイレギュラーであることを許された。

 目的はただ一つ。

「そうか……おまえ、」

 同類であるそれを、できるだけ速やかにこの地球上から無くすためだ。

「私の獲物だったのか」

 柩は確認するようにつぶやいた。戦闘用ロボットの外形が変わり始めていた。電気モーターではない動力筋組織が露出し、幾何学設計のレベルで変貌しはじめている。この地球上にあってはならないテクノロジーにより、物理法則への直接の介入が行われている証拠だった。

 自然の原理にもこの銀河のルールにも背く、遠宇宙を運行する法則を持ち出している。ならば、それは柩の敵だった。

 柩や他の二体の異星体たちは、出身の銀河で成り上がって原理到達した者たちだ。つまり、一つの世界を支配した経験がある。そうなってしまえば好きなように世界の形を変え、影響を与えることができた。

 今いるような別の銀河団クラスターでは原理にわずかな違いがあるが、基本となる原理法則は似ている。そのため、持ち前の知識である程度は現実を自由にいじることができてしまう。だがそれは、開かないものを無理にこじ開けているようなものだ。その銀河の原理を正しいプロセスで解明しないままに強引に捻じ曲げれば世界は少しずつ傷ついていき、小さな惑星くらいなら簡単に崩壊する。

 この星をここで壊すのは惜しい。だからこれ以上影響を与える前に、おまえには消えてもらう。柩はそういう獰猛な目で相手を睨んだ。

 そんな柩の目線にかまわず、動物的な姿と動きになった敵はそのまま火器も使わずに柩に襲いかかった。頭から覆いかぶさり、捕食するかのような姿勢だ。

 棒立ちになっているヘイズもいたのに、そちらには目もくれずグレイスの姿をした柩の方にまっしぐらだった。

 なるほど、狙いはグレイスなのか。

 それがわかった時点でグレイスのふりをやめる。柩の姿が柩に戻る。衣服が変形し、全身を覆うドレス状に変化していく。今の模倣人体ではどうしても弱い観測能力がそれによって強化され、反応速度が大幅に上昇する。

 柩は手をかざし、防御時とは比較にならない強力な重力波を放って突進を退けた。低い振動音が響き、ショックウェーブで部品のいくつかが砕けて弾け飛ぶ。わずかに光を曲げるほどの重力異常で、周囲の風景がレンズのように歪んでいる。だが、その影響は外に漏れ出さないように範囲内に抑えられている。

 クラスC判定になるには、かなり狭い範囲のみに干渉発生させることが規定されていた。それでもノークラスとは比較にならない。防御のみだったものが攻撃に切り替えられる。ノーペナルティになった今、柩の能力は地球上の兵器と比較されるような存在になる。

 それでもほんの片鱗でしかないとも言える。本来の柩の力のごく一部でしかない。この地球は何かが妙だ。この地球上でだけ全ての活動が重く、大量のエネルギーを消費してしまう。と比べ、何かが異常であった。

 それでも、この範囲でなんとかしなければならない。空爆の時のように許可なくクラスアップをすれば違反が累積していき、眠りについている妹を動かすことになってしまう。

 それを思い、そういう事でもなければ彼女に会ってやれないことを少しだけ寂しく感じた。

 柩の一撃を受けていても、相手にはさほどダメージは認められなかった。起き上がって再び向かってこようとする。

 柩は四肢に力を配分し、相手にも勝る俊敏さで当て身を見舞った。敵は壁を貫通してエレベーターホールまで飛ばされ、そこで生物的に反転して反撃の体勢を取る。

 柩は追撃した。Cクラスの効果範囲の狭さ、ビルへのダメージを考慮し、重力操作は身体操作に当てたほうがよさそうだ。見えないパワードスーツを着ているように、一回り大きいリーチになって大柄な相手と渡り合う。打撃の応酬があり、そのまま絡み合うようにお互いビルの吹き抜けへと投げ出された。

 このビルの中心は吹き抜けになっており、最上層から最下層までつながっている。柩も相手も、逆さまに落ちていく。それを見ていた他の階の社員のどよめきが聞こえた。

 落ちていく中でも相手は猫のように姿勢を整えつつ腕を振り、生体的なツメで柩を引き裂こうとしてきた。こういった機械は執念深いものだ。柩はそれをいなしながら、相手の力の源を観察していた。

 イレギュラーな存在であるこいつには、LD機構とそれを制御するコアが備わっているはずだ。

 柩にも楔形のコアがあり、それを取り巻くようにMLDが存在する。相手も何らかのLDを組織に入れていて、その中にコアがあるはずだ。LDを制御する力の流れを追い、柩はそれが敵の中枢の電気回路の一部に埋め込まれているのを見つけた。

「これか……!」

 空中で逆さまに落下しながら、柩は手甲を右手に付け替えた。落ちながら暴れる相手の胴体、心臓部に腕を突っ込み、電気回路の中にあるモノを抉り出した。

 手で強引にもぎ取ったそれを見た。集積回路のようだ。その中からコアの力を感じる。

 型番はないが、一般に流通しているソケットと同じタイプのCPUに見える。もともと搭載されていたものと入れ替えたのかもしれない。地球上の一般的な製品よりも回路密度があるようだ。

 本来なら生物か、生物であったものしかコアにはなれない。ということは……これは、作ってはならないものである可能性が極めて高い。

 柩はコアとなっていた回路を握りつぶす。力を込め、重力集中場を作り出して分解した。目に見えないほどの粒子に変換された集積回路は形をなくし、あるべき場所である地球へと還っていく。

 これでイレギュラーは消えた。もうこの地球に悪い影響を及ぼす心配はない。

 心臓部を失った敵のロボットは肥大化した筋組織を動かすための力がなくなり、動きを止めて柩とともに落下していった。柩は逆さまの体勢からくるりと体を反転させ、相手の腕や足だった部分を軽く蹴って姿勢を整えた。

 耳をつんざく大きな音とともに金属の塊が最下層に落着し、周囲に悲鳴まじりのどよめきが起こる。その声の中、わずかに減速を加えた柩は軽い音で着地した。

 敵のロボットは、もう二度と動くことはなかった。

 許された範囲の干渉によって適切にイレギュラーを処理することができた。影響の排除を確認すると同時に、柩は再び本能に自戒の鎖をかける。

「動くな!」

 駆けつけた警備員が柩に銃を向けて取り囲んでいた。突然の状況で、柩が味方には見えないだろう。事態を知る社長ははるか上層階に取り残されている。グレイスのふりをやめてしまったので、捜査官だと名乗ることもできない。

「あは……これは参っちゃったね」

 ピンチだった。残っている体力でここを脱出できるだろうか、と思ってひらひらと手をふると、そのポーズを誤解した警備兵の一人が容赦なく柩に発砲した。

 弾丸は柩の胸部を背後から貫通した。MLDに物理的ダメージを負い、修復が難しくなる。さっきのは無抵抗を示したつもりだったが、何かをする動作に見えたのかもしれない。なにしろ、素手でロボットの装甲を引きちぎったのを見られた後だ。

 社長は命を狙われていたのだから、警備員も神経質になっていたのだろう。うかつだったと柩は思う。だが潮時だ。せっかく増えた肉体の容積を捨てるのは惜しいが、ハンバーガー由来のボディにしては十分働いてくれた。

 柩は肉体を無理に維持せず、持っていたグレイスの端末だけを残してMLDを分解した。後には白い光の粒子だけが残され、端末はカシャンとその場に落ちた。

 だが、本来なら落ちるはずの隕石楔、つまり柩の本体はここには無い。残ったのは端末だけだ。所持していた銃もバッジも光になって消えた。

「社長、ご無事で!」

「ええ。彼女は?」

「申し訳ありません、つい発砲したら消滅して……」

 端末を通し、柩にはまだその場での会話が聞こえていた。ヘイズと警備員が話している声だった。

「コアがない……本体ではなく分身だったか。この妙な端末で遠隔操作された肉体だったようだ」

 端末の通信が途切れ、柩本体への音声送信が途絶えつつあった。

 ヘイズの言う通り、会社に送り込んでいたのは柩の本体ではない。グレイスの形にしてグレイスの中身をいれた人形だった。それを遠隔操作するのに例の改造端末を使った。柩のコア、つまり楔は安全な場所にある。

「回収してラボに送りますか?」

 次に聞こえたのは、ヘイズの隣にいた秘書の声だった。

「そうしろ。このタイプのLD……MLDだったか。こいつは強固なセキュリティを持っているタイプだが、多少は情報が引き出せるかもしれん。できる限り解析しておけ」

 その音声を最後に、柩の分身からの情報はぷっつりと途絶えた。擬似的なコアとして使っていたグレイスの端末は、エーテル・デバイセズ社に回収されてしまった。



「……っ……は」

 目覚めたグレイスは、自分がゴミ捨て場のような場所にいることに驚いた。よく見れば少しだけ見覚えがある。そこは廃車置場だった。グレイスは、まだ廃車置場に放置されたセダンの中にいたのだ。

「今のは……!?」

 グレイスにも、最後の瞬間まで柩の分身体からの情報が届いていた。

 エーテル・デバイセズに行ったのはグレイスではなく、グレイスになりすました柩だった。しかも、それすらも柩本体ではなく、MLDで作られた分身体だった。

 グレイスから奪ったあの端末を中心にして動く人形。それが一人で歩いて離れた場所まで行っていた。

「何で……」

 グレイスはエーテル・デバイセズ社を調べるように捜査局から命令を受け、そこに向かうためにレンタカーを借りようとしていた。その途中で何者かの襲撃を受けて逃げ、この車に逃げ込んだ。それから、どうやって襲撃をかわして任務に戻るかを考えなければいけない状況だった。

 そこまでははっきり覚えている。だが、その後はどうなった?

 車から起き上がると、割れたルームミラーに自分の姿が写っているのが見えた。それを見て思い出した。

『そっくりだろう? なに、きみの名誉を傷つけることはしないつもりだよ――』

 そうだ。この車の中でグレイスは柩に姿を写し取られた。柩はグレイスの姿に化け、そして……何らかの方法でグレイスを昏倒させ、この車の中に置き去りにしたのだ。

「なんて事を……」

 グレイスを助ける、決して裏切らないと語った次の瞬間にはもうグレイスを騙し、柩は一人で行ってしまったのだ。

 車内を見ると、壊れた車のダッシュボードにメモが貼り付けられていた。

『きみの本当の望みはオフィスに戻ること』

「……」

 柩からのメッセージはそれだけだった。相変わらず考えを先読みされていて、いい気分がしなかった。

 確かに、今一番気になるのはパロット捜査官の安否だ。それは間違いない。そのための身代わりとして柩がエーテル・デバイセズに向かったのだろうか。だからといって、スクラップ車に置き去りにされる覚えはない。

 衣服やバッジ、銃はある。コピーしたのだろう。ただ、端末は柩に持ち去られてしまっている。連絡がとれない。他に残されているものがあるとすれば……グレイスの額の中にあるMLDだけだ。しかし、グレイスはまだこれを自由に扱えるわけではなかった。通信機器として使うことはできない。

 さっきまではこのMLDを介して、柩の分身からの情報を受信できていた。おそらくグレイスになりすますために、グレイスの人格情報をリアルタイムで読み取って反応を返すためにつなげていたのだろう。

 自分のMLDのネットワークにそのような痕跡があるのがわかった。ヘイズ代表と言葉をかわした記憶もある。なるほど、柩が言うようにこれは本当に自分の体の一部のようだ。異常があればすぐにわかる。

 演じるよりも本人の脳に考えさせるというのは合理的な成りすまし方ではあるが、グレイスの人格は道具ではない。そのような扱いを受けることは心外であり、普通の人間の常識では考えられない発想であった。

 柩は、グレイスと手を組もうと無邪気に言った。相棒というのはこんな意味の事なのだろうか。もしそうなら、人間離れした考えだ。

 グレイスに擬態したということは、おそらく単独で捜査をしたかったのだろう。捜査官の身分を利用して。柩はあの会社に興味があると言っていた。

 グレイスは足手まといだったのだろうか。それとも、相手の言うことを真に受けたこちらがただ勝手に弄ばれたのか。裏切られたという感情だ。そういう感情を抱くということは、まだ相手のことを話が通じる相手、同じ人間のように同列に扱っていることになる。

 本社に行ったのが柩の分身だとしたら、本体は今どこにいるのだろう?

 柩の腰には楔隕石は存在しない。あれが本体なのはディズの研究でもわかっている。今どこにあるのだろう。どこへ向かうあてがあるというのだろうか。

 グレイスは楔を預かっている身だ。きちんと管理し、あるべき所に返却するまでは責任がある。このままにはしておけない。

「見つけなきゃ……でも……」

 すぐにでも柩を探したい。だが、悔しいが彼女の指摘の通り、パロット捜査官の安否も心配だ。グレイスは車のドアを蹴破り外に出た。夕陽がスクラップ場を照らしており、どうやら数時間ほど昏倒していたらしいとグレイスは知った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る