グレイス編 5
『犯人だよ。襲撃者の正体。疑ってるんだろう? 内部犯の可能性』
柩が口にしたのは、一連の襲撃事件の犯人の事だった。連日遭遇している謎の襲撃者の正体について。それはグレイスが誰にも言わずに考え続けていた事であった。それを唐突に切り出され、グレイスは思わず息を飲んだ。
商業ビルとオフィスでの襲撃者の正体はわかっていない。グレイスの中で渦巻いている疑問。それを表情に出したり誰かに話したことはなかったのに、柩は当然のように当ててきた。
グレイスは額に触れ、そこにあるものを介して考えが筒抜けなのではないかと疑問を感じた。
『ずっと捜査をしたがっていただろう。それのせいじゃないから安心したまえ』
疑問に先回りされた。額のMLDはグレイス自身と一体化しており、他者の干渉があればすぐにわかると思う。そんな感じ方だけでは思考盗聴されていない確証にはならないが、今はとりあえず受け入れるしかない。
「急に現れたと思ったら何です。体は本当に大丈夫なんですか?」
『ずっと情報収集をしていたんだ。でも障害が発生して、ネットにアクセスできなくなってしまった』
「どうやってネットに……何を見ていたんですか?」
『SNSと動画配信サイト』
ごく普通のネット民のような返答が帰ってきた。グレイスは拍子抜けしてしまう。
『いろいろ調べてあげたんだよ? きみが気になってそうな事を中心に』
「本当ですか? 教えてください!」
『だめ』
「ええ!?」
それを聞きたければ先に質問に答えるように、と柩は促した。柩が聞きたがっているのは、襲撃者の正体についてのグレイスの意見だ。
「現時点では判断できないでしょう」
グレイスは答えた。なんだか踊らされている気もするが、柩が調べてくれたという情報は気になる。柩とはできるだけ自然に会話をせよと命じられてはいるが、職域に及ぶことで深入りさせてもいいのだろうか。
『でもある程度は考えているんでしょ? 私だってそいつに撃たれてるんだから、きみの推理を知る権利くらいある』
柩が同情を引くような事を言った。撃たれた件について言われると弱い。グレイスは柩の質問に答えるしかなかった。
「……疑わしいとは考えています」
考えないわけにはいかない。ダリアからも、情報を漏らしているのは身内かもしれないと釘を刺されている。調査部の少ないメンバーの中に襲撃者がいるという可能性は無視できない。
グレイスの身近にはアルバート、パロット、ディズの三人がいる。どんなに人手不足でも、重要な仕事はこの三人しか任されない。つまり、あの慎重なダリアが信頼している人間たちということだ。
だがこの三人ならば、条件次第で一連の襲撃に関与できるとグレイスは思う。
一件目の事件では、隕石が落ちた現場のビルに警官姿の侵入者が現れた。グレイスと交戦になり、その後犯人は逃走した。その際、隕石の一部を持ち去っている。事前に発見して写真に収められていた一つが未発見になり、後の襲撃者が同じものを所持していた。
検問を設置したにも関わらず逃げた犯人は影すらも踏ませていない。警官の制服はグレイスが見た限り正規の市警察のもの。その後、柩を遠くから正確に狙撃して粉々にした者もいるはずだが、そちらも全く足取りを掴めていない。
二件目の事件では、入念に追尾を警戒していたはずの隠れ家を発見され、短機関銃で武装した侵入者に襲撃を受けた。狙いが何だったかはわからないが、一件目と同じだとすれば収集した隕石のフラグメントかもしれない。グレイスが見る限り、この犯人は一件目で警官に扮装していた人物と同一犯、もしくは同じような訓練を受けた者である可能性が高い。妙な力を出す石を使っていた。あれはほぼ間違いなく持ち去られたフラグメントだ。
警察とは銃器の扱いや立ち回りが少し異なっていると感じた。逃走を見極める手際の良さや、やはり援護的な狙撃があったという点も一件目と非常によく似た手口だ。
ここまでの犯行で、制服の入手、検問をかわしたこと、秘密のオフィスの場所を知っていたことなどから、内部犯の可能性が疑われる。
ここで、調査部のメンバーに注目してみる。
パロット捜査官は元市警察の警官である。急な転属のため、市警察の制服を持っていてもおかしくはない。一件目の事件では現場にいたが、グレイスとは別行動。ただ、銃撃のあとすぐに駆けつけていたので、あの短い間に着替えるのは少し無理がある。他の人間には持てない隕石フラグメントを持ち去ることができる希少な人物の一人であり、協力者かもしれない。
二件目では犯人が逃走した直後に施設の中から出てきてグレイスに声をかけている。やはり実行犯ということはありえない。情報を売ったり、運び屋になっているおそれはある。
次はアルバート捜査官。彼女は一件目の現場にいた。身体能力の高い彼女なら、二階にひそかに忍び込んでグレイスを襲うことや、壁に空いた破損孔から逃げることは簡単に思える。その後の逃走に関しても、捜査官という立場から検問にかかる心配がない。
二件目の襲撃の際は宿にいたらしいが、無人のモーテルなので証明はできない。翌日は朝早くから施設にやってきていた。事件後に近くにいたのかもしれない。
ただ、彼女はフラグメントを持てない。一件目では持ち去ることができず、二件目の犯人のようにフラグメントを身に付けられない。
最後はディズだ。実は一番怪しいのは彼女だ。一件目の事件では、彼女はまだ正式に関わっていなかった。したがって、あの商業ビルのニセ警官がディズだった可能性が無いとは言えない。研究所ではフラグメントの紛失があったという。担当していたのはディズで、彼女はフラグメントを持つことができる資質のある人間だった。自ら持ち去ったのを紛失と言い張っている可能性がある。
二件目も勤務中ではなかったため、あの襲撃者がディズだった可能性はある。その時間は町の外にいたと言っており、証明できる人間はいなかった。
どれほどの身体能力を持っているのかは確認しようがないが、人が見かけによるとは限らない。彼女には全ての犯行が可能だが、一般人であるため検問突破や制服の入手といった問題が残る。研究員という立場から襲撃者の像にうまくつながらないという先入観もある。
どの人物も犯行に関われる機会はあるが、単独犯では実現が難しい気がする。複数犯なら全員に疑いが持てる。
『本当はもう少し確信を得ているくせに』
「……何のことです?」
『きみがそれでいいなら何も言わない。それにしても、』
柩は一拍置きながら、グレイスに問いかける。
『きみはなぜ、そこまで捜査活動にこだわるのかな』
「なぜって……刑事になると志したからですよ」
当たり前のことだった。職業人として、支給される給料の分だけを返せるようにありたいと思っているだけだ。
『今の仕事は捜査じゃないだろう。きみは調査部で十分役に立っている。捜査活動をしたい理由ではないね』
「……確かにそうです」
柩の指摘に納得してしまう。自分でも焦っている自覚があった。
真相に近い位置にいると思っているからか。それとも、今の仕事に不満があるからなのか。
そのどちらも、本当の理由ではなかった。
「人がいなくなるような事が嫌だからです」
グレイスは本音を話した。
焦燥の理由は、誰かが命を落とす前に事件を解決したいという思いからだった。警官になればそのために力を使うことができると考えていた。目の前で事件が起きているのに、今は捜査活動ができない状況が続いている。
だが、それは個人的な事情だ。職務に影響を出さない範囲でしか動くことはできない。
「……理由を話したんですから、あなたが調べたという事を教えてください」
柩のペースに惑わされるのはもう十分だった。グレイスが聞きたいことも聞かせてもらう。
『うん。隕石を収集していそうな所に、エーテル・デバイセズ社という会社がある』
柩は言いながら、端末の画面にいくつかの情報を表示してみせた。
「携帯電話の会社ですか?」
エーテル・エレクトロニック・デバイセズは、パロットが使っているタブレット型の端末を製造している会社だ。そういえば、LDの話題になった時に名前が上がったこともあった。
『手広くいろいろしてる会社だよ。メカおんちのきみには携帯屋さんという認識かもしれないけれど』
「……そんな会社がなぜそんな物騒なことを?」
この会社ならフラグメントやMLDといった技術に強い興味を示しそうではあるが、電子機器メーカーが今回の件とどう関係してくるのだろうか。
『産業スパイというのはいつの時代もあるものだよ。それに、ここの系列の子会社には警備会社もある。自社の情報機器技術を生かした監視システムや警備ロボット等も含め、大きい組織を持っている』
柩はよく整理された情報を端末に表示した。ざっと見ただけでも元軍人、警官、はては大統領SPの経験者など、人材には事欠かない警備会社だ。装甲車両、警備ロボットの保有のほか、銃砲等の武装資格を保有する警備員が何人も所属している。警備会社といいつつ、実質は民間軍事会社のようだ。
『覚えてるかな。町できみを監視していた連中』
二度目の襲撃の後になりゆきで町に寄った時、グレイスを監視していた何者かが数人いたことを思い出す。グレイスが観察した印象だと諜報機関などの国家機関ではなく、傭兵のようだった。
この警備会社なら車両や人員を用意できるし、情報さえあれば襲撃は造作もないだろう。短機関銃に対物銃など、使われた武器も簡単に揃えられるのではないか。
『本体ではナノテク関連の出資をかなりやっているようだ。私も興味が湧いてきた』
エーテル・デバイセズの研究部門ではナノマシンを扱っており、たびたび話題になるLDに通じそうな研究も多く見られる。条件は揃っていた。
『次はこれを見てほしい』
柩はさらにいくつかのデータを端末に送ってきた。どうやら会社の内部の動きを表したものらしい。
どの部署に何人が異動し、どのような職務につき、どういった学歴の人間を求め何の技術開発を行っているか。会社の指針の変化などを表したデータだった。系列会社の分もある。
『ここ数ヶ月のエーテル系の社内情勢にはどうも対立構造があるようで、イレギュラーな動きがある。それも警備会社の、しかも末端の警備員の人事で起きているみたいだ』
「これは何です……?」
それは明らかにネットで手に入るオープンな情報の範疇を超えていた。公表されるものをベースにしている部分もあったが、内情や細かい人事異動、技術的目標など、外から知ることができそうにない情報も含まれている。
「まさか……普通でない手段で手に入れた情報ですか」
グレイスは頭に血を上らせつつ言った。捜査権もないのにそんな事をするのは許されない。
『この程度だったらそんな事をする必要はない。グレイス、好きな食べ物は何?』
「え……チョコデニッシュです」
『好きな本は何?』
「“シロクマに盗まれた海”です。児童文学の」
『きみ、好きな動物は犬だろう』
「セントバーナードですけど。何で知ってるんです? 前の質問と関係あるんですか?」
この質問に何の意味と関係があるのだろうか。
『この質問には一見何の関係もない』
「……ふざけているんですか?」
『いいや。関係ないように見えるけど、関係があるかもしれない』
どういう意味かがわからず、グレイスは電話口で首をかしげた。
『仮にデニッシュが好きな人の中で犬が好きな人は二割だとする。このままだと、デニッシュが好きなら犬が好きという法則は成り立たない。けれど、デニッシュが好きかつ“シロクマに盗まれた海”が愛蔵図書の人に限れば八割になったとしたらどう?』
「食べ物の好みと本の好みは、生き物の好みと関係ないでしょう」
『別々のジャンルだからね。でも、膨大なデータを並べていった時にそういう法則性が浮かび上がることがある。結果を先に見てしまえば複雑多岐なメカニズムで成り立つ法則でも発見できる。だから君の犬好きも当てられる』
「……本当にそんな統計をとっていたんですか? ネット上で」
『いや、犬が好きそうというのはあてずっぽうなんだがね』
「怒りますよ」
またしても柩のペースに惑わされるが、例え話としては理解できた。
デニッシュと本と犬との間の関係に一体どんな論理が作用して結びつくのかは複雑すぎて解明できないかもしれないが、そこにある結果から法則を発見できればいいということだ。そのまま市場戦略等に活かせるだろう。
消去法を使う時のように、必ずしも事実が直接書かれている必要がないのは理解できる。だが、本当に可能なのだろうか。
「外面的な情報だけで、一つの会社の内情までも推測できるというんですか?」
『今はさほど情報が多くなくて、そういう混沌とした
現在のネットで手に入る情報だけではこれが限界とのことだった。推測の部分を除いたとしても、よくこれだけの情報を短時間で集めたものだ。
グレイスが心配するようなハッキング行為もなく、違法な情報は一つもない。具体的な事実が一つも書かれていない部分でも、事実らしきものを浮き上がらせている。
グレイス単独ではこの情報の整理に一ヶ月は使いそうだ。これは確かに有用な情報だ。こんな楔形になってしまっていても柩は活発に活動していたのだ。
「エーテル・デバイセズによる組織だった襲撃の可能性が高くなりますね」
グレイスはデータを見てそう感じた。確かに警備会社での動きは気になる。一部の警備員をクビにしておきながら、継続して仕事を外注したりしている。まるで会社と関係を絶たせた上で後ろめたい仕事をさせようとしているかのようだ。
隕石フラグメントが欲しいエーテル・デバイセズにとって、新しく隕石回収に乗り出してきた調査部は邪魔かもしれない。それを妨害するため、そういう非合法集団を裏から動かす体制を作ろうとした痕跡ではないのか。
『いいや。私はその可能性は下がったように思うよ』
「なぜです? だって、この会社はLDを……」
『内部対立だと言っただろう。会社の意見が内部で割れているんだよ。そんなタイミングで連邦捜査局にちょっかいを出すリスクを犯すとは思えない。この事態に乗じて傭兵を利用している、個人的な目的の誰かじゃないかな』
「……」
グレイスは単独犯である可能性を一番強く疑っている。柩が示すデータは、単独犯であることと謎の尾行者の存在を両立させる説であった。
エーテル・デバイセズ社はLD技術を狙っている。そのエーテル社と何らかの接点あるか傭兵ビジネスに詳しい人間が、社内の内情を知ってフリー化した傭兵にバイトを持ちかけ、襲撃を補助させた。そういう筋書きは考えられる。
隕石フラグメントは希少素材。買い手はおり、価値を知っていれば個人の犯罪者にも魅力だろう。柩の情報とグレイスの単独犯説は、奇しくも辻褄があってしまった。
「捜査許可があれば……」
グレイスはつぶやいた。これだけの情報があれば犯人を絞り込みやすくなる。捜査局にもこの情報を伝えなくてはならない。この件に関する捜査局の動きはつかめていない。
「撤収だ、二人とも」
柩との会話の間に回収作業が終わったようで、アルバートが近づいてきて言った。いつのまにか車で近くまで来ていたようだ。パロットもとぼとぼとついてきている。
「その電話は通じるのか?」
アルバートは、通話中だったグレイスの端末を指差して尋ねた。通じる……と言っていいかどうかわからない。会話をしているのだから通じるのだろうと勘違いし、アルバートはそのまま続けた。
「通じないのは私のだけか……やれやれ」
わざわざ近づいてきて声掛けしたのは、アルバートの端末が通信不能だかららしい。砂漠の真ん中だから圏外なのかと思ったが、アルバートの端末は業務用の衛星電話だった。衛星電話が通じないというのは普通ではない。エーテル・デバイセズ製のパロットの端末だけが通話可能らしい。
『障害が起きていると話しただろう。その影響で、エーテル系以外は不通だよ』
端末から柩の声がする。そういえば、この通話の最初の方で柩が言っていた。情報収集をしていたがネットワーク障害で続けられなくなり、グレイスに電話をかけてきたと。
「回収物をまとめた後でいいから、定時報告を頼む」
アルバートが言う。小銃を持った姿はなかなか迫力があった。本当にこの人は何者なのだろうか。特殊部隊の隊員を一撃で昏倒させたのも見た。
回収したフラグメントをケースに詰める作業があり、アルバートはそのためのケースも既に車の外に準備してくれていた。それが終わると、再び車内のモニター監視に戻っている。
「すみませんが、パロット捜査官から連絡をお願いします。私の端末も不調のようです」
一瞬、エーテル・デバイセズの件を彼女に話すか迷った。端末を借りてもいいが、こんな開けた場所で内緒話をするのは難しいし、疑っていることを知られたくはない。まだパロット捜査官がシロと決まったわけではない。
いや……それを確かめてみようか。今はアルバートが離れている。チャンスだとグレイスは思った。
「パロット捜査官。私は内部犯の関与があり得ると思っています」
「え?」
グレイスは車に背を向けつつ、自分の考えを小声でパロットに伝えた。その言葉に対する彼女の反応を探りたい。
「ちょっと失礼」
グレイスはパロットの手を握った。発汗や筋肉の動き、瞳孔などを観察する。
「あの……」
パロットは上ずった声を出した。手から感じられる脈拍が上がっていき、瞳も揺れている。かなり動揺しているようだ。
その動揺ぶりに、当たりを引いてしまったのかとグレイスは疑った。だが、一瞬の微表情や心拍の推移を見ていると、先程の言葉に反応してのものではなさそうだ。
それよりは別の事を考えているように見えた。任務中だというのに余計な事を考えていたから急な話に動揺したのだろうか。そんな所だろう。
反応を総合的に考えて、パロットがそちら側である可能性はずいぶん低そうだ。
「もちろん、私やあなたではないでしょう。最初の現場で一緒にいたのですから」
「! そ、そうだよな……」
それも正しくはないが、パロットは納得したようだ。まだ上の空のように見えるが、特に不審というわけではない。同僚に犯人がいるなどとは考えたくないだろうし、急な質問で驚いたのだろう。
グレイスは話を続ける。
「かといって、あのアルバートがそうだとも思えないのですが……」
「センパイはあの時いなかったけど、隕石を持ち去れないもんな」
彼女の経歴は不明な所が多い。アルバートは隕石を持つことはできないはずだが、仮にその前提さえ覆ればどうだろう。彼女は本当に隕石を持てないのだろうか。
グレイスは未だ単独犯の印象を強く持っている。もしアルバートがフラグメントの運搬ができたなら、全て一人でできるのではないか?
やけに面倒見がよく、現場では率先してすべての雑務を済ませているアルバート。あまり仕事現場を見たことはない。それが急に怪しく思えてくる。
しかし、今と同じ手がアルバートに使えると思えない。急に手を握るなんて無理だし、彼女から表情を読み取る自信も今のグレイスにはなかった。
「試してみるか」
パロットがつぶやいた。フラグメントを何かに入れて見えない状態にして持たせてみれば、本当に持てないかを調べることは容易だ。
グレイスとパロットは十分に警戒しつつ、雑談するふりをして簡単な計画を立てた。
空港のある町まで車でやってきた。飛行機に乗ると数時間は食事ができないという理由で、グレイスは近くの店で食事を買うことを提案した。
「わかった。では私が……」
「センパイは働きすぎですよ。だいたい運転手じゃないっすか。あたしらが行ってくるんで」
アルバートはまたも率先してお使いに行こうとするが、それを制してパロットが車を降りる。
「……気をつけて行くんだぞ」
アルバートはパロットの背にそんな言葉を投げかけた。純粋に心配しているようにしか見えない。
パロットは店に入っていった。手はず通りなら、どこかに一番小さいフラグメントを隠しているはずだ。
それをアルバートが普通に受け取ることができれば、彼女は実は「資質あり」を隠していたことになる。フラグメント入りのものは普通の人には持ち上げられないからだ。受け取った瞬間に落としてしまえば、少なくともこの件で嘘はついていないことになる。
しかし、考えてみればこれは危険な賭けである。もしアルバートが裏切り者か嘘つきだった場合、パロットとグレイスの二人しかいない状況はうまくないのではないか。
落とした場合でも、一応「先輩をからかった」ということで済ませられるようにパロットがこれを担当するようにしたが、疑っていることを勘付かれたら?
持てないからといって裏切っていないという証明にはならない。単独犯説はただグレイスが感じているだけのことだ。しかしこの一点だけでも確認しておきたいのは事実……共有したい話が多い。その前に疑問は解決しておきたいし……沈黙する車内で、グレイスは考えを巡らせてしまう。
先走ってしまったかもしれない。疑問を感じはじめたが、もう遅い。パロットが戻ってきた。ハンバーガーとドリンクが入った袋を持ってきている。
「わかんないんで適当に買ってきましたよ」
パロットが言う。適当といってもこんなに買う必要があったのだろうか。量が多い。これではどこに石を仕込んだのかグレイスにはわからないではないか。
路肩にとめたバンの扉を閉め紙袋を開けると、いい香りが車内に充満した。
「チーズバーガーがいい」
アルバートが興味を示していた。表情には出ないがお腹がすいているのだろうか。
「ほらセンパイ、飲み物いるでしょ」
パロットがドリンクの紙のカップを差し出す。グレイスはすぐに、それがトラップ用のものだと気づいた。パロットはちゃんとわかるように分けておいたのだ。
グレイスは一気に緊張する。これで、彼女の本当の資質がわかるからだ。
「ん、ありがとう」
アルバートは手を伸ばしてそれを受け取った。何事もなく。グレイスとパロットはともに言葉を失った。
モソモソと紙の包装をはがし、アルバートは一人でチーズバーガーを食べていた。二人はその様子を呆けて見るしかない。なぜ見られているのかわからないようで、アルバートは首をかしげた。
食事を終えるまで、パロットもグレイスも言葉を失っていた。
グレイスは車の外に出た。食事後のごみを捨てる前に、グレイスはアルバートから引き受けた飲み物のカップを開く。残った氷の破片に混ざるように、小石状の黒いフラグメントがビニールに包まれて沈んでいた。間違いなく、パロットとグレイスで回収したものだ。それを拾い上げ、改めて回収しておく。
アルバートは、この回収物入りのカップを何事もなく持って見せた。彼女もまた資質を持っていたのだ。
なぜ隠していたのか。理由を考え出すとグレイスは混乱する。まさか、本当に彼女が……。
車に戻ると、アルバートは困った顔をしていた。まさかトラップがバレたのかと思って不安になったが、そうではないらしい。
「エンジンがかからない」
どうやら車にトラブルがあったようだ。グレイスはボンネットを開いてみる。
一見すると異常がない。砂漠で長時間停車したことが原因でバッテリーが上がっているのかもしれない。
「他の車のバッテリーを借りればスタートできるかもしれません。ジャンパー線はありますか?」
「わからない。とりあえず移動させたいが……」
大きなバンの路上駐車は邪魔になっており、先程からクラクションを鳴らされ続けていた。幸い、目と鼻の先にホームセンターがある。地元の警察が来たら説明が面倒だ。三人で車を押し、広い駐車場に入れた。
車にはジャンパー線がなかったのでそのホームセンターで買うことにした。人から借りてもいいが、この機会に載せておいたほうがいい。グレイスは一人で自動車用品売り場に向かう。
「ねえグレイス、これ買っておくれよ」
急に袖を引かれてグレイスは驚いた。そこには、いつのまにか肉体を取り戻した柩がいた。腰につけていたはずの楔形隕石もいつのまにかなくなっていて、柩が身につけていた。
「なんっ……!」
思わず声を出しそうになるグレイスだが、柩は口元に指を添え「静かにするように」とジェスチャーをした。ここは店内だ。
「食べる元気が戻ってきたから、あの子が余分に買ってきてくれた分を拝借した。さっきゴソゴソ何してたんだい?」
「それは……いやそれよりもですね」
さっきやっていたアルバートを試す行為について柩に聞いてみようかと思ったが、それよりも体を得て突然現れたことに驚いてしまって言葉が出なかった。
拝借、というのは車内のハンバーガーをいつの間にか盗み食いしたということか。手癖の悪い事を平然と言う柩にグレイスは反感を持った。
「そう、それよりもだ。これが欲しいよ、グレイス」
言いながら柩が見せてきたのはラジオコントロールカーだった。付属の操作機を使って走らせることができるおもちゃのスポーツカーだ。
釘一本からチェーンソー、はては金属探知機や芝刈り機までそろえているこのホームセンターには、外であそぶおもちゃまで豊富に揃っているらしい。子連れの親にとっては厄介な目の毒だろう。
「五〇ドルもする……何でこんなものが欲しいんですか」
「役に立ちそうだからだよ。あの時みたいに力技ばかりに頼るのは賢くない」
あの時というのは、空爆を防いだ時のことだろう。確かにあの後で柩は弱ってしまい、体を保つことさえできなくなった。
おそらくはグレイスや他のスタッフたちの命を守ってくれたからだ。弱りきった柩のことを思い出すと胸が苦しくなってくる。
「こういうものは自分で作れないんですか?」
「できなくはない。でもベースになるものを改変したほうがコストがかからない」
「経費で落ちるかな……」
「そのくらいはきみのポケットマネーから出したまえよ」
「何でですか!?」
「きみの身辺のものしか貰わない。ルールだよ」
何という迷惑な話だろうか。そういえば初日に食べ物がほしいと言った時も似たような話を聞いた気がする。
ようするに柩は、この世界に影響を与えるのはグレイスだけと決めているのだ。グレイスの体、グレイスの精神、グレイスの身の回りのもの、そしてグレイスの財布だ。
世の中に変化を与えないために一人の人間だけを使うつもりだ。
柩には何度も助けられているし、その柩が必要としているなら与えたいと思う。だが、本当にこんな事をしていいのかは疑問だ。
「グレイス、きみは捜査活動がしたいと言っただろう。私もエーテル・デバイセズという会社が気になっている。協力しようじゃないか」
「……あなたは警官ではないでしょう」
「うん。だけど、私は決してきみの前からいなくならないよ」
いい相棒だろう? と言って、柩はラジコンカーを差し出してきた。
グレイスは問いには応えなかった。しかし、とりあえずはおもちゃを受け取り、ジャンパー線とともにカートに入れた。
「あ、電池はいいよ。さっき充電させてもらったから」
単三電池六本使用、という表記を読んでいたグレイスに柩が言った。充電だって?
「車のバッテリーを吸ったのはあなたですか! 待ちなさい!」
レジに並ぶグレイスを残し、柩は店の中に走っていってしまった。
駐車場で親切な人からバッテリージャンプしてもらい、車のエンジンをかけることに成功した。
少し時間をとられてしまったが、そのまま三人は空港に向かう。
結局ダリアに連絡している暇がなかった。グレイスはパロットに端末を返し、電子メールでいいので報告するように頼んだ。グレイス自身も、たくさんある報告事項を文章にまとめ端末内に作成していた。
柩は楔の中に戻り、パロットやアルバートには姿を見せなかった。買ってもらったラジコンカーごと引っ込んでしまった。肉体の出し入れだけでなく、所持品までこの小さな石の中に収納しておけるらしい。相変わらず質量保存の法則を無視している。
空港につき、専用のゲートからチャーター便の駐機場に移動した。その時、ずっと圏外表示だったグレイスの端末に通話着信があった。
通信障害が回復したのだろうか。端末の表示は本局であり、ダリアからではなかった。先日送った報告書の件だろうか。
「もしもし」
本局経由でも構わない。グレイスの端末には簡易的だが重要な報告書がたまっていて、それを誰かに受け取ってほしい状況だ。
「グレイスか。やっとつながったな……」
壮年の男性の声だった。懐かしい声なので、聞いただけで誰かわかった。長官の声だ。
「今は一時的に通信障害が回復しているだけらしい。こっちも混乱状態だ。手短に話すぞ。エーテル・デバイセズ社に行け」
「はい……?」
「お前は飛行機に乗らず隣の州まで行け。そこに本社がある。もう市警が行ってるだろうが、一枚噛んでこい」
長官は矢継ぎ早に命令した。
「エーテル社で何があったんですか? その件ではこちらにも情報が――」
「ああ、石拾いのことなら二人に任せろ。令状はいらんことになってる……ひと…………しろ」
そこまで話したところで、長官の電話は切れてしまった。
エーテル・デバイセズに関してはまだ報告していないはずだ。その名前が本局の人間の口から出たことにグレイスは驚いた。捜査局はネット上にあるよりは多くの情報を得ているだろうし、同じ結論に至ったという事なのか。別の件かもしれないが。
「困りました……」
捜査に関われそうな事は嬉しい。だが、今は状況が悪い。孤立無援の状況で、怪しくなってきたアルバートと仲間のパロットを二人きりで飛行機に乗せていいものだろうか。
「あたしは大丈夫だよ。行ってきな」
しかし、そのグレイスの困惑を察したパロットが言う。
「ですけど……」
「すぐ危険ってことはないだろ。それに、そっちの事件が大事だったらどうする。長官が自ら電話してくるような事なんだぞ」
パロットの言うことはもっともだった。市民の安全を脅かす可能性のある犯罪捜査が常に最優先で、その命令が下ったのだ。従うしかなかった。
「くれぐれも気をつけてください」
グレイスは、怪しまれない程度にパロットの手を握って言った。この判断が後悔にならないように祈りながら。
「あたしだって捜査官なんだぞ。子供扱いするなよな」
そっぽを向きながらパロットは言った。今はその言葉を信じたい。
グレイスは飛行機を見送り、街のレンタカー屋に行った。裏手が廃車置場になっており、スクラップ屋も兼ねている店のようだ。
その店で小耳に挟んだところによると、通信障害は一部の固定電話網にまで広まっているらしい。
「グレイス、これにしよう」
柩がいつのまにか実体化していてぎょっとした。赤色の目立つ大型スポーツカーの前に立っている。
「いえ、普通の車でいいですよ」
「スピードが出たほうが良いだろう。隣の州まで行くんだから、時間がかかってしまうよ」
その会話をしていて気づいた。グレイスが振り返った方に、不審な誰かの影が見え隠れしていたのだ。
そちらに振り向かせるのが目的で柩は話しかけてきたのだろうか。前にもこんな風に監視されていたことがあったのを思い出す。
グレイスはできるだけ自然に柩の方に歩いていった。
「それはその通りですけど。ガソリン食いですよ、これ」
確認できた相手は二人だった。廃車置場の方からグレイスたちを見ていたようだが、一瞬で姿を消した。
グレイスはそれには気づいていないふりをした。車を借りるのを待ってから追跡してくるつもりかもしれない。
「きみが払うわけじゃないだろう」
「そんな問題ではありません。経費は無限ではないんですから」
「けち」
「……けちじゃないです。わかりましたよ。これにしましょう」
グレイスは言いながら店員を呼んだが、聞こえていないのか店員は来なかった。このままこの場で車に乗り込んでしまいたかったが、そういうわけにもいかないようだ。
グレイスは周囲に気を配りながら事務所のあるプレハブ小屋まで行った。その瞬間、建物の影から出てきた何者かがグレイスの背後に襲いかかった。
予測して備えていたグレイスは身をかがめ、誰かがグレイスを背後から捉えようとした腕は空中を掴んだ。振り向きざまに銃を向けようとしたが、手を蹴られてグレイスの銃が地面に転がる。
相手も銃を抜くそぶりを見せていた。グレイスはしゃがんだ姿勢から伸び上がるようにしながら掌底を相手の顎に見舞った。
襲ってきた男はこの店の店員だった。手応えはあったが、体格でグレイスに勝るその男はその程度では倒れない。
当たるとは思えない姿勢で相手は引き金を引く。だが、命中以前に相手の銃からは弾丸が出なかった。不発弾か、とグレイスが身構えていると、背後から急に車のエンジンがかかる音が聞こえた。
男が瞬時に背後を振り返ると、パチリと小さな音がして男はそのままあっさりと倒れた。
男の背後には柩が立っていた。何をしたのか男を気絶させたようだ。奥には、エンジンだけかかった先程の車がある。
できるだけ音を立てないようにしたつもりだが、周囲の物陰からの気配が強くなった。グレイスは柩の手を引き、物陰に隠れながらその場から離れた。
道は裏手のスクラップ場に続いている。もっと人のいる場所がよかったが、廃車置場をつっきってどこかに出るしかない。
廃車置場を走りながら逃げ道を探していた時だった。突然首根っこを捕まれ、グレイスは背後に引きずられた。
柩は廃車置場にある壊れたセダンのドアを強引に開き、その中にグレイスを引き込んだ。あまりいい隠れ場所とは思えなかったが、仕方なくグレイスは従う。
車内は思ったより広く、二人はなんとかシートの下に隠れることができた。そこから外を見ていると、唐突に前方から人が現れた。
二人組だった。いつかの時とは違い私服ではないが、見覚えがある顔だ。
ボディアーマーを身につけ、短機関銃で武装している。いくら人が入ってこない廃車置場とはいえ、そんな特殊部隊のような格好の人間が武器を隠しもせず闊歩しているのは大胆すぎる。いよいよ本気でグレイスに狙いを定めているらしい。
「タイミングが良すぎますね……」
あの夜の襲撃者とよく似た装備だ。ボディアーマーにはワッペンの類がない。
捜査官の命まで狙っているとしたら尋常ではない。LD技術や隕石は、果たして本当にただの先端技術の争奪戦で片付けていい事なのか?
「あなたの仕業ですね? さっき銃が使えなかったのも、車が急に動いたのも」
敵が通り過ぎたのを見て、グレイスは柩に尋ねた。
「君たちがMLDと呼んでいる私の因子を、小さな粒子にして車の電気系や相手の武器に送り込んだ。大したことはできないけど、発砲の制御くらいなら簡単だよ」
「……その能力は、もし」
もう少し聞きたかったが、グレイスは思考を中断した。
「……いえ、いいです」
聞く必要はないことかもしれない。柩もそれを察しているようで、口の端で笑うだけだった。
兵士は一旦は通り過ぎたが、また戻ってくる気配があった。
「囮になるから、その間にきみはさっきの車に行く。どうかな?」
柩は合理的と思える提案をしてきた。いい作戦に思えるが、どうしたものだろうか。
「……迷っています。あなたを信じていいのかどうか」
グレイスは正直に言った。この一件を調べるには彼女の力を借りるべきかもしれない。しかし、彼女は宇宙人だ。安易に頼っていい存在ではないだろう。
「信じていいよ。代償も求めないし、きみを裏切らないと約束しよう」
柩は迷いなく言い切った。その提案に惹かれるのも事実だ。柩なら、グレイスにとって理想の相棒かもしれないから。
「いえ、あなたのことがわからないのに、囮なんてお願いはできません」
グレイスは結論を出した。今はその時ではない。
LDは本当にただの情報技術なのだろうか。柩が今までに見せた能力のうち、傷が治ったり弾丸を防ぐくらいなら何らかのトリックや技術で説明がつくと思う。しかし、空間を捻じ曲げて爆発を封じ込めるという芸当は、自分たちが知る範囲の科学だけでは説明できない。
直後に眠ってしまった柩には、結局それを問いただせていない。そういう調査はこれからなのだ。
想像もできないような恐ろしい争奪戦が起きているのかもしれない。だが、彼女を正式に捜査に加えるかどうかは専門家や捜査局の上の人間が決めることだ。この場で勝手に判断すべきではない。
答えを聞いて柩は真顔になり、少し思案していた。
「ふむ。それなら教えてあげるよ」
そして、言いながら柩はグレイスの額へと手を伸ばした。
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