第7羽 Make debut!

『現在プラットフォーム上は、富士川トリ娘スカイスポーツ学園所属、トーワさんです』


 トリ娘コンテスト会場に、ウグイス嬢のアナウンスが響く。


 早朝のメディカルチェックを無事終えてフライト用のユニフォームに着替えたウイングノーツは、湖畔でウォーミングアップをしながらそのアナウンスを聞いた。


 トリ娘のフライト用ユニフォームは、空気抵抗を低減するために表面がツルッとした水着のような形をしている。実際に飛んだ後に湖に着水するのだから合理的な構造だ。赤を基調としたデザインは、青葉と2人で決めた特注品。当然、人前で披露するのは初めてで、そのこともウイングノーツを若干緊張させていた。


「ちょっと気をつけないといけないわね」

 ウイングノーツの横に立っていた青葉が腕を組みながら呟いた。ジッと上前方を見つめているので、ノーツはその視線を追って同じ方向を見てみる。その先には、遠目にトーワがプラットフォーム上に立っているのが見えた。ただ、今ノーツがいるところはプラットフォームの真後ろなので、彼女の背中しかみえない。


「どういうことですか?」

「風が全く無いのよ。本来この時間なら湖の方から風が吹いてきて向かい風になるはずなのに」

 プラットフォームに設置された大きな旗を見ると、確かに微動だにせず垂れている。


「それが……」

 何か、とノーツが聞こうとしたとき、歓声が上がってトーワがプラットフォームから飛び立った。


『さあ、前回覇者トーワがいったーーーっ!』


 実況がアナウンスしている間にも、トーワは下向きの軌道から頭を上げて、滑らかに水平飛行に移っていく。


『安定姿勢に入って、ここからどこまで距離を伸ばすのかーー!?』


 大きく翼を広げ、スーッと空中を滑るように飛んでいくトーワ。プラットフォームごしでは飛んでいる姿がよく見えないので、ノーツは湖畔に設置された中継モニターに目を移した。


 サポートのボート数台に追いかけられながら、トーワは順調に飛距離を伸ばしている。しかし、徐々に徐々に高度が下がっていくのが見てとれた。


『さーあ、もう水面スレスレだ!どこまで粘れるのか!?』


 トリ娘コンテストでは、選手が湖に落ちて動きが止まった地点を到達地点として飛距離を測定する。体の一部でも水に触れればその抵抗で一気に失速してしまうため、体を真っ直ぐに伸ばして極力湖面に触れまいとするトーワ。尾羽だけが小刻みに動いてバランスを取ろうとしていて、モニターには必死の表情が映し出されている。

 ほんの数センチでも動いたら湖面に触れて止まってしまう。そんなギリギリの状態を、1メートルでも50センチでも飛距離を稼ぐために保ち続けているのだ。

 1秒、2秒が永遠にも思えるかのような、集中と我慢の時間。


『「ああーーーーっ!」』

 実況と観客席の悲鳴と共に、トーワの動きが湖面上で止まった。着水したのだ。

 やがて、観客席からから拍手が沸き起こる。


『スカイスポーツ学園、トーワ!前人未到の4連覇に向けた見事なビックフライトでした!』


 健闘を称える実況の中、ライフセーバーに引っ張り上げられたトーワがボートの上で一息をついている。

 しばらくして、


『……只今の、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、トーワさんの記録は、』


 記録を告げるウグイス嬢のアナウンスに、会場全体が静まり返って固唾を飲む。


『……221メートル10、でした』


 うおおおおという歓声が沸き起こる。前回の記録である300、自己最高記録で大会記録でもある329メートルには届かないものの現在1位、そして優勝を狙える飛距離だ。


「この条件であそこまで飛ぶのはさすがねぇ。引退しちゃうのが惜しいわ」

 青葉が感慨深げに呟く。

「風が無いのがそこまで効くんですか?」

 ノーツは先程聞きそびれた疑問を聞いてみた。


「風が少しでもあれば、翼や尾羽に力がかかって落下状態から体を水平方向に引き起こしやすくなるの。ノーツが学園で何回か引き起こしの練習したときも、少なからず風は吹いていたわ。

 でも、今日は全くの無風。見ててご覧なさい。あそこまでうまく引き起こせる人はそうそういないはずよ」


 促されて、ノーツはプラットフォームに目を向けた。

 トーワに続いてトリ娘たちがプラットフォームに登り、飛んでいく。しかし。


『ああーっとぉ!ウェスティン、軌道修正できずに湖に叩き付けられたー!』


『タチーナ、真っ直ぐ琵琶湖に突っ込んでしまったー!』


『名手キューディもだめかー!?あえなく着水!』


 初出場、常連に関わらず、飛んだ直後に湖面に落ちる選手が続出していた。どの選手も、飛び出した後に体を引き起こそうとするが、軌道を変えきれずに湖に突っ込んでいるのだ。

 真っ逆さまに落ちた時のバッチャーンという水音が、意外に大きく響いて聞こえる。それは中継用マイクを通しているからではなく、ノーツ自身の中に直接響いていたからかもしれない。


「ノーツ、あと少しでアナタの番よ」

「……あ、はい」

 青葉の言葉に、ノーツは自分が知らずに固まっていたことに気づいた。


 ポン、とその肩に青葉の手が置かれる。

「こればっかりは経験とセンスがものをいってしまうから、初出場のアナタにとって厳しい状況なのは確かね。……でも。今までの練習を思い出して、体を引き起こすのを少し早くするイメージで飛んでみなさい。大丈夫、できると思うわ」


「……やってみます」


 桟橋のたもとで青葉に見送られて、ノーツはパイプと板で作られたスロープを、プラットフォームに向かって一歩一歩登っていった。

 プラットフォームのてっぺんが近づくにつれて、空が広くなっていく。プロープの両脇につけられたパイプのガードレールは必要最小限という感じなので少し心細く感じるし、学園の飛込み台とは違って周りには他の建造物が何もないので、空中を登っているような気分になる。風が無くてかえって良かったのかもしれない、とウイングノーツは思った。


 プラットフォームの上に着くと、インカムをしたスタッフがやってきて滑走路上の待機位置をノーツに指示した。その上に立ち、ふぅと一息つく。


 左を見ると、湖岸を挟んで泊まっているホテル。右斜め前には昨日行ったレイクビューホテルが見え、さらに真横に視線を移すと観客席が見えた。確か、クラウドパルやマエストロたちもそこでノーツを見てくれているはずだ。

 そして、目の前には広大な琵琶湖と水平線。ホテルの窓から見たものと同じ景色のはずだが、ノーツは今にも湖に吸い込まれてしまいそうな感覚を覚えていた。


『現在プラットフォーム上は、富士川トリ娘スカイスポーツ学園所属、ウイングノーツさんです』


 テレビで何度も聞いたアナウンスで、自分の名前が告げられる。自分がこのアナウンスで呼ばれる姿をこれまで数え切れないくらい想像していた。でも、実際にプラットフォームの上で聞く自分の名前は違う。思わず笑みが零れそうになるのを、ノーツは頬を叩いて必死に抑えた。


(ここに立つためにこれまで頑張って来たんじゃないか!)

 ノーツはもう一度大きく深呼吸して正面を向いた。


 赤白の旗を持った審判員が前方の助走路上に立った。コンディションを確認して問題なければ白旗があがり、スタートの許可が下りる。後は自分のタイミングで走り出すだけだ。


 やがて、審判員が一旦赤旗を上げ、素早く白旗に上げ変えた。


「ゲート、オープン!」


 審判員の掛け声に全身の血が一気に熱くなる。


「行きます!」

 叫びながら、両腕を左右に伸ばして翼を広げる。


「3、2、1、ゴー!」


 低姿勢のまま全速で駆け出した。プラットフォームの端までのたった10メートルの助走距離が、長く遠く感じる。

 目の前に踏み切りポイントが来たところで、プラットフォームを蹴って真っ直ぐ頭から飛び出した。


 フッと心地よさを感じたのは飛び出した一瞬だけ。あとは自分を下に引っ張ろうとする重力の感覚が、ノーツの気持ちを昂らせる。

 正面の視界を湖の水面が覆い尽くす。その青の引力に負けまいと、ノーツは翼と尾羽を捻った。

 翼の下側に圧力がかかり、体が持ち上げられる感覚がする。見えている景色も急激に動き、視界に空が見えた。


(うまくいった……!)


 しかし次の瞬間、両翼にかかっていたはずの空気の圧が和らいだ。まるで寝ていた固めの空気ベッドがスカスカのわた飴に変わったかのような感覚に変わり、手応えが無くなる。

 ノーツの体は少し上向きでふわっと前に進んだ後、空中で一瞬止まってしまった。


「しまっ……」


 体が揺れ、左に傾きながら落ちていく。羽ばたいてはいけない滑空部門では、こうして失速してバランスが崩れたら立て直すのは不可能に等しい。


「諦めるかぁぁああっ!」

 翼と尾羽を限界まで捻り、少しでも長く飛ぼうと落ちる勢いに逆らう。翼に徐々にかかり始める圧。しかし、旋回して落ち始めた体の勢いは止まらない。


「あああああぁぁぁっ!」

 傾いていた左翼の先端が水に触れた瞬間、ノーツはまるでそこを湖に捕まえられたかのようにぐるっと回転し、湖面の上を滑るように着水した。


 ゴボゴボゴボっ。


 顔が水に浸かって息ができなくなったので体を反転させ、顔を水面に出す。

「はぁ、はぁ、はぁ、」

 たった一瞬の出来事だったはずなのに、息が荒い。そして、気づけば周りの水の冷たさがじわじわと体に染み込んできた。


「大丈夫ですかー?」

 やってきたライフセーバーに引き上げられると、モーターボートに座らされる。どこか打たなかったか聞く声に言葉が出ずに首を振った後、ノーツは目の前にそびえ立つプラットフォームを見上げた。


 幾重にも組み上げたパイプで作られたその建造物は、自分が数十秒前まで登っていた物と同じとは思えないほど、巨大で、高くて、重々しく見える。


「本当にあの上から飛んだんだ……」


 飛びたくて、憧れていた舞台。そこからついに飛べたのだからもっと喜んでもいいはずだ。

 そう頭では考えていても、ノーツは涙が流れるのを抑えることはできなかった。


『……只今の、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、ウイングノーツさんの記録は、』


 ウグイス嬢が淡々とウイングノーツの記録を告げる。


『……44メートル41、でした』

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