第6羽 Ambitious World

 滋賀県彦根市。

 琵琶湖の東岸に位置し、井伊家が治めた彦根城で知られるこの街がトリ娘コンテストの舞台となる。

 彦根城の裏の湖畔に設置されたトリ娘コンテスト会場の近くに、学園が選手用に手配したホテルはあった。


「すごい!いい眺め!」


 ホテルの部屋に入るなり、ウイングノーツはそれまでの緊張感も忘れて感動で声を上げた。

 割り当てられた和室に入ったノーツたちを迎えたのは、窓一面に広がる琵琶湖。

 青い空。見渡す限りの湖面。その右側の砂浜の先には水上にせり出した高く大きな足場が見える。トリ娘コンテストのスタート地点であるプラットフォームだ。


 明日、大会であそこから飛ぶんだ。

 夢に見た舞台へのワクワク感と共に、再び緊張感も押し寄せてくる。飛んで、結果をみせないといけないのだ。


「へへへ〜。どう?ちょっとしたモンでしょ?」

 そんな緊張を知ってか知らずか、クラウドパルが隣にやってきて自慢気に話しかけてくる。


「別にアンタの所有物じゃないでしょ、ココ」

 すかさずマエストロから突っ込みが入る。ノーツにとってはここ1か月でお馴染みになってきた光景だ。知らず、肩の力が抜けてくる。


「よしよし、おね〜さんが解説してあげよう〜!手前から真っ直ぐ湖岸に沿ってずっ〜と見ていくと、プラットフォームが見えるでしょ?」

 出場経験のあるクラウドパルがここぞとばかりに解説を始めた。突っ込みのマエストロがため息をついてバートライアと共に自分たちの荷物に向かって行ったので、ノーツはとりあえずパルの解説を聞くことにする。

 西に面した湖岸のビーチの南端に位置するのがこのホテルだ。プラットフォームはホテルからみて反対側――北端寄りに作られていた。


「プラットフォームの奥あたりから、湖岸が左に曲がって横に伸びてるでしょ〜?そのず〜っと左に見える白い建物、あれがホテルレイクビュー彦根だよ。あのホテルの横まで飛べると大体500メートルだから、あたしたちディスタンス部門のトリ娘の最初の目標になるの」

「へぇー」

「ファンとかOBとかあそこに泊まる人が多いかな〜?それでね、今いるホテルが、さっきのホテルとは逆方向だけどプラットフォームから1キロの場所なの。だからもう一つの目標になっていて、それで」


「パルちゃん。荷物整理して走りに行かないと明るいうちに下見できなくなるよ」

 結局見かねたバートライアが声をかけてくれた。ノーツもハッと我にかえって自分の荷物に向かう。確かに、あまりにいい景色だったので二人ともボストンバッグを畳に放り出したままだったのだ。


「ホラ、早く行くわよ。どうせ今からそのレイクビューまで走るんでしょ?」

 既にジャージに着替えているマエストロが急かす。


「あ〜ん、折角緊張している初出場者にいろいろ教えようと思ってたのに〜」

 クラウドパルが愚痴りながらも手早く荷物をまとめて着替え始める。ノーツもそれにならってジャージに着替えたのだった。



 ホテルの前の湖岸道路に出ると、そこはさながらトリ娘のトレーニングコースだった。20人を超えるトリ娘たちが、道路を走ったり道端でストレッチしたりしている。大半のトリ娘はノーツと同じ学園指定のジャージを着ているが、中には他の服で走っているトリ娘もいる。トリ娘関連学園の所属ではない、通称一般参加と呼ばれる選手たち。ノーツもこれまでは学園に所属せずに出場申し込みをしていたし、今回の出場も編入前の申し込みだったので、おそらくは一般参加枠として認められたものなのだ。


「確かに今回は初出場が多いみたいね。学園ジャージじゃない選手が前より少し多い気がする」

 走りながらマエストロがつぶやく。

「それだけ生き残りが熾烈というわけなのね」

「関係ないわ。私たちは私たちのフライトをするだけよ」

 バートライアの不安を一掃するようにマエストロが言い放ち、ランニングのペースを少し上げた。


「マエストロもバートライアも今回は初出場みたいなもんだもんね〜」

 クラウドパルがノーツの横に来て話しかけた。

「ああ、そっか。二人ともこれまでは滑空部門で、今回からディスタンス部門に転向したんだよね」

「そうそう〜。特にマエストロは前々回に滑空部門準優勝した後、調整期間で一回間を空けてから満を持しての出場だからね〜。あんな感じだけど内心はガチガチに緊張してたり」

「パル!!」

 マエストロの怒号に首をすくめたクラウドパルを見て、ノーツはクスクス笑いながらマエストロに追いつけるように足を速めた。

 

 プラットフォームの前を通過し、桟橋を過ぎたとこで左に湖岸沿いの道を走っていく。既に桟橋の周りには大会の運営テントや放送席、観客席や売店まで設置されていて明日からの大会の準備が万全に整っているようだった。


「直前のメディカルチェックはあのテントに行けばいいんだよね?」

「そう。裏にプレハブが見えるでしょ?テントで受付したらそこに案内されるから。で、終わり次第プラットフォームへの桟橋前で出番を待つの」

 バートライアからの説明を聞いて、明日の流れをイメージしながら走る。うん、多分、大丈夫。


 気づくと、右側に白いレイクビューホテルが見え、その先の道路に何人かの人影が見える。ちょうど湖岸が直角に曲がっていて、岬のように湖の見晴らしが良くなっている場所だ。もともとそこまで走る予定だったので四人は誰からともなくスパートをかけて駆け出した。


 ◆


「あれ、ノーツやないの」


 着いた先で待っていたのは、ノーツにとってよく見知った赤毛のトリ娘。シャイニングスタァだった。他にも二人の先輩、フーシェとナスカがいる。


「そしてその横におるんは、確かマエストロはんやったか」

 シャイニングスタァが続けてマエストロに声をかける。

「はい。覚えてて頂けて光栄です」

「お、このが一年のエースか!」

 返事をしたマエストロに、横にいたフーシェが顔をのぞかせた。


「明後日の大会、楽しみにしとるでぇ。出場2回目にして滑空部門準優勝したそのお手並み、ディスタンス部門でどうなるか拝見させてもらうわ」

「ありがとうございます。私はただ全力で飛ぶだけです」

 フーシェの煽りにも臆さず淡々と応えるマエストロ。


「せや。うちらは全力で飛ぶ。飛んで最後に勝負を決めるんは、気合や!」

貴女あなたは結局ばかりではないですか」

「事実やからなぁ。嵐が吹こうが槍が降ろうが最後はが強いヤツが勝つ!」

 ナスカの指摘も物ともせずフーシェが胸を示しながら力説する。


「胸のあらへん人に言われてもなぁ」

「……なんか言うたか?」

 フーシェがジロリとシャイニングスタァを睨む。

「なーんも」


「あのー、先輩方はここで何を?」

 話が途切れたところで、バートライアが切り出した。


「ランニングの休憩ついでに、少々多景島たけしまを眺めていたのですわ」

「多景島?」

 ナスカの説明にノーツが聞き返す。


「ええ。今日は天気がいいから貴女にも見えるでしょう。あちらの沖の島影が」

 ノーツが沖に目を向けると、確かに木に囲まれた島影がプラットフォームの反対側の湖上に浮いて見える。

「あの島が、多景島?」


「ええ。ここからおおよそ7キロ先。わたくし達にとってまず到達すべき目標の一つ。前回はフーシェとソラノセプシー先輩だけがその横を通過して先に進んだのですわ」

 7キロ。先ほど部屋で話してた500メートル、1キロメートルのレベルからすると遥かに先だ。これがディスタンス部門で優勝を競っている先輩方がいるステージなのか。


「……せやけど、そこはまだウチらのゴールというわけやない」

 割って入ったフーシェの言葉に、ナスカも頷く。

「その通りですわ。わたくし達の最終目標は、琵琶湖横断。琵琶湖の対岸まで飛び切ることですの」


「琵琶湖の横断!?20キロ近くありますよ!」

 思わず叫んだノーツに、ナスカが微笑みながら真っ直ぐな眼差しを向けた。

「決して不可能ではありませんわ。アメリカの伝説のトリ娘、アルバトラスをご存知?数十年前、彼女は35キロあるドーバー海峡を横断しましたの。同じくアメリカBITのダイダラスは、ギリシャのクレタ島から114キロの距離を飛んだのですわ。同じトリ娘、彼女たちにできて私達にできないわけがありません」


 次元が違いすぎる……。先輩たちの話す目標にウイングノーツが目を白黒させていると、

「そないいうても、や」

 シャイニングスタァがいつもより大きめの声を投げかけてきた。


「うちらかてまだ10キロ飛べたんは誰もいーひん。そやから、まだまだこれからなんよ。それは一年のあんさん達も同じちゅうことや」


「……勉強になるお話、ありがとうございました。まずは明後日の大会を頑張ります」

 気を取り直したマエストロが四人を代表するように応える。


「そや。お気張りやす。……あ、ノーツは明日やったな。あんじょうやりや。応援してるさかいに」

「あ、ありがとうございます!」


 先輩三人と別れた後、四人は日の傾いてきた湖岸沿いを歩いて戻った。本番前にあまりにスケールの大きい話を聞いたせいか、ノーツ含め誰も口を開こうとはしない。


 プラットフォーム近くまで戻ってきたところで、自分たちを呼ぶ声がしてノーツは立ち止まった。


「青葉さん?」

 声の方を見ると、まさに青葉が手を振りながらプラットフォームの方から近づいてくるところだった。

「ノーツにパルちゃん!下見とランニングしてたのね」

「はい。ホテルに戻るところでした。どうかしましたか?」

「下見してたら見かけたから、ちょっと話をしておこうと思って。……なんか、みんなちょっと表情が固いわね。緊張してる?」


 ノーツが先程の話をかいつまんで話すと、青葉は「なるほどね」と笑って話し始めた。

「気持ちは分からないでもないけど、これから陸上を始めようって人がオリンピック記録を見てもしょうがないでしょ。あなた達はこれから初めての種目に挑むんだから。誰だって最初は初心者、よ。……ナスカのは忘れたけど、フーシェが51メートル、シャイニングスタァが20メートルくらいだったかしら。初出場の時の記録。それが今や5キロ超えの記録をバンバン出して対岸を狙おうってんだから、あなた達にも同じ素質とチャンスがあるということなのよ」


 青葉の解説に、ノーツだけでなく他の三人も表情が明るくなる。

「もちろん、今この時点では勝負にならないでしょう。でもこの大会を、まずは今の全力で望むことに価値があるわ。そうすることで、課題や気づきなどが見えて彼女達に追い付くきっかけになるのよ」

「はい!」

 知らず四人は同時に返事をしていた。


「オッケー。じゃあ、マエストロさんとバートライアさんはそれぞれ行雲ゆくもトレーナーと加賀谷かがやトレーナーが話がありそうだったから、ホテルに戻って声をかけてあげて。ノーツとパルちゃんはちょっとこっち。……まぁほとんど言いたい事は今言っちゃったんだケド」

 マエストロとバートライアに別れを告げて、ウイングノーツとクラウドパルは青葉と共にプラットフォームの桟橋までやってきた。


 琵琶湖の向こうに傾き色付いた太陽が見える。その手前にそびえ立つプラットフォーム上で、大きなフラッグがはためいていた。


「上の方の風、ちょっと強そうだね〜」

 クラウドパルが手をかざしてつぶやく。

「あのくらいなら大丈夫よ」

 青葉が応えた。


「風は確かにフライトの邪魔をすることが多いけど、前方から来る風は翼に揚力、飛ぶ力を与えてくれる。だから大事なのは、風を読んでそれに合わせた対応をする、あわよくば利用すること。そうやって風を乗りこなすことができたトリ娘が、このトリコンを制することになるわ」


「風を、乗りこなす」

 ノーツはその言葉を噛みしめた。


「そう。琵琶湖、特に湖上の風は刻々と変わるの。だから、ついさっきまで緩い向かい風だったのに突然強い横風になることなんてザラにあるわ。トリ娘コンテストはそうした自然の中で行われる競技だから、前に飛んだ人と自分とで風の条件が変わることだってよくある。だから、前回優勝した人でもちょっとしたことでうまく飛べなかったりすることがあるの。連覇が難しい理由がそこにあるわ」

「なるほど……」

「でもね。だからこそ、初出場のノーツでも、2回目のパルちゃんでも上位を狙うチャンスがある。運と、風を味方につけて思いっきり飛んできなさい!」

「はい!」


「明日は滑空部門だからノーツの出番ね。変に気負わず練習の感覚を思い出せば、悪い結果にはならないはずよ。今日は無理せず温泉に浸かって体をしっかり休めなさい」

「はい!……温泉?」

 首をかしげたウイングノーツの腕を、クラウドパルががっしりつかんだ。

「そうそう、あのホテル、天然温泉ついてるんだよ〜!美人の湯なんだよ!マエストロとバートライアも呼んで一緒に入ろ〜!」


 苦笑する青葉を尻目に、ノーツは調子の戻ったクラウドパルに押されるようにホテルに戻ったのだった。


 温泉に浸かって、ベッドについて。そして滑空部門当日の日が昇ったのだった。

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