第5話 トレーニング開始!

 次の日。

 ウイングノーツは学園のプールに設置された飛び込み台の上にいた。


「青葉さーん、ここ、めちゃくちゃ高いんですけど……」


 足をすくませながらそぉーっと下を覗き見る。ブールサイドが、水面が、遠い。ノーツは2階建ての自宅の屋根に登ったときのことを思い出したが、それよりも明らかに高い。


「そこはオリンピック種目にもなっている高飛び込み用の飛び込み台!高さは10メートルあるわー!」

 拡声器を使いながら青葉が答える。


「10メートルということは……」

「そう、3階建てのビルの屋上の高さ!そして、トリ娘コンテストのプラットホームの高さでもあるわー!」

「みんなこんな高さから飛んでたんですかー!?」


 テレビで見たり、会場で横から見たりしたときの印象とはまるで違う。純粋に怖い。何かにつかまっていないと不安で、ノーツは思わずしゃがんで足元の台を掴んだ。


「何を言ってるのー!?あなたはその高さを飛ばなきゃいけないのよー!」

「そりゃそうですけど……」



 昨日、次回トリ娘コンテストの出場決定を告げられて、ノーツはすぐに出場の受諾と青葉トレーナーへの師事を申し出た。青葉は快く引き受け、仲間ができて大はしゃぎするクラウドパルと一緒にうなぎパイとコーヒーで乾杯したのだった。

 その日は返送する書類の記入と、元々約束していた学園の案内を優先して終えたので、今日がトレーニング初日ということになる。


「まずはその高さに慣れることー!本番で飛び出すときに足がすくんでいては話にならないわー!今日は翼を使う必要はないから、立って、周りの景色を見て、自分の気持ちが落ち着いたところで真っ直ぐ下にそのまま飛び降りてみなさい!」


 青葉の激を受けて、ノーツは改めて立ち上がり、真っ直ぐ正面を見てみた。


 青い空。まばらにちらばる白い雲。斜め上から降り注ぐ太陽。そしてプールに隣接した防風林の向こうに見える駿河するが湾。

 海から吹いてくる風を顔に感じながら、ノーツは何度か大きく深呼吸をした。


 うん、だんだん落ち着いてきた。こんな感じで飛べたらきっと気持ちいいんだろうな。


 もう一度深呼吸して息を止める。下を見ないように目線を前に向けたまま、両足を揃えて軽く前にトン、と飛んでみた。


 手前の景色が一瞬下に移動したあと、急激に上にスクロールする。防風林の手前にあるプールのフェンスが正面に見えた次の瞬間、足への衝撃と共に視界が水で一杯になった。


「ぷはぁっ!」

 水面に顔を出し、プールの縁に向って体を動かす。羽根の間に水が入って重くなるので、トリ娘は全般的に泳ぎがあまり得意ではない。立ち泳ぎの要領で進んでどうにか縁に捕まると、ノーツの目の前に青葉の足が見えた。


「よくやったわ!あの高さから飛んでみて、どうだった?」

 青葉が笑顔でノーツの挑戦を褒めたたえる。

「最初怖かったですけど、飛んだ直後の瞬間はちょっと気持ちよかったです」

「上出来!」

 差し出された青葉の手に掴まって、ノーツはプールサイドに上がった。


「飛んでみて実感したと思うけど、翼の揚力無しでは飛んでから水面までの時間はたったの1秒半。あなたが今回出場する滑空部門では、この1秒半の間に空中で体勢を整えて水平飛行に移らないといけないの。」

「はい」

「水に一度浸かると翼や尾羽が水を吸って飛べなくなっちゃうから、こういうトリコン本番に近い環境での練習は普通しないんだけどね。ただ飛び降りるだけなら翼は関係ないから、まずは繰り返し飛び降りて、高さと落下時間の感覚に慣れること。今日はそこまでよ」

「わかりました!」


 ノーツは元気よく返事をして、飛び込み台に向かった。

 登って、飛び降りる。登って、飛び降りる。

 最初の数回こそ抵抗はあったものの、姿勢はそのままで足から落ちるだけのであまり恐怖も感じなくなり、5回目くらいからは下を見る余裕も出てきた。


 飛び込み台の上からプールサイドに目を向けると、ノートを見ながら微動だにしない青葉が見える。どうやら明日以降のメニューを考えているようだった。

 目線は青葉に合わせたまま、ノーツは再び飛び込み台を蹴った。


 ◆


「ただいま〜」

「おかえりやす〜」


 ノーツが寮に戻ると、既にシャイニングスタァが部屋にいて、独り言のつもりだった『ただいま』に返事を返してくれていた。バァちゃん以外に言われたことのない『おかえり』は、何だかちょっと気恥ずかしい。


「髪、ごわごわやな」

 目ざといシャイニングスタァに早速ツッコミを入れられる。

「今日はひたすらプールへの飛び降り練習だったんで」

 ノーツは今日の練習についてスタァに説明することとした。



「……なるほど。青葉はんは本気であんさんに記録を出させるつもりみたいやな」

 それまで机で書き物をしていたらしいスタァは、手を止めてノーツの方に向き直った。


「本気、ですか」

「そや。単に滑空部門の練習やったら筋トレや体幹バランスの練習をして、最後に滑空の練習をプールでしたらええ。そやけど青葉はんは、滑空部門で一番大事な飛んだ直後の時間をまず体に慣れさせることにしはった。しかもいきなり本番と同じ高さで。これはとりあえず飛ぶだけやのうて、先を見据えた飛び方ができるよう考えてはる証拠や」

 ノッてきたシャイニングスタァはペンを回しながら話を続ける。


「それに、今回は門戸を広げるというコンテスト事務局の意向で初出場の枠を増やしたみたいやから。それなりの成績も出せへんようでは次回以降見切られるに決まってるやないの」

 初出場の枠が増えたおかげで出場できた、というのはノーツにとって初耳だった。青葉も出場決定を告げた際にそこまで触れていない。もしくは知らなかったのか。


「……ああ、これはトーワからさっきもうた情報やから。ここだけの話にしてくれへん?」

「トーワ会長からの?」

「そや。そこまでの情報もうてるちゅうことは、一昨日の引退宣言のだいぶ前から運営に入り込んどったちゅうことやな。食えん人やわ〜」


 それよりも、今回結果を出せなければ次から出場できなくなるかもしれないということの方が、ノーツにとっては重要だった。急に緊張感が襲ってきてノーツの背がブルっと震えた。


「あ〜、大丈夫だんない大丈夫だんない。そないな顔せんと」

 深刻な顔になったノーツに気づいたスタァが明るい調子で声をかける。

「なんのためにトレーナーがおる思う?結果を出さなあかんのは初出場でもうちら常連でも一緒。せやから、あんさんはまずトレーナーの指示に沿うて少しでも遠うまで飛べるようになることに集中することやな」


 スタァの言葉にノーツは軽く頷いた。確かに、今から結果を気にしていても仕方ないのだ。

「ありがとうございます。はい、まずは青葉さんのトレーニングについていくことですね」

「そや。うちは部門がちゃうけど、滑空部門は最初の飛び出しとその後の数秒が勝負やから。多分、明日は頭から飛び込む練習やらフォームやらそないな感じやろな。……時速50キロの世界、お楽しみやす」

 持論を展開し終えたところでスタァはニヤッと笑い、クルッと椅子の向きを変えて机に向き直った。


 これで話は終わり、ということなのだろう。

 ノーツも改めてスクールバッグを片付けてベッドに寝転がる。


 夢にまで見た舞台。

 これまではそこに立って飛ぶことが夢で、どうやると遠くまで飛べるのかとか、うまく飛べなかったときのこととか、あまり考えていなかった。それらは『どこまでも飛びたい!』などと言っていた自分の夢とは全く違う質のものだ。

 再び出場権を得るために、結果を残さないといけない舞台。そのための集中特訓。

 出場権を得てトリコンで飛ぶことのできる今となって、自分はどんな風に飛びたいのか、何を目指して飛びたいのか、逆に分からなくなってきたように思えるノーツだった。


 ◆


 翌日のメニューは、スタァが予想した通り、頭からの飛び込みと飛行フォームの練習。

 頭に少しもやもやしたものを抱えながらも、ノーツは毎日青葉の用意したトレーニングに食らいつき、プラットホームから飛び出した後のフォームや、飛び出した後の軌道修正などを練習していった。


 そして。


「ノーツ〜、準備できた? 日焼け止め忘れないようにね。後悔するよ〜」

「ありがとパルちゃん。シャイニングスタァ先輩にも言われて買ってきたから。」


 荷物を持って話しながら学園の駐車場に向かうウイングノーツとクラウドパル。その先には、学園が用意した遠征用のバスと、青葉トレーナーがいた。

「二人とも忘れ物ないわね?行くわよ、琵琶湖へ!」


 初めての、でも最後になるかもしれないトリ娘コンテストの日がやってきたのだった。

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