第一章 助走編
第1羽 空も飛べるはず
「飛びたいなぁ」
そんな声がどこからか聞こえて、青葉は足を止めた。
夏の暑い日差しの中、琵琶湖湖岸の狭い道路を行き交う雑踏のざわめきの中で、なぜか彼女の耳に残った声。思わずあたりを見回す。
目に入ってくるのは何かを語り合いながら歩く人々と、それらを縫うように忙しそうに駆け回る少女たち。そんながやがやとした動きの中、ただ一人微動だにしない人物に視線が止まる。
ガードレールに身を預け、じっと湖の方を見つめる少女。赤みがかった茶色の髪に、クリーム色のノースリーブのトップスと藍色のジーンズ。そしてその両腕と腰に生えている、キラキラと輝く青白い羽。
なぜか青葉には、この娘が先ほどの声の持ち主だという確信があった。
近づいてその少女の隣にそれとなく立ち、同じ方向に顔を向けてみる。
正面の琵琶湖の湖岸には、巨大な飛び込み台のようなものが設置されていた。そしてその上から、同じく腕に羽の生えた少女たちが一人、また一人とその翼を広げて湖上に飛び出している。
――トリ娘。
ハルピュイアやラクシャーサ、ガルーダなど、恐怖もしくは崇拝の対象として世界各地に伝承が伝わる、人間に似て非なる種族。
その特徴は、両腕や腰についた羽と見た目にそぐわない筋力、そして体の軽さ。
その始祖は、鳥類が爬虫類から進化した過程と似たような形で哺乳類から分岐した生物だと言われているが、進化の過程にはまだ不明な部分も多い。その特徴から比較的ひ弱な生態であり常に絶滅の危機にさらされてきたが、近代からはその類似性から人間と共存を図ってきた種族である。
そのトリ娘たちが全国の注目を集める場の一つが、「トリ娘コンテスト」、通称トリコン。
日本全国から集まったトリ娘たちが、琵琶湖の大空を舞台に空を飛んで競い合う。テレビ番組として始まった大会だが、回を重ねるにつれ運営に関わるトリ娘も現れ、固定スポンサーもついて今や一大スポーツイベントとして認知されている数少ないトリ娘関連コンテンツとなっていた。年一回だった開催頻度も、いまや年に数回行われるまでになっている。
さらには、レース後の優勝者によるライブパフォーマンス。飛行装置を背負ったトリ娘たちによる空中撮影が生み出す臨場感と迫力のある映像、そして何よりトリ娘たちの美声がお茶の間からの好評を博していた。
今まさに二人が目にしているものが、そのトリ娘コンテストなのであった。
先程のトリ娘はじっと大会の様子を見つめ続けている。
ほとんど真っ逆さまに湖面に落下して水飛沫を上げるトリ娘もいれば、風に乗るかのように飛んで喝采を浴びる者もいる。
彼女はそれを、ただ一心に見ていた。
その表情に映るのは、熱意と、憧れ。ただ、そこに一抹の寂しさがあるように感じた青葉は、彼女に声をかけてみることにした。
「飛びたくても飛べないのはつらいわねぇ」
湖面に顔を向けたまま、誰に言うとでもなく呟いてみる。独り言と無視することもできただろうが、そのトリ娘は口を開いてくれた。
「.……そうですね。本当ならアタシも今日あそこで飛んでたはずなんですけどね」
「……なにか怪我でも?」
「いえ、そもそも事前選考で落ちちゃってて」
彼女も顔は湖面を向いたままだ。
「これまでも何回も出場申込みはしてるんですけど、全然通らなくて」
実際、トリ娘コンテストの事前選考は部外者が思うよりもかなり厳しい。
実績があるトリ娘ならまだしも、そうでないトリ娘にとっては運の要素も絡んでくる。初めてエントリーしていきなり出場できるトリ娘もいれば、何回エントリーしてもことごとく落ち、結果、出場そのものを諦める娘もいる。
「見たところ、スカイスポーツの学生さんではなさそうだけど」
青葉はまわりを行き交う他のトリ娘たちに目を向けながら尋ねた。少女たちは皆、同じ色をしたノースリーブのジャンパースーツ風の服を着ている。トリ娘専門の学校、スカイスポーツ学園の指定服だ。
「はい、アタシの住んでるところにはトリ娘専門の学校がないんです。でも、この舞台で飛んでみたかったので、出場申込みとトレーニングだけはしてました」
「トレーニング?」
「あ、いや、そんな大それたものではなくて、筋トレとか、学校の行き帰りに走るとかそんな感じです」
「へぇ」
改めて彼女の全身を見ると、確かにかなり引き締まっていて継続的な鍛錬を行っていることが見て取れた。
「学校の行き帰りといっても、家からどのくらいの距離があるの?」
まさか高々十数分のランニングをトレーニングだとは言うまい。
「えーと、私の学校は仙台なんですけど、岩沼の家からだから…えーと、どのくらいだろ?」
「岩沼から仙台!?」
実は青葉自身も地元が仙台だったので距離感はわかる。20kmは下らない道のりだ。それを毎日往復…。青葉は、このトリ娘のことをもっと知りたくなっている自分に気づいていた。……そして、できることなら。
「あ、そうです。ご存知ですか?」
「ああ、まあ。実は私も地元がそっちだから。じゃあ今日は新幹線で?」
「いえ、青春18切符使って全部鈍行で。昨日の朝イチで岩沼を出てきて彦根には夜中に着きました。ほぼ一日かかりましたけど、安さには代えられないので」
「…若いわねぇ」
精神的なタフさもありそうだ。
「やっぱりトリ娘に生まれたからには、この舞台で飛んでみたいじゃないですか。あとは、その姿をみせることで、お世話になってるみんなへの恩返しにもなるんじゃないかなって」
「みんな?」
「ああ、地元の人たちです。周りでトリ娘ってアタシとバァちゃんだけだったんで、いろいろ良くしてもらってて」
「へぇ」
「いい人たちなんですよ、ホントに」
目を細めて微笑む少女の横顔から、本当に周りの人たちを愛し愛されていることが容易に読み取れた。
「……そうねぇ」
青葉はトリ娘の方に顔を向けた。
「差し出がましい物言いかもしれないけれど。もしアナタが本気でここで飛びたいのならば、自己流でトレーニングして応募の結果を待つだけでは思い描く姿にはならないと思うわね」
トリ娘もその言葉に反応して向き合う。
「出るだけで満足ならば運を頼みにするのもいいかもしれない。けど、本当に飛びたいのなら。飛んでいる姿を見せたいのならば、然るべきものを学んで挑戦したほうがいいんじゃないかしら?」
青葉は一息ついて、トリ娘の顔を見つめた。
「もし、だけど。アナタにその気があるのなら、スカイスポーツ学園にいらっしゃい。夢があるのなら、今いる場所に縛られる必要はないわ。……まぁ、わたしもそう言って仙台を出たくちだけどね」
苦笑いする青葉に、トリ娘の目が大きくなる。
「あ、仙台の方だったんですね!……はい、スカイスポーツ学園に進学するのも一つの手かなとは思ってたんです。中学の頃から。でもなかなか踏ん切りがつかなくて。……寮生活になるからバァちゃんにも苦労かけるし」
下を向くトリ娘。
彼方の応援席からの歓声が、無言の二人の間を通り過ぎる。
「でも……」
しばらくして少女が口を開いた。
「この会場に来て、生でフライトを見ていて、やっぱりあのプラットホームから飛びたいって。……でもそれだけじゃなくて。どこまでも遠く、飛んでみたいって、改めて思いました」
プラットホームは今見ていた巨大飛び込み台の名称だ。ライブパフォーマンスのステージも兼ねる、まさにトリ娘の舞台である。
やがて彼女が顔をこちらに向けた。初めて見るその瞳は紅く、強い光が宿っているのが見てとれる。
「ありがとうございます。スカイスポーツ学園に編入願書を出してみます!まぁ、バァちゃん、いえ祖母と相談してからの話ですけど」
青葉は軽く頷いた。
「そうね、ぜひいらっしゃい。もちろん、学園に入ったからって出場できるとは100%確約できないけど、トリ娘であるあなたにとっていろいろな面でいい機会になるとは思うわ」
「はい」
赤茶髪のトリ娘はいつの間にか体ごと青葉に向き合っていた。腕、つまり翼が長めで、基礎練習のみを集中して行っていた成果か引き締まった体つきも選手として申し分ない。
「そうね。学園で会えるのを楽しみにしているわ」
その言葉に少女は目を大きく開いた。
「あ、やっぱり学園の関係者の方だったんですか?」
「そう。大学を卒業してまだ数年の若輩トレーナーだけどね」
青葉とトリ娘が笑いあったそのとき。
『素晴らしい記録が出たようです!』
興奮した声の場内アナウンスが響き、二人は思わず顔を湖に向けた。
プラットホームから少し離れた湖上にボートが集まっていくのが見える。誰かがそこまで飛んで、着水したところなのだろう。トリ娘コンテストにはいくつかの部門があるが、プラットホームから飛び出して琵琶湖に着水するまでの距離を競う点は同じだ。そして、このアナウンスは好記録が出たときのテンプレ。
「順番的にトーワかな、アレ。結構飛んだわねぇ」
目を細めながら青葉が呟くと、会場のスピーカーが結果と共に答えを告げた。
『只今の、富士川スカイスポーツ学園、トーワさんの記録は、――300メートル36でした』
「トーワさんだ!トーワさんといえば、確か前回も前々回も優勝してたから、もしかしたら大会史上初の滑空部門3連覇じゃないですか!」
「まだ全員飛んだわけじゃないから分からないけど、その可能性はあるわね。さすが生徒会長。」
好記録にざわめく会場の音を聞きながら、しばらくトーワが着水した湖面を見つめる二人。
やがて、次のフライトが始まると青葉が口を開いた。
「学園では、チームといって、複数人の生徒にトレーナーが専属としてついてトレーニングを指導する制度があるの。もし、学園に入れて、興味があるならば、私のトレーナー室にいらっしゃい。ウチのメンバーになるにしろならないにしろ、学園を案内してあげるわ」
「ありがとうございます!あ、えーと…」
戸惑った様子のトリ娘に、青葉は苦笑しながら体を向き直す。
「すっかり自己紹介が遅れたわね。
改めまして、私は富士川トリ娘スカイスポーツ学園所属のトレーナー、
あなたは?」
「アタシは、ウイングノーツといいます!」
「ノーツ、ね。覚えておくわ。頑張ってね。」
「はい、ありがとうございました!頑張ります!」
握手を交した後、二人は再び琵琶湖を見つめる。
先ほどのビッグフライトの余韻か、他のフライトが始まっても会場はまだざわついている。
目線はプラットホームに向けたまま、青葉はウイングノーツに声をかけた。
「…さっきのアナウンス。自分のフライトで聞けるようになれるといいわね。」
「はいっ!」
夏の日差しの中、トリ娘たちが一人、また一人と琵琶湖の空に飛び立っていく姿が見える。
湿り気を帯びた琵琶湖の風を顔に受けながら、これから熱くなるな、と青葉は思った。
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