第29話 朝


 瞼を突き破って目を刺すような眩しい光で目を覚ます。


 コーヒーの匂い香ばしい香りで俺の鼻腔が満たされていく。


 閉じたまま、くっついているようにも感じるほど重い瞼をなんとか開く。


 見慣れないベッド。見慣れない部屋。テレビで何度も見て見慣れた人。


「あ、おはよひーくん。よく眠れた?」


 見慣れている顔とはいえ、なぜそこにいるのか、そもそもなぜ俺は全く知らない場所で寝ていたのか。


「えーと、ここは……」


「え、覚えてないの……?」


 舞さんの一言で、脳内に蘇る昨夜の記憶。


「あ、」


 自然と頬が熱くなってくるのを感じる。


「あははっ、顔が赤くなってるよー?」


 そう指摘され、もっと熱くなってゆく俺の顔。鎮まれと願えど、一向に火照りは消えない。


 だが一つ、昨日の事を思い出し、気になっていることがあった。


 それはーー


「……俺って……舞さんとシちゃった……?」


「っ……さ、さぁ? どうだろうねー?」


 先程まで余裕ぶっていた舞さんも少し、顔を赤く染める。


「なんで教えてくれないんだよ……舞さん」


 俺にとっては今後の人生が変わるほど大事な話だと言うのに……!!


「ま、まぁ、とりあえずコーヒー作ったから、飲むでしょ?」


 相変わらず少し赤く染めた顔のまま、俺に聞く舞さん。なぜだかわからないが、何となく教えてくれなさそうな雰囲気だ。


「…………飲むよ」


 このまま駄々をこねるのは昨日の今日で何だか恥ずかしい。それっぽくまた後で聞き出そうと思い、起き上がるために手を枕の下についたその時。


 小箱のようなものをぐしゃりとつぶしてしまったような感触が手のひらから俺に伝わる。


「何だこれ…………っっっ!」


 不思議に思い、それを取り上げてみると、その小箱には昨日見た『0.03』の文字。ついでに透明な包み紙も開けられていない。


 これが示すもの。それは、そういう行為をしていない、と言うーー


「ちょっ、ちょっ!!  どこに行ったと思ったらそんなところに……!」


 俺が持っている物を見た途端、舞さんが醸し出していた余裕の雰囲気は壊れ、勢いよく俺に近づいてくる。


「え、ちょ、ちょまっっ!!」


 俺の言葉も虚しく俺の手から勢いよく奪い去る舞さん。


「…………これって、シてないってこと……だよね?」


「…………うん」


 覚えてなかったから、よかったかも、と言う気持ちと、あの結城舞とできるチャンスを逃した、という気持ちが同時に押し寄せる。


 俺が何とも言わず黙っていると、この雰囲気に耐えられなくなったのか、舞さんが小箱を持ったまま、口を開く。


「……その……ひーくん。昨日は使えなかったから……その……今から使う?」


 顔を今までに見たことのないほど赤らめる舞さん。しかし、俺にはそんなことに気をとれる余裕なかった。


 今……から。


「舞さん……その……」


「な、なーんちゃってね……!」


「な、なんだ、嘘かぁー! か、からかわないでよ」


 俺ははちゃめちゃに動揺しつつも、笑いながら言う。


 だけど、俺にはわかる。さっきの舞さんは、本気だった。


 もしかして、舞さんは俺の事を……


「あぁ、もう!」


 気になる。気になりすぎるが。


 わざわざ聞く事なんて、俺にできるはずない。


 俺のヘタレさと、もやもやとした気持ちを心の奥に流し込むように、コーヒーを勢い良く流し込んだーーが。


「ごふぁっ!? あっっっっつ!!!」


 あれだけの時間で勢いよく飲めるほどコーヒーは冷めておらず、俺の口内はやけどしたせいでしばらくヒリついていた。





「わざわざ送ってくれてありがとう、舞さん」


 太陽も南の空を駆け終わった頃。俺は自宅まで舞さんのスポーツカーで送ってもらっていた。


「いいえー。また今度うちおいでねー?」


「い、いや、やめておく……」


「な、何でー!? もうあんな事しないからさ!?」


 車の窓から片腕と、サングラスをかけた顔だけを覗かせている舞さんは、顔を僅かに赤く染める。


 あんな、事……。


「…………」


「…………」


 きっと、舞さんも同じことを考えているだろう。


 それならば、もうこの話題は出すべきでは無い、と言うこともきっと俺と同じく考えているだろう。


「じゃ、じゃあ、まぁ、気が向いたら……ね?」


「う、うん」


「そ、それじゃあね!」


 舞さんはギギギ、と軋む音が鳴りそうな様子で頭を目の前に向ける。それと同時に車はエンジンを鳴らし、滑らかな加速してゆく。


 俺は舞さんのスポーツカーが曲がり角を曲がったことを確認し、自分の頬に触れる。


 やはり、熱い。


 それは太陽のせいでも、車内が暑かったせいでもない。


 きっと、全部、あの人舞さんの所為だ。



 

「ただいまぁー」


 俺は見慣れたドアを開け、見慣れた玄関で靴を脱ぐ。


 2階にある自室に上がって少し休もう。そう思い、階段の一歩目を踏み出したその時。


「「ひっ、一夜ぉぉ!!!!」」


 こちらもまた聴き慣れた声で、俺は叫ばれる。


「な、何? 父さん、母さん」


「なっ、何じゃないだろう!! あの結城舞の家にお泊まりしたんだろ!? まさかそんなにお前も有名になってるとは思いもしなかったぞ! それに、何があったんだ!? えぇ! 言ってみろ!!!」


 興奮気味に言う父さん。そういえば今日は土曜日だからどっちもいるのか。


「いや、俺が有名になったわけじゃなくて、昔、養成所にいた時に少しだけお世話になってたってだけ」


「えぇ!? あの!? 舞ちゃんが!? あんたと同じあの養成所にいたの!?」


「う、うん。本当に少しだけだったけどね。というか、知らなかったの?」


「「あったりまえじゃない(か)!!」」


 またもや声を揃えて叫ぶ2人。


「俺たち夫婦、ただの一般人だぞ!? 大学卒業してから勤続25年、一回も遅刻した事がないのが父さんの唯一自慢できるところなんだぞ!?」


 ……そんなこと言われても反応に困るし、何よりもっと他に自慢できることはなかったのだろうか。


「舞さんとは何もなかったよ。映画見て、寝ただけ。それだけだって」


「寝た!? 将来どうなるかと思ってたら、こりゃあ将来安泰だな! 母さん!」


「えぇそうね! あなた!」


 なんてキャイキャイしながら言うもんだから俺は、登り進めていた階段を再び登りはじめる。


「あっ! 待て一夜!」


「もう、何だよ父さん」


「……俺と母さんはいつでもお前の味方だからな。俺たちは芸能界だとか、何だとかはわからないが、一夜の思うように進めばいい」


「……うん。ありがとう」


「あぁ。……ついでに結城舞を嫁さんにしてくれれば尚いいのになぁ! そう思うよな、母さん?」


「えぇ、そうね。うふふ」


「…………」


 俺は無言で自分の部屋へと戻った。

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