第3話 輝夜姫

分かっていた筈。ずっと昔から。自分は、かの人の身代わりでしかないと。

「生きていますよ」

そう答える。彼女は笑って頷いた。

「ええ、知ってるわ。あたたかいもの。触れられるもの」

そうして、その細い指をまた私の腕に絡ませる。

「お願い。私も貴方も今この瞬間、生きてるって感じさせて」

腕に食い込む爪の痛みから、生にしがみつこうとする彼女の必死さが伝わってきた。歯を食いしばる。


身代わりでもいい。それで彼女の気が済むなら。一夜の夢と彼女は言ったのだから。

 だが彼女にとっては一夜の夢でも、自分にとっては生涯の深手となろう。それを承知しながら、目を強く瞑って覚悟を決める。

自身の我を消して、かの人を思い浮かべる。かの人ならどうするか。彼女をどう愛するか。抱き留めるか。自分の中に残るかの人となり、彼女の震える身体を安心させるように優しく抱き締め、零れ落ちる涙をそっと拭い、黒々と流れる髪の毛を丁寧に掬い、その手を緩くあたたかく握り締め、全身全霊かけて彼女の生を愛でる。


——生きて。


そう願ったのは、私か、それとも。



幼い彼女は自分たちの双六の邪魔をした。ひいな遊びをしようと碁盤の上の碁石を散らばせた。それをムッとした顔で睨んでいた俺と、愛おしそうに微笑んで眺めていたかの人。彼女はかの人の隣にちょこんと可愛らし気に座りながら、ひどく生意気な顔をして、ひいな遊びをしろと俺に命令してきた。無視してやったら碁石を投げつけてきた。怒ったら泣き真似をしてかの人の後ろに逃げ込み、そこから俺にあかんべをして笑った。その顔がとても生意気で、とても可愛かった。愛おしかった。でも……。


やがて終わりが来る。


ジジと燈明が掻き消え、夢から醒めたら彼女は起き上がっていた。微かに漏れる月明かりの下で白い肌を晒した彼女は天女のようだった。

 天女は俺を見上げて微笑んだ。


「私は京に行くわ。帝の后になりに」

「帝の后?」

京の公卿と見合いをしたのではなかったのか?

事の桁外れの大きさに言葉を失った自分に、何てこともないような顔をして笑って見せる彼女。

「ええ、そうよ。やっとその時が来たの。だって前に約束したでしょう?」

「約束?」

「いつか京をも動かせるようになって見せるからって」


その瞬間、頭に鈍い痛みが走る。

——彼女は誰と話をしているのか?約束をしたのか?


その約束は、かの人、自分の主人との間に為されたものではない。監禁されていた自分の前に突如現れて一方的に彼女が告げた約束。


彼女は俺に、かの人の身代わりを求めてやって来たのではなかったのか?


「生きてね。私の分も。皆の分も」


その言葉もそうだ。襲いくる既視感に頭が割れそうになり、吐き気を催してその場に膝をつく。その横に彼女が立った。


「一夜の夢を有難う。ずっとずっと大好きよ、幸氏」


呼ばれた名に身体が反応する。彼女を捕まえようと腕が伸びる。


——もう一度。もう一度だけ触れさせてくれ。確かにそこに居ると感じさせてくれ。


無我夢中で衣を掴み、手繰り寄せる。


だが、彼女はするりと闇に紛れて消えた。残されたのは、くすんだ甘ったるい香りと重く気だるい自分の身体。そして淡色をした薄手の袿。これが天女の羽衣だったら良かったのに。そうしたら誰にも見つからぬ所に埋めて隠して、天になど還さないのに。


「どうして!」


——どうして?


 それに応える声はない。


彼女は行ってしまった。


やがて、彼女は京へと赴く途上で儚く息絶えた。

自分はその上洛の列に連なりながら何も出来なかった。泣き叫ぶ御台所の声を聞き、やがて荼毘に負されて戻ってきた小さな白い骨壷の影を遠く眺めていただけ。


——生きて。

乞われた声はまだ耳に残るのに、その気配は此の世のものではなくなってしまった。それでもたまに、風の中に彼女の笑い声が紛れているような気がする。

——生きて。


ああ、生きよう。貴女の分も生きて、生き延びて強くなってみせよう。そうしたらいつかまた逢いに来てくれるだろうか。悪戯な顔をして風に乗って。

「ねぇ、幸氏。遊んでよ。双六ばっかりしてないで、ひいな遊びにも付き合ってったら」


ああ、今度はちゃんと付き合うから。ひいな遊びでも小弓でも。貴女の望むことは何でも。



(了)




追記


大姫考。


義高一途で、父親の犠牲になった可哀想な姫君のイメージが強い大姫ですが、ただ諦めてしくしくと泣いていた悲劇のヒロインではなかったと私は勝手に思ってます。あの政子さんの長女ですから。気丈だった形跡も残ってます。水断ちしたり、一条高能との結婚話が上がった時も、それくらいなら水に沈んでやると脅したり。だから入内も頼朝の独断で無理矢理推し進めたわけではなかった筈。大姫は実際に丹後局に何度か会って話もしてますし、本当に嫌ならそれこそ身投げしてたかと。彼女は納得した上で「仕方ない。行ってやろうじゃないか」と覚悟を決めていたのだと想像しています。が、京の海千山千連中の手管によって鎌倉は翻弄され、姉妹の入内話は流されたのかと。


大姫という女性は、幼い頃の悲しい恋は大切に秘めつつ、でもしっかり自分の命も生き抜いたと思いたく、それを前提に話を書きました。女は図太くしたたかで、男の人とはまた違った意味で純粋で可愛いものだと思っております。清純派アイドルだって泥臭く戦っているものだし悲劇のヒロインだって幸せな一瞬があっていいと思う。そう感じて下さる方がいらしたら幸いです。

短編だけでも読めるようにとは思ったのですが、何が何だかわからないですよね^^;。以下の「姫の前」本編と一応関連しております。もしご興味を持っていただけましたら……。


姫の前」三章「戦う姫君」

同六章「身代わり」

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一夜の夢、一塵の香、一生の瑕。 山の川さと子 @yamanoryu

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