ゴミ箱カップ

沈黙静寂

第1話

廻実めぐみ

 ゴミはゴミ箱に。チラシ配りの仕事が終わった後、立ち寄ったコンビニで手にしていたチラシを捨てる。捨てるだけでは悪いから特別飲みたい訳でもないレモンティーを新規に迎え入れる。

 高校生のアルバイト第二弾としてサンプリングを選んだのは、前回のコンビニバイトで惨めな感傷に浸ったから。友達出来ないわ、客に怒鳴られるわでもう二度と接客業なんてしないと誓った。人間関係の濃い蜜はあたしの舌に合わない。一人で突っ立って紙を踊らせるだけの作業は、経験や仲間作りより金と気楽さを重んじるあたしにピタリ賞だと思った。

 実際この仕事は制服着用の上「〇〇ジム〇〇店です。キャンペーン実施中です」と言いながら五、六時間チラシを差し出すだけで、猿でも出来るものだが人間のあたしは賢いのでうっかり五分休憩を十五分と勘違いしたり、配った一枚に十枚分の価値を見出したりした。一応ノルマは一時間三十枚などと決まっているがメール報告の為幾らでも誤魔化せる。かと言って雲隠れして茶屋でまったりアールグレイなどを嗜んでいては、不定期に訪れる社員や店員に好みの味がバレてしまうので配布場所に留まる必要はある。それでも時々膀胱が追い詰められて駅前の資生堂を覗いたりする。例えば昨日とか。

 配布エリアは都心中心に広く分布しシフト次第では電車で三十分程の遠路に飛ばされる。社員や店員の進路、通行人の性格が未開拓の土地は流石に十五分木陰に屈み込んだりせず、起立のままチラシ整理の振りをする。最近は地元で配ることが多いが、有り余る心当たりに応えて数は沈下する。チラシは店が預かるので口の唾液腺から枚数を水増しするのは危険だ。そういう訳でハンカチを仕舞うような自然な所作で配り残りはポケットに収まり、店員の「お疲れ様です」に背中を刺激されながら退勤する。

 ご承知の通り、こんな仕事世の中に必要ない。腹の膨れない小説を書いている方がまだ有意義だ。配布場所やあたしの気分に拠るが、受け取ってくれる人間は凡そ百人に一人。自ら貰いに近寄る元気な人間は一日につき一人。憐憫から受け取ったところでコースターに転職するのが関の山。偶然押し付けられた紙屑から筋力増強を発起する人なんている訳がない。そういう発起人は屑に握力を費やす暇なくジムへ疾走しているはずだ。明らかに広告の投資先を間違えている。あたしには都合が良いけど。

 ただ勉強になることはある。それはサボり方だけでなく初めて訪れる場所の地理や、世の人々がどういう容姿で何を話しているかといったこと。薄い胸に手を当て振り返れば、定位置に長時間立ち止まって世界を凝視する機会は意外と少ない。友達だと捉えていた人間と遊びに行こうと約束し、二時間待った挙句来なかったあの時くらいか。あいつ、次会ったらチラシ二百枚くらい鞄に詰め込んで逃げてやる。ひったくりの逆、は何と言うのだろう。そう言えば地元の同級生には案外遭遇しない。これが幸運の働きならば別の部署で是非働いて頂きたい。

 街の様子の話だった。話の内容は断片しか拾えない中で、ビジネスや他人の噂話が多くふざけた話は殆ど聞けない。あたしの独り言の方が面白い。容姿を分別するに男女は半々、高齢者五割・中年三割・若者二割、陽気者はたったの一パーセント。あたしの中で陽気者は常に騒いで他人に迷惑掛ける奴と定義しているので悪しからず。それはどうでもいいとして、興味深かったのは男性過多の集団が多い傍らその逆は殆ど観察されなかったこと。んー何故だろう、と足りない頭が引き伸ばされる。ちなみに何の伏線でも無いのでお気にせず。

 思い出は既に幾つかある。初回の勤務では爺さんに「邪魔だ馬鹿野郎!」と怒鳴られた。逆の立場だったら私も同感だから納得の反応だ。一瞬腹に黒い精神物質が湧いたけど。それがこの行為に繋がっているのかもしれない。あとは炎天下に座って休憩していたら女子中学生に「大丈夫ですか?飲み物ありますか?」と声を掛けられた。好きになっちゃうぞ。その時は世の中チラシのように捨てたものではないと思った。少数派の若者の方が豊かな人生を歩んでいそうだ。

 回想の後手に回り不満気なリプトンをレジに叩きつける。何故態々コンビニに捨てるかと言えば、家のゴミ箱で大量に集積したチラシは親に怪しまれるから。利用する近所のゴミ箱はこのファミマに限らず、ミニスト、セブン、ローソン、イオン、駅のホーム上にあるゴミ箱など、ローテーションで変化を付ける。あたしのバイト時代はゴミ袋の中身なんて特に気にしなかったけど、成る可く怪しまれない為の行動。「家庭ゴミはご遠慮下さい」と貼ってあるから事業系一般廃棄物は問題無いと解釈するけど。まぁ店の前で弁当を食い散らかしたり、最近よくあたしの家の前でバナナの皮を捨てている奴に比べれば大した罪ではないだろう。誰だよあれ。

「いらっしゃいませ。今日もバイトですか?お疲れ様ですー」

 会計を担当するのは名札に「ゆず」とある同年代の女。ゴミ箱を巡る中でこの店員とは毎度対峙し、何処か似た波長を感じ取ってか仲良くなった。初対面で「頑張って。あたしもコンビニバイトしてたんだ」と珍しく他人に気遣いを投げて以来、笑顔で応対してくれるようになった。お互いバイト頑張ろうと励ましたり、クラスメイトの愚痴を共有したりする。ただしチラシ配りのことはまだ話していない。もし訊かれたら適当に家庭教師とでも答えよう。それで「勉強教えてください!」と言われて彼女の家に行って、むふふ。むふふの部分は例えばチラシを捨てるとか。兎に角このゴミ箱は帰り道沿いにあって便利だから手放したくない。その子のいる時はバレないようにこっそり捨てることにした。

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