第十話 歪み


「…………」


 早速、俺は食堂の中心付近に現れた残留思念に対し、自分でも慎重すぎると思えるくらい慎重に近付いていった。


 収集するためには全身が思念に覆われる必要があるが、急いで思念と同化しようとすると、急激な拒絶反応に耐えられずにショック死する恐れもある。


 だから、思念をいたわるように少しずつ同化していかなきゃいけない。残留思念に包まれるのは、水の中に潜り込む感覚と少し似ている。


「――ぐっ……」


 それからまもなく、圧し潰されるかのような拒絶反応がやってくるとともに、意識が朦朧としてきて俺の中に誰かが入り込んでくる気配があった。これぞ追体験だ。とても辛いがこれを乗り越えたとき、初めて思念を獲得できる。


「…………」


 徐々に意識が元に戻ってくる。ここが食堂であることは同じだが、周囲にいる面子は全員変わっていた。


 思念と同化することに成功した場合、そこでどんな体験をしようと、同化する前と後では時間がほとんど経っていないことが特徴だ。


「お、おい、あいつだ」


「いかれたグランの野郎がいるぜ」


「あの男を見てると飯が不味くなるんだよな」


「…………」


 この席に座っている人物が、囚人たちから露骨に避けられているのがわかる。グランと呼ばれた男こそ残留思念の持ち主だろう。


 彼がそこで黙々と食事をしている最中、囚人の一人が気まずそうに声をかけてきた。


「グラン、お前、いい加減気味悪がられてるぞ。いつもいつも同じ席で、一人で飯を食いつつ独り言をつぶやくヤベーやつってよ」


「…………」


「それとよ、ここはかなり目立つ場所だ。争いを避ける意味でも、隅のほうで食ったほうがいい。ただでさえお前、コミュ障で嫌われてんだから」


「目立つからこそ、だ……」


 まもなく、グランが絞り出すように低い声を発した。


「ここで食事をしていれば、が俺を探しに監獄へやってきたときに見つけやすい。それに、俺も嫌われているのは重々承知しているから、こうして気を使って遅れて来ているじゃないか」


 あいつが探しに来る? グランはここで誰かを待ち続けているようだ。


「いい加減、目を覚ませって! グラン、お前はそいつに騙されたんだ。わざわざこんな地獄に来るわけ――ぐっ!?」


 グランが話しかけてきた男の胸ぐらを掴んだ。


「お前なんぞに何がわかる……。あいつは俺の親友だ。頑丈なだけが取り柄の、無口で独りぼっちだった俺を、唯一拾ってくれた。人間扱いしてくれたんだ。それに、俺があいつの罪を被ってやったとき、必ずいずれここに来ると約束してくれた。一緒に罪を償うつもりだから待っててくれって……」


「じゃ、じゃあなんでいつまで経っても来ないんだよ。半年くらい前にも聞いたぞ、その話……」


「……黙れ……ここへ来る前にやるべきことがあると言っていた……。だから、少し遅れているだけだ……ブツブツ……」


 最後のほうは自分でもよく聞き取れなかった。ただ、このグランという男の精神が狂い始めているのははっきりと読み取れる。


 それから俺は、何度も何度も同じような光景を見せられた。もう説得するのを諦めたのか、知人らしき男さえも近付かなくなった。


 そんな同じ光景の繰り返しにこっちまで頭がおかしくなりそうになってきた頃、いつもの食堂に変化が訪れた。


 グランの席には既に先客が座っており、モヒカン頭の大柄な男が食事を取っていたんだ。


「どけ……」


 グランが低い声を発すると、モヒカン頭が激昂した様子で立ち上がってきた。


「あ……? なんか文句あんのかコラアアァァッ!」


「そこは俺の席だ。どけ……」


「おい、今なんつった? 俺の席だからどけって? あぁ!? 誰に向かって喧嘩売ってんのか、わかってんのかよ、てめえ!?」


「喧嘩などするつもりはない。俺の席だからどけと言っているだけだ――」


「――こいつっ!」


 どよめきが上がる中、モヒカン頭の男が片手で軽々と椅子を持ち上げると、ためらう素振りもなく殴りつけてきた。


「…………」


 だが、椅子で殴られてもグランは一切反撃することなく、席に座って食べ始めた。


「このクソ野郎っ! 今すぐ死ねっ! 死にやがれ!」


「…………」


「俺はな、そこら辺に転がってるようなただの囚人じゃねえ! いつか囚人王になってやるんだ! 俺を怒らせたら死あるのみだぞーっ!」


「…………」


 異様すぎる光景だった。後ろからモヒカン男に何度殴打されても、このグランという男は食事を続けていたのだ。やがて血がソースのように料理に注がれても、決して食べることをやめようとはしなかった。


 はっきり言って、耐えることに自信がある俺でもこの状態で食事なんか到底できない。実際、グランの思念と同化している俺は、意識が千切れそうなほど凄まじい激痛に襲われていた。


「――はぁ、はぁ……」


 それからしばらくして、モヒカン頭の荒い呼吸音だけが響く中、食べ終わるとともに立ち上がったグランが振り返った。


「食事は終わった。あとはお前に譲る……」


「ひ、ひいぃ……!」


 モヒカン頭が血で足を滑らせつつ逃げていくのを、グランはいつまでも見続けていたが、まもなく視界が霞んでいくのがわかった。


「……待っている。俺は、いつまでもお前のことを、信じてここで……」


 全てが狂い、歪んでしまっているようで、グランの言葉は何故かとても美しく感じた……。

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