第10話 柔らかい感触

「私、一つ告白する」

「何を?」

僕は身構えた。

「男の子には誰にも言ったことないんだけど、私ね、テストの前とかになると、円形脱毛症になるの」

「え、そうなの?」

僕は少し、がっかりした。

「うん。これぐらいの大きさで、頭にできるの」

美沙さんは右手の親指と人差し指で、十円玉ほどの輪を作って、側頭部の後ろ側に当てて見せた。


「だから、そうなった時は、周りの髪を寄せて、ヘアピンでとめて隠してたの。かなり悩んでたんだよ」

「なにか原因があるの?」

「テストの前とか、ストレスが溜まった時になるから、たぶんストレスが原因だと思う」

「美沙さん、テストにストレス感じてたんだ」

「そりゃ、そうだよ」

「僕はてっきり、美沙さんは秀才だから、教科書や問題集を一度見たら全部覚えちゃって、そんなに苦労せず、優秀な成績取っているもんだと思ってたよ」

「全然そんなことない。私って結構努力型っていうか、がり勉派だったんだよ」

「まあ、もともと優秀な頭脳に、努力も併せ持ってたんだから、あの成績も納得だよ」


 まさか、そんなストレスを抱えているようには見えなかった。明るく、天真爛漫で、はきはきした秀才だと思っていた。だが、実際の美沙さんは、人知れず努力を重ね、身体に変状が現れるほどのストレスを抱えて、悩みも持つ普通の女の子だった。美沙さんの弱い部分を知ったことで、ただ好きというだけではなく、愛しさのような感情も生まれた。


 1時間ほどたった。美沙さんは本棚の上のコーヒーミルが気になったらしい。

「あれ、何?」

「コーヒーミル。コーヒーの豆を粉にする道具。中学の頃からコーヒーが好きで、よく行く喫茶店で、豆を買ってきて、あれで挽くんだ」

「うちはインスタントばかりだから、粉から淹れるコーヒーは家で飲んだことないな」

「飲んでみる?」

「うん」

「モカ、キリマンジャロ、ブラジルがあるけど、どれがいい?」

「言われても分からないから、高広君のお勧めでいいよ」

「じゃあ、香りがよくて、飲みやすいモカにしよう」


 戸棚からモカの入った缶を取り出し、蓋を開けると、フルーティーなコーヒーの香りがほのかに漂った。缶から豆を計量スプーンで2杯すくい取り、手回し式のミルに投入した。ガラステーブルの上にミルを置き、ハンドルを回した。時々ハンドルが硬くなることがあるので、不連続なゴリゴリという音がして、豆が粉になっていった。

「それ、面白そう。私にもやらせて」

「結構、力いるよ」

「大丈夫。やってみる」

「じゃあ、左手で上からミルをしっかり押さえて、右手でハンドルを向こうへ回す」


 美沙さんがハンドルを回すと、ミル全体が前後に傾いて上手く挽けない。一度ハンドルを回すのをやめてもらって、僕がミルの下半分を押さえると、彼女は先ほどと同じように、自分の左手でミルを上から押さえた。二人の手が一部重なった。美沙さんの柔らかい手が、僕の指を上から覆うように被さってきた。彼女は何も気にしない様子で再びハンドルを回し始めた。僕だけ一人、ドキドキしていた。美沙さんが豆挽きのゴリゴリ感を楽しんでいる間、僕は美沙さんの手の柔らかい感触を楽しんでいた。今度は、スムーズに豆を挽くことができた。嬉しかった共同作業が終わってしまうと、僕は、ミルの引き出しにたまったコーヒーの粉を、ペーパーフィルターをセットしたドリッパーに投入し、タンクに水を注いでからコーヒーメーカーのスイッチを入れた。


「この噴水みたいのが、かわいいね」

コーヒーメーカーの透明な半球状のカップを見ながら、美沙さんが言った。熱せられた水が、カップの内側に当たって広がり、ドリッパーの上へ落ちていく。美沙さんは楽しそうに眺めていた。5分ほどでコーヒーはできあがった。マグカップに注ぎ、ガラステーブルの上へ置いた。

「わー、いい香り。インスタントとは全然違う」

「そう、これがたまらないんだよ。味も違うよ」

「うん、美味しいね。さわやかだし。でも、ミルク入れた方いいかな」

僕は戸棚から、クリープの瓶を取り出し、二人のカップの中に粉末を振り入れ、スプーンで2回転かき混ぜた。

「いつも紅茶飲んでたけど、コーヒー派に転向する?」

「考えておきます」

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