第7話 彼女の家へ

3月12日

 クラスメイト6人と4泊5日で志賀高原へ卒業スキー旅行をした。入試前から、旅行会社に勤めている僕の姉に手配してもらっていた。旅行から帰宅する日が、僕の国立大学の発表の日だった。僕は名古屋の大学を受けていた。スキーからの帰り、主要駅まで迎えに来てもらった母さんに、車の中で結果を教えてもらった。合格発表の日に僕がいないから、両親が大学まで結果を見に行くことになっていた。結果は合格だった。でも、気持ちはすでに慶応に向いていた。

3月17日

 僕は、考えておいた【今後のプラン1】を実行に移した。肩掛けバッグにスキーのお土産を入れ、事前連絡なしで美沙さんの家を訪問した。

 美沙さんの家の玄関横には、おとなしい茶色の犬がいた。犬を警戒しながら、ドアホンを鳴らしてしばらく待つと、玄関の引き戸が開いてお母さんが顔を出した。「美沙さんいますか?」と尋ねると、「はい、ちょっと待ってね」と言ってまた玄関の奥へ消えた。美沙さんと違って、お母さんは小柄な女性だった。


 すぐに階段を降りる音がして、美沙さんが玄関に現れた。僕の顔を見て、一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔になった。

「どうぞ、あがって」

「え?」僕は声にこそ出さなかったが、美沙さんの一言にとても驚いた。玄関で彼女にお土産を渡すだけのつもりだったのに、家の中へ通してくれると言われたからだ。中学時代に崇拝の対象と崇められ、高校でも男子生徒の一番人気だった女の子が、たとえ一度デートした相手とは言え、男をこんなにあっさり家の中へ招き入れるなんて。このような展開は全く予想していなかった。靴下に穴が開いていなかったか心配になった。


 玄関で靴を脱ぎ、靴下に穴が開いていないことを確認した上で、彼女の後に続いて、案内されたリビングへ入った。彼女の部屋は散らかっているからといって、入れてもらえなかった。


 部屋の中央にボルドーの絨毯が敷かれ、その中心に大きなローテーブルが置かれていた。テレビとの位置関係から、ふたりはテーブルの90度になる位置に座った。スキー旅行のお土産を渡した後、旅行で起こった出来事の話をした。山崎が一日券をなくして半泣きだったとか、僕がリフトから手袋を落として冷たい思いをしながら探したとか、初心者の伊藤が止まれずにきれいな女の人に抱きついたとか、ハプニングは山ほどあったから話題には困らなかった。


 僕たちがスキーへ行っていた同じ頃、美沙さんは仲の良かったクラスメイトと2泊3日で京都へ行っていたことが分かった。

「京都のどこへ行ったの?」

「修学旅行で行っていないところ」

「そういえば、高校の修学旅行でも京都行ったもんね」

「1日目は銀閣寺、哲学の道、南禅寺と妙心寺。2日目は大原の三千院と寂光院。3日目は平安神宮、八坂神社、知恩院。最後に京都タワーへ行って、駅でお買い物をして帰ってきた。南禅寺の近くで食べた湯豆腐はおいしかったけど、2000円もしたんだよ」

「2000円の豆腐?」

「お豆腐以外にも、ご飯とかおかずが一揃いついてだけどね」


「そういえば、京都の大学受けたんだよね。発表いつ?」

「明日」

「美沙さんなら、受かるよ」

「そんなの発表されるまで分からないよ。こう見えてもすごく不安なんだよ」

美沙さんには、ひとつの癖があった。話の合間に、口を少しだけ開き、開いた唇の左端に舌先を付けるのだ。何の意味もない純粋な癖なのか、何か機能を持った行動なのかは、本人に聞いていないので分からなかった。今日の会話の途中でも幾度かその癖は出た。ただ僕には、その動きが少し幼く、可愛らしいものに思えた。


 その後も、クラスメイトの誰それががどこそこの大学に決まったとか、誰かが浪人確定したとか、いろんな話題で時間を忘れて話し込んだ。気が付いたら、来てから4時間も経過していた。あたりは暗くなっていたので、帰ることにした。


3月19日

 美沙さんに電話して、明日、他のクラスメイトも高校に集まるから、僕たちも行こうと誘った。


3月20日

 クラスメイトが10人ほど高校の進路指導室に集まった。あるものはスキーや京都の土産を持って。


 その頃僕たちの学校では、生徒の合格が確定すると、職員室の前の掲示板に大学・学部・生徒名を書いた短冊が張り出された。掲示板の一番新しい箇所に、美沙さんの名前が書かれた短冊が貼られていた。進路指導の国語の先生が、慶応と僕の名前を書いた短冊を用意してあると言って、机の引き出しから出して、見せてくれた。

 担任だった河合先生が、「高広、お前、国立受かったからいいけど、全部落ちてたら、それ見たことかって、ぼろくそ言われるところだったんだぞ」と、顔では笑いながら、厳しい口調で僕に言った。


 進路指導室を出て廊下を歩いていると、前方から僕を特別に嫌っていた英語の先生が歩いてきた。彼は僕と視線を合わせないように、僕と反対側の、廊下の左隅に視線を固定したまま僕とすれ違った。

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