第3話 制裁
「尾崎さん、途中まで一緒に帰っていい?」
「え、別にいいけど」
僕も尾崎さんも帰宅部だったので、帰りのホームルームが終わるとすぐに下校した。僕は、父さんが海外旅行で買ってきた羊の置物を尾崎さんに渡すために、校門で待っていた。
自転車通学の僕は、徒歩通学の尾崎さんに合わせ、自転車を押して歩いた。
「父さんがニュージーランド旅行から帰ってきたら、尾崎さんにこれあげろって渡されちゃって」
僕は紙袋を尾崎さんに渡した。
「え、ありがとう」
そう言って、すぐに受け取ってくれて助かった。プレゼントを押し付けているような格好悪い場面をあまり人に見られたくなかったから。
その後、僕は彼女と並んで歩きながら、なぜこんなことになったのかを説明した。
「袋の中身は、羊毛で作った羊の置物。ふわふわしてて、触り心地いいよ。うち、親と仲いいから、家でなんでもよくしゃべるんだ。クラスメイトも男女区別なく、よく話題に上るんだけど、父さんは尾崎さんのこと、なんか勘違いしてたみたいで、これ買ってきちゃったというのが、ことの顛末」
「そうだったの。わー、かわいいじゃん。ありがとう」
尾崎さんは、紙袋の中を覗き込んで言った。
僕の帰宅ルートと彼女の帰宅ルートが別れる交差点で、僕たちも別れた。
この日以来、一緒に帰る日がしばらく続いた。もう用事はないのだが、話していると面白く、崇拝の対象だった”女神”という雰囲気ではない。何でもはっきり言うし、結構僕と気が合うと感じた。
「尾崎さん、最近、男と一緒に帰ってるらしいぞ」
ある朝、登校するとすぐに山崎が駆け寄ってきて僕に言った。
「俺だよ」
山崎は驚いたような顔をし、その直後に言った。
「バカ、お前、南中出身の男にばれたら、やばいぞ」
「一緒に帰ってくれるんだから、別に、いいじゃないか。付けまわしてるわけじゃないし」
と、僕は返した。
その日、僕は英語の教科書を忘れた。隣のクラスの友人から借りることにした。隣のクラスに、僕と同じ中学出身の近藤がいたから、そいつに教科書を借りに行った。近藤がカバンの中から英語の教科書を探し出すのを待っていると、南中出身で剣道部の山口と、他に二人の男子生徒が近寄ってきた。山口が近くにあった椅子を蹴とばしてから、低く抑えた声で僕に言った。
「お前、尾崎さんに手、出すなよ」
そう言うと、三人は教室から出て行った。あれが親衛隊か? その日も、尾崎さんと一緒に下校した。
次の日は、尾崎さんと時間が合わず、一人で帰るつもりだったが、自転車置き場で山口たち3人に呼び止められた。
「ちょっと顔貸せ」
高校の近くにある、林に囲まれた公園まで連れていかれた。
「昨日忠告したはずだ」
山口が僕に近付きながらすごんだ。他の二人は10mほど後ろに立っていて、僕の周囲を取り囲もうとする気配はなかった。
「別に手なんか出してねーよ。ただ一緒に帰っただけじゃん」
言い終わる前に左の頬に激痛が走った。僕は後ろへ飛ばされ、尻もちをついた。立ち上がって、左の頬を抑えながらズボンの尻に付いた土を払っていると、山口が顔を近付けてきて、言った。
「あの人には、誰も手を出しちゃいけねぇんだよ」
山口が言い終わったとき、今度はこちらから一撃くれてやった。僕が殴り返してくるとは思ってもみなかったようで、全くノーガードだった。だが、相手は僕より一回り体が大きかったから、殴られても顔が揺れただけだった。そして、その時点で、相手とは至近距離のままだ。2回目の激痛が僕を襲い、今度は背中まで倒れ込んだ。
「くそ、分かったか」
と言って、三人は立ち去った。左の頬が、ジンジンしびれて痛かった。殴られた箇所がどんな状態になっているか分からなかったが、頬の内側が腫れていることだけは分かった。唾を吐くと、結構な量の血が混ざっていた。
出来事はすぐに広まったが、古風な高校だったせいか、男子生徒のこの程度のいざこざには、親が学校に乗り込んででもこない限り、教員は介入せず、処分もなかった。
「だから言ったろ、やばいって」
僕の頬のアザを見ながら、山崎が言った。
「親衛隊だか何だか知らないけど、頭ん中、中学生のままじゃないか。少年漫画じゃないぞ」
僕は怒りを通り越して、呆れていた。
隣のクラスの朋美さんという、南中出身の女子生徒が、僕たちの教室へ来て、尾崎さんを彼女の席から離れた場所へ連れ出した。僕は何気なく、聞き耳を立てた。
「美沙ちゃんとこのクラスの加藤君、怪我してるでしょ。なんでか知ってる?」
「怪我してるのは、見て分かったけど、理由は知らない」
「親衛隊の制裁が発動されたんだって。まったくあいつら、中学の時から成長してないよ。こんなことされたんじゃ、美沙ちゃん、いつまでたっても彼氏できないじゃんね。ただ、山口君の唇も切れてたから、加藤君もやり返したみたいね。おとなしそうな顔してるけど、彼も、なかなかやるじゃん。ところで、加藤君とは、何があったの? デートしたとか」
「何もないわよ。ただ、一緒に帰っただけ」
「1回?」
「んー、5回ぐらい」
「そりゃあ、制裁発動基準満たしてるわ。すでにそこまでの関係だったか?」
「バカなこと言わないで。ホント何でもないし、こんなことがあったなら、もう一緒に帰ったりしないよ」
尾崎さんが自分の席へ戻ってきて、前の席に座っている僕の肩をたたいて、話しかけてきた。自分から男子生徒に声をかけるのは、彼女にとっては、珍しい行為だった。
「聞いたよ、怪我のこと」
尾崎さんが痛々しそうに、片目を細めながら僕に言った。
「ふーん」
「ごめんね、なんか南中の人たちのせいで」
「別に尾崎さんが謝ることじゃないよ」
「普段は面白くて、いい人たちなんだよ。でもちょっと一途なところがあって。一緒に帰るのはもうやめた方がいいね」
「そうだね。バカは挑発しない方がいい」
「それにしても、山口くん殴っちゃうなんて、お主も、なかなかやるのう」
「こっちの方が、一発多く殴られたよ」
「お主も、なかなかやるのう」これが、崇拝の対象だった”女神”が使う言葉だろうか? 彼女のイメージがまた少し変わった。案外、面白い人かもと思った瞬間だった。このころから、僕は、尾崎さんを他の女の子とは異なる存在として、意識するようになった。
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