第1章

第2話 女神

 僕が入学した高校は、半島の中ほどにある、普通科4クラスに商業科と家政科が1クラスずつの小さな田舎の高校だった。高校の北には標高250mほどの山があって、その山頂から眺めると、太平洋と内湾の間に挟まれた陸地がまさしく半島であることを実感できた。


 廊下の壁にもたれている僕と山崎の前を、同じクラスの尾崎美沙さんが、購買へ買い物にでも行くのか、もう一人の女子生徒と腕を組んで通り過ぎた。背が高く、すらりとした体形で、その上に小さくて整った顔が載っている。女優やモデルというよりも、報道番組のキャスターのような知的さと気高さを併せ持った顔をしている。成績は学年トップクラスで、男子生徒の人気は絶大。


「なんで女は、ああやって女同士で腕組んだりできるんだろうね」

僕は、尾崎さんたちの後ろ姿を見ながら、隣の山崎に投げかけた。

「確かに、男同士がやってるのは見たことないな」

山崎が答えた。山崎は、このクラスに同じ中学出身者がいなかった僕に、最初に話しかけてくれたクラスメイトで、尾崎さんと同じ南部中学出身だった。


「中学時代の尾崎さんは、成績優秀、スポーツ万能の才色兼備で、通知表はオール5。いつも女子生徒だけで群れていて、自分から男子生徒に話しかけるようなことはなかったから、男子にとっては近寄りがたい、雲の上の存在っていうか、もはや崇拝の対象だったよ。まさに女神。ファンクラブならぬ、親衛隊みたいな教団があってさ、誰も抜け駆けできない雰囲気だったんだ。それなのに、中3の夏休みに抜け駆けして、尾崎さんをデートに誘ったやつがいたもんだから、そいつ親衛隊の隊長に締めあげられてたよ。お前も、変な気を起こさない方が身のためだぞ。」


 僕には、クラスメイトにアンケートをとるという変わった趣味があった。 

「高広君は、なんでそうやって、みんなにアンケートをとるの?」

「コーヒーと紅茶どちらが好きか」というアンケートを取った時に、尾崎さんが僕に尋ねた。加藤は他にもいたから、僕は下の名前で呼ばれていた。

「このクラスで僕と同じ中学から来た人、誰もいないじゃん。だから、話すきっかけを作るのと、その人の人となりを知りたいから」

だからと言って、アンケートを取る理由にはならないだろう、と自分でも承知の上で答えた。尾崎さんからの突込みはなかった。


 僕のクラスでは、4月は席が名簿順だったが、その後は毎月席替えをした。5月、尾崎さんは僕の後ろの席だった。僕は自分の席で後ろ向きに座って、尾崎さんに話しかけた。


「男と女って、シャツのボタンの向きが違うじゃん。なんでか知ってる?」

「え、違うの?」

「男は右にボタンがついていて、女は左に付いているんだよ」

僕は自分の学生服のボタンと、彼女の制服のボタンを指さしながら説明した。

「ホントだ。初めて知った。で、その答えは?」

「向かい合ったとき、外しやすいようにだよ」

僕は、彼女の胸元に両腕を伸ばしながら答えた。彼女は、身じろぎもせず、僕の指先を目で追ってから顔を上げ、にっこり微笑んで、言った。

「納得!」

話しかけてみると、とてもフランクで、雲の上の存在という感じではなかった。


 その日の昼休み、山崎が驚いたような顔をして僕に言ってきた。

「高広、お前、よく尾崎さんにあんなことできるな」

「あんなことって?」

「さっき数学の授業が始まる前に、お前、尾崎さんの胸触るような恰好してたろ」

「別に本当に触ったわけじゃないし、むこうがよけようとしなかったから、いいんじゃないの?」

「よけようとしなかったからとか、そういう問題じゃないんだよ。俺たち、南中出身の男子にとっては、尾崎さんに手を伸ばすという行為そのものが犯罪なんだよ」

「俺、南中出身じゃないから」

「お前、そんなこと言ってると、いつか痛い目に遭うぞ」

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