エレベーター

西羽咲 花月

第1話

校舎を出た時、不意に今日の宿題を思い出していた。



最後のホームルームが終る頃に配られた一枚のプリント。



あたしはそのプリントを授業中と同じように机の中にしまい、すでに帰る支度が出来ていた鞄を掴んで教室を出てきていた。



その時の光景が思い出された瞬間足を止め、大きく息を吐きだした。



試に鞄の中を確認してみたけれど、やっぱり宿題のプリントは入っていなかった。



「もう、本当に最悪……」



小さな声でつぶやいて空を見上げる。



グラウンドも校舎もオレンジ色に包まれていて、遠くの空に黒いカラスが数羽飛んでいるのが見えた。



今日に限って先生の呼びだしがあり、日ごろの忘れ物の多さを指摘された。



しっかり1時間ほど同じ話を繰り返しされた後ようやく解放されて今に至るのだ。



友人たちは無情にもさっさと帰ってしまうし、今日は学校中の部活も休みということで、残っているのはあたしただ1人。



早く家に帰りたいと思いながらも、忘れ物を指摘された当日に宿題のプリントを置いて帰るわけにはいかなかった。



今度はどんな大目玉を食らうかわからない。



「仕方ない。取って来るか」



あたしは自分に言い聞かせるように少し大きな声で言い、きびすを返して校舎へと向かったのだった。


☆☆☆


ついさきほどまでいた校舎なのに、入った瞬間肌寒さと薄気味の悪さを感じた。



生徒が残っていない校舎に聞こえてくるのは自分の足音だけ。



この坪井高校に入学して、もうすぐ最初の夏がやってくる。



けれど今は6月の梅雨時で、校舎全体がジメジメとしていてカビくささを感じる。



特に、坪井高校の校舎は建て増しが繰り返されていて、所々壁や廊下の色が変わる。



真っ白でシミひとつない新しい校舎に居る時には何も感じないが、ひとたび古い校舎部分に足を踏み入れると雰囲気は一変する。



いくら掃除しても消えない、壁に残る黒いシミ。



茶色くくすんだ廊下。



天井からは雨水が漏れてくることもしばしばあった。



あたしは普段からできるだけ新しい校舎だけを歩くようにしていたが、自分の教室、1年B組へ行くための最短距離はつぎはぎ校舎を歩くことだった。



足早に歩いていたあたしは、パッチワーク状になった校舎で一旦足を止めた。



ここから古い校舎の階段を使って上がるのが一番近い。



けれど、途端に古臭くなる建物は来るものを拒んでいるように見えて、嫌な雰囲気がした。



「なにもないに決まってる」



誰もいないことで不安が加速しているだけだ。



あたしはそう思い、スッと息を吸い込んで古い校舎へと足を踏み入れた。



途端に空気が変わる。



ぬるりとした空気が肌にまとわりつくのを感じて、早足になった。



はやり古い校舎は水はけも悪いのだろう。



ジメジメとして思いたい空気のせいで足が前に出にくい感覚さえする。



湿度は確実に上がっているのに、校舎へ入った時に感じた肌寒さは続いていた。



むしろ、新しい校舎にいたときよりも寒気がひどくなってきている。



もしかして風邪でもひいた?



テスト前に寝込むわけにはいかない。



やっぱり今日は早く帰ろう。



気持ばかりが焦ってなかなか3階の教室までたどり着かない。



気が付けば息が上がり、はぁはぁと口で呼吸をしている。



どうにか1年B組の教室にたどり着いたあたしはすぐに自分の机に向かい、プリントを手にした。



よかった。



あった。



安堵して教室を出ようとしたとき、急に太陽がかげり、教室内が暗くなった。



「雨が降りそう……」



さっきまでオレンジ色に包まれていた景色が、今では灰色に染まっている。



今日雨が降るなんて聞いてない。



当然傘の用意はしてきていないし、校舎に入ってからの肌寒さも続いている。



雨が降る前に帰らないと本当に風邪を引いてしまうかもしれなかった。



あたしはプリントを乱暴に鞄の中に押し込めながら、教室を出た。



そのまま新しい校舎の階段へ向かおうとして、一旦足が止まった。



普段から新しい校舎を選んで移動しているからついそちらへ足が向いたけれど、少しでも早く帰るなら古い校舎の階段を選んだ方がいい。



振り向いて廊下の奥へ視線を向ける。



薄汚れた廊下の奥は今日蛍光灯が切れたばかりで交換されておらず、真っ暗だ。



でも、そこはついさっきあたしが上がって来た場所だった。



太陽が陰ってしまったから余計に暗く感じるけれど、実はどうってことはないのだ。



あたしはスマホのライトを点灯させて暗い廊下へと向かった。



学校の外ではゴロゴロと雷が聞こえ始めてきている。



その音に急かされるようにあたしは階段を駆け下りた。



じっとりとした空気があたしの体に絡み付き、ともすれば足が止まってしまいそうになる。



それを必死で気づかないふりをして前へ前へと進んでいく。

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