第283話 ワーテイルの独白


 まずは、私の生まれから話しましょうか。

 遡りすぎる?いえいえ、幼少期の体験こそが、今の私を形作っているのですよ。


 私の生家は、とある辺境の小さな教会でした。ああ、孤児ではありませんよ。歴とした四神教の司祭の一人息子です。

 四神教の威光をもって民をまとめる父に、それを陰ながら助ける母のもと、私は何不自由なく育ちました。

 信者の尊敬を集める父は誇らしく、また母の教育もあって、物心ついたころには代々の司祭の家系を継ぐのだと自然と思うようになっていました。


 幸いなことに、勉学には困りませんでした。

 辺境の教会は書物の収蔵施設の役割を兼ねていて私の家も例外ではなく、教材に事欠くことがなかったのです。

 また、幼少期から敬虔な四神教の信徒と認識されていた私は、他の子供のように労働を強制されることもなく、父という教師もいたことから、司祭となる道が整えられていました。


 そのおかげかどうか、一心不乱に勉学に励んでいた私は、程なくして神童と噂されるようになり、周囲の大人から過剰な期待を持たれるようになりました。有体に言うと、王都への留学を勧められるようになったのです。

 父母も、表向きは賛同してくれましたが、実際の胸の内がどうだったかはわかりません。

 本心では故郷に留め置いて手元で育てたかったかもしれませんが、信者の手前、息子にすら本音を打ち明けられない立場でしたから。

 もっとも、今となっては王都に行かせたことに、死ぬほど後悔しているかもしれません。



 数年後、父母を始めとした街中総出で見送られた私は、王都へ留学しました。

 目的は、中央教会が設ける神学院で聖職者としての知識を修め、司祭の資格を得ることです。

 私のような若者は、毎年王国中から集まるらしく、この時も十数人の同期と机を並べて成績を競い合いました。


 地元で神童ともてはやされた田舎者が、王都で身の程を知り、現実に打ちのめされる。

 ままあることですし、もしかすれば私の父母も息子の目が覚め帰ってくることを、密かに望んでいたのかもしれません。

 ですが、私は王都でも神童と呼ばれ続けました。

 大都市育ちの貴族の三男坊や司教の娘などを差し置いて、周囲の妬み嫉みを買いながら、順調に学業に邁進し続けた私は、神学校を首席で卒業しました。

 思えば、この時が分岐点だったのかもしれません。

 辺境の小さな教会の司祭で一生を終えるか、それとも、アドナイ王国を震撼させる悪の死霊術士となるか。



 中央教会と言っても、信徒の全てが王都の出で占められているわけではありません。

 地方から優秀な者を集めて神学校で能力を測り、目に留まった一部を将来の幹部候補として勧誘する。

 そんな一人として、私も選ばれました。


 拒否?できるわけがありません。

 どれほど距離が離れていようと、同じ神の名のもとに繋がっている組織として、一介の辺境司祭の子に過ぎない私が、中央教会の強い勧めにどう抗えるというのでしょうか?

 ましてや、当時の枢機卿のお一人から直接声をかけられたとあっては、他に道はありませんよ。


 実家ですか?ええ、もちろん帰っていません。

 父母も、とある筋を通じて私のことを言い含められたらしく、養子を迎えて教会を継がせたと、しばらく後に手紙で知らせてきました。

 心配することなく中央教会で神に仕えなさい、との文面でしたが、本心はどうだったのでしょうね?

 私としては、手紙の内容をそのまま信じるしかありませんが。



 どうやら王都の空気に馴染んだらしく、中央教会に入った私は、順調に出世を重ねました。

 史上最年少で司教になった件は、王都でもそれなりに噂されたそうですね。

 他の者に比べて勤勉だったのか、先達への受けがよほどよかったのか、自覚はありませんが。

 そんなことに気づく余裕がなかったとも言えますが。


 そう、十年ほど前から私は、あることが気にかかるようになっていました。

 神に祈りを捧げ、信徒の懺悔を受け、貴族の方々と程よく付き合い、先達を敬い、後進の指導に当たる。

 順調な生活を送りながら何が不満なのか、そう思われるでしょうが、私にとっては順調すぎたのです。

 中央教会に入ってから、もっと言えば、王都に来てから常に抱えていた違和感。



 なぜ、人が死なないのか?



 グランドマスターレナート、あなたならこの言葉の意味が分かるでしょう。

 人族の世を謳歌するアドナイ王国。

 王都アドナイやジュートノルなどの大都市が恩恵にあずかる中、辺境がどのようなことになっていたのかを。

 粗末な木の柵を張り巡らし、昼夜問わず警戒を怠らず、夜は不寝番を置いて篝火を絶やさない。

 それでも、魔物による犠牲者が絶えないのが、辺境の常識です。


 私が物心ついてから王都に向かうまでに、故郷の街だけでも魔物に殺された人々は両の手では数え切れません。

 同世代の子供も五人、短い生を終えています。

 ところが、この王都ではそんな話は一つも聞きません。大人も子供も老人も、例外なく魔物の脅威を知ることなく天に召されます。

 この差は、この命の差はいったいなんなのだろうと。


 いえ、よく考えてみれば、それほど難しい話ではありません。

 山野を切り開いて街道を整備して、騎士団や冒険者が定期的に魔物を間引いている都市部に対し、手つかずの自然が多く、正規の戦力と言えば小規模の貴族軍くらいで冒険者も滅多に寄り付かない辺境では、文字通り安全の概念がまるで違ったのです。

 そこで知識欲を満足させればよかったのでしょうが、あいにく私は、一通りの調査をしなければ気が済まない性質でした。

 その結果、アドナイ王国全体で、人族への魔物の襲撃が年々増加している事実に気づいたのです。



 そんな話は知らない?

 そう仰いますが、グランドマスター殿の情報はどこまで人々の生活に寄り添ったものなのでしょうか?


 辺境で活動する冒険者の数は?

 魔物討伐の依頼の数は?

 依頼完了報告の詳細は?

 冒険者ギルドを通さない、冒険者と依頼者だけの直接契約の実態は?


 ひけらかすようで恐縮ですが、中央教会には各地の教会から定期的に大量の報告や陳情が送られてきます。

 その中で、上層部で議論したり受理されたりする案件はごくわずかですが、重要と思われる情報は書面化され、広大な敷地を持つ書庫棟に保管されます。

 整理の手間はともかくとして、冒険者と四神教徒、どちらがより正確性に優れるか、議論の余地はないでしょう。



 さて、だれも見向きもしない書類の山から王国の危機を導き出した私は、この情報の扱いについて思い悩んだ挙句、神学校卒業以来お世話になっている、とある枢機卿猊下に報告し、私が個人的に策定した善後策を提示しました。

 その結果、経過を見守ることになりました。


 いえいえ、おかしなことなどなにもありません。

 恐れ多くも枢機卿猊下がお決めになられたことに、私ごときが口出しできるはずがございません。

 どうやら誤解されているようですが、筆頭司教と言えば聞こえは良くとも、実態は枢機卿の方々の使い走り、王宮で言うところの小役人のまとめ役程度の権限しかないのですよ。

 権力の集中という意味では、アドナイ王家以上かもしれませんね。

 その枢機卿猊下に、慣例や王国繁栄の歴史を持ち出されては、引き下がるしかないのです。


 とはいえ、魔物の脅威が増大しているのも事実。

 いつ何時、事態が急変するか誰にも予見できない以上、やれるだけのことはやっておこうと、私は調査を続行しました。もちろん、別のアプローチから。

 前例を盾に受け入れられなかったのですから、前例から打開策を得ればいい。

 そう考えた私は、アドナイ王国屈指の蔵書を誇る中央教会の書庫に、本格的に手を出し始めました。


 いいえ。それまでの手慰みとはわけが違います。

 知識の海に溺れるとは、ああいうことを言うのでしょうね。五千年前の災厄の概要を知ったのもこの頃です。

 振り返ってみれば、勤勉な筆頭司教から、暇さえあれば書庫に籠りきりの変人と、噂が変わるようになったのはあの辺りからだと思います。

 立場を利用して、禁書庫に足を踏み入れることもしばしばありましたから、その辺りが一層周囲に嫌悪されたのでしょう。

 もっとも、筆頭司教の役目を全うした上での、趣味と実益を兼ねた調査だったのですから、私としては心外以外の何物でもなかったのですが。



 しかし、世の中とはままならないものです。

 私への謂れのない悪評が中央教会に広まりつつあった頃に、とうとう大都市にまで魔物による被害が散見されるようになってきました。

 そこで、私の調査が中央教会上層部を説得しうる材料を集めきり、本格的な対策に着手できるまでの日数を計算してみました。

 その結果、私の趣味を交えた努力が実を結ぶ前に、アドナイ王国は滅亡する可能性が高いことが判明しました。


 ああ、それは無理な話です。

 中央教会の変人というイメージが確立した私では、枢機卿の方々はもちろんのこと、司祭達や地方の有力教会の協力を得ることは、極めて難しい情勢でした。

 そうですね、私が政治というものに少しでも関心を持ち、周囲の反応に配慮できていれば、もう少し違った今があったかもしれません。



 そんなものは未来永劫訪れないと悟ったので、私は死霊術に希望を見出すことにしました。

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