第279話 王都の瘴気


 耳にタコができるほど聞いて、俺自身も何度となく思ってきたことだけど。

 今、王都ほど危険な場所はない。

 人族の領域を蹂躙する魔物の群れですら近づくことなく、アドナイ王国の中心地を我が物顔で占領するアンデッドの軍団、不死神軍。

 その基となった死体は元アドナイ王国民なわけだから、厳密には占領と言えないのかもしれないけど、人族が暮らしていける状況じゃないことだけは確かだ。

 この先、厳しさを増していくだろう災厄に立ち向かうためにも、一日でも早く奪還しておく必要がある。

 そんな中で、ジオの了解は取ったとはいえ、半ば自己満足的なこの行動がどう影響するのかしないのか、今は見当もつかない。






「上がってきていいぞ」


 入る時と同じように、安全を確かめるために先行したレナートさんの声で、長い長い地下通路からようやく地上に戻ってきた。

 同じく地下に残っていたリーナの手を引きつつ、まくられた絨毯を横目に見ながら階段を上がり切ると、そこは薄暗い物置のような部屋だった。


「ここは……」


「中央教会の影の協力者の家らしいぞ。本当なら、俺達が出てきた時点で警備兵が殺到してくる仕掛けが、その扉のあたりに施されてたんだがな」


「誰も来るわけがないわよね。今の王都に生存者なんているはずがないもの」


「あー、まあ、そりゃそうなんだがな」


 リーナの言葉への返事をなぜか言い淀んだレナートさん。

 その続きを、左肩に手を置くことで制止したのはガーネットさんだった。


「無駄話をするには、ここは逃げ場がなさすぎます。ひとまずは目先の安全を確保しましょう、レナート」


「……そうだな。とりあえず、腰を落ち着けられるところに移動するか」


 頷いたレナートさんが先頭を歩きだしたのを皮切りに、四人で部屋を出る。

 扉の先は長い廊下になっていて、この建物の持ち主の財力を想像させる。

 等間隔に並ぶ透明度の高いガラス窓、床や壁紙に刻まれた紋様、邪魔にならない程度に配置された調度品。

 だけど、その全てが誇りと塵のせいでくすんで見えて、しばらく人が立ち入った様子がないのが一目瞭然だった。

 そして、廊下の終着点である、裏口と思える立派な扉の前まで来たところで、レナートさんが振り返ってきて言った。


「この先、特にリーナ嬢にはショッキングな光景が待っているだろうが、絶対に声を上げるな。アンデッドは人の気配に敏感だ。一度のヘマで、あっという間に逃げ道を塞がれて万事休すになるからな。それからもう一つ、外に出て少しの間は呼吸を浅く保て。そのうち慣れてくるだろうから、それまでの辛抱だ」


「あの、それって――」


「わかったな?」


 いつになく、有無を言わせないレナートさんのまなざしと言葉に、リーナと一緒に頷く。

 そして、考える間もなくレナートさんが開いた扉の向こうには、文字通りショッキングな光景が広がっていた。


「これは……」


「ひどい……」


 まず、目に飛び込んできたのは、庭の一角と思える草木が伸び放題の光景。

 その全てが弱々しい姿を晒していて、生気がほとんど感じられない。


「テイル、上を見て」


「空が……!?」


 さらに、リーナが指差した先には、灰色じゃなく暗い紫色をした霞が幾重にも重なった、変わり果てた曇天の王都の空があった。

 愕然とする俺達に、レナートさんが、


「言うまでもないと思うが、この紫の空の原因はアンデッドの瘴気だ」


「瘴気!?瘴気って、魔物が常に体から放出している、魔力みたいなもののことですか?」


「さすがはテイル、冒険者学校の基礎知識はしっかり覚えてるな」


レナートさんは褒めてくれたけど、実際にこの目で見たことはないからただの耳学問だ。

そもそも、瘴気は目に見えない。見えないはずだ。


「でも、普通の魔物一体が放つ瘴気はとても少なくて、普通は目に見えるようなものじゃなかったはずです」


「常識じゃそうだ。だが、王都を埋め尽くすほどのアンデッドがそこらじゅうをうろうろしているこの状況じゃ、むしろ異変が起きて当然とも言えるわな」


「特に、アンデッドの瘴気はその性質上、生物に対する毒性が強くなる傾向にあります。おそらくですが、今の王都に加護を持たない一般人が足を踏み入れれば、一区画も歩かないうちに昏倒し、やがて死に至ることでしょう」


「それなら、ジョブの加護を持っている私達は大丈夫ということよね――あいたっ!?」


「んなわけねーだろ、馬鹿」


 いきなり悲鳴を上げたリーナを見ると、気配もなく背後に回ったレナートさんから拳骨を食らっていた。


「ジョブの加護ってのは、本来そいつが持ってる素質を引き出しつつ強化してるだけの話だ。当然、瘴気への耐性も上がっちゃいるが、あくまで限界値が上がってるだけだ。瘴気に侵され切ったらそのままあの世行きって意味じゃ、一般人と同じだぞ。知らんとは言わせんんぞ」


「リーナ嬢の素性を分かった上で、そのような無礼を働けるレナートも相当な礼儀知らずですが」


「慇懃無礼ババアが人のこと言えるのかよ。俺はいいんだよ、俺は」


 何がいいのか、そして見目麗しいガーネットさんへの暴言は人としてどうなのか、レナートさんの謎理論への興味は尽きないけど、それよりも確認しておくべきことがある。


「それなら、このまま王都の街を進むのは危険なんじゃないですか?」


「まあ、ここまで濃い瘴気もちょっとお目にかかれないレベルだからな。俺もどこまで体が持つか自信はない。だから、普通はできない方法で目的地まで突き進む」


「普通はできない方法って?」


「あれですよ」


 そう言った、ガーネットさんが指差した先。

 最初は、俺もリーナもそれが何なのか全く分からなかった。


「論より証拠だ。ほら、とっとと行くぞ」






 知ってしまえば簡単というか。ガーネットさんが言っていたのは、鏡に映った自分の名前を聞かれているくらい単純で当たり前な話だった。

 同時に、確かに普通はできない方法ではあるし、そもそも思いつかない。

 傍若無人にも程があるからだ。


「まさか、建物の中を突っ切るなんて……」


 リーナの呆れ声の通り、俺達は今、誰のものとも知れない屋敷の廊下を走っている。


 正門の鉄扉は開けっぱなしで、緻密な細工が施されたドアノブを破壊し、途中にあるドアは蹴破って、我が物顔でももう少し謙虚だろうという、効率以外全無視状態で進んでいる。

 もちろん、そんな真似をしているのは冒険者ギルドの長であるはずのレナートさんだ。


「関係ないない。侵入者がいるってのに不在にしている家主や警備が悪いし、そもそも高確率でアンデッドになってるから気にするだけ無駄だ」


「今は戦時ですから、ジオグラッド公国監察官の肩書を持つレナートとその協力者なら、多少の破壊行為は免責されます。御心配なく」


「いや、そうかもしれませんけど」


「何より、見通しのいい王都の通りを行くよりもこっちの方が、瘴気の濃度も敵に発見される危険も格段に低い。この人数でのアンデッドの巣窟への潜入だ、少しは生き汚くならないと命がいくつあっても足りないぞ」


「言っている意味は分かります……なあ、リーナ?」


「知らないわよ」


 レナートさんとガーネットさんはそう割り切るけど、こういう荒業に慣れていない俺とリーナはそうもいかない。

 それに、一見もぬけの殻に見える屋敷でも、本当に無人と言うわけでもないのだ。

 少なくとも、ここより一つ前の酒場らしき建物じゃ、店の主と思える腐乱死体を目撃してしまっている。

 確かに、実際に文句を言う人はいないかもしれないけど、後から怨念になって夢の中でクレームをつけに来ないとも限らない。


 さらに、そんな風にうっかり口を滑らせてしまったので、さっきから隣を走るリーナがご立腹なのだ。

 これは、後で相当なご機嫌取りを覚悟しないといけない。


「なあリーナ、悪かったよ」


「テイルのバカッ!」


 もちろん、夜の生活的な意味じゃなくて。

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