第280話 アンデッドの異変
レナートさんの言う通り、建物の中に入ると少し呼吸がしやすくなる。
その分、外に出て最初に吸う息は、濃い煙を体に入れているかのような拒絶感に襲われる。
それでも、王都を覆う瘴気に慣れてしまうよりははるかにましなんだろうと思うことにした。
ただ、そんな思考は一種の現実逃避だったみたいだ。
つまり、自分のことで精一杯でてんで周りが見えてなかった。
「変だな」
「変ですね」
ちょうど十軒目の建物に入った直後、同時に立ち止まって独り言ちたレナートさんとガーネットさん。
あっちに曲がりこっちに引き帰しで、どこをどう走っているのかわからない俺とリーナとしては、追い抜くわけにもいかずに従うしかない。
「あの、どうかしたんですか?」
「どうしたもなにも、どう考えたって変だろ」
「変ですね」
「いや、だからどういう――」
「確かに変ね」
「リーナ!?」
「もっとアンデッドをバッタバッタと斬りまくれると思っていたのに、全然出てこないじゃない」
「……リーナ嬢、その発言は貴族令嬢はもちろん、冒険者としてもどうかと思うぞ。相手は元人間だ」
「え、確かにそうだけれど、そうも言っていられない状況じゃあないの?」
「そうも言ってられる状況――アンデッド共が全然出てこねえから変だって言ってんじゃねえか」
注意深く見なくても、たとえ王都に来るのがこれで二度目だとしても、分かりそうなものだった。
実際の街並みは馬車越しだったけど、あれだけの人で溢れかえっていたのに、その成れの果てであるアンデッドにここまで一度も遭遇しないなんて、どれくらいの奇跡だろうか?
どんなに優れた五感を持っていても、使いこなせないなら意味はない。
そう思って、慌てて聴覚を強化して周囲を探ってみたけど、瘴気に包まれた王都は不気味なくらいに静まり返っていた。
「俺達としては願ってもない状況なんだがなー、全体的な戦況としちゃあ、雲行きが怪しくなってくる」
「どういうことですか?」
「アンデッドの性質ですよ」
話の流れが見ない俺の疑問に答えたのは、ガーネットさんだった。
魔物に関して何かと詳しいレナートさんだけど、ことアンデッドに掛けて言えば、適任者はガーネットさんだ。
聖術士。その力を振るう相手は邪悪なる者で、その最たるものが不死の魔物だ。
「アンデッドの行動原理は主に二つ。一つは、生者の肉体と魂。この世の存在を羨み妬み、襲って奪おうとするも、結局はその命を奪う結果にしかならないという、矛盾に満ちた行いです」
「無意味なことのために他人の命を奪うなんて、迷惑な魔物よね」
「彼らには、すでにまともな思考も五感も失われています。真の暗闇の中に命の輝きだけが道標の異界で永遠にさ迷う、それがアンデッドの世界だと言われています」
そしてもうひとつ、とガーネットさんは続ける。
「帰巣本能です」
「それって、渡り鳥がどんなに離れた場所にいても必ず自分の巣に帰ってくるっていう?」
「概ねその通りです。ただし、アンデッドの場合は生前の記憶に縛られ、慣れ親しんだ場所から離れないという意味ですが」
「つまり、王都中にアンデッドが溢れかえっていないのはあり得ないってことですか?」
他の場所ならいざ知らず、ここは王都だ。
それぞれの建物に人々の出入りがあって、仕事があって、暮らしがある。
生前の記憶に縛られるアンデッドなら、自分達の家や職場を徘徊していないわけがない。
普通なら。
「そして三つ目。アンデッドは死霊魔法によって操ることができます」
「死霊魔法っていうことは……」
「思い当たる奴は一人しかいねえわな」
ワーテイル。
四神教の司教でありながら死霊魔法を使い、王都を混乱のるつぼに変えた張本人。
多分、みんなの頭に浮かんだのは同一人物のはずだ。
「ワーテイルが王都中のアンデッドを死霊魔法を使ってどこかに移動させた。消去法でそれしか考えられんのだが、それだとちと説明がつかんことがあるんだよな」
「どういうことですか?」
「考えてもみてください。王都中にあふれる無数のアンデッドを操る魔力を、一人の術士だけで賄いきれると思いますか?」
「あっ」
「死体のアンデッド化の時は不死神の加護があったとしてもだ、人族の都合にいちいち付き合ってくれるほど、神様ってのは優しくねえんだよ。精々できるのは、近くにいる数体から数十体を使役するところまで。あとは放置するしかないはずなんだがな」
「王都の外をうろついていなかった際も問題でしたが、これは予想外です。ワーテイルがどうやって大量のアンデッドを移動させたのか、何かしらのからくりがあると見た方がいいでしょう。万が一にも遭遇した際のために、さらに警戒度を上げておくことを勧めます」
「大丈夫だろ」
ガーネットさんの危惧を一蹴したレナートさんに、視線が集まる。
「ワーテイルの野郎がどんなチートを使ったか知らんが、使役するアンデッドを遠隔操作するとは考えにくい。俺達ができるだけアンデッドとの遭遇を避ければ、まずかち合うことはないだろ」
「そうね。使い手から離れれば離れるほど魔力は減衰する。魔法に限った話じゃないけれど、そのくらい常識よね」
「そういうこった。ってわけで、ここからはペース上げてくぞ。アンデッドの群れにさえ出くわさなけりゃ、ヤバい事態にならんことがほぼ確定したからな」
そう言うレナートさんに、俺もリーナもガーネットさんも賛成して、周囲の警戒を減らし、その分速度を上げる。
視覚に頼ることなく、死の気配や足音に頼ることで走りやすくなって、かなり楽になった。
ただ、誰もが納得できる言い分だからと言って正しいとは限らないし、楽をしたときに限って報いはすぐ来たりする。それが世の中だ。
そんな事実を思い知らされた。
「あちゃー」
言い出しっぺのくせに、大して堪えていない風のレナートさんの間抜けな声。
場所は、ショートカットのつもりで飛び込んだ広間。
その奥、主のためと思える豪華な椅子に、騎士の全身鎧が鎮座していた。
いや、訂正しよう。
ウウウウウウウウウウウウ――
全身鎧から洩れる唸り声。動き出す四肢。引き抜かれる腰の長剣。
あの鎧の中身がアンデッドであることは確定的だった。
「死霊魔法の強制力から逃れたのか。とすると、この屋敷に相当な執着があるか、よほど格が高いか。下手するとアンデッドロード級かもな。こりゃ厄介だ」
レナートさんの言う通り、纏っているだけで疲れそうな全身鎧をものともしないアンデッドは、ゆっくりとした、それでいて流れるような動きで一歩一歩近づいてくる。
一目でわかる達人の気配に、俺もリーナも本気で身構える。
そんな中で、
「んじゃ、頼むわ」
「承知しました。神罰を執行します」
一瞬の出来事だった。
気の抜けたレナートさんの言葉に、応じたガーネットさん。
二人の短いやり取りに何を感じたか、急加速するアンデッド。
そして、高位聖術士の杖から放たれた鮮烈な白光が辺りを埋め尽くした時点で、戦いは終わっていた。
「アンデッド殲滅聖術『ホーリーライト』。ド新人でも使える聖術士の基本スキルだが、極めればアンデッドがただの的に成り下がる代物だ。年代物の装備ごと消滅させるのが玉に瑕だがな」
レナートさんの言う通り、瘴気によって淀んでいた広間の空気は、ガーネットさんの聖術で霧散し、清浄な気で満ちている。
俺達に襲い掛かろうとしていたアンデッドも影も形もなく、重厚そうな全身鎧も長剣ごと跡形もなくなっていた。
「これが、聖術士の力……」
「さっき言ったことは取り消しだ」
そう言って、俺の肩を叩くレナートさん。
「ガーネットの聖術があれば大抵の危機を切り抜けられるが、こういうイレギュラーなアンデッドがまた出ないとも限らん。正直、王都にこびりついてる怨念の深さを見誤っていた。特に、ガーネットの射程外、意識外からの攻撃は洒落にならん」
「つまり、聖術を使う間もない奇襲や遠距離攻撃から、俺達がガーネットさんを守らないといけないわけですね」
「そういうこった。瘴気のせいで感知しづらいが、案内役でもあるガーネットの護衛が俺達三人の役目だ。最悪、ガーネットの盾になるつもりで警戒しろよ」
「……気を付けます」
俺の返事に頷いたレナートさんが、広間のドアを開く。
その後をリーナ、ガーネットさん、俺の順番で通り、再び廊下に戻る。
贅沢にも左側は一面ガラス張りになっていて、毒々しい王都の空が良く見える。
その中に、見覚えのある鐘楼がそびえ立っている。
中央教会まで、その距離は確実に縮まっていた。
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