第274話 幕間 ジオグラッド公国


 ジオグラッド公国公都、ジオグラッド。

 巨大地下要塞の性格を持つこの都市には、いわゆる城というものが存在しない。

 強いて言えば、都市中央からまっすぐに地上を超えて、天を衝かんとばかりにそびえる尖塔が象徴ではあるが、文字通りのジオグラッド防衛の司令塔であるため、どちらかというと政庁の側面が強い。

 公王の私的空間と言えるのは、巨大な尖塔の基礎部分、地上三階地下五階に当たる領域で、王が暮らす宮殿というにはやや趣を違えるものだった。


「必要なこととはいえ、役人の視線の下に甘んじていると考えると、気分が落ち着かないものですな」


「まあまあ、そう言わずに。しばらくは、公がここの主だ。ここは一つ、新たな時代の大貴族の先駆けになるつもりで頑張ってほしい」


 公王宮と呼ばれ始めている二階にはテラスがあり、そこで二脚の椅子を向かい合わせてお茶を楽しんでいる二人の人物がいた。

 王都奪還のために出立する直前の公王ジオグラッドと、公都の留守を預かるマクシミリアン公爵である。


「それで、ミリアンレイクの方は大丈夫なのかい?まあ、留守を頼んだ僕が訊くことじゃあ無いのかも知れないけれど」


「こちらのことはご心配なく。妻が息子を助けて文官の尻を叩いていますし、大抵のことは我が騎士団で回していけるでしょう。ただ」


「派閥の貴族領での、魔物との攻防はあまり芳しくないんだろう?」


「お耳に達していましたか」


「風の噂程度でね、確証のある話じゃあないさ。けれど、巷の流言の方が的を射ていることも得てしてあるからね」


「今のところは、貴族としての格の差に囚われることなく戦力を融通しあうことで、なんとか現状を維持できております。ですが、攻勢に転じられているわけでもないことも事実です」


「やがては劣勢になり、追い詰められるのは必定というわけだ」


「然り」


「本音を言えば、彼らには早々に領地を引き払ってもらって、ジオグラッドの体制構築に協力してもらいたいんだけれどねえ」


「仕方ありますまい。それが貴族というものです」


 そう言ったマクシミリアン公爵が側仕えに命じて、数枚の書類をジオグラルドの前に広げさせた。


「これは?」


「いよいよ領地の守りが覚束なくなった際には領民と共に故郷を捨て、ジオグラッドに移住する旨を記した誓書です。以前、派閥の貴族を招集した際に提案し、了承を得ました」


「……正式な印章が押されていないね。これ自体には何の法的根拠もないはずだ」


「ですが、誓ったという事実は消えません。いざという時にこの紙切れ一枚のことを思い出して、勇気ある撤退を促せればと考えたのですが……」


「ひい、ふう、みい……三割ほどしかないみたいだね」


「私の見通しが少々甘かったということです。彼らの矜持の固さを見誤っていました」


「仕方がないよ。マクシミリアン派は主に領地貴族で構成されている。しかも、いずれも武勇で功を立てて貴族の列に加わった家柄ばかり。そんな彼らに、魔物との戦いに敗れたから父祖の地を退けと説得できると思う方がどうかしている。公に責任はないよ」


「現在、妻子と戦えない領民だけでも移住させないかと、各家に打診している最中です。成果はもう少々お待ちを」


「構わないよ。こちらも王都から帰ってくるのにしばらくかかる。それまでは、公の手腕にジオグラッドの全てを預けるんだ、好きなようにやってほしい」


「恐れ入ります」


「ただ一つ、衛士隊の配置を動かさないことだけ守ってくれれば、それでいい」


「御命のままに」


 二人の会話が一段落したのを見計らって、お互いの側仕えが一斉に動き始める。

 広げられていた書類を片付ける者、お茶を淹れ直す者、どこかに遣いに行く者。

 互いの呼吸を知り尽くしている彼らの律動的な連携がしばらく続き、やがて終わったところでマクシミリアン公爵が口を開いた。


「それで、公王陛下は第四陣を率いて出発されるのですか?」


「おおよそはその通りだけれど、率いるというのは誤解があるよ。僕はあくまでもお飾りの総大将で、実際の指揮は公国騎士団の騎士団長の役目を受けてくれたゼルディウスが担うんだけれどね」


「それは重畳。しかし、烈火騎士団の副団長職はどうするつもりなのですか?まさか、兼務というわけにもいかないでしょう」


「その辺りの繊細な問題は、話し合いを重ねた末に一時棚上げということにした。本来なら、すぐにでも団長のゲオルディウスの元に馳せ参じたいところなんだろう。烈火騎士団の本体は我が長兄のところにあるらしいけれど、良くない噂が近頃届いているんだよ」


「不行状の類で、あの烈火騎士団が噂されることはないでしょう」


「そっちの方がどれほどましだったことか。まさか、王国の守護神たる烈火騎士団が全滅なんて、悪夢以外の何物でもないからね」


「……噂が真実なら、確かに悪夢ですな」


「こればかりは流言飛語の類だと信じたいところだけれど、当事者であるゼルディウスにしてみれば善後策を講じざるを得なかったんだろう。前々から要請していた公国騎士団長への就任を、ついこの間承諾してきたよ」


「全滅したとしても、全ての騎士が死亡したわけではありますまい。生き残りが頼ってきた際に、自ら受け皿になる心積もりで引き受けたのでは?」


「かもしれないし、そうじゃあないかもしれない。僕としては、公国の守りの柱である騎士団長が正式に決まったという事実があればいいし、個人の事情は些事だよ」


「あのゼルディウスなら、約定を違えることはないでしょうな。私としても頼もしい限りです」


「本人の希望もあって、ゼルディウスはジオグラッドに残していく。公国の守りや魔物討伐は彼とよく相談して決めてくれ。軍の運用に掛けて、ゼルディウスほど的確な人材はいないからね」


「かしこまりました」


「……それから、もう一つの方も」


「準備は進めております」


「すまない。できれば、レナートかリーゼルをここに残して陣頭指揮を任せたかったんだけれど、そうもいかなくなった」


「こちらの整備も急務であることに変わりがありません。せめて、本格的な避難が始まるまでには人員を確保する予定です」


「精々、派閥や貴族の横やりに屈しない組織にしてほしい。同時に、慎重居士かつ剛毅果断な人材を集めてくれること、期待しているよ」


 明らかな無理難題に顔をしかめたマクシミリアン公爵。

 しかし、公爵から否定の言葉が出てこなかったことに満足しながら、ジオグラルドは頷く。

 そこで、後ろに控えていた側仕えから耳打ちされて、


「そろそろ出立しなければならないようだ。後を頼むよ、マクシミリアン公爵」


「公王陛下、最後にもう一度確認させていただきたい。本当にあの戦力でよろしいのですか?やはり、もっと兵を引き連れた方がよろしいのでは?」


「要らない、要らない。軍の強さとは兵の多寡で決まるものではない――なんて、素人の僕が言うのはおこがましいのだけれど」


「成算があるのですね?」


「言わずもがな、さ。今回は、いざとなれば僕の号令一つで即断即決できる規模と指揮系統が望ましい。従来の王国軍を真似たんじゃあ、それが難しいからね」


「確かに、武勇で鳴らした我が派閥でも、公王陛下のご要望には応えられそうにありません」


「謙遜はいいよ。公の軍ならできるだろう。けれど、歴史と伝統を重んじる栄光の王国軍――例えば我が麗しの長兄殿なら、どうなるだろうね?」


 そう言い残すと、ジオグラルドは側仕えを引き連れてテラスから去って行った。

 後に残されたマクシミリアン公爵は、残りのお茶をゆっくりと喫した後で、


「そのようなもの、考えるまでもないではないか」


 何かを懐かしむような、惜しむような表情で、ぽつりと独り言ちた。

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