第271話 再び架かる橋


「魔力量を揃えろ!一人でも乱れれば瞬時に崩れるぞ!訓練を思い出せ!」


 かつてドワーフ族の集落があった谷に、ジオグラッド公国軍第一陣の部隊長の声が木霊する。

 それと同時に、何百人もの衛士の雄たけびが響き渡り、魔力の高まりと共にまるで生き物のような動きで崖がせり出してきた。

 反対側にも同じくらいの数の衛士がいて、鏡写しのように崖が近づいてきた。

 ゆっくりとだけど確実に互いの距離を縮めた崖はやがてその先端同士を触れ合わせ、最初から地続きだったかのように一つになった。

 初級土魔法『クレイワーク』による、アーチ状土橋の完成だ。

 でも、


「この上を、何万人もの公国軍が通るんですか?なんだか頼りないですね」


「私なら死んでもお断りだわ。馬車一台分の重さでも下から崩れそうだもの」


「安心しろ、俺も嫌だよ」


 ちょっと離れたところから眺めている俺とリーナに、横からまさかの同意の返事が来た。

 俺たちからの信じられないという視線を受けながら、士官用馬車から降りてきたレナートさんは飄々と話を続けた。


「別に、このまま公国軍全てが通過するわけじゃないさ。この橋にはもう一つ仕掛けがあるんだよ」


「仕掛けですか?」


「まあ見てな」


 俺達が話している間にも、公国軍の動きは止まっていない。

 土橋ができてその上を数人の衛士が何度か往復して強度を確認した後、ようやく先頭の馬車が渡り始めた。

 ゆっくりと、だけど確実に前に進む馬車が土橋に差し掛かった途端、パラパラと土や小石が谷に落ち始めた。


「やっぱり危ないじゃない!すぐに引き帰させないと――」


「待て待て、慌てるのはあいつらの働きを見てからだ」


 そうリーナを止めたレナートさんの視線の先。

 そこには、未だ持ち場から離れていない数百人の衛士の姿があった。


「行くぞ!俺の魔力が基準だ、絶対に気を抜くな!」


 ピタリ、そんな音が聞こえた気がした。

 さっきよりも弱いけど穏やかな川のように流れだした衛士隊の魔力が満ちた瞬間、土橋の崩壊が収まった。

 それで安心したのか、おっかなびっくりといった感じで進んでいた馬車の列が、目に見えるほどに速度を上げ始めた。


「簡素な土橋に魔力を流し続けて強度を上げ、その間に行軍する。仕組み自体はシンプルだが、ジオグラッド建設のノウハウが詰まった、衛士隊ならではの技術だな」


「なるほど、魔力で補強すれば、普通よりも頑丈な橋になるってわけですね」


「けれど、それならもっと頑丈な橋を造れば、衛士隊の負担が少なくて済むんじゃないの?はっきり言って非効率だわ」


「マクシミリアン公爵家の令嬢とは思えない発言だな」


「なんですって?」


「街道ってのは人の行き来がしやすくなる便利なものだが、これが敵の手に渡るとそっくりそのまま厄介な代物になる。安易に頑丈な橋を架けて、アンデッド共に利用されたらどうなると思う?この程度、領地持ちの貴族の一族なら常識だぞ?」


「分かったわよ!認めるわ、私が間違っていた。間違いを認めたのだから、これでいいわよね。いいって言いなさいよ」


「おうおう、さすがは公爵令嬢様、謝罪にも気合が入ってんな。もうそれでいいよ、面倒くさいし」


 もはやどっちが悪いか分からないほど強気なリーナに、諦めたようにため息をついたレナートさんは、改めて土橋の方に向き直った。


「崖の両岸に二百人ずつ、三交代で計千二百が橋の維持を担い、公国軍の行き来を支援する。つまり、ここにかかりっきりになるわけだ」


「千二百もですか?」


「命がけで戦場に行く本軍と違い過ぎると思うか?言っておくが楽な仕事じゃないぞ。脆い土橋の維持に周辺の安全の確保、さらに王都で本軍が敗北した場合は撤退支援の役目もある。最悪、橋を落として不死神軍の追撃を阻止する決死隊もやらにゃならん」


「な、なんで冒険者のあなたが、そんなことまでわかるのよ?」


「ん、リーナ嬢は頭脳労働が苦手か?仲間を逃がす前提で作戦を練るなら、殿が死ぬことくらい冒険者パーティでも当たり前だろうが」


 俺もリーナもそれなりの修羅場をくぐってきたつもりだけど、レナートさんは格が違う。

 全身の肌が粟立つような壮絶な話を、まるで子供のお使いのような気軽さで説明してくる。

 こんな風に言いきれるくらいの経験がないと、グランドマスターなんて地位には立てない。

 そういうことなんだろうか。


「架橋作業は終わりましたか?」


「ガーネットさん」


 その時、一人で馬車に残っていた女性が降りてきた。

 彼女の名前はガーネットさん。

 レナートさんが連れてきた――正確にはジオの命令で俺達についてきてくれる、もう一人の案内人だ。

 ちなみに、最初に自己紹介がてら言われたんだけど、


『私の名は任務用の偽名ですので、後々お会いすることがあっても反応しませんのでご容赦を』


 なんて、俺と同じくらいの年のはずなのに、ピリついた雰囲気のまま宣言されて馬車の中の空気が凍ったのは、しばらく記憶に残る気がしている。


「橋を渡る前に、そろそろ私の役割を説明しておきましょう」


 と、これまでほとんど喋ってこなかったガーネットさんが唐突に切り出した。


「公王陛下からのご下命は、テイル殿をとある場所までご案内することです」


「とある場所、ですか?」


「詳細は今はご容赦を。まず、王都に無事たどり着けるか、その後内部に侵入できるかという問題がありますので」


「ま、まあ、そうですけど」


「一つだけ言えるのは、私ならテイル殿がご所望の物の在り処、その有力候補の場所にお連れできるということです」


「そんな場所が?そこって、レナートさんにも無理なんですか?」


「おいおい、俺は無敵でも聖人でもねえんだぞ。できないことの方が多いに決まってんだろ。だから、テレザにギルドの仕事を丸投げしてたんだ」


「あなた、もしかしてまだテレザに未練を残しているんですか?」


「べ、別に俺の自由だろ!そもそもテレザの所属は冒険者ギルドのままだっつうの」


「そうなんですか、初耳ですが」


「こ、この……!」


「二人は知り合いなんですか?」


 親子とは行かなくても、それなりに年が離れていそうなレナートさんとガーネットさんを見て沸き上がった疑問をそのままぶつけてみると、なぜか二人はお互いを見合った。


「まあ、付き合いは長いわな、付き合いは」


「俗に言う腐れ縁というものです。テレザのこともあって、何かと会う機会があるのですよ」


 ……なんだろう。

 決して良好な空気じゃないけど、それなりに認め合っている関係だっていうのはなんとなくわかる。

 だけど、どっちかというと年上のレナートさんの方が余裕がなさそうに見える、そんな気がする。


 その時、橋の袂からこっちに向かって走ってくる、一人の衛士の姿が見えた。


「そろそろ、私達の番のようですね」


 そう言い残して、一足先に馬車に戻るガーネットさん。

 その後ろ姿に、思わず体が震えた。


「わかるか、彼女の実力が」


 気づいたら、レナートさんが足音も立てずに俺の横に忍び寄って、囁いてきていた。


「ガーネットっていう名はな、四神教アドナイ国教会特務機関、通称『八輝杖』の八番目に代々与えられる洗礼名の一つだ。普段は荒事とは全く関わりのない役職に就いているが、上からの命が下れば大量殺戮も厭わないっていう、四神教でも一番おっかない連中の一人だよ」


「上からって……ガーネットさんは確か、ジオからの命令でって言ってましたけど?」


「そこは俺も疑問に思ってるところだが、推測は立つ。大方、初心教に改宗した聖職者の中に彼女が紛れていたってところだろ」


「ああ、つまり、初心教の総司祭を名乗っているジオなら、ってことですか」


「そういうことだ。だから、彼女とは揉めてくれるなとリーナ嬢に言っておけ。できることなら敵に回したくないからな」


「わ、わかりました」


 そう言い残して先に行ったレナートさんと、ガーネットさんから感じる殺気というか強さは全くそん色がない。

 普段は冗談を交えないと気が済まないレナートさんの言葉を、今回ばかりは一から十まで信用しないといけないと思いながら、


「それで、なんで私以外の女の尻を凝視しているのかしら?」


 男同士の会話を見守っていてくれていたらしいリーナに、大いなる誤解も含めてきちんと説明しないといけなくなった状況に、ちょっと眩暈がした。

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