第268話 王都への道のり


「ま、待て!!」


「テイル、どうしたのテイル!」


 手を伸ばしながらソレに叫ぶ俺と、心配そうなリーナの声が重なる。

 どうやら目が覚めたらしいと自覚する一方、昨日の一晩散々味わった、だけどまだ触り慣れていない柔らかな感触が両手にあるのが分かった。


 つまり、リーナの両の胸をわしづかみにしていた。


「……」


「……あ、あの」


「テイル」


「はい」


「私、礼節を弁えた淑女の端くれくらいの自覚はあるの」


「はい」


「普通、こんなことをされたら相手を殺してでも名誉を守ろうとしても、不思議じゃあないわよね?」


「はい」


「けれど、テイルにそんな真似をするつもりはないし、この先も大抵のことは許すつもりでいるの」


「な、なら!」


「けれど、何事も始めが肝心というじゃない?私、最低限のけじめは必要だと思うの」


「はい……」


「じゃあ、いくわね。大丈夫、痛いのは最初だけだから」


 結論から言うと、痛いのは最初だけじゃなかった。

 リーナのしなやかな右手から放たれた強烈なビンタは、しずしずと両手を上げて降参のポーズを取った俺の左頬を確実に捉え、一瞬で意識を刈り取った。

 少しの失神の後で覚醒してからも、顔半分が抉れたと思うほどの痛みは治まらないどころかひどくなっていき、やむを得ず初級治癒魔法を使用する羽目に陥った。

 多分だけど、左頬の骨が折れていたんだと思う。






 治癒の光を当て続けた結果、痛みも腫れも何とか収まってから。

 俺はリーナに夢の中での出来事の一部始終を打ち明けた。


「ふうん、なるほどね」



 正直、最初は正気を疑われるだろうなと覚悟した。

 それはそうだろう。

 夢の中に神様が出てきて啓示を授けられたから今すぐ王都に行かなきゃいけないなんて、普通は誰も信じない。

 ジオやマクシミリアン公爵のように事情を知っているわけでもないから、下手をすれば結ばれてから一日も経たないうちに捨てられるかもしれない、という俺の予想は、


「そう。それなら、すぐに王都に行くにはどうすればいいのか、対策を考えないとね」


 気持ちいいくらいに見事に裏切られた。


「信じてくれるのか?」


「夢のことなら信じていないわよ。テイルが言うことだから信じているの」


「それは……お礼を言うべきなのか?」


「私に感謝するべきよ。いい?テイルの今の説明を赤の他人が聞けば、邪教徒の妄言として通報されて四神教の異端審問に掛けられるのが落ちだと思わない?」


「お、思う」


「でしょう。きっと、そうなればジオ様にだって庇えないわよ。他にも、あのアンデッドの大軍に占領された王都にどうやって潜入するのかって問題もあるわ」


「確かに……」


「……もしかして、私がテイルの話を信じなかったら、一人で王都に行くつもりだったの?」


「そこまでは考えていなかったけど、たぶんそうしていたと思う」


「テイルの意志が固いことは分かったわ。それで、旅の支度は済んでいるの?王都までの道のりは?まさか、馬鹿正直に街道をまっすぐ進むつもりじゃあないでしょう?」


「そ、それは、これから考えるつもりだよ」


「王都に着いたとして、アンデッドの大軍はどうするの?まさか、テイル一人でで潜入するつもりだったの?」


「う……」


 俺のうめき声を聞いて小さくため息をついたリーナは、やっぱりねという顔をしてきた。


「私は冒険者の中でも前衛職だから断言はできないけれど、無謀を通り越して自殺行為としか言いようがないわ」


「だから、こうして相談しているんだろう」


「その点に関してだけは褒めてあげてもいいわ」


「その点だけって……」


「あら、これまで私やターシャに対して一言もなく行動して心配をかけたこと、何度あったか知らないとは言わせないわよ」


「は、反省しています。ごめんなさい」


「分かったのならいいのよ。けれど、さすがに私ひとりじゃ手に余るから、王都に行くのなら他の人も

 巻き込まないとね。まずはお兄様に――」


 気落ちした俺の顔を見て得意げになったリーナが、外気に晒しっぱなしの胸を張りながら、あれこれと考え始めた。


 ――唐突な話だけど、俺も悪かったと思う。

 まず、誰も近づかないはずの仮宿舎に、複数の足音が聞こえ始めたことをリーナに言わなかったこと。

 次に、いくら俺との会話に夢中になっているとはいえ、淑女の端くれなら下半身を覆っているブランケットを胸元まで引き上げるくらいのことはするだろうと高をくくったこと。

 最後に、ノックもせずに部屋に入ってきた無礼なジオから、リーナの姿を隠そうともしなかったことだ。


 その結果、


「やあテイル、久しぶりだね!僕はというと、セレスとの愛の日々ですっかり活力がみなぎっていざ王都奪還と意気揚々とこのジオグラッドに降り立ったばかりで――」


「死ね!!」








 もしかしたらだけど、リーナの剣がいつも通りに彼女の腰にあったとしたら、ジオグラッド公国の命運は尽きていたかもしれない。

 ジオにとっての幸運は、リーナの剣がベッドの近くに立てかけてあったせいで鞘から抜いて斬りかかるまでに間があったことと、もう一つ。


「リーゼル殿!そこをどきなさい!」


「テイル殿!一生の頼みですから、リーナ様を止めてください!」


「リーナに嫌われるので嫌です。それに、リーゼルさんがちゃんと抑えてくれているじゃないですか」


「もうすぐ押し切られそうなので頼んでいるのです!それに、今のリーナ様を直視することなどできるわけがないではありませんか!!」


 そう言われて、リーゼルさんと鍔迫り合いをしている、鬼気迫るリーナの後姿を見てみる。

 さすがに人の目を気にしたと見えて、さっきまで身に付けていたブランケットを体に巻き付けて、大事なところが見えないようにしている。

 裾から覗く素足が眩しいから用が済めば着替えてほしいけど、それ以外は問題なさそうだ。


「当の本人も気にしていませんし、別にいいんじゃ?」


「よくありません!も、もう無理ですから!顔が切れます!もう切れます!あ、ちょっと切れた!」


「……リーナ、そろそろ許してやりなよ」


「そうね。私の剣をここまで凌ぐなんて、見かけによらずやるじゃない、リーゼル殿」


「お褒めに預かり光栄です、ははは……」


 俺の言葉もあって剣を引いたリーナと、顔をそむけたままその場で腰を抜かしたリーゼルさん。


 修羅場(誰と誰の話だ?)が収まったところで、このままじゃ話もできないということでいったん解散。

 集合場所はこの仮宿舎の食堂ということにして、ぎこちない笑顔のリーゼルさんは部屋を後にした。


 ちなみに、そもそもの元凶であるジオはというと、リーナを止めるためにリーゼルさんが剣を構えたのを一瞥した時点で、天敵を前にしたツノウサギのごとく逃げ出していた。

 その逃げ足の見事さと言ったら、後世に語り継いでもいいんじゃないかと思うほどだった。

 もちろん、命がけで主を守っている騎士を見捨てる暴君として。






 俺とリーナが身支度を整えて、食堂で待っていたジオとリーゼルさんに合流した後。


 どうやら、ジオの護衛はリーゼルさん一人らしく、いつもは何十人もの衛士で賑わっている食堂が、今日はがらんとしていた。


「やあリーナ。さっきは本当に申し訳なかったね。この件、是非ともセレスには秘密にしてほしいのだけれど、どうかな?」


「絶対に報告するから覚悟しておきなさい。それよりも、なぜ護衛がリーゼル殿だけなの?」


 四人掛けのテーブルに全員が座った直後、リーナに死刑宣告されてがっくり来ているジオの代わりに、リーゼルさんが俺達の方を見てきた。


「すでにお察しだと思いますが、予定をすべてキャンセルしてのお忍びですよ。なんでも、公王陛下が夢で神の啓示を受けたとか」


「ジオも?」


「やっぱり、テイルもだったようだね。といっても、僕とテイルじゃ少々内容が異なると思うけれど」


「どういうこと?」


「我らが神は僕に冷たいのさ、リーナ。まあ、アドナイ王国の歴史を思えば、啓示を戴けるだけありがたいとも言えるけれど。――端的に言うと、テイルを全面的に支援しろという趣旨だった」


「じゃあ、俺を王都に潜入させてくれ」


 ジオはとにかく無駄を嫌う。

 だから、俺も誠心誠意、単刀直入に頼む。

 果たしてジオは、


「条件が二つある。一つは、今日の大天蓋造成式におけるテイルの役目を無事に果たすこと。僕としても、それからでないと身動きがつかない」


「わかった。もうひとつは?」


「ある人物を口説き落とすことだ。もちろん、僕からも口添えはするけれど、立場上彼に命を強いることはできないからね」


「ある人物って、今の公国にジオ様の命令を聞かない者がいるの?」


「そりゃあ、時と場合にもよるけれど、たくさんいるよ。マクシミリアン公爵にその派閥の貴族。ミザリー大司教と配下の司祭達。旧烈火騎士団系の騎士も僕に命令権はないし、評議会のその他の面々もその義務はない」


「本当にたくさんいるわね。公王って言っても大したことないじゃない」


「僕自ら名ばかり王となったからね、こんなものさ。ただ、件の人物は公国の組織図とは一線を画している。だから、説得は難しくもあり、簡単でもある」


「もったいぶらないで早く教えなさい。じゃないと、さっきの斬り合いの続きをやるわよ」


 そのリーナの言葉っていうか、脅しが効いたかどうかは分からない。

 事実としては、いつも流暢に話すジオが少しの間黙った後、その人物の名を口にしただけのことだ。


「グランドマスターレナート。未だそう呼べるほどの伝説の冒険者こそ、テイルが口説き落とすべき相手だ」

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