第20話 天は悪行を裁かないⅡ

 体が熱い。

 燃え盛るように、内側から、熱が噴き上がってくる。

 私の肌を、だらだらと汗が伝う。

 汗は薄着に吸収され、べったりと肌に張り付いていた。

 多分、下着もびしょびしょになっている。


「随分と、辛そうじゃ、ないか」


 そう言ったのはジャスティンだった。

 ニヤリと不適な笑みを浮かべている。


 しかし表情とは裏腹に、彼もまた余裕があるわけではなさそうだった。

 その白い顔は赤く、紅潮している。

 髪と肌は汗で濡れ、衣服が体に張り付いている。


 私と同じように、その体が熱を帯びていることが一目で分かった。


「……この辺りでやめておくか? 勿論、俺はまだいけるけど」


 意地悪な笑みを浮かべてそう言う。

 どうやら私を負かしたいようだった。


 ……ふん。

 本当はやめたいのは、そっちのくせに。


「まさか、これくらい、余裕ですよ」

「そうか……じゃあ、続けるか」

「ええ、続けましょう」


 そんな軽口を叩きながら。

 私たちは体を激しく動かした。






 そしてそれからどれだけの時間が経っただろうか。


「……ぜぇ、ぜぇ」

「……はぁ、はぁ」


 辛い。

 心臓が、肺が苦しい。

 足の筋肉が痙攣している。

 ……もう限界だった。


「も、もう……止めましょう。……これ以上は、本当に無理です」


 私は毎朝、ランニングを日課としている。

 普段は一人で走っているのだが、その日の朝はジャスティンを誘うことにした。


 前日の夜に声を掛けたのだが、その時のジャスティンの顔と言ったら……

 とても嬉しそうだった。

 ちょっと可愛いと思ったのは秘密である。


 さて、最初は仲良く楽しく軽口を叩きながらランニングをしていた。

 が、しかしいつも間にか、どちらが先に根を上げるのかの勝負になっていた。


 ……どうしてそうなったのか、分からない。

 これくらいなら、余裕だな。

 と、そんな何気ないジャスティンの言葉にムカついて、こんなもんじゃない、今回は手を抜いてあげているのだ、とそんなことを言い返したのが切っ掛けだった気もするが……


 まあ、多分ジャスティンが悪いのだろう。

 私は悪くない。


 そういうわけでジャスティンのせいで普段以上に走らされた私は、くたくたになってしまった。 

 汗もびしょびしょだ。

 足もちょっとぷるぷるしている。

 

「そ、そうだな。……まあ、俺はまだ余裕はあるけど、授業に支障が出そうだしな」(キツかった……取り敢えず、俺の勝ち……ってことでいいか? いや、まあ、何の勝負か分からないけど……)


 平静を保ちつつ、挑発的な笑みを浮かべるこの男だが……

 やはりこの距離を走るのは堪えたらしい。

 少し息が上がっていた。


 ……だが私ほどではない。


「……あなたに乗せられて、走り過ぎました。次回からは変な勝負はやめましょう。……私の負けでいいですから」

「……随分と素直だな」(普段なら負けを認めないし、認めたとしても次は絶対に勝つ……って言いそうだけど。……体調でも悪いのか?)


 少し心配そうな表情を浮かべるジャスティン。

 こいつは人を何だと思っているのか……私だって素直に負けを認めることくらいある。


「男の子に運動、特に体力や筋力で勝つのは無理があると、分かりました」 


 私は運動が得意だ。

 女子の中では体力も筋力もある方だろう。


 まあ、しかし女子の中ではというお話である。

 男女の身体能力差は如実に存在する。


 特にこういう純粋な体力・筋力勝負になると勝てない。

 しかも相手は男子の中では、運動能力という点において、上澄みに当たるジャスティン・ウィリアム・ウィンチスコット様だ。


 勿論、ムキムキのマッチョになれば話は別かもしれないが。

 そんな領域は目指していない。


「それは……いや、うん……まあ、そうだな」


 一方、私の返答を聞いたジャスティンは何とも渋い表情を浮かべた。

 せっかく、張り合っていたところで急に梯子を外されたらこんな顔にもなるだろう。

 少し悪いことをした。


「そう言えば、ようやく魔法の授業が始まりましたね」


 お詫びに楽しい話題を振ろう。


「そうだな。……まあ、まだ座学だけだけど」


 カナリッジ魔法校。

 という学校名にも関わらず、一学期の間は魔法に関係する授業はなかった。


 そして二学期になってようやく魔法関係の授業が始まったが、しかしそれは「魔法とは何か」という類の座学授業だった。


「確かに、今は座学ばかりで、あまり魔法を教えて貰っている感じはしませんが……二年生になれば、杖を握らせて貰えるらしいじゃないですか」


 魔法を操るに必須な自由七科(文法学・修辞学・論理学の三学と算術・幾何学・天文学・音楽の四科)と、哲学、魔法に関する基礎的な理論が必要不可欠。

 だから一年生のうちはそれの習得に集中しなさい。

 杖を握るのはそれを最低限、身に着けてからです。


 というのが学校の教師の言い分だった。

 しかし私が思うに、これは建前。


 本音のところはまだ精神的に幼い一年生に、時には危険を伴う魔法を教えたくないというのが本音じゃなかろうか。


「……ジャスティンは使えるようになりたい、魔法とかあります?」

「具体的に何かと聞かれると分からないが、魔法戦闘の授業は受講したいと思っているよ」

「どうしてですか?」

「どうして……って、そりゃあ、まあ……カッコイイじゃないか」


 子供っぽい理由だと思ったようで、ジャスティンは少し恥ずかしそうに視線を逸らしてそう言った。

 彼も男の子のようだ。

 もっとも、気持ちは分からないでもない。


 護身のための技術としても役立ちそうだし、受講してみるのも悪くはないかもしれない。


 もっとも、実戦で役立つかはちょっと分からないけど。

 ぶっちゃけ、詠唱するよりも拳の方が早い。

 仮に無詠唱技術を使っても、拳銃に勝つのは至難の業だろう。


「オリヴィアは何か、興味がある分野はあるか?」


 ジャスティンは私にそう聞き返した。

 興味がある分野……か。

 そうだなぁ……


「読心魔法について学びたいですね」


 私のこの能力の謎を、いつか解き明かしたいものだ。

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