その兎は月を見て歌う
あんとんぱんこ
1 彼女と出会いは風の中
花が咲き乱れ春の日の優しい風が吹抜ける小高い丘の上に、彼女は居た。
それは、俺がまだ少年と言える最後の年、14歳の誕生日。
そして、俺の生きた時間と同じだけ前に母さんが死んだ日。
毎年恒例の誕生日の報告と墓参りに来た時の事だった。
俺は仕事で家にいることの少ない父さんの代わりに俺の面倒を見てくれているばぁちゃんに朝の挨拶をして、作っておいた花束を手に取った。
昨日のうちに、毎日隣のおばちゃんと水やりを交代でしている花を摘ませてもらって作っておいたものだ。その花束を持って、ばぁちゃんに声を掛けてから家を出た。
ばぁちゃんは、いつも通り朝食の用意をしていて俺の方を振り返りもせず「おはよう」と「行ってらっしゃい」を言う。
家を出ると、春の日の少し強めの風が吹いていて空は突き抜ける程に晴れていた。
眩しいくらいの明るさに少し目をしかめてから、直ぐに目を慣らして歩き出す。
歩き慣れた母さんの墓のある丘への道には、緑が芽吹き色とりどりの花の蕾がついていた。
父さんから教えてもらった母さんが好きだったという花で作った花束は、微かな甘い香りを風に散らしていた。
この辺りには、魔物が出る。慣れた道でも油断をするなと父さんから、ふとした時に幻聴が聞こえる程に聞かされている。
そんな口うるさい父さんは、冒険者をしていた腕を買われて商隊を護衛しながら街を回る仕事をしている。
昔には母さんも、父さんと他に何人かと冒険者をしていたと聞いたことがある。
みんなそこそこ強かったんだと、父さんは俺が小さい頃に教えてくれた。
母さんは、俺がもうすぐ生まれると言う頃にこの村を襲った魔物と対峙して得意の魔法を駆使して父さんの駆けつけるまでの時間を稼いでいたらしい。
父さんが駆けつけるほんの少し前に、毒の牙をその身に浴びて倒れたと聞いた。
母さんの治療を村長とその奥さんに任せて父さんは魔物と1人で戦い、丸3日かかったと言っていた。
父さんは、この村と近隣の村を合わせた中でも1番強い剣士だった。
その父さんが3日もかけるほどの強敵と身重の身体で1人で対峙した時の母さんは、一体何を思っていたのかと聞いてみたいと思ってしまう。
父さんが居ない3日の間に治療が続いたが、魔物の毒は村にあった解毒薬では足りぬほどに強く母さんは最後の力を振り絞るように俺を産んで力尽きたと、俺が10歳になった時に村長と父さんが教えてくれた。
毎年、俺の顔を見る度にみんなが母さんを悼み、俺が産まれてきたことに感謝すると言ってくれる理由がちゃんとわかったのは、その時だ。
それが少し俺の心の重りになっていることは、誰にも言っていない。
父さんを、ばぁちゃんを、村のみんなを、悲しませたくなかった。
そんな事を思い出していると、墓のある丘にたどり着いた。
家の裏手にある丘は、もっと小さい頃から通えていたほどに近いから今の俺では散歩にもならないほどの距離だった。
息も切れず、準備運動にもならない程の運動量で辿り着く丘。
ふと、人影を見つけて立ち止まる。
母さんの墓の後ろに植えられたアカシアの木の下に、見たことの無い服を着た背の低い少女が、丘の下に広がる景色を眺めている様だった。
何をしているの?と好奇心に押されて声をかけると、彼女はビクッと震えてゆっくりと恐る恐るという風に振り返った。
怖々と振り返った彼女は、小さな動物の様に少し震えているように見えた。
元から少し大きめだと思われる目をさらに大きく見開いて、俺を見る。
そのふっくらとした薄紅色の唇から誰?と問いかける音は、小鳥のさえずりの様だった。
春の風に揺れる長く靡く髪は、艶やかな濃い茶色で少しだけ緩やかにくねっている様だった。
背は低くて子供の様なのに、女性らしい体つきが何故か変に妖艶で、可愛らしくて、目が離せなかった。
俺の頭の中には可愛いの一言しか思い浮かばず、自分の語彙力の無さに本気で落ち込みそうだ。
見とれて呆けていたのを悟られない様に、努めて穏やかに自己紹介をして、墓参りに来たのだと言った。
彼女は、突然大粒の涙をその瞳からボロボロと零して泣き出した。
俺は突然のことに何もできず、手が宙をさ迷った。
涙の量と対称的な彼女の嗚咽の小ささに、彼女の感じていた不安が大きく感じられて胸が苦しくなった。
昔、父さんが人が感情に飲み込まれた時は、緊急時以外は動かず、声を掛けず、ただ傍で待っていてやるのがいいんだと言っていたのを思い出して、実践してみる。
ただ隣に立ち、彼女の方を見ない様に丘から空を見上げていた。
しばらくすると、彼女は手の甲で涙を拭って俺を見た。
恥ずかしそうな「突然泣いて、ごめん」と言う小さな謝罪を聞くと、何故か俺がほっとした。
落ち着いたことを確認してから、事情を教えて欲しいから墓参りだけさせて欲しいと言うと彼女は、頷いて母さんの墓の前に回ってきた。
俺は、片膝を付いて手を組み祈りを捧げて心の中で一年の報告と今しがたの出来事をどうしたらいいのか教えて欲しいと願った。
ちらりと彼女を見ると、しゃがみこんで目を閉じ、手のひらを真っすぐに合わせて祈っている様だった。
後で聞いたところ、その不思議な手の形は彼女の地元での祈りの作法だそうだ。
服も、祈り方も、何もかもが不思議な少女だった。
立ち上がって彼女を見ると、随分もじもじと恥ずかしそうで困ってしまった。
どうしたのかと聞くと、お腹が空いていて何か食べるものが欲しいとの事だった。
朝も早い時間だったから、俺も腹が減ったと思っていたと言うと、彼女は声を出して笑った。
俺はきっとこの時の、彼女の安心したような少し高めの笑い声と、花が咲いたような笑顔を一生忘れないだろうと思った。
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