Remember-28 作戦開始/三人組斥候隊
馬車はえらく静かな雰囲気で満ちていて、さっきから俺は落ち着けずにいた。
ついさっきまで俺とシャーリィ、時々クレオさんも――それと、ベルがこっそりバレないように――混ざって会話していたのが嘘のようだった。
『……ユウマ、さっきから落ち着きが無いけど大丈夫か?』
「大丈夫、この張り詰めた雰囲気に慣れていないだけだから。体調とかは悪くなっていないよ」
「状況が状況だからねぇ。慣れないのは分かっているけど我慢して」
そう声をかけるシャーリィだが、彼女自身も少し落ち着いていない感じがする。
少し前、クレオさんの「もうすぐ目的地の近くを通る。近づいたら教えるから何時でも動けるように」という言葉を切っ掛けに空気が変わった。間もなく打ち合わせした作戦通り行動するのだから嫌でも緊張してしまう。失敗が許されない以上、気を抜く隙はもうない。
「もうすぐだ。荷物はちゃんと持ったか?」
「大丈夫。お願いね、クレオさん」
「ああ、お嬢さんも兄ちゃんも頑張ってくれよな」
「で、できるだけ頑張る」
普段は底抜けて明るいクレオさんも今は重い口調で、初めから正念場なのだと伝わってくる。
「ユウマはその荷物を持って。私はこっちを持つから」
「そっちの荷物の方が重いだろ。俺の荷物と交換してくれ」
「……えっと、ありがと。どうしたのよ急に気遣いするだなんて」
ほんの少し照れた顔でシャーリィは笑みを浮かべる。張り詰めていた空気も少しだけ、油断しない程度に和らいだ気がした。
……その時、木板を叩く音が聞こえて俺とシャーリィは揃って気を引き締める。これはクレオさんが俺たちに何かを伝える時の合図だが、タイミングから考えるとそろそろ俺たちが行動する時が来たのだろう。
「……ここならもう降りて良いだろう。お嬢さん、兄ちゃん、後は任せたぞ」
「ええ、行ってくるわ。――ユウマ、転生は済ませた? 行くわよ」
「……ッ、ああ。行ってきます、クレオさん」
こちらを向かずに話しかけてくるクレオさんに挨拶を済ませて、シャーリィに言われた通りに包丁で首の表面を切って転生する。ギルドから借りてきた包丁は、以前使った時のものより小振りだが、問題なく転生に使うことができた。
転生による身体能力の水増しがどれほど効果があるものなのかは分からないが、今は自分の転生を信じるしかない。頭を守ることは当然として、着地と受け身の取り方に用心しなければ……
「転生して飛び降りるって言っても、守るところは守らないと流石に怪我するだろ。ところでシャーリィはどうやって降りるん――え、えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
俺が問いかけるよりも早く、シャーリィは何も言わず飛び降りていた。それはもう、迷いなんてありませんよと言わんばかりに。
……暗くてよく見えないが、荷台のすぐ下を地面が凄まじい速度で流れているのだろう。馬車から飛び降りるというのは普通なら命を投げ捨てるのと同義だが、俺やシャーリィは転生使い。転生さえしていれば常識的な範疇を軽く飛び越している存在だ。
しかし、だからといってあんな躊躇なく飛び込めるという訳ではないんだよ常識的に考えろシャーリィ……!
「クレオさん! クレオさん! 突然の質問だけど万が一に馬車から生身で飛び降りたらどうなる!?」
「あ? 何だって? そんなことすりゃ当然大怪我だろ! 皮膚も肉も骨もケバブみてーに削ぎ落とされると思いな! そうならないためにギルドが用意した安全に飛び降りるための道具があるんだろ!?」
「なにぃ……!? そんなもの聞かされていな――」
『ユウマ、ストップ! ちょっと待て!』
知らない情報を聞かされて思わず声を荒げて返答しそうになったところを、ベルに止められる。
『ユウマ、多分あの話はギルドかシャーリィが用意した嘘だと思う。クレオさんは本作戦に関わっているがあくまで一般人だ。魔法や転生使いの概念を隠すための理由付けなんだろう』
「そういうことかい……――クレオさん! 大丈夫、問題は無かった!」
「だったら急いでくれ兄ちゃん! もうすぐ離脱地点を通り過ぎちまう!」
『ユウマ! 急げ!』
「……ッ、ええい何とかなってくれ頼む――ッ!」
勇気を振り絞るというよりかは殆どやけっぱちに、荷物を背負って荷台から飛び出す。
耳元を流れる風の音と浮遊感を感じていると、間もなくして足裏から強い衝撃と音が打ち付けられた。
「ッ! ……! ッッッ、ッ――!」
靴裏とか背負った荷物とか、様々な部位でガリガリと地面を擦る音がするので、地面が今背中にあるのか足裏にあるのかすら分からなくなる。
それでも転生しているお陰なのか、擦っているとか打ち付けたとかそういう感触は分かるけど痛みは感じなかった。ズボンとか靴は悲惨なことになってしまいそうで不安だが。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ――ッ!」
「……なんていう降り方してるの、貴方」
「ぬ、ぬぬ……め、めちゃ怖かった」
最後には転がってようやく止まったその先で、シャーリィからそんな一言を頂く。どうやら俺の到着をわざわざ追いかけてまで待ってくれていたらしい。
これでも一杯一杯なんだから降り方云々は勘弁して欲しいのである。むしろ勇気を讃えて下さい。
「クレオさんは……大丈夫かな」
「偽装としてギルドと関係の無い商人の馬車を使っているから襲われることは無いと思う。それよりも私たちは私たちでやることをやらなきゃ」
「ッ、ああ……そうだな、俺たちもやることやり遂げなきゃ」
砂埃を叩き払いながら立ち上がって荷物を持ち直す。クレオさんの馬車に取り付けていたランタンの明かりが遠ざかっていくのが見えるが、今はそれを眺めている余裕なんて無い。注意がクレオさんに逸れている間に行動しなくては。
「麓って言ってたけど具体的にはどの辺りに?」
「できるだけ身を隠せる場所を探すわ。焚き火が隠せるように深い溝とか洞窟が理想的かな」
「ああ、了解」
少し重い荷物を担いで、先陣を切って進むシャーリィの後を追う。見張りが山の周囲を本当に見張っているのかは分からないが、麦のように背の高い草に身を隠しながら移動すれば、まず気がつかれることはないだろう。
さて、変なドジとかミスをしないように気をつけなくては――
■□■□■
草の根をかき分けてでも探す――それはベル曰く、何が何でも探し出すとかどんな手段を使ってでも見つけ出すとか、そんな意味だった筈である。
シャーリィが決意表明のように言ったその言葉は彼女の根気の強さなんかが良く表れていると思っていた。だが――
「……シャーリィ、文字通り草の根をかき分ける必要は無いと思うんだ。反ギルドの拠点は真ん中にあるんだろ?」
腰ぐらいの高さがある草を跨ぎながら、俺は先陣を切るシャーリィに向けて遠回しに迂回を提案した。
好都合な場所に荷物を置いた後、まるで湿地帯みたいな山道を歩き続けていたため、ズボンは既に濡れ布巾みたいな状態で、靴は泥水が注がれたジョッキと化していた。もの凄く不快である。
「それは分かってるわよ。でも山の周囲を偵察している見張り台があるかもしれないじゃない。というか、道なんてあったら尚のこと迂回するべきよ。そんな目立つ場所なんて歩けない」
「確かにそうだけど――ぶへっ」
シャーリィとの会話に気を取られていると、押し退けた木の枝が勢い良く戻ってきて俺の顔をと叩いた。
……この辺りにはついさっきまで雨でも降っていたのだろうか。しなりを効かせて顔を叩いた枝の葉には水滴が付着していて、たったの一撃で顔面が
『ユウマ、今変な声が聞こえたけど大丈夫か?』
「しんどい」
『なんか喜怒哀楽の何処にも属さない感じの声が……あー、大丈夫かユウマ。大丈夫じゃないことは分かっているけど』
「……だいぶしんどい」
今度はしっかりと木の枝を押し退けて進む。
正直に言うとさっきからこんな調子ですっかり意気消沈しており、ギルドの暖かい部屋が恋しくなってきた。帰って室内でのんびりとしていたい。シャーリィの藁小屋でも良い。
「……シャーリィは大丈夫なのか? こんな歩きにくいわ歩けばすぐに濡れるわで最悪な環境なんだが」
「ん? 別に私は大丈夫だけど。ああでも、確かにこの草は邪魔かも……スカートも濡れちゃってるし」
手にした短剣で草をザクザクと切り分けて、なんとか通り抜けられる程度に道を作っていきながらシャーリィは厄介そうに答える。
……武器として使うことはあまりないとシャーリィは話していたが、あの短剣は結構切れ味があるのではないだろうか。
「気をつけてくれよシャーリィ、この辺の枝ってしなりが良いから中途半端に押し退けたりしたら叩き返されるぞ」
「? 別に枝なんて邪魔にならないけど」
「…………ああ、そっか。身長差……」
シャーリィが先陣を切って道を切り開いているのに、さっきから枝とか草が邪魔してくるのはそういう訳か……シャーリィの背丈だと木の枝はギリギリ頭の上を通り抜けるし、小柄なシャーリィがギリギリ通り抜けられる程度に草を切り開いても体格も身長も大きな俺には通り抜けられないのだ。
邪魔してくる草や枝を今度は斧で叩き斬りながら一人で納得していると、シャーリィの足が止まっていることに気がつく。草をかき分ける音をできる限り立てないように彼女のそばに駆け寄ると、シャーリィは険しい顔をしていた。
「どうかしたのか?」
「ねえ、何か聞こえない? 人の声が聞こえた気がしたんだけど」
「……ああ。確かに聞こえる。多分これ、笑い声だ」
「笑い声?」
「雰囲気で言うと……ギルドの酒場で客が笑談で大笑いする感じの笑い声」
あるいは、コーヒーハウスで何度も聞ける楽しげな笑い声か。そんな楽しげな声が風に乗って聞こえてくる。
「……そう。ありがと、おかげで近くに潜んでいることが分かった。此処からは慎重に行くわよ」
そう答えるとシャーリィは再び背の高い草を切り払い始める。いつになく真剣な様子のシャーリィは先に先にへと進んで行くので、追いかけるのが一杯一杯だ。
そんな見晴らしの悪い森の山道を登り続けていると、木々の数が少しずつ減っていることに気がついた。
「……! シャーリィ、あの先拓けていないか?」
「多分あの先は……」
二人並んで慎重に草木をかき分けて進むと、視界の悪い森から抜け出せて――視界の開けた崖の上に出た。
……いやぁ、崖の目の前でシャーリィが上着を掴んでくれて助かった。シャーリィが止めていなかったらこのまま崖の下に転がっていたかもしれぬ。
「これが……」
『? ユウマユウマ、何が見えるんだ? 私にも見せて欲しい』
ポケットからガラスを取り出してベルからも見えるようにしながら、崖の下に見える反ギルド団体の拠点を見下ろす。
思っていたよりも大きな窪地の中には、まるで小さな集落のようにも見える規模の拠点が広がっていた。木造の建築物が並んでいて、夜遅くでも人の動きが活発だ。
「ユウマ、貴方どれぐらい目が良い?」
「どれぐらいって言われても、どうやって表現すれば良いんだ? ええっと、例えばだけど……ここから一番近い建物、あそこの壁に使われている木材の模様が見えるぐらいには」
「なるほど……目の良さは私より上か。なら情報は私が書くから、ユウマは見えるモノを言って頂戴」
役割を取り決めながらシャーリィはポーチから紙と下敷きを取り出す。俺も与えられた役割を果たすために視界に入る色々な情報を伝えていく。
「大きい木造の建物が四軒、小さな木造の建物が五軒……大きい建物は集まってるけど小さい建物は散在しているな。かがり火が十二……いや、十三基ある。見張り台が二塔、俺たちが居るような崖上にも見張り台が二塔。どの見張り台も一人は監視していて……武器は持っていない」
「その木造の建物ってやつ、何の建物か分からない?」
「……あー、流石にそこまでは無理。ちらほら人が出入りしているから、大きな建物は寝床か休憩所だと思うけど」
「そう。武器庫の場所と反ギルド団体を率いているリーダーみたいな奴が分かれば良かったんだけど……ああ、人数は私が数えてるから任せて。時間が時間だし全ての人数を数えるのは難しいけど、警備の人数と出歩いているが分かれば良い」
メモを走らせながらシャーリィは少し残念そうに言う。
目が良いからといって、流石に目に見える以外のモノが分かるわけではないのだ。建物から武器の山を運び出していたり、その辺を明らかに組織の頭っぽい格好の人が歩いていたら分かるのだが――
『シャーリィ、この拠点から山の外に繋がる経路ってのはどこにあるんだ?』
「外への経路? それならあっちの方で……」
『方角とかは分からないのかな。地図にして記入しているなら、方角も正しく書いた方が良い』
「え……? あ、ああ。確かにそうね。失念してた」
ベルのそんな指摘にシャーリィは驚いた声を漏らす。しかし、すぐに言われた通りにシャーリィはポーチの中から方位磁石を取りだして方角を確認し、方角を紙に書き始める。
『この拠点に入れる経路は一カ所のみ。だから、仮に緊急用の避難経路があるなら、進入経路から一番遠い地点に作られるんじゃないかな』
「……確かに。進入経路の反対側にも洞窟みたいなのが見える。アレは避難経路かもしれない」
まるで、俺たちに解けない問題の解き方を教えるみたいに、ベルは足りないもの、分からないものについて指摘した。
『あと、攻めてくる敵を迎え撃つ高所が入り口周辺に存在するんだろ? だったらこの低い窪地から高所に上るための梯子とか階段みたいな移動経路が何処かにあるはずだ。そこを破壊すればずっと状況が良くなるんじゃないかな』
「……貴女って元は斥候兵とかだったりする? 随分とこういうことに慣れてる感じがあるわ」
『違う、断じて違う。それはない……根拠は無いけど』
「ベル! 他に何か分からないか? 武器庫とかが分かれば助かる」
『武器庫……うーん、普通なら寝床の近くにあるんじゃないかな。寝ている間に襲撃があった時、寝床の近くに武器庫があればすぐに準備ができるし……』
「流石ベル斥候兵、実に論理的だ」
『ユウマやめろ、やめるんだ、やめてっ』
ベルはガラスの中でアワアワとしていたが、お陰で情報が固まってきた。ベルの言っていた避難経路の位置の推測とか建物の推測をシャーリィは手早く書き込む。
「身元不明の転生使いなユウマに注意が逸れて気にしていなかったけど、ベルも中々謎の存在よね……」
「ガラスに映っているって部分ばかり気になってたけど、ベルも記憶喪失だし元々がどんな人物でも不思議じゃないよな」
『ふ、二人して私を虐めるのはやめてくれ……』
虐めているつもりは全くないのだが、ガラスの中でベルは小さく身を守るように縮こまってしまった。頭を守るようにして小さくなっている姿を見ると、なんだか申し訳なくなってくる。
「虐めてなんていないわよ。むしろ感謝してる……私、こういう斥候をしたことがなくて、私だけじゃ上手くやれるか不安だったの。私って昔から初めてやることは大体失敗するからさ――さて、それじゃあ私たちの拠点に一度戻るわよ」
「もう記録は良いのか?」
「最低限、地形情報さえあれば騎士兵は十分に動けるわ……早くしましょ、高所の見張り台から見られるかもしれない」
「わかった、早く戻って準備を整えよう……ありがとう、ベル。本当に助かったよ」
『……私は直接役立てないからな。こういう限定的な場面だけだが、役立てたのなら嬉しいよ』
身を引いて草木に隠れながら感謝の言葉を口にすると、ベルは満足げで嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
やはり、ベルのどこか後ろ向きな発言が引っかかる。俺もシャーリィも少しずつ変わろうとしているのだから、何かを切っ掛けにベルも変われないだろうか……?
自分がそんな大層な存在だと言うつもりはないのだが、彼女を変える切っ掛けになれないだろうか――と、山を下りながら一人静かに考えていた。
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