Remember-19 月下に踊る/強引な突破口

 薄暗い空き家の廊下は静かで冷たい空気が満ちている。

 気配も無いのだが、だからと言って安心できるなんてことはなく、あの男が何処に身を潜めて不意打ちする機会を伺っているのか分からない。

 ……その上、この状況は間違いなく俺たちにとって不利だ。

 

「……暗くてぼんやりとしか見えない」


 真っ暗でよく見えない中、ボソリと文句のような一言を口にする。ここに来る時に持って来たランタンを置いてきてしまったのが惜しい。

 ……もっとも、呑気に明かりなんて手にしていたら敵に居場所を教えているようなものである。簡単に位置を悟られて殺されてしまいそうだ。


「シャーリィ、何かこういう時に使える魔法とか無いのか?」

「悪いけどネタ切れよ。できるとしたら、ここに火を放って炙り出すか……」

「じゃあそれで」

『ちょ――ユウマ駄目だ! それは駄目ッ!?』

「……私は冗談で言ったんだけど」


 必死に止めるベルの声と呆れたようなシャーリィのため息が聞こえてくる。

 ……提案したのはシャーリィなのにその反応はなんなのさ。他にも色々言ってやりたがったが、取り敢えずシャーリィの魔法で現状をどうにかできないことは分かったので良しとする。いや本当は何も良くないんですけど。


「俺の魔法も役立ちそうにないな……あの男が何処に身を隠しているのかが分かっていれば良い手段があるけど。隠れた敵を直接探し出すしかないか」

「外に逃げ出してもさっきみたいに上の階層から狙撃されるから逃げられない。だからと言って何も考えずに持久戦に持ち込むのは良い考えじゃないから……それしか手は無いって感じ」

「でも自分から敵が潜んでいる場所に向かうって恐ろしいんだけど」


 明かりが無くて目が利かない。そんな状態で待ち伏せしているであろう場所に足を踏み入れるのは如何なものか。

 上の階を見上げようとすると、前髪が視界を遮っているので掻き上げる――が、髪の毛は自重で垂れてもう一度視界を遮る。それどころか勢い余って目に入った。


「……ああくそっ、邪魔だ」


 視界を塞ぐ髪の毛を掻き上げる。細かな変化にも目を配らないといけないのに、これでは上手く見ることができない。しかし掻き上げた髪の毛は自重でまたしても視界を覆った。

 何度も掻き上げてようやく前髪が勝手に垂れ下がってこなくなる……と、そんな悪戦苦闘を見ていたらしいシャーリィが何か言いたそうな顔をしていた。


「……なにさ」

「そんなに邪魔なら……ほら、切り落とせば?」

「ハサミも無いのにどうやって……あ、コレか……! このカミソリ見て切り落とせと言ったんか……!? よくもまあ靴底仕込みの刃物で髪を切れと言えたな!?」

「そんな口調が変になるほど怒るとは……ごめんって、今度良い散髪屋教えるから」

「別にいい。あとこうやって髪型を変えると、不思議とやる気が出る感じがするんだよ」


 シャーリィとの他愛ない話を切り上げて、慎重に二階へ続く階段へ足をかける。ボロいから軋んだりするんじゃないかと不安だったが、全体重をかけても特に音は立たなかった。

 少しだけ階段を上ると、シャーリィも後方を警戒しながら続いて階段を上がる。俺は前方を、彼女は後方を警戒する作戦らしい。

 ……階段は暗い。見えないだけでここまで不安が膨れ上がるとは思わなかった。動悸が呼吸の邪魔をして、上手く息が吸えない。


『……ユウマ、大丈夫か』

「…………ありがとう、大丈夫」


 心配するような声に応えるように、俺はポケットの上からガラスを握る。それだけのことでほんの少しだけ、息が楽になった気がする。


 ……暗い階段を上がりながら、注意深く目を凝らし続ける。

 階段は一階から六段の段差と踊り場で三段、そこから折り返して二階に続く六段の段差で、計十五段。たいして長くないはずなのに、階段が妙に長くて険しく感じてしまう。

 音を立てずに踊り場まで足を進めると、二階には短い廊下だけがあって、その突き当たりには窓が見えた。窓の向こうは月明かりで妙に明るい。きっと窓を開けて身を乗り出してみれば月が見えるのだろうけど、そんな余裕はない。


『建物の真ん中を廊下が横断するように造られて、部屋を二つに分けている設計か……多分寝室とかを想定している構図だろうな』

「なるほどね……部屋が廊下の左右にあるぞ」

「一応見ておきましょう。三階から進入したのは間違いないけど、何処に潜んでいるかまでは分からないんだし……ここの埃、足跡がある。間違いなくここに一度は降りてきている」


 二階には窓に突き当たる広い廊下が一本。その左右に一つずつの部屋。廊下は真ん中にテーブルでも置けそうなぐらい広い。

 部屋の出入り口はお互い似たような戸で閉まっていて、小窓なんかは設けられておらず、中を覗くことはできない。


『流石に無警戒に調べるのは危険だな……ユウマ、シャーリィ、手分けして同時に部屋を確認しよう。もしも一部屋ずつ調べていたら、調べた部屋の反対に敵が隠れていたら背中を襲われる』

「だってさ。シャーリィ、それでいいか?」

「分かった。私はこの部屋を調べるから、ユウマはそっちの戸をお願い」


 髪留めのリボンを解いて握り締めるシャーリィに作戦を提案し、俺は戸に向かい合う。

 ……もしかしたら、この中に男が潜んで隙を伺っているかもしれない。そう考えれば考えるほど、手に貼り付いた埃は汗で水気を含んだ。


「……二人とも、位置に付いたな。ベルも警戒を頼むぞ」

『任せてくれ。ユウマもシャーリィも、万が一あの男が潜んでいた時のために魔法を備えた方が良い』

「私はもう転生を済ませてる。ユウマ、タイミングは任せるわ」

「俺もさっきの転生がまだ続いてるから大丈夫だ……いくぞ……いっせーの――ッ!」


 小声で合図を取り、内開きの戸を蹴り開ける。後方からも同じく、シャーリィが戸を蹴る音が聞こえる。

 ……その音に混ざって、不審な物音が目の前の部屋の中から聞こえた。


「な――ッ!?」


 戸を開けて真っ暗な部屋の中に光が差し込んだその時、背筋が冷えるのを感じた。

 入り口から一直線。その先に古びた木製の椅子が置いてあって――その上に、外套の男が持っていた弓銃が置いてあった。

 ……いや、置いてあったのではなく、“取り付けられている”。そして、今部屋の戸を開けた時に聞こえた物音――まるで戸を開けたことで仕掛けが動き出したような音は――


「まさか――」


 俺が戸を蹴破ったせいで、既に設置された弓銃は矢を放とうとしている。声を出す間も回避する間も無い。それに、回避すれば後方にいるシャーリィに当たってしまうかもしれない。

 俺は咄嗟に腕を伸ばし、ドアノブを掴んで蹴り開けた戸を全力で閉める……が、レンガすら砕く威力を持った矢は木製の戸など余裕で貫通し――俺の腹部に突き刺さった。


『な……ッ!? ユウマ!?』

「! ユウマ!」


 真っ向から矢を腹に喰らった衝撃で、体は派手に一回か二回ほど横に回転してそのまま床に叩きつけられる。矢は腹に残っているから、シャーリィの方に飛んで行かなかったのが不幸中の幸いか。

 ……埃まみれの地面にうずくまる中、ベルとシャーリィの声を聞く。悲鳴のような声と、驚き困惑したような声だ。


「うぅっ……ぐっ」


 ……一人は腹に矢を受けて、もう一人は目の前の出来事に驚いて思考が止まっている。

 そんな誰が見ても分かるような大きな隙。もしもたった今不意打ちされてしまえば全滅は免れないだろう、その瞬間――


『――窓だ! 窓の外! 上からあの男が覗き込んでいる!』

「ッ――!」


 戸を蹴破る前にベルの警告を聞いた直後、俺は片膝を床に突き立てて、顔を上げず右腕だけを窓の方へ向ける。

 窓と階段――あの男が身を潜めているなら、この二つのどちらかだと予感はしていた。だからこそ布石を打っていた。そして、突き出した右手の中には圧縮された空気が今か今かと渦巻いて待ちわびている――!


「誘い出されたな……ッ、吹っ飛べ……!」


 敵は俺たちを二人だと認識していた。だからベル三人目が見張っていることなど予想すらしなかったのだろう。

 レンガの礫を含んだ風砲は窓を突き破り、窓の外に飛び出していく。窓の外から覗き込んでいるなら、レンガの礫と砕けたガラス片を浴びる筈――!


「ッ、貴様――!」

depict描写Hagall妨害!」

「グ――ッ、クソが……!」


 苦し紛れに大男は刃物を片手に窓から進入し、隙だらけな俺へ襲い掛かろうとした――瞬間、シャーリィの援護が飛んでくる。魔法は窓枠に命中し、木片を勢い良く男に向けて撒き散らし、進入を拒んだ。


 窓の外で男がうめき声を漏らし、身を引いたのが見える。どうやって二階の窓を覗いているのか分からないし奴を地面に叩き落とすことも敵わなかったが、間違いなく怪我を負わせることが出来た。


『ゆ、ユウマ!? 大丈夫なのか!? 今何かに突き飛ばされたみたいに……!? その腹に刺さった矢はなんだ!?』

「……いや、刺さっていない。浅い刺し傷は出来たけどその程度だ……大丈夫」


 手元のガラスの中からベルが血相を変えて心配しているので、腹で受け止めた矢を容易く引き抜いて無事なことを伝える。

 ついでに服を少し捲って腹部がどうなっているか確認しようとしたその時、服を捲ろうとする腕を隣から伸びてきた手に握られた。


「貴方大丈夫なの!? っ、何よその腕……両腕が紫色になってるじゃない!? お腹も一面紫色になってる! まさか毒に――」

「いや……これは俺のせいだと思う。思ったよりも長く血を止めちゃってたから紫色になってるけど、しばらくすれば直るはず……血管が破裂して内出血でもしていなければだけど」


 ……ベルの次はシャーリィが慌てている。腕や腹が変色しているのは予想外だったけど、本当に軽傷だと言うことを今度は丁寧に説明する。


「何かあるかと思って腹と両腕の血液に形を与えて固くしていたんだ。血が止まってたから、紫色になってるのはそのせい。でもまさか、こんな短時間でアイツが手の込んだ罠を仕込むとは思ってなかった」

「血を固めたって……体の中の?」

「さっきシャーリィが“生命力は他の生命力に干渉できない”って言ってたからさ……なら、自分自身の生命力体液なんかは干渉できるんじゃないかって思って、やった」


 腕の血液とか腕の中に満ちている体液を固くしておけば、矢で体が突き破られる事も鋭利な刃物で切り落とされることも無い。

 ……もっとも、血液なんかを固めるということは、血流を強引に止めていることでもある。一瞬ならこんな感じに変色する程度で済むけど、長く止めていたらきっと取り返しがつかなくなる。


「それとあの男、弦を腕の力だけで引いたりなんてしたら手のひらに生傷が絶えないと思う。そんな奴が毒を扱うとは思えない……だから毒の可能性はないと思う。ほら、ここに刺さった跡があるけど全然浅いだろ? 後で包帯でも巻けば大丈夫だから」

「……なら良かった。貴方って土壇場で頭が回る人なのね……これでよし」

「包帯、持っていたのか……ありがとう」


 ……後で巻けば良いって言ったのに、清潔な布で止血して包帯を巻いてくれるシャーリィにお礼を言いながら捲った服を戻した。

 俺に包帯を巻き終えたシャーリィは窓の外に顔を出して上の階を見ると、すぐに俺を手招いた。何かを見つけたらしい。


「この建物の外壁にカスガイみたいなものが打ち付けられてる……多分アイツ、これを梯子みたいに利用して二階を見ていたんだわ」

『多分、さっきの罠で隙を作ってその隙に二人を狙おうとしたんだな……』


 ベルをポケットに仕舞いながら窓の外を見ると、確かにシャーリィの言う通り“コ”の字の形をした金属の棒が打ち付けられていて、ハシゴみたいになっていた。


「でもこれでアイツは三階に追い詰められている。その上武器も一つ失った。性に合わないけど、今なら撤退も出来るわよ」

「……いや、撤退はしない。ここで決着をつける」

『でもユウマ、三階が屋根裏部屋って事は狭いんだろ? 間合いが狭い中じゃユウマの魔法は不利だと思う』

「確かに俺の魔法って溜めが必要だからな……狭い部屋だと空気も上手く集められるか分からない。だからここ……いや、で決着をつける」


 ベルを入れているポケットとは反対のポケットに手を入れて、頑丈な作りの空き瓶を取り出す。以前、異世界から抜け出す際にシャーリィから預かっていた空き瓶だ。

 ……異世界を抜けるまで預かる、なんて言っておきながら忘れて持ち歩いていたのは我ながらどうなんだ。


「……それとさ、シャーリィ」

「えっと……何? それって私のガラス瓶よね?」


 シャーリィは不思議そうにガラス瓶を指差す。その通りなので俺も正直に頷いた。

 ……なんかシャーリィが困惑混じりに嫌そうな顔をしている。“今ここで返されても困るんですけど”とジットリとした目が云っていた。


「ああ。コレをちょっと使わせて貰うけど、後でなんとかして弁償するから」

「……使う? ちょっと弁償って一体……」


 ガラス瓶の封を開ける。蓋はコルクと金属を組み合わせたもので、簡単に封が開くことがない頑丈な代物だ。こんな使い方をするには少々もったいないが、これじゃなければこんなことはできないだろう。

 開いたガラス瓶の中に空気を集める。圧縮して保ち、限界まで空気を詰め込み、封をする。そしてその圧縮された空気を閉じ込めた瓶を、俺は階段から三階に目掛けて投げ込んだ。


「――ぐああああああああッ!?」


 ガラス瓶を投げ込んだ直後、三階から壁や床、天井など全てを殴りつけるような大きな音と風に混じってガラスが破裂する音――それと共に、男の断末魔のような大声が聞こえてきた。

 圧縮した空気を入れたガラス瓶は内側から一気に破裂し、爆風と共にガラスの破片をばらまいた。瓶が小さかったことから致命傷を与えられる程の威力は無かったが、相手を引きずり出すことは叶っただろう。


「暗闇から引きずり出して怪我も負わせた。行くぞシャーリィ」

「ユウマってば大胆。あと大雑把」


 大雑把って、お前が言うかお前が。




 ■□■□■




 悲鳴が聞こえてすぐに階段を駆け上がると、やはりあの男がいた。

 矢に射られた俺みたいに部屋の真ん中でうずくまっている。床には血溜まりが広がっていて、男の体にもガラスの破片が至る所に刺さっていた。

 それは致命傷じゃないにしても間違いなく全身の痛みで動けないだろう。俺もシャーリィも、普通なら相手は戦闘不能になっていると考えていたのに――


「……ああ、くそ。なんともねぇのに、ついビビっちまった」


 何事も無かったみたいに立ち上がり、血だらけの外套を脱ぎ捨てて男は忌々しそうに呟く。全身から血を流しているのに、そんなことはお構いなしにその男は悔しそうにガリガリと、ガラス片や傷ごと頭を掻いている。

 その様子を見て、俺も、シャーリィも驚かずにはいられなかった。


「何よ、コイツ……」

「……お前、のか……?」

「ああ……ぜんっぜん、これっぽっちもな――!」


 体を屈めて、撃ち出された矢のように男は俺に向かって飛びかかる。屋根裏の狭さなどお構いなしに飛び出した男の手には、大型の短剣が握られているのが見える――!


「ッ――!」


 回避はできない。その上、ハッキリ言って相手は異常だ。どんなに傷を付けてもこの男は怯まない予感がした。


「――は、ズ……ッ!」


 男の握っていた短剣を両腕を盾にすることで防ぐ。咄嗟の守り故に、先程のような血液を固めた防御は出来ない。

 横向きにして突き出され、肋骨をすり抜けて肺を貫こうとしていた短剣は腕に遮られて止まったものの、腕が痛い。刃物を腕で受け止めた代償に、鋭い痛みが腕の感覚を蝕んでいる。


「――、う゛ッ……」


 盾にした腕の下から男の足が突き出される。肺から空気を絞り出される感覚と共に、俺は宙を飛ばされていて、気がつけば後方の壁に叩きつけられていた。


「ユウマ!」

「……おっと、この間合いじゃその厄介な魔法を使う隙も無い訳だが……近接戦なんてできるのかい、シャーリィお嬢様?」

「…………!」


 俺の前に立ち塞がるようにシャーリィが前に出て、男と向かい合う。

 ……頭の中が揺れる。頭を振ったり目を固く閉じたりしてできるだけ早く抑えようとするが、そう簡単には収まらない。

 視界が不自然に揺らいでいるが、男と対峙するシャーリィの顔は余裕が無さそうに見えたのは間違いない気がする。


「ッ……ぐ、っっ……待て、シャーリィ……!」

『駄目だユウマ! 立つんじゃ無い! 危険だ!』

「いいや……立たなきゃ駄目だ……立たないとシャーリィが……ッ!」

『ユウマ……』


 足下がふらつく。壁により掛かってなんとか立ち上がれたぐらいに頭の中身が揺れている。

 腹も背中も、壁に寄りかかっている右腕も痛みを帯びている。全身がくまなく痛いせいなのか、ハッキリと痛みを感じないのはとても有難い。そうじゃなかったら今頃気絶している。


「……ほぉう、まだ立つか」

「ハァ、ハァ…………ッ、まだ、俺が相手だ……」

「威勢は良いが無謀だな。壁に寄りかからないと立ち上がれない状態じゃないか。しかも腕に傷を負っていると見た」

「お前が……言うかよ、全身傷だらけで……」


 呆れたような男の声に、シャーリィの鋭い視線。その怒りの混ざった視線は“下がってて”と云っていたような気がした。

 ……打開策も無くて、自分の命が危険に曝されるということぐらい分かっている癖に。こんな時でも他人の方が大切か――


「だがまあ、立ち上がってくれて嬉しいぜ坊主。このお嬢さんには一度肩の辺りをぶっ刺されててさ……かなりの手慣れだ。出来れば直接戦いたくなかった」

「…………」

「だが、お前がこうして立ち上がってくれた。そしてこのお嬢さんの代わりに戦おうとしている。義手を使った不意打ちの時といいさっきの攻撃といい、何をするか分からない奴だが近接戦は不慣れと見た。そんなお前を殺せば少なくともそれで俺の役目は果たせる。その後がどうなっても俺は安心して逝けるってやつだよ」

「……そうかよ」


 壁を使ってしっかりと立ち上がる。空気も水も、この男相手には決定打にはなり得ない。

 人は強い気圧差で気絶することがあるらしいが、朦朧とした頭ではそんな手の込んだことをする余裕は無い。そもそも狭い屋根裏では空気を集めるのに時間がかかってしまう。


「ユウマ、貴方……」

「ッ……大丈夫だよ、シャーリィ。ここまで頑張ったんだから、あとは腹を括ってやるだけだ」

「でも……そんな……」

「信じて。難しいかも知れないけど、俺を信用してくれ」


 シャーリィにそう言って、なんとか笑って見せながら体を屈める。右腕は壁に寄りかかったまま左手でカミソリを握り構えると、男は床に腰を落として迎え撃つ姿勢を取る。


「……来い、来やがれ坊主……! そんな刃物で俺を刺せるとは思えないがな!」


 ……抑え込んだ体を飛び出させる為に、大きく息を吸い込む。

 俺が左手に握り込んだカミソリと男の持つ大きな短剣を見比べると、優劣なんて簡単に分かる。それだけでこちらは劣っていると丸分かりなのに、加えてあの男はどういう訳か。仮に俺があの男に致命傷を与えたとしても、構わず心臓を刺してくることだってあり得る。

 ……これはどうしようもない詰みだ。どうやったって相手の方が圧倒的に有利。だから、こんな理不尽な状況を乗り越えるためには――


「刺さないよ。少なくとも、これで切るのはお前じゃない」

「……!?」


 構えたカミソリを首に。もう一度首元を切って転生する。ただでさえ血が流れ出ているから、少しだけ意識が遠のきかけたけど、なんとか堪えられる程度のものだった。

 俺の行動に目を疑うような反応をしてる男に構わず、増幅した脚力に物を言わせて、バネ仕掛けのように身を前に投げ出した。


 その時、壁に寄りかかった腕を――腕から壁伝いに流れ落ちていた自分の血液ごと――壁から引き剥がし、男に肉薄する――!


「何――!?」


 魔法で固めて引き剥がした血液は、薄く長い剣のように俺の右腕に貼り付いている。

 壁により掛かっていたことで流れ出ていた血液がちょうど良い長さ――男の手にした短剣の間合いよりも離れた位置から攻撃できる程――の武器打開策になっていた。


「うおおおおおお――――ッ!」


 勇気を奮い立たせ、恐怖心を誤魔化すための雄叫び。

 跳び出した足を止めることなく、俺は間髪を容れずに血の武器を男の左肩に突き刺した。


「ぐお――ッ!?」


 血の剣を突き刺したことで男はバランスを崩すが、それだけでは足りない。痛みを気にせず血の剣が突き刺さったまま襲いかかってくるだろう。

 その前に、全身の力を使って男に体当たりを叩き込んだ。俺の左肩を男の腹へ叩きつけるように突き出して男の体を押し出す。


「ッ――あああああああ!」


 転生したことで増幅された脚力で、空き家の床を砕きかねない勢いで踏み込む。自分でも驚いたことにその力は大柄な男を押し出すだけではなく、それどころか持ち上げてしまった。

 ……ビシ、バキ、と取り返しのつかない破壊の音が建物から聞こえてくる。窓枠は粉々で、その周辺の木製の壁は決壊する一歩手前に見えた。


「ッ――! 貴様ァアアア――!」


 そして、血の剣を突き立てたまま自分諸共、叫び声を上げる男を窓から外へ押し出した。

 高さは三階。外は暗くて、この高さだと満足に落下する場所が見えない。


 ……取り敢えず、事後の感想は“やっちゃったなぁ、こりゃ”なんて、レイラさんとかシャーリィが聞いたら大いに憤慨しそうなものだった。


「――う゛ッ」


 着地――なんて綺麗な物じゃないが、地面に落ちた時の衝撃なら問題ない。腕に貼り付いている血液の剣を液体に戻し、粘性を持たせて地面と自分の間に挟み込んでクッションの代わりにした。

 下敷きにした血液は、まるでゼリーみたいに衝撃を弾力で受け止めてくれた。


「ッ、痛たたたぁ……」


 背中から落ちた衝撃が体を貫くが、少し息が詰まる程度だ。命に別状が無いのは当然、体の何処も痛めることはなかった。

 あの男は……倒れて動かない。気絶したのか、本当に死んでしまったのかは分からない。少なくとも何かしてくる気配はなかった。


『ユウマ! ユウマ無事か!?』

「怖かったけど元気。ベルこそ大丈夫か? 割れたりしてない?」

『……どういう心配だよ、それ。なんか嫌だなそれ』

「わりと本気の心配だったんだがなぁ」


 立ち上がって体の埃を叩き落とす。ついでに体を見てみるが腕にやや深い切り傷、腹部と背中に色々な理由で痛みがある程度。

 転生している間なら、血液で剣を作ったみたいに傷口を固めれば流血の心配はなさそうだ。薬と包帯、あとは時間任せでこの傷はなんとか治るだろう。


『それでユウマ、あの男は……』

「気絶しているけど……最悪死ぬかも知れない。着地の時に頭を俺の魔法血液で守ったけど、それ以外の傷が多くてな……」


 そう言いながら、試しに気絶した男の血液を固めて出血を止めようとしたが、全く思い通りにならない。

 俺の魔法で扱える不定形の物質は“自分の物自分の体液”か“誰の物でもない自然の水や空気”で、“他人の物他人の体液”なんかは対応外のようだ。これがシャーリィの言っていた魔法の特性とやらなのだろう。


『ユウマ、どうしてその男を助けようとしたんだ』

「それは…………」

『……ユウマ?』

「……いや、ごめん。なんだろう、人ってさ、一度でも人を殺しちゃったら、それから先はずっっと“人殺し”になるのかなー、って思ったことがあってさ……ほら、そんな些細な理由だよ。気にしないで!」

『それは……』


 例えばこのカミソリのように。これはただの“道具”だが、これが人を切り裂いて殺してしまったら、このカミソリはきっと“道具”ではなく“凶器”になってしまう。

 そんな風に自分の人生が人殺しの人生になることに、迷いが生じただけ。必要なら人殺しになることも厭わないけれど、今はちょっとだけ迷ってしまった。


「ユウマ、大丈夫!?」

「ん、シャーリィ。思ってたよりは大丈夫だぞ」

「ッ! なんでアンタはそんな呑気でいるのよッ!」


 何やら俺の返事に腹を立てたらしく、シャーリィは怒りの声と共に大穴の開いた三階の窓から飛び降りてくる。地面に落ちた俺とは大違いでシャーリィは軽々と地面に降り立つ。

 ……これも魔法なのだろうか? 俺のより使い勝手が良くて羨ましい。


「本当に怪我はないの!? 心配したのに無事で安心っていうか、良かったと思うような心配しすぎて損したっていうか――ああもう! 色々調子狂って訳がわかんない!」

「……シャーリィ、落ち着いて」

「ぐ――落ち着いてられるかァ――ッ!」


 もう真夜中なのにお構いなしだ。なだめようと思ってかけた声を切っ掛けに、シャーリィの怒りが爆発してしまったご様子――なんて他人事のように思っている場合じゃない。

 ふと、静かだった夜の街が何やら騒がしくなっていることに気がついた。本当に微かだが、大勢の人が列を成してこちらに向かってくる足音が聞こえる。


「し、シャーリィ! 人が! 騒ぎを聞きつけたのか知らないけど人が!」

「……む、こんな時に。でもまあ、ここまで騒いで来ない方が不自然か。取り敢えずこいつを縛り上げてからこの場を離れ……ん? ちょっと待った」


 怒りを納めてこの場から離れようとしたシャーリィだったが、何かが気になったらしく、辺りを見回して気配のある方向を探っていた。


「……? んー? っていうかユウマ、貴方よく転生もしないで聞こえたわね」


 ボゥ、と転生し指で首を切りながらシャーリィが呟く。転生による身体強化についてイマイチ把握し切れていないのだが、聴力とかそういった能力も高まるのだろうか――なんて、疑問に思っていると、


「ゆ、ユウマ君! シャーリィさん!」

「無事か二人とも!」

「……! レイラさん、ギルドマスターも」


 聞こえてきた声のする方向を振り返ると、レイラさんとギルドマスターが俺たちの元へ駆けつけて来る姿が見えた。どうやら荒事が収まったのを見計らって来てくれた様子。


「レイラさんも無事だったんですね」

「ええ、ユウマ君とシャーリィさんがなんとかしてくれたおかげでね。追っ手はその男一人だったみたいだから私たちの方には誰も来なかった」

「うむ、それと先程伝書鳩を飛ばした。本当は援軍として来て貰おうとしたが……あー、これじゃあ事後処理みたいになってしまったか。でもまあ、まもなく騎士兵が来てくれる」

「き、騎士兵ですって……!? ってことはこの足音は……ッ」


 ギルドマスターの言葉を聞いた途端、シャーリィは酷く驚いた表情を浮かべて逃げようとして――膝をついてしまった。


「シャーリィ!? 大丈夫か!? ってか何で逃げようとしてるんだ?」

「ち、ちょっと疲れただけ……でもマズイ……」


 そんな一方、金属同士が擦れたりぶつかり合うような音が複数、徐々に近づいてくるのが聞こえてくる。ギルドマスターの言う騎士兵が来たのだろう。


「おおー、来てくれた来てくれた。でもこれほどの数が来るとは……シャーリィの名前を出したからかもな」


 ギルドマスターが騎士兵と呼んでいた人達は、名前の通り顔を含めて余すところなく全身を鋼の鎧で固めていた。

 盾や槍、剣を持った六人ほど騎士兵の一人、長剣を腰に差した一人の騎士兵がギルドマスターの前へ向かい、膝を折って頭を下げた。どうやら騎士兵たちのリーダー格らしい。


「第二騎士兵隊、只今到着しました、ギルドマスター」

「むむ? 第二が来たのか……?」

「はい。第一騎士兵隊は物資輸送中の商人たちを護衛しているため……申し訳ございません」

「いやいや、お主が謝ることじゃない。それよりも、事後処理は任せたぞい未来の第一騎士兵たち。これで給料稼いでガンガン昇級すると良い」


 ギルドマスターの言葉に騎士兵たちは苦笑いや微笑ましそうな笑い声を発しながら、今度はこちらへ向かって来る……が、騎士兵の一人がシャーリィの顔を見るなり、不自然に動きを止めた。まるで驚いたようなそんな反応に見えたが――


「……! し、シャーリィ様……!?」

「……シャーリィ?」


 突如、騎士兵の一人がそんな声を発した途端に、他の騎士兵がざわめき始める。

 その反応に困惑しながらシャーリィの方を見てみると、シャーリィは両膝を抱え込むように座り込んでしまっていた。落ち込んでいるような絶望しているような、そんな雰囲気が滲み出ている気がする。


「シャーリィ様! ご無事ですか!? 陛下がご心配なさっておりました!」

「会えて光栄です……第一騎士兵隊も心配していましたよ!」

「シャーリィ様! お怪我はありませんか!? 医療道具ならこちらに!」

「……え、何この状況? と言うかなんで様付け?」


 シャーリィ様シャーリィ様、と騎士兵は、シャーリィを囲んで歓声のようなことを色々言っていた。

 そんな様子を笑いながら眺めているギルドマスターと困った表情を浮かべたレイラさんと並んで、俺に出来ることは何もなかった。


「……ああ、本気で死にたいかも」


 ふと、そんな絶望しきった声が騎士兵隊たちの声に紛れて聞こえたような、気のせいかもしれないような……

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