Remember-12 王国内巡り/A.困ったらギルドへ。

 コーヒーハウスを出ると、さっきまで日差しで照らされていた筈の道は建物の影で覆われていた。

 どうやら、思っていたよりも長く時間が過ぎていたらしい。空はまだ夕暮れではないが、太陽が少しずつ山の向こう側へと傾いていた。


「…………なんだかなぁ」


 肺の奥の熱を吐き出すように呟いたが、それでも頭の中はもやもやしていた。

 反ギルド団体とかいう存在に対する彼女の表情。俺ではない何者かに向けられた、怒りのような嫌悪するような負の感情が今でも脳裏に浮かび上がる。


『……ユウマ、一人で黄昏てどうしたんだ?』

「おわっ!? ああ、ベルか……」


 考え事をしていたせいなのか、あるいは周囲が静かなせいか。ベルの声が妙に大きく聞こえて驚いてしまった。

 ……やっぱりどこか気が抜けている。気を緩めている暇はないのだから、もっとしっかりしないと。


『コーヒーハウスは話し声が多すぎて断片的にしか聞こえなかったよ……後で何を話したのかちゃんと教えて欲しい。ところで、一人で歩いて何処に行ってるんだ?』

「ギルドって場所に向かってる。そこで王国の住民としての身分証明を作れるんだってさ。それがないとこの王国で何をしようにも色々と厄介なことになるらしい」


 説明はシャーリィからばーっと大雑把に聞いてなんとなく把握している。

 この王国で責任を持つような――たとえば、お金を稼ぐために職に就くような――事をする際、身分証明を登録していないと駄目なんだとか。シャーリィ曰く、俺みたいな身元の分からない人は普通だと登録なんてできないから、その辺の手伝いまではしてあげる、とのこと。

 しかし、ベルは納得することなく更に首をかしげていた。どうやら彼女が聞きたかったのは別のことらしい。


「……? 何か気になることが?」

『なあユウマ、シャーリィとは別行動しているのか?』

「……ああ、シャーリィか。シャーリィなら――」


 そう言って俺はベルが見やすいようにガラスを持ち、後ろに振り返って、


「……あんな感じ。今朝の道のど真ん中を歩いていたのが嘘みたいだ」

『ユウマ、もう一個質問』

「何を聞きたいのか察したけど、好きなだけどうぞ」

『……なんでシャーリィは遠く距離を取ってついてきているんだ? それも物陰に隠れながら』


 ベルが尋ねる通り、シャーリィは俺たちのいる場所から離れてついてきていた。それも、咄嗟に身を隠せるよう遮蔽物に体を隠しながら。

 ……それに関しては俺も聞きたかったりする。ギルドが嫌なことは分かるんだけど、そこまでする意味が分からない。


「シャーリィ、何もそんなに嫌がらなくても……」

「……ユウマは何も分かってない。アイツの恐ろしさを知らないからそんなことが言えるのよ」


 ひょっとしてギルドは猛獣でも飼っているのか? シャーリィだけを襲うような猛獣とかそんなのを。“アイツ”というのが誰を指すのか分からないし、シャーリィが恐れ怯えるような相手がどんな怪物なのか想像つかない。


「……まあその、先に行くからなシャーリィ」


 珍しく怯えた様子のシャーリィは気にせず、俺は教えられた情報を頼りに先に進む。ブライトさん曰く、ここからそこまで遠くないので大丈夫とのことなので多分どうにかなるだろう。


「ユウマ、そこ。そこの道沿いに歩いた先。壁沿いに大きい建物があるから、それがギルド」

「分かった。この道で良いんだな」

「それでギルドに入ったらまず要件を聞かれると思うから、私の知り合いって言えば歓迎してくれる筈……それと、ギルドマスターが居るか確認してもらえるかしら」

「……まあ、了解」


 疑問は未だに絶えないが言われた通り、高いレンガの壁に沿うように伸びている道を進む。

 ……防衛城だった頃の名残なのか、王国には高低差がある。城がある中心部は高台になっていて、下から見上げれば崖のようになっていた。

 確かにこれなら高台の上に建つ城は攻めにくいし、低所に建っているギルドはそれと比べると攻めやすい場所なのだろう。コーヒーハウスでの説明が改めて理解できる。


「木造の建築で、脇には樽が積み上げられていて、素焼きの煙突……アレだよな」


 指を折りながら教えられたギルドの特徴を呟く。ブライトさんに教えて貰った特徴にピッタリ一致していた。

 念の為に後方にいるシャーリィの方を振り返って確認を取ると、彼女は頷いて肯定している。声に出して教えてくれれば良いのに。


「ベル、しばらく隠れてもらうからな」

『分かったよ。それじゃあ頑張ってきてくれ、ユウマ』


 彼女から応援を貰いつつ俺はガラスベルをポケットに押し込んだ。

 緊急事態でもない限り、ベルのことは隠しておくべきなのだろう。変に表に出したら要らぬ混乱を招いてしましそうだ。

 ……でも、そう考えれば考えるほど、彼女をひとりぼっちにさせているような感じがしてあまり良い気分じゃない。しかもベルがそれを仕方ないと受け入れていることが尚更だ。


「……だとしても、今はそんなこと考えてる場合じゃない……よし」


 頬を軽く叩いて気を引き締めて、俺はギルドの入り口を前に一度足を止める。

 ここはシャーリィが恐れるほどの場所だ。ただの依頼管理の施設――そういえば酒場もやってたんだっけか――だとは思わないように気を引き締めなくては。


「…………本当に入って大丈夫かな」


 ……さて、この先には一体何が待ち構えているのか。ギルドの従業員がとんでもなく恐ろしいのか、あるいは酒場の常連客が死ぬほど怖いのか。内心怯えているがこんなところで立ち止まってたら先に進めないので、俺は決意を固めて両開きの扉を押し開いた。

 まず目に入ったのは木製の板を繋ぎ合わせた床。それから、丸太を縦に割って作ったような長テーブルに、それと同じぐらい長いベンチ。そして照明はまるで釘のように壁やテーブルに打ち付けられて突き刺さっていた。

 そんな感じの豪快な家具の多い中、妙に丁寧な造りのカウンターが目に入る。あのカウンターデスクは社会的管理業務で、他の家具は野性的酒場な感じがする。


「――いらっしゃい! ギルドの依頼ならこっちよ。あ、酒場はまだやってないからその辺はご了承くださいね」


 最悪の事態を想像しながら入ったが、待ち受けていたのは鮮やかな格好をした女性一人と、奥の方で作業している男が二人だけだった。

 決して恐ろしさは感じられないのだが……いや、油断するな俺。ひょっとすると一歩選択肢を間違えた途端に何かが起こるのかもしれない。シャーリィが怯える相手だ。気がついた瞬間、既にぶち殺されているかもしれぬ。


「……どうかしたの? 気のせいかもしれないけど、物凄く警戒心剥き出しに見えるんだけど」

「う、すみません。えっと、シャーリィって女の子を知ってますか?」


 無意識のうちに警戒心が顔に出ていたらしい。俺は一言謝ってからそう尋ねた。

 流石に「身元が不明なのでシャーリィのコネで戸籍を作っていただきにきました」なんて言える筈がないので、向こうにこちらの事情を察して貰えるように切り出す。どうやらそれが正解だったらしく、シャーリィの名前を聞いた途端に女性の表情が明るくなった。


「シャーリィさん? もしかしてその人に用事があるの?」

「いや、シャーリィの知り合いって名乗れば歓迎してくれるって彼女から聞かされて……あ、そうだ。シャーリィからギルドマスターが居るかどうか聞いてくれって頼まれていたんですけど、その人は今ここに居ますか?」

「マスター? あの人は今出掛けて……あー、そっか。ひょっとしてシャーリィさん近くに居る? ってか隠れてる?」

「……呼べば来ると思いますけど」

「おーけー、成る程。事情は掴んだ。あー……そうよねぇ、仕事でも無い限り滅多に来ないもんねぇ、彼女」


 あはは、と苦笑いを浮かべて赤い三角巾を身につけた女性は納得する。

 どうやら俺の知らない事情を知っているらしい。今の会話からシャーリィが隠れていることを看破してみせるだけではなく、何故隠れているのかすら理解している様子。


「マスターなら定期連絡で今は居ないってシャーリィさんに教えてもらえるかしら。多分そういえば来てくれるでしょうし」

「? は、はぁ。分かりました――」

「――――きぁあああぁああああ――――ッ!?」


 シャーリィに報告しに行こうと思って振り返ったところ、遠くから良く響く(実際、小さく木霊が聞こえた)悲鳴が聞こえてきた。

 声色からシャーリィの声に違いないけど、シャーリィがあんな声を出すのは初めて聞いた――――って、何を呑気なことを考えているんだ俺は……ッ!?


「んー……早朝に出かけて、今は太陽があの位置だから、そろそろ業務を終えて……あっ」

「し、シャーリィ!?」


 反応が遅れた分を取り返そうと、俺は踵を反してギルドから勢い良く飛び出した。

 飛び出してすぐの道沿いは――違う。トラブルが起きるのはこんな人目がつく場所じゃなくて、人の目が少ない場所と相場が決まっている。


 何も知らない人からすれば遊んでいる子どもが大声をだしている程度にしか思えないだろう。だが、今の声主はシャーリィだ。ただ事ではないのでは……!?


「ベル! 今の聞こえたよな!?」

『彼女が悲鳴を上げるなんて……さっきまでシャーリィが居た場所を辿るんだ! 悲鳴が聞こえた感じからしてそう遠くない……!』

「ッ、ああ!」


 さっき通った脇道を目指して、俺は全速力で駆け抜ける。一体何が起こったのか、彼女は無事なのか。

 頭の中でアレコレと思考を張り巡らせながら、俺は目星をつけた場所に駆け込んで――


「ちょっとッ、やめなさいよ……!」

「ふっふっふ……堅っ苦しい仕事の帰りに、可愛らしい腰があったら抱き着きたくなるのが大人という訳でのー」

「うがー! だからその言い訳が毎回毎回理解できないっての!」


 さっき聞こえた悲鳴を頼りに脇道に駆け込んでみると、シャーリィがいた。

 ……いや、それだと色々不十分か。正確にはシャーリィだけではなく、その背中に何かが覆い被さるみたいに張り付いていた。

 布とか猛獣とかではなく、見知らぬ小さな女の子が。


「……なあ、ベル。何この状況」

『その質問、私に答えられると思うか?』


 呆気を取られながらもベルに尋ねるが、返ってきたのはやはりというか、俺と同じく呆気を取られながらの返事だった。

 ……この現状、一体どうなっているのだろうか。一言でこの状況を言い表すならば、少女知ってる方少女知らない方に襲われていた。それはもう、ネチネチと堪能するように。


「ユウマ! 悪いけど手伝って! この魂がエロ親父のちびっ子を引き剥がしてッ……!」

「……魂がエロ親父ってなんなのさ」


 背中に貼り付いている小さな女の子は黄金色の髪の毛で、装飾のない質素な薄着とスカートを身に着けているが、この辺りに住んでいる子供なのだろうか? シャーリィよりも一回り小さいその容姿は、女児と呼んだ方が正しいかもしれない。

 ……なんだろう。緊張感で張り詰めていた分、反動で感情が虚無になった。何事ももうどうでも良いです。


「……ベル。緊急事態だと思ったけど、なんでもなかった」

『そんなの見たら分かるよ。私は静かにしてるから後は一人で頑張ってくれ』

「……やだなぁ、絶対面倒臭いもん」


 何やらドタバタと暴れているみたいだが、取っ組み合いとか喧嘩が起きている訳ではないらしい。

 少女が張り付いてはシャーリィが引き剥がし、また少女が張り付いて……という攻防を繰り返しているだけのようだ。

 ……勝手に解決してくれないかなぁ、この状況。でも手伝えと言われたなら手伝うしかない。


「シャーリィ、この子を引き剥がせば良いのか?」

「ええ! 甲殻虫みたいにガッチリ張り付いてるなら、肩とか肘の関節を外しても構わないからッ……!」

「シャーリィ、流石にその表現はやめてくれ怖い」

「む、まるで自分が害虫みたいな扱いではないか……分かった分かった、止める止める」


 シャーリィから酷く拒絶された少女は不満げな表情を浮かべて手を離した。

 どうやら抵抗する気は全く無い様子なので、俺は少女を無理矢理引き剥がすような真似はせず、立ち上がらせる為に手を差し出す。


「おお、まだ若いのに紳士的な態度。ありがとうなー、青年よ」


 地べたに座り込んでいた少女は俺の手を握ると、感心した様子でそんなことを呟きながら立ち上がった。軽いのでひょい、と容易く持ち上げられた。

 そのまま同じく座り込んでいるシャーリィにも手を出そうとしたが、それよりも先に立ち上がられてしまった。目的を失った左手をポケットに突っ込む。


「ありがとう……ユウマが来てくれなかったらどんな辱めを受けたことか」

「辱めるだなんて人聞きの悪い……そういうのは殿方の役目だと決まっているのに」

「じゃあさっきのは何よ。お腹とか足とか散々触って」

「アレは魂の呼吸みたいなもんでな、定期的にやらないと仕事疲れで私は死ぬ」

「意味が分からないんだけど!」


 ギャアギャアと白熱する(しているのはシャーリィだけだが)会話を遠巻きに見守る。

 しかし、そろそろ何が何なのか説明が欲しい。この二人の少女の会話を遮るように俺は話を切り出した。


「シャーリィ、この子は何者だ? なんか行動と言葉使いがシャーリィ以上に年相応じゃないっていうか……正直に言うと変な子なんだが」

「な――へ、変な子じゃと!?」


 少女はガーン、とショックを受けた反応を取って壁にもたれかかった。

 少し失礼なことを言ってしまったと思ったが、それよりもこの少女の妙な語尾が気になった。やっぱり変だ、なんか怪しいぞこの子。


「察しが良いわね。そうよ、見た目はただの女の子みたいけど、そいつはとっくに成人しているから」

「成人済み? いやだって、まるで子供……いや、子供そのものな見た目なんだが……」

「こいつは長耳族エルフって種族よ。物語では美女として語られる事が多いから想像つかないと思うけど、こんな感じに殆ど成長しないのもいるんだってさ。ほら、私たちと違って耳が尖ってるでしょ?」

「いや、物語とかも俺知らないんだけど……ああ、本当だ。耳が妙にとんがってる」


 シャーリィの言う通り、この子の耳を見てみると三角形の形に伸びた耳をしていた。

 長耳族エルフというのは初めて聞いたが……事情を知らない人に十歳ぐらいだと名乗っても信じてしまうどころか、人によってはもっと若いと思ってしまいそうな見た目だ。

 にわかに信じられずその子どもを見つめていると、俺の視線に気がついたらしく腕を組んで胸を張っていた。


「ふっふっふ、驚くのはそれだけじゃあないぞ青年よ。あ、でも遠慮しないでもっと驚いておくれ。その方が嬉しい」

「……さいですか」


 さっきから妙に振り回されている気がする。俺は無気力に返事をしたが、この少女は何処か嬉しそうに笑っていたのであった。


「こいつの名前はギルドマスター。早い話、ギルドの最高責任者みたいな人よ」

「ギルドマスター!? えっとその、この人が……ええっ!?」

「あ-! シャーリィそれは私が言いたかったことなのに! こういう初めて知った人の驚く反応を楽しみにしておったのに!」

「そう、それは悪かったわね」


 俺の驚く声と少女――ギルドマスターの悔しそうな声で路地裏が一気に騒がしくなる。その一方でシャーリィはご機嫌斜めと言わんばかりにスカートの砂を払うと、俺たちを無視してギルドの方へ歩き出した。


「シャーリィ?」

「私、先にギルドに行ってるから。さっさと要件を済ませるわよ……もう、とんだ目に遭った……」


 こちらを振り返ってそう言い残すと、シャーリィはブツブツと呟きながらギルドに行ってしまった。態度も声色も楽しそうではない。シャーリィはギルドのことが嫌いと思われる節を何度か見たのだが、これは……


「……ギルドマスターさん、で良いんでしょうか」

「どんな呼び方でも構わない。それにわざわざ敬語を使ったり、“さん”なんて付けなくて良いぞ青年よ」

「それは……もの凄くありがたい。正直言って、年上なのは理解してるけど見た目が圧倒的に年下過ぎて扱いに困っていたというか」

「ふっふっふ、それも構わんよ。皆がそういうからのう」


 見た目と中身の違いで妙な扱いにくさを感じてた俺に対してギルドマスターは気さくに笑っていた。

 呼び捨てでも構わないと言ってくれたことに感謝をする一方で、やっぱり人生経験から来る大人の余裕のような、そんな懐の広さをギルドマスターから感じさせられる。

 ……人生経験とか、今の俺には無いものなので少し羨ましかったり。


 彼女の呼び方は無難にギルドマスターと呼ぶことにしておき、本来の話題を思い出す。ギルドマスターに声をかけた理由であった“聞きたかったこと”を俺はもう一度切り出した。


「ギルドマスター、これってひょっとするとの話なんだけど」

「? 何だ何だ」

「あー、上手いこと遠回しな表現ができないから単刀直入に聞くけど……ギルドマスターって、シャーリィから嫌われていたりする?」

「…………う゛っ」


 目を逸らし苦笑いを浮かべ、頬に冷や汗が伝う。

 ギルドマスターの反応のそれは、思いっきり心当たりがある人の反応であった。よくもまあ、そんな分かりやすいリアクションが取れたものである。


「……青年よ」

「なんですか」

人間エルフというのは己の欲の為に生きていると思わぬか? 己の欲を満たすその時、その過程、その瞬間にこそ! 生きている実感がある……そう思わぬか?」

「その己の欲って、例えば」

「む、例えば……その、シャーリィのお腹とか腰とか……太ももとかを触ったり、あのぷにぷにした頬をつついたりなんて……ふぇへへ」

「よくもそこまで欲望ダダ漏れさせながら恥ずかしそうな顔ができるな」


 人差し指同士を合わせながら、ギルドマスターは恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべていたので思わずそんな一言を口にしてしまった。

 シャーリィとギルドマスター。どちらも子どもに見えて中身は大人なのだが、シャーリィは立派な大人で、こちらは駄目な大人な感じがする……いや、間違いない。シャーリィが逃げるのも納得できるし同情する。


「というか何だ、さっきからその反応……お主本当に男なのか!? まさか、女子おなごの裸体に興味が無いのかッ!?」

「今はそれどころじゃないんで――ってか、シャーリィも先に行ってるし俺たちもギルドに行くべきなんじゃないのか」

「むむっ、そうだった! 早く行かなくては……シャーリィに嫌われてしまう!」

「手遅れでは?」


 そう言うとギルドマスターはギルドに駆け足で向かった。その一方、俺はその背中を無気力に追いかける。妙に気怠くて、あくびが止まらない。


『ユウマ、疲れているのか?』

「緊急事態だと思って駆けつけたらこんなことになってたんだ。振り回されすぎて心が疲れた」


 あくびを噛み殺しつつ、前を歩くギルドマスターに聞こえない程度の声でベルに返事をする。

 コーヒーハウスからギルドへ向かい、到着してからまた道を戻るだなんて、そんな必要以上の移動をしたことも含め、さっきの出来事で精神的に疲れが溜まった気がする。


『確かに私も狐につままれた気分だよ……まあ、シャーリィが無事だったし、ギルドマスターって人も優しそうな人で良かったじゃないか』

「……? 今何か話しかけたか?」


 先を歩いていたギルドマスターが横に伸びた少し長い耳をピクリと動かして、不思議そうにこちらを振り返る。

 この距離と騒音なら聞こえないと思っていたのだが、どうやらベルの声が聞こえていたらしい。耳が特徴的な分、聴力も良いのだろうか……?


「いいや、何も」

「……ふむ? そうか。名前を呼ばれた気がしたのだが……耳が利くのは良いことだけじゃないのう。夜間なんて壁越しにアレコレ聞こえたりするし」

「アレコレ……? 何それ」

『やめろユウマ、私の方を見るなっ、私に聞こうとするなっ!』

 

 ギルドマスターの発言とベルの反応に首をかしげながら、俺は空を眺めながらあくびを噛み殺す。

 ……少しだけ黄色が滲み始めた空。ひたすら前へ前へと急いでいる俺に対して、動いているのかすら分からない程にゆっくりと空の中で雲が漂っていた。

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