【A視点】ワンオペに正月はない

・SideA


 いつも呑気に日向ぼっこしているように見える野良猫も。

 いつか、越冬できない年が来る。


 弱った猫はボランティアさん方に任せて、すぐに動物病院へ。

 私達は昼間に目撃した子供を連れて、暗くなりつつある帰路についていた。


「おーててーつないでー、いざかえろー」


 子供はさっきまでの涙が嘘のように、私達に挟まれるようにしてつないだ手をぶらぶらと振っていた。

 アスファルトに伸びる3つの影が、あったかもしれないノスタルジーを呼び起こす。


「親にやってもらった? こういうの」

 子供と童謡を歌っていた彼女が、こちらへと会話を向けてきた。

「どうだろう。肩車の記憶は残っているが」

「それで白髪むしって怒られたりしなかった? あたしはした」

「むしるほどの髪がなかった」


「あー、あーあーっ」

 話し込む私達に、子供はかまってほしそうに歌の声量を上げる。

 子供の甲高い声は耳に響く。だけど気を引く姿は幼い頃の自分を重ねてしまって、妙に切なさが湧いてくる。


 しかしずっと彼女に首を向けているあたり、相当懐いているな。


 子供は好きではあるが、私は好かれるほうではない。

 知的年齢を合わせて一緒にはしゃぐ、といったことが苦手なのだ。


 それに、子供は本能的に子供扱いせず、かつ美形な人を選ぶ。

 ゆえによく懐かれている彼女が少し羨ましくもある。


「つかれたー」

 少し歩いていると、唐突に子供がしゃがみこんでしまった。


 おいおい、と彼女が呆れ笑いを浮かべて腕を取る。

 が、すぐに跳ね除けられる。


「あとちょっとだよ」

「やーだー」


 まるで亀の姿勢をとった柔道家のように、子供は丸まっててこでも動かない。


 地面に寝っ転がって足をばたばたされるよりはマシな光景ではある、が。

 ただでさえこの子供は長時間外にいたのだから、抵抗力が落ちているはず。

 早く屋内に入れなくては。


 猫の保護を親に断られた、と言っていたから公園までの距離を往復していたのかもしれない。

 それなら子供の体力では疲れるのも納得できる。


「ほら」

 私は子供の目の前にしゃがみこんだ。後ろに両手を突き出して。

 察した彼女が、お姉ちゃんが運んでくれるってさ、と呼びかける。


「しっかり掴まって」

 子供はおそらくおんぶか肩車待ちだったらしく、あっさり立ち上がってこちらへと体を預けてきた。


 疲れたなどと言っていたくせに、いざおぶるとぶーん、なんて元気そうに両手を広げて風を受けている。


「さすが毎回あたしを運んでいるだけあるね」

「小さい子を乗せるのは初めてだよ」

「そうなん? あんたの背中って争奪戦起こりそうなのに」

 この人は私の背中に何を感じているのであろう。


 ……正直、他人の子供を連れているのもあり。

 いつ勘違いされるか気が気ではなかったが、ここまで来るとほとんど家族のやりとりである。


 お互い望んでいない意見が一致しているとはいえ、いざ子供と戯れていると悪くもないかな、と思ってしまう。



 しばしの疑似家族気分に浸りつつ、件の古いアパートの前まで来た。

「ごめんくださーい」


 だが、何度インターホンを押しても中からの応答はない。

 まさか子供を置いて外出、なんてことはしていないだろうが……


 大体にして、この子の親は目を離しすぎにもほどがある。

 モールのマッサージチェアで眠りこけるわ、猫のことで揉めて出ていった子を探そうともしないわで。


 しびれを切らして彼女がドアを叩き始めたところで、ようやくカギが回される音がした。


「……はい」

 ずいぶんとかすれた、一見男女の区別がつきづらい声が聞こえた。


 ドアの闇から這い出た姿は女性ではあったが、髪はボサボサで、まさかのパジャマ姿でのお出迎え。


 そんな格好にも気づいていないのか慣れてしまったのか、女性はぼんやりと焦点の合っていない目を向けている。


「あの、お子さんを保護いたしましたので連れてまいりました」

 彼女の呼びかけにも女性は聞いているのか聞いていないのか、うつろな目を向けていたが。


「あっ……」

 彼女から隠れるようにして出てきた子供を目にした瞬間に、女性は肩を震わせ始めた。


 体罰を振るわないか警戒していると、嗚咽が漏れる声が聞こえた。

 女性からであった。


「ごめんなさい。ママもう何も言わない。好きにして。だから騒がないで。もう少しだけ寝かせて。悪いけどあっちでそのお姉ちゃんたちと遊んでて」


 女性は抑揚のない声で『おとなしく遊んでて』と、何度も何度も涙声を混じらせ子供に懇願する。


「まま、」

 子供はひどく動揺していた。当たり前である。

 いくら小さい子と言えど、親が元気のないときは教えてもらわずとも読み取ってしまうのだから。


「ごめんね、まーちゃん。いっぱい怒鳴っちゃって。怖かったよね。でもお金がないのはほんとで、猫は無理なの。ごめん。あともうちょっと、もう少しだけ待ってね。そしたらいっぱい遊んであげるから。ね。ママ、ちょっと疲れちゃったんだ。ほんとうに、ごめんなさ、」


 言葉の途中で、女性が大きくバランスを崩した。

 寝落ちに近い崩れ方であった。


 玄関に片足を踏み込んでいたのが幸いした。すぐに抱える動作に入って、女性にしては大柄な体を受け止める。


「…………」

 どうしよう、と彼女と見つめ合う。

 猫の容態に関しては、ボランティアの方々とアドレスを交換しているので問題ない。いずれは連絡が来るはずだ。


 問題は、こちらの親子。

 見た感じ子供は放置気味で、母親は明らかに育児ノイローゼの兆候がある。

 本来であれば児相か支援センター案件であり、私達が介入する余地はない。


 だけど。

 こちらを不安そうに見つめる子供の目からは、行かないでと揺れる感情が読み取れてしまう。


「あっちで遊ぼっか。いい?」

 私に向かって頷くと、彼女は子供に連れられてひとつの部屋へと向かっていった。


 私はぴくりとも動かない母親を抱えて、寝室を探しに回る。

 つくづく、鍛えておいてよかったと思った。


「…………」

 うすうす気づいていたが、洋間はさらに悲惨であった。

 ほとんど手がついていない食事の後、ところどころに飛び散った食べかす。

 床に散らかるミニカー、ぐちゃぐちゃに落書きされたクレヨンの痕。


 片付ける気力も無いほど、追い詰められているのが見て取れた。

 私達の前では普通の子供といった印象であったが、母親の前ではやんちゃな子なのだろうか。


 他人の立場といえど、何も見なかったことにはできなかった。

 無断ではあったが一通り掃いて、拭く。

 敷いた布団に女性を寝かせて、書き置きを残して、私は彼女がいる部屋へと向かった。



 子供が寝静まったタイミングで、そろそろお暇しようかと私達は母親の休む洋間へと戻った。


「あ……」

 ちょうど母親は起きた頃だったのか、布団から身を起こしていた。今度ははっきりとこちらを見ている。

 綺麗に片付いた室内を見渡して、いきなり床に届く勢いで頭を下げた。


「ご、ごめんなさい。ごめんなさい。人様にお片付けさせて、お見苦しいところを見せてしまって。子供を保護してくれたお礼も忘れて」


「いいえ、私こそ勝手に人様の家をいじくり回してしまい申し訳ございません。お子さんは今、向こうのお部屋でお休みになりましたので。ご安心ください」


 子供が寝入ったことを伝えると、母親の両目から涙がぼろぼろとこぼれ出した。

 彼女が近づき、お母さんももう少し休まれますか? それまで見ておりますのでと申し出る。


「いえ、さすがにこれ以上お世話になるわけには……」

 女性はそう言うが、明らかにはいそうですかと退散できる精神状態ではない。

 やはり、行政に頼るのが第一ではないのか。そう伝えると。


「……児相も、保健センターも。まるで頼りになりませんでした。何度も何度も伝えたんです。このままでは子供に手を上げてしまうと。なのに、”子供に何かしてしまったらお伝え下さい”だの。話していても上の空で。今すぐ話どころか泣き止ませてほしいのに。結局他人事なんだって」


 知りたくもなかった現実であった。

 すべての施設がそうとは限らないのであろうが、少なくともそういった駆け込みの体を成していない場所もあると言うこと。


 であれば、親はどこに助けを求めろというのか。

 この女性の深い絶望が伝わってくる。


 それまでは幼稚園に預けていたから少し持ち直してきたものの、冬休みに入ったことでぶり返してきてしまったのだという。


「わた、私も結局。こうなるまで育児を甘く見ていたのです。妻からもう限界だと押し付けられたときはなんて責任感がないのだと。怒りの気持ちを抱いておりました。ですが。当事者になってやっと分かりました。なのに満足に育てられないなんて。親失格です」


「……妻?」

 どういうことであろう。

 育児の話の途中で引っかかる部分があり、私と彼女は同時に首をかしげる。


「あの子は、血のつながった私達の子供なのです」

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