【B視点】夜は更けていく◆

・SideB


 行為中の声ってさ。

 あぁんとかふぇぇとか。こんな感じの知性が抜けた、媚びっ媚びのイメージあるじゃん。

 当然あたしも、そんな声が出ると思ってたわけよ。


 くすぐったいポイントは気持ちいいものになるっていうから、あたしは恥をしのんであいつのくすぐり攻撃に耐えていたわけだけど。


 さっきの、己の痴態を思い返す。うん、なんだあれ。

 だみってるというか、サカリのついたケモノじみてるというか。

 かわいくないぞ、あたし。あれじゃ萎えるぞ。


 うーん、コツとかあるんかなあ。演技じゃなくて自然にいい声が出るやり方って。

 次はもう少し、色気のある声で迎えられますように。あーめん。



「…………」


 暖房風を吐き出す、エアコンの作動音を頭上へと感じる。

 室内は薄暗い。そのほうが風情があるかなって、あいつがさっき電気を消した。


 枕を背に、ベッドのヘッドボードへと寄りかかったあいつへと。

 あたしは体重をかけた。


 ぎしっとマットレスがきしみを上げる。

 エアコンの真下に来たからぬくい風が吹き付けて、頭の上をふわふわ撫でられてるみたい。

 あったかい、けど今はちと暑い。


 宮棚に置いてある、四角い目覚まし時計の秒針音がやけに大きく聞こえる。

 針の差す時刻は、午後10時に差し掛かったところ。


 何時まで、あたしはここにいるつもりなんだろう。平日なのに。

 野暮な考えは、すぐに吹っ飛んでしまった。


 左手に強い力を覚えたから。あいつが、絡ませた指を強く握りしめていた。

 今は余計なことを考えるなと。

 少し痛いくらいに締め上げる、汗ばんだ手が物語っている。


 今日は帰さないってことかなあ。

 心配しなくても朝まで付き合うのに。


 ベッドサイドの明かりにぼんやり照らされるあいつへと、あたしは顔を突き出した。


「……?」

 てっきり前回のやり直しよろしく、キスの流れに向かうと思っていたのか。

 微妙な位置で頭を下げるあたしに、あいつが真意がつかめずきょろきょろ眼球を動かす。


「さわってくれる?」

 あたしは棚のスマホを手に取ると、該当するページをあいつの眼前へと向けた。


 何度も重ねてるとはいえ、唇だって身体の一部だからね。

 ちゃんと準備というものがあるらしい。


「失礼する」

「ん」


 軽く指を曲げたあいつの手が伸ばされる。

 力を入れてないから、へにゃりとしなだれかかるみたいに指先が頬へと触れた。

 でも、力を極力抜くことが肝なんだとさ。


「……っ」


 つう、と。

 頬から下へ、顎へ、反対の頬へ。カーブを描いて、顔の下をなぞられる。


 最後に唇を、ゆーっくりと指の腹が撫でていって。

 予想以上のくすぐったさに、あたしはぎゅっと目をつぶる。

 何度か肩がぞわわって跳ねるのを感じた。


 ……キスよりもやらしいことをしている後ろめたさが湧いてきた。

 いや目的としてはそうなんだけど。


「な、なんすか」


 あいつの指が唇を離れて、さらにあたしへと触れていこうとする。

 え、これはスマホの手順にはない。

 行動が読めなくて、逃げ腰になるけどつないだ左手が許してくれなかった。


 さすが有段者と言いたくなるほどのものすげー握力がかかってきて、血圧測定並みの圧迫感にあたしは思わず『いてっ』とこぼしてしまう。


「ち、ちゃうよ。とっさで。痛くないよ。うん。そんなに」

 まずったと血の気が引いていくあいつへ、何かしゃべる前に大きく声をかぶせる。


 そうだよ。ついさっき逃げない離さないって約束したはずなのに。

 言い出しっぺが破ろうとしたから。


「……怖がらせるつもりはなかった。悪い」


 軽く頭を下げて、額を撫でてみたくなったと聞かされた。

 別にそれならいくらでも。お願いしますとやる気が引っ込みかけてるあいつにねだると、ためらいがちに指が伸びてきた。


 熱でも計るように、前髪の下に指がすべりこんでくる。

 あいつの手は大きい。手のひらにすっぽり額の面積がおさまって、直に熱を送られているみたいだ。


 おでこなんて触られるのいつ以来だろうなあ。

 子供時代が蘇ってきて、懐かしさにほー、と息が漏れていく。


 あいつがいいなあ、とつぶやいた。きれいな肌だなと。


 過去に他の友達からも、ずるいーくれーって髪とか肌とか胸とか見られて言われたことはあったわそういや。

 ねだられても物理的にゆずれないのに。


「今はあたしだけのものじゃないじゃん」

 遠回しにそう返した。

 だから、こういうことをしてるわけなんだしさ。


「……たまにすごいこと言うよな」

 整えるように前髪を撫で付けるあいつに、控えめに突っ込まれる。

 いやいや、君もなかなかの天然たらしだと思うのだけど。



「そんじゃ。お待たせ」

「ああ」


 あいつの頬に手を添える。

 まだ不慣れだから正直心臓はばっくばくだけど、前回の経験があるから頭真っ白ってほどじゃない。

 ほふく前進程度だけど進んではいる。


 キスひとつするのにも、情事中であればじらすってのは大事みたい。

 あたしにんなテクニックはないけどね。

 たまにマニュアルより、気持ちに従ったほうがいいときもあるのだ。


 なので、あたしはまったく手順にないことをした。


「…………」

 あいつがきょとんとした顔で、顎を引く。

 それもそのはず、あたしは額に唇を落としたからだ。

 そーいやここはなかったよなーと、単なる思いつきで。


「さっきのお返し」


 ちょっと声が上ずってしまった。

 むう、唇以外のとこにするってのもけっこう恥ずかしい。


「それはどうも」

 額を撫でて、うつむきがちにあいつからも返ってきた。


 ……いやいや。こんなことしてる場合じゃないでしょう。

 あたしからペース握るようになってから、まだカップルのおたわむれレベルでしかいちゃついてないんだけど。


 さっき塞ぎたいって申し出たのはどこのどいつだ、まったくー。

 これはビビってるわけじゃない。決して。ムードを高めるためであって。

 ないから。ないっての。


「そろそろ、欲しいかな」

 ついにあいつから言われてしまった。

 未だ恥ずかしがってることを見抜かれたみたいで、ぐぬぬと片方の手でシーツを握りしめてしまう。


「そんな顔をするな」

 気が立ってる子をなだめるみたいに、背中をぽんぽん叩かれる。

 奇しくも、ふだん絶対にしない穏やかな微笑みを浮かべて。


「急かしたのは謝る。満足させてほしいと言ったことで、プレッシャーになってることも」

 う、内心その言葉が引っかかってたのは事実だ。

 失敗が怖い若者の性分のせいで。


「いえいえいえ。むしろモチベばりばりですよ」

 なんて聞こえの良い言葉放ったけど、引きつった顔は取り繕えない。

 がちがちに緊張しているのは見え見えなわけで。


「だ、だけど。満足するというのは上達の意味合いよりも。むしろ」



 一生懸命してくれることが、一番かわいいと思うから。



 なんて言われたかを理解するのに、あたしは数秒ほど固まった。

 三点リーダがのろのろと、右から左へホワイトアウトした脳内を流れていく。

 ふだん絶対しない顔で絶対言わない台詞吐かれたら、そりゃそうなる。


 口元がぷるぷる、べつの生き物みたいにわななくのを感じた。

 胸がいっぱいいっぱいになって、喉が潰れたように息が詰まって、なかなか声にならない。

 もつれる舌に鞭打って、なんとか人の言葉に出す。


「そう。じゃあ、」

 存分に受け取りなさいな。

 せり上がりかけた言葉を今度こそ塞ぐべく、踏ん切りがついたあたしはやっと唇を重ねた。



「…………」

 あんだけ前フリ長かったのにいきなりやっちゃったけど、あいつはすんなり順応した。

 こないだみたいにすっとまぶたを閉じて、腰に手を回して。


 今日は手ぶらじゃない。ちゃんと頭に叩き込んできた。

 まずは触れる程度からということで、ただくっついてるだけの口づけを。

 頬の燃え広がりはどうしようもないけど、とにかく、焦らないこと。


 伝わる柔らかさとぬくもりを受け止めて、少しづつ熱情を高めていく。


 これまではいっぱいいっぱいで気づかなかったけど、ゼロの距離にいるんだからやっと鼓動を感じ取れるようになってきた。目の前で重ねている人の。


 意外と刻むリズムは速い。

 涼しい顔をしているけど、やっぱ心の内はどきどきしてるんだ。へえ。


 ってことは、ドラマー絶好調にあるあたしの心音なんて響きまくってるだろうなあ。

 それで却って平静を保ってるとか、と考えるとなんか悔しい。


 たとえば映画で泣きそうなときに隣で大号泣してる人とかいたら、ぴたっと涙が引っ込むもんだけどさ。


「…………」

 30秒くらい経って、次の段階を思い返す。


 えっと、唇でやさしく甘噛み、だっけ?

 たぶん、言いたいことは歯じゃないとは思うけど。

 だとすると、もしや。唇ではさめってことかい?


 うう、この時点でハードル高いわ。はみはみとか。

 やってて恥ずかしくないんか世のカップルさんはよ。


 でもやるしかない。練習のうちと思えば。何事も挑戦。

 一生分の恥ずかしい感情は今のうちに使い切っておこう。


 あたしは一度、顔をほんの数センチ離した。

 ふうとあいつの吐息がこぼれて、うっすら目を開く。


 固く握った手の親指が、くっと何かを伝えるように付け根をなぞる。

 期待に待ち焦がれているんだと分かった。


「……っ」

 意を決して、あたしは唇を突き出した。

 わずかに口を開けて、あいつの下唇をそっと捉える。


 歯は当ててない、よね。

 肉厚の、リップクリームに縁取られた湿り気のある感触が唇に伝わっている。


 ……えっと。ここからどうするんだ。

 はみはみって、そもそもどうやるんだ。


 やれと手順書にはあったけど、こうしろとは書かれてなかったと思う。

 1から10まで書くとこを、1と10しか書いてないサイトのなんと多いことか。


「ん、む、」


 こ、こうかなあ。

 挟んだ口唇を押し揉むように、力を込めて、抜いて、また入れてを繰り返していく。

 はみはみというより、あむあむだけど。

 ときおりくいくい引っ張ったり、強く挟んだりして、緩急をつけていく。

 下唇を刺激しまくったら、今度は上のほうも。


「…………」

 すべり落ちるようにそっとほどいて、顎を少し上げて、上唇を捕まえる。

 またあむあむやってたらワンパターンとか思われそうなんで、今度はしばらくそのまま挟むだけで。


「ん、んっ」


 ちょっと時間を置いて、上唇への奉仕を始めた。

 吸ったり、揉んだり、つたなくてもいい、とにかく時間をかけて。

 ……えっと。それで、次は。


「…………」


 あいつはしばらく、あたしにされるがままだったけど。

 なかなかあむあむから次にいかないあたしに痺れを切らしたのか、ついに行動に出た。

 次は短時間でのキスを重ねようと、口唇を解放した矢先。


「っ、」


 つなぎ止めるように、ぬるりと何かが唇をなぞっていった。

 遅れて、舐め上げられたのだと気づく。


「な、え、ぇぇ?」

 まさかあいつからそんなことするとは思ってなかったから、あたしは次に何をしようとしていたのかを一瞬で忘れて頭がパニックを起こす。

 なめ、え、されたの? まじ?


「嫌、か」

 あいつがためらいがちに聞いてきた。


 嫌じゃない、けど。けど。

 レディコミとか映画とかそういうとこでしか見たことがないようなやつだし、あれ。


 いつかするかなとは思ってたけど、まさか初日からするとは思ってなかったわけで。

 でも、ここでまだ早いからーなんて拒否ったら、ラブホから逃げ帰るひどい彼女みたいで断れる流れではなかった。


「や、やってみたい。です」


 今日何度目かの恥ずか死記録を更新して、あたしはかろうじて聞こえるくらいの声で同意した。

 雰囲気に押されてずるずると、とは思われないように、じっとあいつの顔を見つめて。


 心臓はずっとフルスロットルで稼働している。死ぬほど恥ずかしい。

 告白イベントなんてかわいいもんだ。今なら清水寺から奇声あげて身投げできそうなほどには恥ずかしい。


「噛まないように」


 一方あいつも止まれない瀬戸際にいたのか、行動に出るのは早かった。

 強く抱き寄せられて、そのまま唇が捕らえられる。


 ゆっくりと、這うように、口唇をすり合わせていく。

 こわばる緊張をほぐすように。

 時間をかけて、吐息を重ねて。

 互いの体温が溶け合って、引き結ぶだけだった唇への警戒が解けてきたころ。


「っ」

 生温かい舌の感触を覚えた。

 こじあけるように、下唇がそっとなぞられていく。


 す、するんだ。やっちゃうんだ。

 噛んじゃだめだ噛んじゃだめだと頭の中で繰り返して、受け入れるようにゆっくりと力を抜いた。


「ん……」

 温い舌先が、静かに唇を割って滑り込んでくる。

 激しさはなく、ただ突っ込んでるだけだけど。あまりの恥ずかしさにうまく息ができない。

 前回とは比にならんくらいふーふー鼻息が漏れてたけど、そんなのも気にならないほどあたしは羞恥の極みにいた。


「ん、っく」

 いきなり耳を撫でられて、予想していなかった刺激にあたしは肩をびくつかせた。

 ちょ、ちょっと待って。塞ぐって、つまり。


 そういう時に限って予感は当たる。

 耳たぶを軽く引っ張り上げられて、間髪入れず指の腹が首へ、頸動脈をなぞっていく。


「んん、ぅうぅぅっ……」

 いくら声が出ないからって、同時にって。おいこら。

 あたしがいろいろともちませんが。


 ふがふが悶えるあたしにかまわず、悪い手付きが首から上を好き勝手に這い回る。


 ぞわぞわと鳥肌の無限空間に放られて、ここまで来ると口を塞がれてるってのはあんまり関係ない。


 んーんーと、濁点混じりの唸り声をあたしは我も忘れて上げ続ける。

 おかまいなしのやりたい放題のくせに、左手は固く握られてるのが憎めない。


 舌入れられてあちこちくすぐられて、ついでにがっちり動きも封じられて。

 処理する脳がオーバーヒートでも起こしたんか、あたしは記憶が吹っ飛んでいた。



「…………」

 ようやく唇が解放されて、支えを失ったあたしはすっかり放心していた。

 意識までは飛ばなかったけど、高いとこに無理やり押し上げられて降りられない状態にあった。


 たぶん、一晩は戻ってこれないと思う。

 ごめんよあたしの心臓、今日は過労させて。


 なんか、すごかった。いろいろ。

 この先大丈夫か、あたし。



 一線を超えたわけじゃないのに、あたしたちは真冬とは思えないほど汗ばみながら、二人してへばっていた。


 今は仲良く添い寝状態で、どっか熱に浮かされたみたいにだらだらとおしゃべりに興じている。


「このむっつりさん」

「すみません」

「責任を取ってください」

「最初からそのつもりです」

「…………、満足できた?」

「……良かった」


 やっぱり腰が抜けたまんまのあたしに寄り添うあいつの頬を引っ張る。

 痛くしない程度に。


 だけど、感じるとか気持ちいいってこんなのなんだろうねえ。

 みんな通ってきた道なんかな。


「えっと。でも、またしよっか。ね」

 慣れなきゃ、その先にはいけないんだもんね。


 こくこく頷くあいつの頭を撫でて、そんなわけで眠りにつく。


 腕枕はちょっと興味あったんでやってみたけど、あいつの腕がしびれたら申し訳ないのであんまり長くはやらなかった。

 ハネムーン症候群って言うんだね、あれ。


 これを一晩中はちょっともたないや。まだ。

 お風呂も……だめだ眠気には勝てない。明日朝イチで帰ろう。


 ああ、それと。

 あたしは一つ学んだことがあった。


 

 次はシート、つけてこよう。

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