【A視点】カミングアウト(後編)

続・SideA


「…………、それは良かった」

「え、なんやねんその薄いリアクション」


 私は言葉の意味をそのままに受け取っていた。


「そんな勿体ぶって言うことでもないだろう。恥ずかしがることじゃない。確かに、仕事先の範囲内なら電車賃等の出費を気にしなくていいだろうし。でも、気軽に遊びに行けるくらい好いてくれているのは嬉しかったよ」


 こんな自分でも、ちゃんと親しい人間として認識されている。

 一方的な友人関係ではない。

 長年の不安が払拭できたことに、私は一人勝手に安堵していた。


「ちーがーうー」

 遅れて、私は盛大な思い違いをしていることに気付かされる。


「……どうした?」

 彼女は拗ねる子供のごとく頬を膨らませて、手を上下に振り乱し始めた。


「このばかちん。にぶちん。おたんちん」

 無駄に韻を踏んだ罵声を浴びせながら、私の寝間着、首元あたりを引っ張り上げる。


「乙女心を。カミングアウトを。踏みにじりおってっ」

 口調こそ芝居がかっているが、瞳には激情が揺らめいている。

 ここまでご乱心の彼女を、いつも余裕めいた態度しか見ていない私は知らない。


「待て、落ち着け、どうして機嫌を損ねる」

 質問には答えず、彼女はさらに声を荒らげた。

「あんたは自分なんて好かれるわけがないって思い込んじゃってるんだろうけど。

だったらわからせる。あたしが全部満たしてやるっ」


 そして、私の上体は崩れ落ちた。

 前へ強く引き寄せられたからだ。

 彼女に覆い被さる形で、視界が傾いていく。


「っ」

 咄嗟に手を突き出す。


 両手は無事床へと触れた。板を叩きつける乾いた音が響いた。

 結構痛い。じんじんと痺れが広がっていく。


「……いきなり危ないだろう」

「ごめん手がめっちゃ滑って」

「どの口が言う故意犯。一応聞くが、どこも打ってないか」

「……うん」


 眼前には、唇を固く引き結ぶ端正な彼女の顔。

 後ろから落ちたのに頭も打たず器用に倒れ込み、私を鋭い眼光で見上げている。


 私は彼女を押し倒す体勢になっていた。


「これで、分かる?」

 両腕が伸びて、首の後へと回される。

 それだけの動作が、綺麗な人がすると演技を目の前で魅せられている錯覚にとらわれる。


 板張りの床に散らかった靡く髪。少し乱れた衣服。私を射抜く切れ長の瞳。

 映るすべてが絵になって、まるで撮影中の1シーンに放り込まれたかのようで。


「ええと……いつからだ」

「今更それ聞く?」


 2年越しだよ。艶のこもった声色で囁かれた。


「友達でいいと思ってた。ずっと隠してこのままでもいいやって。壊れるのが怖かった」

「そんなに、前から」

「君が言わせたんだからね」

 おどけたように語尾を上げて、回された腕に少しだけ力が込められる。


 その通りだった。理性の静止を振り切って、踏み込んで、引き金を引いたのは私だ。

 きっと心の隅では、いつかこうなる展開を予感していたのかもしれない。

 現に同性からの告白という非現実的な現実に直面している今も、そこまで動揺していない自分がいるのだから。


「他にご質問等は?」

「ない……が、こちらからの意見を許可して欲しい」

「ご自由に」


 それは、自身に深く根ざした感情。

 自分でも未だ推し量れておらず、自信がない。だから客観的な意見を他人に求めた。


「私は、見ての通り醜い。外見的にも、内面的にも魅力がない。分からない」

 とても、彼女と釣り合えるとは思えない。身の程知らずにも程がある。


 そんな自分の一体どこに恋愛感情を芽生えさせる要素があったのか。

 問わずにはいられなかった。


「本当にわからないんだ?」

 気づいていなかったんじゃしょうがないか。そう独りごちて。

 彼女は口角を上げて、信じがたい言葉を言い放った。



「あんた、意外とモテてたのに」

「……はい?」



 理解が追いつかなかった。聞き違いかと耳を疑う。

「後輩が特に多かったかな? 詳細きぼんって。何人かに言われたんだよ?」

「ありえない」

「女子オンリーだったからね」

「需要が狂っている……」

「褒め言葉なんだから受け取っときなさい」


 確かに、3年間部活に打ち込んだ結果、それなりの成果を勝ち取り後輩たちに慕われるようになったのは嬉しかった。


 素晴らしいチームメイトに恵まれたことを誇りに思っていた。

 口下手な私に対して友人たちが橋渡しとなってくれたから、良い関係を築くことができたのだと信じていた。


 それが、まさか。


「大体、どこが」

「イケボだし、優しいし、気が利くし、背高いし、雰囲気イケメン。だってさ。良かったじゃん。女子ウケ抜群で」


 人生で初めて”あなたの良いところ”かもしれない言葉を浴びせられ、素直に受け入れ難い自分がいた。

 彼女なりにでっち上げていると言ってくれたほうがまだ信じられた。


「最後の雰囲気イケメンは、筋トレと私服センス磨きの功績によるものだよ?」

「そうか……」


 顔から火が出そうだった。

 同時に自分の悲惨な面と格好良さの定義なるものを連想してしまい、背筋に悪寒が走る。


「なんで紫じみてんの?」

「羞恥と吐き気が鍔迫り合いを」

「もっと自分を褒めてあげな」

 彼女は一つ息を吐くと、背中に手を伸ばした。

 緩やかな感触が首から下を行き交う。さすってくれているようだった。


「……それで」

 気を取り直して内容を総括する。

「上記の理由に該当したから、か?」

「タイプだったのは否定しないけど、もう一つ」

「……?」

「きれいって、見たままだけじゃないよ。

頑張る人は美しい。頑張り続けている人は、もっと」


 背中を撫でていた手を引っ込めて、顔の横へ添えられる。

 降り注ぐようにして流れ落ちる髪を、彼女はそっと梳いた。


「あたしの目には、あなたは高価で尊い」


 どこかで聞いたことがある言葉だ。

 しかし彼女は次の句を継がず、口を閉じた。

 質問に対する答えだから、その先は私に委ねると言うことだ。



「じゃあ、聞かせてよ。返事」

 背中に回されていた腕がほどかれた。

 突き放したければ、いつでもできる。そういう構えだ。


「…………」

 私は思考を没頭させ、深層心理との対話にかかった。


 これまで、私は色恋沙汰というものにとんと縁がなかった。

 知ることなく一生を終えるのだろうと、一切の迷いを持たず思っていた。


 しかし、今はどうだ。

 親しい友人に秘めた想いを告げられて、心は揺れている。

 今更、同性がどうということにさしたる葛藤はない。

 多様性の時代だ、愛に性別や種族の壁はあっても法に触れてはいないのだから。


 さあ。どうしたい、私は。


「そういえば」

 私は一つの考えを解き始めた。

「疑問だったんだ。ずっと。どうしてこんなことをしているのか」

「なにが?」


「私は自分のことが好きではない。頑張っても、お前や他の人には到底追いつけない」

 なのに、誰に強要されたわけでもなく、私は自分磨きのような日課を続けている。


 確かに、身だしなみは大事だ。社会に入れば必ず付いてまわるのだから。

 運動も大事だ。自己管理のできる体はさまざまな病気の予防となるし、体力もつく。

 勉強はもちろん言うまでもない。


 それが自分のためだと思っているからやってこれた、と聞かれると腑に落ちないのだ。

 不特定多数の目を気にしてといった理由も、上げるとなると少しずれている。


「それが、今日やっと見つけられた」

 私は髪の毛を褒められたときに、年甲斐もなく浮かれていた。

 次なる褒め言葉を引き出そうと、自慢気に道具を取り出した。

「きっと、ずっと前からそうだったのかもしれない」


 彼女は、まるで自分のことのように喜んでくれた。

 私に何か一つ身につくたびに、褒めてくれた。

 その笑顔をもっと見ていたかった。期待に応えたいと思った。

 振り返れば、気を引きたくて行動していた一人の小娘に過ぎなかったのだ。


 努力は必ず報われるとは限らないが、成功者はみな努力をしている。

 彼女だって今の美しさを保つために、並々ならぬ努力を重ねている。

 自分のために。自分を好きでいてくれる人たちのために。


 それだけ、目立つ人への期待は計り知れない。頑張らないという選択肢はないのだ。

 少しでも加齢や体調による劣化が感じられたら嗅ぎつけられる芸能人のように。


 そんな彼女が自分を好いてくれている。

 それは何者にも勝る価値となって、私を奮い立たせてくれる。


 応援してくれる存在が身近にいると感じられるのは、とても幸せなことだ。

 これからは、あなたが好きだと言ってくれた自分を少しづつ好きになってみよう。

 そして願わくば、選ばれた者の努めとして。

 遙か先を往くあなたには並べずとも、躓く時には手を差し伸べられる隣人で在り続けよう。


 自分の明るい未来を切り開くために。

 肯定感を与えてくれた、あなたのために。


 何を伝えるべきかは、気持ちの整理がついた今、すっと心に沁み込んできた。


 思い出した。句の続きを。

 嘘偽りざる本心をその言葉に乗せて、私は返事を出した。

 私の目には、あなたは高価で尊い。だから。



「私もあなたを、愛している」



 彼女の瞳が大きく見開かれた。

 潤んで、にじんで、頬にうっすらと紅が差した。初めて見る顔だった。


「本当に、いいの」

 桜色の唇が震えて、か細く私に問いかける。

「二言はない」

 そっと、手を重ねた。細い指、柔らかい手のひら。

 今はうっすらと汗ばんで、高い体温から緊張の気配が伝わってくる。


 私の中に、始めて芽生える感情があった。

 それは心の奥底からふわりと花開いて、優しく胸を打った。


 可愛い、と思った。

 慈しみから産まれる言葉に限度はない。目の前の人がただただ愛おしかった。

 止めどなく湧き出る幸福感にもっと包まれようと、触れた指を絡ませていく。

 鼓動はどんどん早まって、頭の中で音が大きくなっていく。


 彼女も察したのか、そっと双眸を閉じた。長いまつ毛が微かに震えている。

 甘い芳香が強くなって、私の自制を毟り取っていく。

 何もかもが初めての行動でありながら、上手くできるかといった不安は消し飛んでいた。

 ただしたいという衝動のままに、私は動いていた。


 止まらない。

 可憐な花に誘われた蝶のごとく。

 漂う香りに酔いしれて、最果てに吸い寄せられていく。




 私は最後の距離を詰めた。

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