オランウータン殺人事件~湯煙は危険なウッホ~

まぎしの

ウホッウホウホ(本編)


探偵は悩んでいた。

<犯人は殺戮オランウータンである。>

目撃者達の証言や現場に残る痕跡たちが、それが紛れもない事実であると証明していた。


「しかし――だ。しかしだ君。

 この事件はそんな簡単なものでは断じてない。

 なぜならば――」


探偵は推理の前フリに行う特有の勿体ぶった歩みを止め、帽子の鍔に手をかけた。


「そう、なぜならば――」













「容疑者全員オランウータンなんだよねぇ!!!!!!!!」











「ウホッ」


探偵はハンチング帽を力いっぱい投げ捨てた。






――時は少し前に遡る。

日本の有数の名湯、伊香保温泉。


「温泉入ったらカヌーに乗りたくなった!!!」


と、寝たきりのご老体もテンションがブチ上がって榛名湖へ全力GO!!してしまう程の極楽温泉である。

二度のワクチン接種も終え、抗体を獲得した探偵は久方ぶりの観光地を思う存分堪能していた。


「いちごシェイクおいしいーーー!!!!!」


石段登りに火照った体に、いちごシェイクはよく染み渡る。

まだまだ続く石段の上では、どこぞの土産屋の看板猫が観光客に囲まれちやほやされていた。


コロナ禍になってからというもの、ある意味で世は平和だった。

探偵と死神は紙一重とはよく言ったもので、探偵が出歩くと必ず事件が起きる。

それを解決して我々は名探偵となっていくのだ。

しかしコロナ禍はどうだ。

観光、イベント、酒。

ありとあらゆる規制の中で人々は家に引きこもり、集団を避けた。

結果、事件も激減した。


平和なのは良いことだが、探偵にしてみれば商売あがったりである。


「フフフ……今日こそは凶悪事件を解決して名を上げてやるのだ!

 さあ、殺人でもテロでもなんでもかかって来いや~!!」


実に迷惑な思考であるが、これがこの男の性である。

鼻息を荒く意気込む不謹慎な探偵の元に、早速新鮮な悲鳴が届いた。


「キャー!!!暴れオランウータンよ~!!!」


「えっ?なんて????」


探偵は日本の温泉街に似つかわしくない単語に疑問を抱きながらも、声のする方へと向かった。






「こ、この畜生共がァァァァ!!日光へ帰れェェェェェ!!」


現場は石段街から少し外れた旅館のエントランスであった。

一面に散乱した売店の土産物や備品たち。

壺に折れ曲がるように押し込まれた女性の死体。

天井にめり込んだ老夫人の死体。

ポタポタと滴り落ちる血の雫。


そして大量のオランウータン。

現場は混沌を極めていた。


「まあ落ち着いてください。日光の猿軍団に外来種オランウータンはいません」

探偵は腰の抜けた観光客を宥めつつ、現場の調査にあたった。


そして今に至るわけだ。


「ウチノコタチ、悪イコトシナイ。ミンナカシコイ、イイコ。人間オソワナイ」


思いの外日本語がしっかりしている国籍不明の飼育員は、両腕を広げてオランウータンを庇った。

大人しく毛づくろいをしているオランウータンの群れは、確かに人を殺した直後とは思えなかった。


「確かに彼らは温厚そうに見えますが……」


「…………」


「なんでオランウータンの群れが伊香保にいるんだよ!!」


探偵は二度目のハンチング帽投げをキメた。


「伊香保ニモ……猿グンダン、作ロウト思ッテ……」

「ワシントン条約って知ってるか???」


犯人(猿)より先にコイツを警察に突き出さなければならない。

探偵はそうも思った。



とにかく。

探偵が事件と出くわした以上、解決しなければならない。


探偵は頭を抱えた。

犯人がオランウータンであることは明白だったが、オランウータンの見分けがつかないのである。

暴れ散らかした後なのだから何か痕跡が残っていないものかと群れを見渡すが、

エントランスで寛ぐオランウータンの群れは皆、穏やかでいい匂いがした。


「……いい匂い?」


「メッチャ、イイ、オ湯デシタ」


飼育員はツヤツヤした。


「畜生!俺まだ温泉入ってないのにーーーーー!!」


――オランウータン一行は旅館をチェックアウトするところだった。






駆け付けた警察にワシントン条約違反ご一行を引き渡し、探偵は周囲の調査へと出ていた。


「犯人(猿)は老夫人を天井にめり込ませた際、返り血を浴びているはずだ。

 つまり血のついたオランウータンが犯人という事になる……」


こういう時、警察犬でも借りられれば便利なのだが、生憎探偵には顔馴染みの刑事などはいなかった。

名探偵となるためには自分の足で犯人(猿)を見つけなくてはならない。


「せっかく事件が起きたんだ……絶対犯人をとっ捕まえて……ゼェ……ハァ……」



「石段長いな!???」


伊香保の石段はとても長かった。

ずいぶん登ってきたはずだが、一向に終わりが見えないのである。

流石におかしいと思い辺りを見渡すと、何やら異様な光景となっていた。


「なんだこの湯煙は……!!」


登ってきた階段は湯煙に覆われ、後方の一切を白に染めていた。

通り抜けてきたはずの温泉街もいつの間にか姿を消し、そこには石段と森とがどこまでも続いていた。


「くそっ……!!前に進むしかないのかッ!」


探偵は乳酸がみっちみちに詰まった重い足をあげた。

するとどうだ、先ほどまで何もなかったはずの石段に、黄色い塊が現れた。


「バ……バナナの皮だ!!」


危うくバナナの皮で滑って石段を転げ落ちるところであった。


「いるのか……奴が……!!」


異様な気配を感じ、探偵は息を飲んだ。

いつの間にか石段には、無数のバナナの皮が散乱していた。

これでは逃げることもままならない。


やるしかない。

You tubeでなんとなく覚えたバリツで応戦しようと探偵が身構えたその時。


「ウッホ……」


それは姿を現した。


血濡れた茶褐色の体毛。

人間くらい簡単に投げ飛ばせそうながっしりとした体躯。

ヒゲを生やした丸型の顔の中で、寄りに寄った両目が赤く鋭い光を放っていた。


それは紛れもないボルネオオランウータンで、旅館での凄惨な事件を起こした殺戮オランウータンであった。


「ウッホォ……」


殺戮オランウータンは器用にバナナの皮を避けながらじりじりとこちらへ向かってくる。

いや、彼(猿)の歩みを邪魔せぬように、バナナの方が避けているようだった。


(ここは殺戮オランウータンの領域……!や、殺られる……!!)


探偵は謎の察しの良さで絶望的な状況を理解し、バリツを過信した事を全力で後悔した。


(やれるわけないッ……!丸腰でッ……!!バリツ如きでッ……!!)


冷たい汗が全身を伝う。

探偵はすっかり戦意を喪失していた。


「ウッホ……ウッホ……(我が…怖いか……)」


恐怖のあまり気が触れてしまったのか、探偵には殺戮オランウータンの言葉が理解できる気がした。

ウホウホ言ってるだけなのにである。


「ウ……ウホォ……(は、はい……)」


探偵はオランウータン語で返した。


「ウッホホウホウホ……(我は伊香保を愛する者……)。

 ウホウホウーッホ ウホウホホホウ……(伊香保に害なすものを我は許さない……)」


殺戮オランウータンはもう鼻息が触れる程に迫ってきていた。


「ウッホウウッホウホウホウッホウホウホッウホウ?(お前は自らの栄光のために伊香保に災厄を招こうとしたな?)」

「ウッ、ウッホホォ……(す、すみません!!)」


「ウッホ…ウホウホ……。ウホォウホォ……!(私が浅はかでした……。反省しています……!)

 ウ、ウッホ…ウホホォ……!(ど、どうか……命だけは……!)」


探偵は泣いて命乞いをした。

小一時間オランウータン語で懺悔を続け、顔面は汗と涙と鼻水でぐしょぐしょになり、頭はとうの昔におかしくなっていた。


「ウッホゥ……。ホホホウッホ!!(よくわかった……。歯を食いしばれ!!)」


ものすごい衝撃が頬を襲い、探偵は意識を失った。




目覚めるとそこは石段の一番下であった。

警察は既に撤収し、伊香保には平穏が戻っていた。


それからの事はよく覚えていない。

玉こんにゃくを食べて、近くの記念館を拝観し、温泉に入ったような気がする。


探偵が正気を取り戻したのは、帰りのタクシーの中であった。

うどん街を抜け、突如ラブホの看板が立ち並びはじめたあたりでふいに現実に引き戻された感覚がした。

まるで伊香保の魔法が解けたかのように。


探偵は語る。


「あのオランウータンはいい奴で……、伊香保はいいところだったよ」


後に判明した事だが、旅館のエントランスで死亡した二名はノーワクチン信者で、

伊香保でデモを行うためにマスクも付けず勧誘を行っていたという。

SNSで嘘の情報を垂れ流し、人々の不安を煽った罪は重い。


旅館は全職員のPCR検査を終え、無事に営業再開した。

今日も伊香保は、ほかほか湯気と共に訪れるものを迎えてくれている。


だが、ゆめゆめ忘れてはならない。

伊香保には殺戮オランウータンがいる。

伊香保を愛し、温泉を愛する優しくも厳しい殺戮の守護者が。


俺は探偵を辞め、ライターに転職することにした。

もう行く先々で事件が起こることもないだろう。


まずはそうだな……帰りに寄った珍宝館のレポートでも書くことにしようか。

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オランウータン殺人事件~湯煙は危険なウッホ~ まぎしの @magishino

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