392話 流派ブレイドホーム
カインは目を覚まし、知らない天井を目にする。
寝ぼけた頭で今はカグツチの工房で寝泊まりしていることを思い出した。
「……ちっ」
不機嫌に舌打ちをすると簡易ベッドから抜け出し、大きく伸びをして体をほぐす。
ブレイドホーム家でもここでも寝起きにまずやるのは朝食作りだ。
師匠の食事は弟子が作るものだと、カグツチは言った。
「めんどくせ」
カインはそうぼやいた。
いつもに比べれば作る量は少なく、そう手間がかかるわけではない。
とはいえ刀の鞘を作ってもらうだけのはずが弟子入りすることになって、カインとしては不満の一つも漏らさずにはいられなかった。
******
前日の夕暮れ時に、カインとセルビアは産業都市にあるカグツチの工房にたどり着いた。
商業都市と産業都市を繋ぐ道路の拡張整備は終わっており、都市間の馬車は大型バスに置き換わっている。
朝一に出発するそれに乗っていれば昼過ぎには着いていたのだが、二人は訓練のためにも産業都市まで走ってきた。
途中の道の駅で小休止や、荒野から入り込んだ下級の魔物を狩ったり、戦闘発生を感知して駆けつけた詰所の騎士との問答なども経て予定よりもだいぶん遅くなってしまった。
「爺さん、いるか」
工房に入るなり、カインは大声でカグツチを呼んだ。
「いらっしゃいませ、すいませんがもう店じまいなんです。また明日お越しください」
工房の奥から出てきたのはカグツチではなく、幼い少女だ。
片づけをしていたその少女ゼシアは、お断りの言葉を発しながらカインとセルビアを見て、あっと声を上げた。
「もしかしてカイン様ですか」
「え、お、おう」
「皇剣武闘祭見ました。優勝おめでとうございます。ファンです」
ゼシアはカインに駆け寄ってその手を取ってぶんぶん振りながら、興奮した様子で捲し立てた。
「そ、そうか。カグツチの爺さんに用があるんだけど、いないのか」
知らない人にはっきりと好意を示されるというこれまでにあまりない経験にカインは戸惑い、それから立ち直るためにも用件を口にした。
硬くなったカインの声音に、セルビアが少し不機嫌に声をかける。
「照れてんの?」
「うるせえ」
ゼシアもそのやり取りの間に我に返って、気恥ずかしさを誤魔化すために咳払いをした。
「えっと、エドおじいちゃん呼んできますね。ちょっとだけ待っててください」
ゼシアはそう言って工房の奥へと駆けて行った。
「……エドおじいちゃん?」
「カグツチのおじいさんの事じゃない?」
「ああ、そう言えば名前知らなかったわ」
カインとセルビアが薄情な会話を交わしている間に、ゼシアがカグツチを引っ張ってきた。
「そう引っ張るな。
……誰かと思ったら小僧っ子と嬢か。
子供二人で何の用じゃい」
カグツチはそう言ったところでカインの腰にさしてある刀に目が留まる。
布を巻きつけられ刀身は隠されてはいるものの、柄を見るだけでもそれが自身が魂を込めて作り上げたものであることは瞭然であった。
「……なんで小僧っ子がそれを持ってるんじゃ」
「うん? ああ、セージに貰ったんだよ。
で、これの鞘を――ヘブシっ‼」
目的を言い終わるより早く、カインはカグツチに殴り飛ばされた。
「ふざけるなバカタレが‼
おぬし等は人の作ったモンを何だと思っとるんじゃ‼
センジを連れてこい‼
あの馬鹿垂れの性根を一から鍛えなおしてくれる」
カグツチは憤懣やるかたないと言った様子で倒れたカインの腰から竜角刀〈bloken blade〉を奪い取ると、動きを止めた。
「……む。
……………むぅ」
カインは起き上がり、急に動きを止めたカグツチを訝しみセルビアと顔を見合わせる。
「返せよ。俺んだぞ」
カインがまた殴られるんじゃないかと恐る恐る手を伸ばすと、カグツチはその手に竜角刀を返した。
「え?」
素直に返してもらえるとは思っていなかったカインは呆気に取られた。
「なんじゃ。なんか文句あるんか」
「ねえよ。いや、無いんだけど有るわ。
急に何なんだよ」
「うるさいうるさい。
今はおぬしのような未熟者が持つのも許してやるだけじゃ。
そんな事より鞘じゃな。
こっちに来い」
カグツチはそう言うと工房の奥に歩いて行く。
カインとセルビア、そしてゼシアはその後ろに付いて行く。
カグツチが向かったのは工房の作業場ではなく、試し切りなどを行う練武場だった。
カグツチは壁際に立てかけてある刀から鞘だけとった。
「貸してみい」
カグツチはカインから竜角刀を受け取ると鞘に納め、打ち込み稽古用の人形の前に立った。
「見ておれ」
カグツチは納刀した状態から、一閃。
人形を二つに断ち切った。
ゼシアが拍手してすごいと言い、遅れてカインとセルビアもすごいねと気のない相槌と拍手をした。
確かにカグツチが見せたその居合は見事な気迫と技ではあったが、竜角刀の切れ味を知っている二人からすれば抗魔力も施されていない人形など両断出来て当然のものでしかなかった。
「それ、やってみせい」
刀を鞘に納め、カグツチはカインに手渡した。
「お、おう」
カグツチが斬ったものとは別の人形の前にカインは立つ。
これに何の意味があるかはわからなかったが、しかし何かしらのテストである事はわかった。
カインは居合の構えをとる。
人形を切るだけならば簡単だ。
だがそれだけでは駄目だと勘が囁いていた。
「全力じゃぞ。
殺したい敵を思い浮かべい。
それを切ってみせい」
僅かな迷いを抱くカインの背に、カグツチの声がかけられる。
そんな事を言われる理由はわからない。
だがそうすればいいのなら、それでいい。
理由などいらない。
言われたとおりに、誰よりも殺したい相手を思い浮かべる。
それはもう死んだ長身痩躯の男。
カインの脳裏の奥の奥に、真っ赤な世界を植え付けた最悪の殺人鬼。
人形をそれに見立てて、カインは抜刀した。
人形は容易く切り裂かれ、そして血飛沫が舞った。
カインは人形だけではなく、鞘を切り、そして鞘を持っていた自分の指すらも切り裂いた。
ぽとりと落ちたカインの指と勢いよく流れる血を見て、ゼシアが悲鳴を上げた。
「きゃぁぁぁぁあああああ」
「いってえぇぇぇええええ」
そして遅れてカインも自分がやらかしたことに気づく。
セルビアは落ち着いて床に落ちたカインの指を拾った。
「くっつけるから手、出して」
「お、おう。ちょっと待て。指が違う。それ薬指、そこは中指だ」
「……どっちも同じじゃない?」
「ちげえよっ‼」
そんなやり取りを経て治療が終わり、カグツチが口を開く。
「わかったか、バカタレめ」
「何がだよ馬鹿野郎」
「誰が馬鹿じゃ‼」
カインは言い返し、そして殴り飛ばされた。
「まったく、口の減らん小僧じゃわい。
おぬしみたいな臆病者は剣気の一つも御せんじゃろう」
「――あ゛?」
カインが怒気のこもった声を上げ、ゼシアが怯えて、セルビアに背中を殴られた。
「ええか。
戦士は己の心に怪物を飼っとる。
魔物を殺し、時には人を殺し、戦士は己が怪物を育てる。
じゃがな、その怪物を御せん戦士など半人前よ。
おぬしは自分の怪物を恐れておる」
「……うるせえな。関係ないだろ」
「かかか。
あるわい小僧。
おぬしがその刀を使い続けるなら、その性根から鍛えんといかん」
カグツチはそこで言葉を切って、真剣な目でカインを見つめた。
「武術ブレイドホーム、その基礎を教えてやるわい」
******
かつてアシュレイは、名工カグツチことエドワードの下に預けられたことがあった。
武において天賦の才を持っていたアシュレイであったが、その生まれと育ちは恵まれたものでは無かった。
ジェイダス家の一員として認められたアシュレイはしかし幼いころから独学で戦いの術を身に付けていたために、ジェイダス家の道場での修練は肌に合わなかった。
そのため彼に目をかけた当時の当主は、あえてカグツチの下で武の基礎を学ばせなおした。
それはカグツチの手腕に期待したというのもあるが、アシュレイ自身がかつて敵視し、その後軍門に下ると決めたジェイダス家から一度離れる事を望んだのも理由だ。
そうして彼はカグツチから多くの技を学び、自らのものとして昇華してジェイダス家に帰っていった。
アシュレイは後にその魔力量こそ上級下位に留まり頂点には届きはしなかったが、皇剣すら差し置いてジェイダス家の屋台骨とすら呼ばれる戦士となった。
彼の操る多彩な技はジェイダス家のものともドワーフの戦士とも違う、新たな流派として見られた。
その開祖、あるいはそのきっかけがカグツチの中にある。
そう聞かされれば、カインだってそれを学びたい。
とはいえ――
「俺は朝から何をやってるんだ」
――その修行法にはいささか文句もつけたくあった。
「何じゃい、弟子が師匠の世話をするのは当然じゃろうが」
カグツチにやらされているのは主に武具の手入れだ。
何百もある武器を端から磨いて綺麗にしているが、これに何の意味があるかカインにはわからなかった。
「こんなので本当にアシュレイの爺さんは強くなったのかよ」
「馬鹿を言え、あのクソガキに大事な武器なんぞ触らせるか。
くすねて遊び銭に変えるのが落ちじゃわい」
「じゃあ何でこんなことやらせてんだよっ‼」
カインはキレた。キレながらも武器を磨く手は止めなかった。カインは根は真面目な性格なのである。
「アシュレイに必要じゃったんは武の理じゃよ。
体や剣の使い方。
合理が無ければ無駄が生まれる。
無駄があればその分遅くなる。弱くなる。
あやつは体でそれを理解しておったが、おつむの方がパッパラパーじゃった。
昔から文武両道というじゃろう。武の道を究めるには学問が、学問を究めるならば武の道が必要となる。
あやつには基礎の基礎から教えこまにゃならんかったが、おぬしはそんなもん必要ないじゃろう。
おぬしはに必要なんは怪物を飼いならすことじゃ。
刃を磨け。
その刃で誰を殺したいか想像せい。
そうすればおのずと怪物は目を覚ますじゃろう」
「……」
カインは口をへの字に曲げた。
「おぬしは血が怖いんじゃろう。
血に魅入られておるんじゃろう。
誰でもいいから血を見たいと、そう思っとるんじゃろう」
「……思ってねえよ」
「かかか、強がるでない。
妹子を守っていれば、あの嬢が前に出ておれば、自分は前に出すぎずに済む。血を求めずに済む。
悪くない考えじゃがな、それではいつまでたっても半人前よ」
カインは大きくため息を吐いた。
今ここにセルビアはいない。
自分の事を知る道場の仲間も家族もいない。
その事が少しだけカインの意地っ張りな口を軽くさせた。
「……ああ、そうだよ。俺は臆病なんだ。
魔物を血を見ると、頭に血が上る。
もっと殺したいって。もっと血が見たいって。
昔から衝動めいたものはあったんだ。喧嘩がしたい、殺し合いがしたいって、そんな馬鹿みたいで行き場のない衝動が。
でもさ、そんなのおかしいだろう。
俺は馬鹿で考えなしのガキだけどさ、血に飢えた殺人鬼になりたいわけじゃない。
自分の中に怪物がいるなんて、こんなことしなくたってわかってる。
で、セルビアを守ろうって意識してれば、怪物は俺の力になってくれる。
それじゃあ駄目なのかよ」
道場で訓練している時だってその衝動はあるのだ。
絶対に勝てない父や弟を前にして、どうすればこいつらを殺せるだろうと考えてしまう衝動が。
それがあるからこそ、強くなれているとは感じている。
セルビアの馬鹿みたいな成長速度に何とか追いつけていると分かっている。
だがその衝動と熱に浮かされてセージやジオに挑んだ後、ふと恐ろしくなることがあるのだ。
多くの事を試して、いつも負ける。
でももしも負けなかったら。
もしもこの手の刃が二人の首に届いたのなら、俺はそれを喜ぶんじゃないか。
セージのように直前で止める事は出来ないんじゃないか。
そんな事を想像して、怖くて震えてしまうのだ。
「駄目、ではないのう。
あの嬢がほんに人の子なら、それで良かったろうなぁ。
じゃがあの子の中に怪物はおらん。
なぜならあの子は怪物そのものじゃからな。
ジオも同じじゃ。
生まれ持ったそれは決して覆らんよ。
おぬしが嬢を守れるのは今だけの事じゃ。
いつか守られる側になれば、半人前のおぬしは怪物に振り回されて死ぬじゃろうな」
「……死なねぇよ」
「死ぬよ。
おぬしは嬢と同じく怪物たちの蔓延る領域に足を踏み入れようというのじゃからな。
人の身で怪物と伍するのならば、その道は修羅よ。
道半ばで倒れるが道理じゃろう。
ならばせめて己の中のちっぽけな怪物を鍛え、己が鞘に飼いならし、居合の如く一瞬の最高速で怪物たちに挑むがよい。
されば倒れる時が少しばかりは先となるじゃろうて」
カインは簡単に言ってくれると舌打ちをした。
「それがブレイドホームの教えって事かよ」
「そんな大層なもんじゃないがのぅ。ワシがブレイドホームのバカタレ三人に教えられることじゃよ。
アシュレイの技は何でもありの節操なしじゃ。
それはジオとセンジの小僧が体現しとるじゃろう。
おぬしも好きな技を好きに使えばええ。そのための下地はちゃんと育っとるからの。
後は心構えだけじゃよ」
三人というのはアシュレイとジオと自分の事だろうか。
だとすればセージには教えを説いていないという事だろうか。
そう思って、ふとカインは疑問を覚えた。
「そういえばセージはどうなんだよ。
あいつも人間とは別の、特別な怪物なのかよ」
それを口にして、カインはなぜそんなことを疑問に思ったのか自分自身を訝しんだ。
あいつが特別なのは最初からわかりきっているのに。
しかしカグツチからははっきりとした肯定は返ってこなかった。
「さてのぅ。あの小僧はワシにもわからん。
人間に化けた怪物にも見えるし、怪物に化けた人間にも見える」
「それなんか違いあるのかよ、それ」
「うるさい、わからんと言ったじゃろうが。
あんな変な小僧は見たことないんじゃい」
その後も何のかんので言い合いながら、カインはカグツチの工房にあるすべての武具を磨き終えた。
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