209話 山狩り





 山狩り、という仕事がある。

 正式な名前は別だが、山に入って獲物を探すことから、ギルドメンバーからはそう呼ばれていた。

 もっとも目的の獲物は魔物や獣ではない。もっと狡賢くて質の悪い、人間だ。


 人里から離れた山の中には、テロリストや野盗が拠点を作っていることがある。

 そのため主要都市の情報管制室は定期的に探査魔法を飛ばして調査をしているが、人の手の入っていない地域の全てをくまなく捜査する余裕はなく、またその拠点が重要なものであれば探査魔法を欺くほどの偽装工作がなされている。

 そんな訳で騎士やギルドの戦士が定期的に山に入って、目視で、あるいは現地での探査魔法で異常がないかを調べていくのである。


 ただこの山狩りだが、そう頻繁に行えるものではない。そもそもいるかいないかもわからない犯罪者搜索のために人員や人件費を湯水のように使う余裕はどこの都市にもないからだ。

 騎士は基本給が定まっており、山狩りに動員するにしてもコストは抑えられる。だが騎士は治安維持と都市防衛の要だ。多くの人員を山狩りに当てては平時の業務と緊急時の対応力に差し障りが出る。


 ギルドメンバーは騎士に比べ動かしやすくはあるが、その働きには個人差が大きく有る。

 山の中でテロリストや野党の痕跡を探すための高い探索能力と、有事の際に生きて帰ってこられる生存能力が求められるが、外縁都市のギルドに所属するパーティーでその条件を満たすのはトップのパーティーのみだ。

 またギルドメンバーは騎士を動かすのに比べて金額的な負担が大きい。

 基本給にいくらかの特別手当をつければいいだけの騎士と違い、ギルドメンバーは単発で雇うため支払う額が大きいのだ。そしてギルドへの斡旋料も回数が多ければ馬鹿にはならない。


 そんな訳で山狩りは数ヶ月に一度の頻度でしか行われず、特に暇を持て余した優秀なギルドメンバーが大量に一時滞在をする守護都市接続の時期は、それを行うのに打って付けの状況となる。



 芸術都市〈バキア〉のギルドを、ひとりの青年が訪れていた。

 名前はミケル・ウィンテス。年齢は十八歳で、既にハンター上級を認められている芸術都市の若きエースだった。


 彼はベテランのパーティーに所属して経験を積んでいたが、上級というハンターとしての最高ランクを得たことで、その次のステップを目指していた。

 ミケルのパーティーは四十代のベテランがリーダーを務め、それ以外のパーティーもミケルの年齢以上にハンターとしての経験を積んでいる古強者ばかりだ。

 そんな彼らの指導を受け着実に実力を高めたミケルは、ハンターよりも上の、守護都市の戦士になることを目指していた。


 ミケルはパーティーのリーダーから来年の皇剣武闘祭新人戦の本戦出場を条件に、パーティーから離れる許可を貰っていた。

 簡単ではない条件をつけられたものの、リーダーがミケルを心配しつつも守護都市で名を上げることを期待してくれているのは感じていた。


 その証拠というわけではないが、ミケルは今日単独で一つの仕事を受けていた。

 それは山狩りの道案内だ。

 山狩りの仕事自体はパーティーで何度も行ったことがある。だが単独で受けたことはないし、道案内という仕事も初めて行う。

 今回の山狩りはミケルがパーティーと一緒に受けたものと違い、守護都市のギルドメンバーが主体となって行うものだ。


 山狩りのために派遣されてきた守護都市の戦士たちは当然のことながら芸術都市の土地に不慣れである。

 そのため道案内を主としたサポート要員が芸術都市側から紹介されるのだが、これはあまり一般的な事ではなかった。


 精緻な地図が有り、魔力障害もなく、管制との情報連結は途絶えることがなく、時折現れる魔物はひと睨みで逃げていくような小物ばかり。


 荒野という舞台に鍛えられた戦士たちにとって、芸術都市の山はちょうどいいハイキングスポットでしかなく、いるかいないかわからない犯罪者を探すのも野山の自然を眺める片手間に行うようなもので、わざわざ道案内が必要なものではなかった。

 もちろん管制が見張っているので、仕事はきちんとやっている。


 ミケルが今回サポート要員として認められたのは、先方の許可があったこともそうだが、リーダーがギルドに強く頼み込んだことが何より大きかった。


「……どんな人かな」


 ミケルはギルドの大広間にあるベンチに座って、これから引き合わされるであろう守護都市のギルドメンバーに思いを馳せた。


 リーダーは絶対に驚く人物だと、あまり嬉しくない保証をしてくれた。まさかこんな仕事を引き受けてくれるとは思って見なかった、とも。

 ミケルを驚かせたくてどんな人物なのかは教えらなかったが、リーダーだけでなくギルドの職員もその戦士の実力を保証していた。

 かろうじて教えて貰えたことは、ランクは今だ中級中位だが、その実績は上級パーティーにも迫るもので、単独で活動する戦士ということ。


 単独行動が主の戦士というと、とっつきにくく気難しいイメージがミケルにはあった。

 ただその戦士は多くの後輩を助ける面倒見のいい性分とのことだった。

 救援要請の受諾数、そして救援の成功割合は守護都市でもトップクラスで、精霊感謝祭での大々的な表彰も内定しているのだとか。


「優しい人だといいな……」


 ミケルは緊張から手に汗を握る。本当のことを言えば守護都市の戦士と会うときには仲間たちにそばにいて欲しかったが、それを口にしたら笑われてしまった。

 守護都市には一人で行くっていうのに、こんなことで怯えていてどうする、と。


 人助けに熱心な戦士だと聞いているが、だからといって本当に優しい人だという保証はない。

 いや、優しくはあってもギルドの仕事に真面目な人は、驚く程に厳しい一面を持っている。

 ミケルのリーダーもそうだ。

 普段は気のいいオッサンなのに、仕事で手を抜けば顔を真っ赤にして怒鳴る。命が掛かっているんだと、そう本気の拳骨を何度落とされたかわからない。

 そのおかげで一人前になれたミケルは、剣の腕では追い越してもいまだにリーダーに頭が上がらない。たぶん守護都市で成功してもそれは変わらないだろう。

 リーダーはミケルにとってもう一人の父親のような人だった。


「そうだな。リーダーに比べたら、大丈夫だよな」


 厳しい指導を受け、一人前にしてもらった。それは確かなことだ。

 剣の腕も魔力も、守護都市の本物の戦士からすればまだまだ未熟かも知れない。でも仕事の気構えだけは、この国を守る想いだけは決して劣ってはいない。

 自信を持とうと、ミケルが一人決意を抱いていると、そこに声がかけられた。


「――あの、ミケルさん」

「は、はい」


 声をかけてきたのは顔なじみの女性のギルドスタッフだった。そしてその隣には長身痩躯の男性が立っていた。


「あ、あなたが……」

「……あん?」


 ベンチから立ち上がり声をかけたミケルに、男性は機嫌の良くない声を上げる。

 ミケルはわずかに気圧されながらも、改めて男性を見る。


 ミケルは背の低い方ではないが、男性はそれよりも一回り高くその顔は見上げる形になる。

 男性は薄汚れたフード付きのコートを羽織っており、その下に着ている物も薄汚れてくたびれて見える。顔はフードを深く被っていてよくわからないが、頬がややこけていて僅かに覗く目つきは鋭い。

 発する魔力量はミケルよりも少なくハンター下級相当だったが、きっと魔力を押さえ込んでいるのだろう。守護都市の戦士はそうしていると、噂で聞いたことがあった。

 それを証明するように男性からは全体的に緊張感が発せられているような気がした。抜き身の剣のような、下手に近寄れば斬られるような、怖さを孕む緊張感だ。


「なに見てんだ、テメエ」

「す、すいません。今日はお世話になります」

「は?」

「え?」

「あ、あの、違うんです、ミケルさん」


 ミケルと男性の噛み合わない会話に、スタッフが言葉を挟んだ。


「この方は一緒に道案内をされる方です。守護都市から派遣されるギルドメンバーではありません」

「え?」

「よろしくな」


 男性はそう言うと、ミケルの返事も待たずにベンチに腰掛けた。


「え、ええと、どういう事なんですか?」

「そ、その。あの方は急にやって来られて、山狩りの仕事に参加させろって。

 その、規約で、断れなくて。他の山狩りのチームは道案内を断られてて、その、守護都市の方が断ってくれればそれで大丈夫ですから」

「全然わからないんですけど、規約ってどういうことなんですか」


 ミケルに問い詰められ女性スタッフはたどたどしく説明をする。

 ギルドではギルドカードを紛失した際に再発行が可能だが、その際に身分証明証と再発行の料金が必要となる。

 そしてギルドメンバーの中にはカード以外の身分証明証を持っていないものや、食い詰めて再発行の料金が支払えないものがいる。


 やって来た男性もその類で、再発行料金を稼ぐためにも仕事を受けさせろと言ってきた。

 ミケルの常識から言うと追い返して当然なのだが、あまり公になっていないルールで、こういった時に最低ランク扱いで仕事が受けられる救済措置があるらしい。

 男性はどこでそのルールを知ったのか、カードはないが仕事を受けさせろと迫り、スタッフはそれに押し切られたのだった。


「なんで、そんな事。それに仕事にしても他のがあるじゃないですか」


 ドブさらいでも何でも、ギルドは困っている人たちからの依頼で溢れている。仕事なんていくらでもある。

 せっかく守護都市の戦士と仕事をする機会なのに邪魔をしないで欲しいと、ミケルはそう思った。


「そ、そうなんですけど山狩りしかしないと。あの人、怖いんです。主任もやらせろって。それに、守護都市の人が断ってくれるかもしれないから……」

「そんな理由で……」


 ミケルは憤懣が爆発しそうになるのをかろうじて押さえ込む。

 ハンター上級のミケルが怒りを爆発させれば、一般人である女性スタッフは怯えるだろうし、場合によってはショック死すらしかねない。


 魔力を鍛え、常人よりもはるかに強い力を持つ戦士は、それを御し得る理性を持たねばならない。

 それは尊敬するリーダーから徹底して教えられたことだった。

 強者である自分たちはどれほど理不尽な思いに駆られたとしても、決して弱者を虐げる悪漢にはなってはならないと。


 ミケルの怒りは、だからこそ無理を言ってねじ込んできた男性に向かう。

 ハンター下級程度の魔力でも、一般人からすれば十分な脅威だ。それを自分の小遣い稼ぎのために恫喝に使った男性は、ミケルからすれば軽蔑の対象でしかない。


「おいおい、なんだよ怖い顔して。俺とやろうってのかい?」


 ベンチに体をあずけた男性は、からかうようにミケルに言った。そんな態度もミケルの癇に障る。

 守護都市の戦士を待つまでもない。こんな矜持も持たない戦士崩れは自分の手で追い返してやる。ミケルの目にははっきりとした闘志が燃えていた。


「怖い怖い。だが知ってるかい、ギルドの中での暴力行為はご法度なんだぜ。

 おいスタッフさんよ。この怖いハンター様を追い出してくれよ」

「貴様っ……」

「止めてミケルっ!! お願いだから、落ち着いて」

「なんで……っ!!」


 スタッフの女性はミケルにとって馴染みの受付嬢だ。

 ミケルの実力が芸術都市のギルドで上位にいるのは知っているし、この手のルールを傘にわがままを言うような人間を嫌うのはミケルと同様のはずだ。


「ダメなの。本当に。いいから従って。ダメだって言うならミケルには今回の仕事から外れてもらいます」


 続けて口にされた言葉に、ミケルは言葉を失う。

 何故と、自分は間違っていないのに、何でこんな薄汚い男の味方をするのかと。確かに暴力で追い出すのは正しい行為ではないかもしれない。

 だが、だからと言ってこんな男の好きにさせていいというのか。


「あなたも、ミケルを挑発するのはやめてください」

「ま、そうだな。失礼した。なんだ、腹は立つだろうが我慢しとけ、小僧。

 世の中ってのはいつだって理不尽なもんさ」

「……ちっ」


 ミケルは舌打ちをした。スタッフを見ても泣きそうな顔で首を横に振るだけだった。

 わかったような事を言う男性は腹立たしかったが、これ以上は追求しても無駄だということは悟った。

 それでもはっきりとは割り切れずに、ミケルはベンチに座る男性を睨み、男性はそれを煽るように薄ら笑いを浮かべていた。


 緊迫した空気が漂う中、声変わり前の幼い子供の声が割って入った。

 それはとても涼やかで綺麗な声音なのに、心臓を突き刺すような冷たい響きだった。


「こんにちは。道案内をしてくれるのは、あなたですか?」


 現れた少年は、親の敵でも見るような冷酷な目で、男性を睨み据えていた。




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