197話 やっぱり主人公は兄さんかも知れない





「旦那。何やってるんですかい?」

「……お前は」


 なんとなく感じ取っていたけど、新しく闖入者がやってきた。

 どこかで見た顔だけど、よく覚えてない。とりあえず上級相当の高い魔力量を持つ人で、粗暴な感じの見た目からして騎士ではなくギルドの人だ。


「ええと、はじめまして、ではないですよね」

「お、よく覚えてたな。ジオ、あんたも息子を見習ったらどうだ?」

「ふん。俺とて覚えている。ベルトだな」

「ベルモットだよ」


 あ、思い出した。一年前に会った。あれだ。親父に神技を見せてもらった時のギルドの戦士だ。


「何でお前がここにいる。スノウの護衛はどうした」

「そのスノウの大将からの依頼でさあ。旦那。今日大将の息子と会う約束してたでしょうよ」

「……あ」


 ラウドさんが割りと間抜けな声を上げた。スノウさん、苦労してるんだろうな。


「しっかりしてくださいよ。まあそれを伝えに来たのはついでなんですがね。

 スノウの大将は手が離せないんで、ちょっとそこの役所の姉ちゃん。これ見てもらえますかい?」

「え、ええと。私ですか……。これは? えっ?」


 シエスタさんが渡された書類を斜めに速読し、声を上げる。


「学のない俺はよく分かんねえんですけどね、何やらそこのお偉い先生。コウガンザイとかいうやばい薬、エンメイチリョーとか受けてた患者にドバドバ入れて、臓器ズタボロにして、意識なくさせて、このままじゃ助からないからチケンにしろって、その患者の家族に無理やり同意書へサインさせたらしいっすわ。

 いや、お医者の先生ってのは怖いねぇ」


 え、それって私に治療させようとした人のことだよね。

 いや、指名依頼の説明をされたあの時にこの教授が嘘ついてるのは感じ取ってたけど、そんなことしてたの?

 あの時って私を見下してたり良いように使おうと嘘をついてる感情こそあったけど、自分が悪いことしてる後ろめたさとかまるで感じられなかったよ。


 怖いな、この教授。

 治療するはずの患者を殺して、なんの罪悪感も覚えないのか。

 ラウドさん、止めない方が良かったかな。

 いや、間違いなくこの人には余罪があるから、殺さずに全て話させたほうがいいか。


 患者さん。私が指名依頼を受けていれば、助けられたかな。

 ……いや、それは感傷だな。

 あの時、ガスター教授の感情まりょくは欲にまみれていて、嘘をついているのがはっきりと透けて見えていた。

 そんな相手を信用できないから断ったのも事実だけど、同時に助からないとわかっている人に手を差し伸べる気が起きなかったのも事実だ。

 私は偽善者であって、兄さんのような本当の意味での善人ではないから。


「そうか。では殺すぞ。今度こそ文句はないな」

「いや、何言ってんすか旦那。そりゃ騎士連中の仕事でしょうよ。幸い、そこの天使ちゃんがプリドア家と話つけてくれましたからね。ちゃんと裁かれるでしょうよ。

 見舞金ももらえるってことらしいし、スナイク家もガーディンズギルドも面子はきっちり守れてますよ。

 つーか、話ややこしくなるんでさっさと甥っ子のところ行って下さいよ」

「くっ……。いいだろう。後の始末は任せるぞ」

「はいはい。

 ああ、そうだ。ここの大学の売店、パウンドケーキが名物らしいっすから、土産に買って持って行ってくださいや」

「わかった」


 ラウドさんが退場し、ベルモットさんが残る。


「……ええと、プリドア家と話がついたのはつい先ほどのことなんですが、なんで知ってるんですか?」

「うん? そりゃ知らねえよ。ただ大将がそっちは天使ちゃんが何とかするから、こっちから片付けとけって言ってたのさ」

「全てはスナイク理事長の手の平の上ですか」


 少し不機嫌な声で、シエスタさんが言った。

 まあ決定的な証拠を掴んだことからして、スノウさんは私たちよりも早く動き出してたみたいだし――さすがに一晩弱でこんな事調べられないよね。他所の都市なんだからスノウさんそこまでおかしな情報網持ってないよね――出し抜かれるのは仕方ないと思いますよ。

 いや、出し抜かれたっていうか、助けてもらってる形なんだけど。


「まさか。天使ちゃんがあっちも片付けて、もうこっちまで片付けようとしてるとは大将も予想してなかったさ。

 ……いや、案外そこまで過保護じゃないって予想したのかね」


 けけっと、ベルモットさんは少し意地の悪い笑みを兄さんに向け、


「それじゃあ警邏騎士は手配してるんで、あんたらは帰っても問題ありませんぜ。ああ、引渡しを見届けたいって言うんなら止めはしませんがね」


 そう言った。

 まあガスター教授は事実上の殺人犯なので、ここから先は司法の手に任せるべきだろう。

 シエスタさんを見ると同意見らしく頷いて答えた。

 それから五人で部屋を出たのだが、その際、ベルモットさんが何やら兄さんに耳打ちをした。

 内容は、聞こえなかった。



 ******



 それから、日をまたいでプリドア家に行くと、とっても丁重なお出迎えを受けました。いや、比喩でも皮肉でもなく、本当にものすごく丁寧な歓待を受け、とても反省しているからもう勘弁してくれという言葉を美辞麗句で飾られて伝えられました。

 兄さんの試験結果が適正なものに修正されたのはもちろん、お土産にお菓子と金子を渡されました。

 うん。一緒に来たシエスタさんや兄さんの視線が痛かった。


 お前何やったのって顔されたけど、私は平和的な話し合いしかしていない。何かしたのは親父だ。あとたぶんスノウさん。

 いや、もしかしたらアールさんもある事ないこと吹き込んだかも知れないけど。

 親父はね、今でこそマダオだけど、十年以上前は喧嘩上等のヤンキー兼、竜とか狩れるワンマンアーミーだったわけで、そしてアールさんはさんざんそれに手をやかされていた人なので、ローランさんを脅すのに過去の親父の反社会的な武勇伝とか教えたのかもしれない。


 いや、先に手を出したのはあっちだし、私を殺そうともしてるし、あんまり考えたくないけど、実際に無実の人を殺した経験もあるだろうから、別に気兼ねはしないんだけど。

 とりあえず私は平和的な問題解決を推し進めたのですよ?


 ローランさんからのお金はこちらも暴力沙汰を起こしていると言うことで辞退し――よくよく考えたらむしろこっちが見舞金を持参するべきだったかもしれない――、お菓子と兄さんの合格証明書一式だけもらって帰りました。

 そしてプリドア家の皆さんは私たちが見えなくなるまで真摯な態度でお見送りをされました。

 ……私は今後、学園都市に接続しても極力都市に降りることはしないようにしようと思います。



 さて、そんなこんなで新鮮な野菜などの食材も買い込んで守護都市に戻って、遅ればせながら兄さんの合格祝いのプチパーティーを始めることにしました。



 今日は守護都市が学園都市から出立する日なので、都市の中は少しだけ慌ただしくなっている。

 ミルク代表のところでは駆け込みで仕入れを行っているし、ギルドの方では時期が外れているので数は少ないけど、上級ハンターが守護都市に新しくやってきていた。

 もちろんその逆に、荷物をまとめて守護都市を降りる人もいた。

 もっともブレイドホーム家の敷地は広いので、そんな街の雰囲気は入ってこないのだけれど。


 合格祝いのパーティーは日中に行った。

 庭にテーブルを広げて、立食のバイキング形式だ。

 鉄板や網も出して、バーベキューもやった。

 お客さんは預かっている子に、道場に通っている子、加えて平日なので数は少ないが、家族もご自由に参加してくださいって形にした。もちろん参加費は無料。

 まあそれだと悪いからって、参加者たちがそれぞれに食べ物やお酒を持ち寄ってくれたりもした。

 他にはマリアさんとケイさん、あと平日だけど有給を取ってシエスタさんももちろん参加している。


「ふむ、ホモは来てないんですね」

「ほ……なんでマリアさんラウドさんのことをそう呼ぶんですか?」


 鉄板でお好み焼きを作っていると、ビールを片手に持ったマリアさんにそう尋ねられた。

 そして私は釣られてラウドさんのことをホモと言ってしまいそうになってしまった。

 危ない危ない。マリアさんはともかく、私が言ったと知られたら容赦なくぶっ飛ばされるだろう。


「え? だってあいつはホモでしょう?」

「……ええと、まあ、うん。別にいいんですけど、いつか本気で怒られるんじゃないですか?」


 私が一応は心配してそう言うと、マリアさんは不敵な笑みを浮かべた。マリアさんは整った美人で格好いいのだが、その格好良さを発揮するポイントを間違えている気がする。


「まあ、その時はその時ですね。しかし、呼ばなかったのですか? あれは暇をしているはずですが」

「皇剣の方を気軽には呼べないですよ。もちろん、今回のお礼はスノウさんに贈りましたが」


 今回ガスター教授の動かぬ犯罪の証拠を集めてくれたこともそうだが、フレイムリッパーに襲われた時もお世話になっている。

 そんな訳で飛翔剣に転用できそうな親父の武器(超高額)と、あとは並ばないと買えない学園都市のすごく立派なお菓子(シオンさん調べ。チーズケーキだったけど、私の知っているチーズケーキの値段の十倍の値段がした)、それとまあスノウさんから見れば少額だろうが謝礼金を包んで持っていった。


 正直なところ、フレイムリッパーについてスノウさんに話を聞きたかったのだけれど、忙しいということで面会は叶わなかった。

 まあ学園都市には子供さんもいるんだし、それでなくともフラフラと色んなところに顔を出してる印象もあるし、そもそもギルドの理事長で名家の当主なわけだから会おうと思っても会えないのが当たり前なんだけど、少しだけ不信感を持ってしまう。


 いや、フレイムリッパーに襲われたとき、スノウさんの感情が見えなかったのだ。あれはスノウさんが本気で交渉事を行っているサインのようなものだと思う。

 いや、緊張感を持っておかしくない状況だったから考えすぎなのかもしれないし、スノウさんが隠し事をするのはおそらく日常的なことなのだろうけど、何かが引っかかっている。


「ふむ。それはいらぬ気遣いだと思いますが、まあいいでしょう。べつに見たい顔でもありませんし」

「……なんで聞いたんですか」


 マリアさんの言葉に、少し遠くに飛んでいた意識が引き戻される。私は咄嗟にツッコミを入れて誤魔化した。


「いえ、そろそろお嬢様も赴任任務が近いですからね。

 ああ、お嬢様。ちょうどいい。赴任任務の日取りは決まりましたか?」


 マリアさんはちょうど近くにやってきて、焼ける前のお好み焼きのタネを気持ち悪そうに見つめているケイさんに声をかけた。飲んでいるのは野菜ジュースだった。


「え? まだわかんない。でも来年だと思うって」

「赴任というと外縁都市でしばらく防衛任務に就くってやつですよね」

「うん。私は新任の皇剣だから免除されてたけど、もうそろそろやっとけって、お祖父様が。なんか2年後の政庁都市接続の時にはやらなくて済むように、タイミング調整してるんだってさ」


 私が尋ねると、ケイさんは頷いてそう説明した。


「ああ、4年に一度の。あの時期は皇剣の方たちって外縁都市にいる方が多いんでしたっけ」

「うーん。三人から四人だから、多いってほどでもないかな。でもまあ選ばれない確率は半分だから、なんかいろいろ手を回してるみたい。私は別に都市防衛に派遣される方でもいいんだけどね」

「通常の赴任任務を終えずにいきなりあの時期の都市防衛任務に就かせるのが不安なのかもしれませんが、まあエースはエースで考えがあるのでしょう」

「ぶー」


 マリアさんはおおよその事情を知っているようで、やんわりと当主であるエースさんの意向に不満を漏らすケイさんを宥めた。


「ははは。ケイさんの担当どこでしたっけ? 産業都市ではないですよね」

「えー、知らないの? 商業都市だよ」

「ああ」


 ケイさんはすこし気分を悪くしてそう言った。私はただ頷いた。


「うん? どうかした」

「ああ、いえ。

 ……お世話になったペリエさんがいるなって、そう思っただけです」

「セージの先生か。うん。会ってみたいよね」


 私が誤魔化したのには気づかず、ケイさんは素直にそう言った。


「――セージ、少しいいかな」

「あ、アベル」

「うん。まあいいけど。マリアさん、ここちょっとお願いできますか? 作り方はわかりますか?」

「ええ。見ていたから大丈夫ですよ。お嬢様も」

「え? これなんかキモいんだけど。本当に食べられるんだよね」

「ええ。酒の肴としてはなかなかですよ。――というか、ここで食べられるとは思っていませんでした」


 マリアさんがケイさんにお好み焼きのことを――どうもマリアさんの故郷であるところの東の農業都市に似たような料理があるらしい。不思議というか、奇妙というか、まあいいだろう。深く考えるまい――説明しているのを背中に、落ち着ける場所へと兄さんに先導されて移動した。



 ◆◆◆◆◆◆



 アベルがセージを連れていった先は、家の中の応接室だった。


「ねえ、セージ。父さんとお前に、許しをもらったのを覚えてる?」

「許しって言うと、しばらく勉強に専念させてってことだよね」


 セージがそう答えると、アベルは真剣な面持ちで頷いた。


「ああ。父さんはともかく、お前にはちゃんと伝わってないかと思って」

「ええと、何かな」

「うん。僕は一人前になりたいんだ。だから今回のことが僕のためなら……、いや、違うな。

 感謝はしてるんだ。僕一人じゃ上手くやれなかったから。

 ただ――」


 アベルはまとまらない思考を、なんとか言葉にしようとするが、上手くはいかない。

 セージはそんなアベルの様子かんじょうを見ながら、優しく微笑んだ。


「――それでも、一人でやりたかった」

「……ああ」


 セージが口にした言葉に、アベルは肯定半分、否定半分の複雑な顔で頷いた。

 助けてもらったことが嫌なわけではない。

 心配されていることが嬉しくないわけではない。

 ただそれでも、力不足でも、信じて任せて欲しかった。


「無理だよ」


 そんなアベルの気持ちを、セージは切って捨てた。

 ただその眼差しは変わらず優しくて、アベルは動揺することなく問い返した。


「どういう事かな」

「アベルは王様になりたいんでしょ。なら、一人で何かするなんて無理だよ。

 私は人の上に立つ人間の有り様なんてわからないんだけどね。それでも、一人では王様になれないことくらいはわかるよ。

 だから誰かに助けてもらったことを悔しいと感じるよりも、それも自分の力の一つなんだって、思いなさい。

 そして助けてもらったと感じたなら、素直に感謝しなさい」


 感謝しろと、子供を諭すような口ぶりでそんな事を強要されて、少しだけアベルは反感を覚えた。

 だがその通りだとも思った。

 自分は子供で、実力不足で、助けてもらった。

 ならお礼を言うのは当然だと、反感を覚えながらもそう思った。


「――ありがとう」

「気にするな。水臭い」


 芝居がかった口調で、セージはそう言った。アベルは思わず小さく吹き出した。


「ははっ。なんだよ、それ」

「うん。私が教えられる数少ない処世術かな。いや、人の動かし方なんてわからなくて、部長にはよく怒られたんだけどね。自分で何とかしようとするな、部下に仕事を任せろって。

 いや、現場上がりのしがない中間管理職には難しい注文でね。出来のいい部下には恵まれたけど、結局は自分で見て覚える優秀な子達で、私が育てたと言うのはおこがましいんだよね」


 アベルがよく知る弟は、何処かわからない遠くを懐かしむように、そう言った。

 何を言っているのか、アベルにはまるで分からなかった。

 だが嘘や作り話ではないと、その事はわかった。


「……昔の話かい?」

「ええ。今の私が生まれる前の、ずっと昔の話だよ。

 アベルは私が普通の子供でないと、知っていたんでしょう」


 セージは遠くを見るのをやめて、アベルを真っ直ぐに見つめた。

 大きいと、アベルはそう思った。

 それはずっとセージに感じていたものを自覚した瞬間だった。


「ああ。やっぱり生まれた時から、お前は大人だったんだな」

「うん」


 セージは静かに首を縦に振って肯定した。


「そうか。僕はずっと、お前に憧れていた」

「ああ、気づいていたよ」


 セージは再び肯定した。

 セージの持つ仮神の瞳は人の持つ感情を見通すものだった。


「お前の兄として、ふさわしい男になろうと思った」

「もうなってるよ」


 セージはそう言った。

 アベルが自身に妬みを抱き、それと向き合ってきた事を、傍でずっと見てきた。

 だからこそ、セージはこの幼い兄を尊敬していた。


「いいや。まだまだだ。でも、とりあえずわかった気がする」


 セージに認められている。

 それはアベルにとってとても大切なことで、とても嬉しいことで、しかしだからこそ満足できない思いを抱いた。


「なにが?」

「僕のなりたい大人は、やっぱりお前とは違う大人らしい」

「そうだね。その方がいい」


 セージはそう言った。

 本心からだと分かるその言葉をアベルは少しだけ寂しく思いながら、ずっと伝えたかった言葉を口にする。

 それはこんな時でもなければ、とてもではないが照れくさくて言えないような言葉だから。


「そう、かな。でも、うん。

 ありがとう。僕たちを守ってくれて」

「――ああ」


 セージはとても驚いた顔をして、急にアベルに背を向けた。


「どういたしまして。こちらこそ、ありがとう」


 顔の見えないセージの少し気取ったそのセリフは、少しだけ震えていた。




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