デス子様に導かれて

秀哉

序章

生前の話

 




 自分の人生は唐突に終わった。

 いや、死ぬかもしれないと予感はあって、それでも踏み込んだ危地だ。

 “唐突”と思い返すのは覚悟が足りなかった証だろう。

 平和な国で三十半ばまで生きて、漠然と自分は天寿を全う出来ると思い込んでいたのかもしれない。

 そうでないケースなど、いくらでもニュースや新聞や、時には身の回りにも起きていたのに。



 ******



 その日は土曜日で珍しく定時で仕事が終わった。

 大概は面倒な雑事や不備のあった書類整理が多少は残っており、週末はみんな早く帰りたいだろうし自分には残業代もつかないので、人件費削減も兼ねて部下たちは先に帰らせるのが常だった。


 その日は何故か部下たちが皆ヤル気を漲らせ、終業十五分前にはやることが無くなってしまった。

 まあ良いことなので文句はない。

 ただ十五分も何もせずぼーっと待つのは務め人としてどうかと思うので、古くなった資料の整理を始める。

 これは今日やらなければいけない仕事では無い――というか、年に一度やればいいような仕事で、別の部署では四、五年手をつけていないこともある――ただやっておけば、ほぼ全ての業務効率がほんのちょびっとずつ上がる。


「課長、時間ですけど帰らないんですか? もう流石にやることないでしょう」

「仕事なんて、探せばいくらでも見つかりますよ。そう時間のかかるものでもないので、どうぞ気にせず先に帰りなさいな」


 部下の中で最も付き合いの長い男に言われて、そう返した。


「え、いや、暇潰しにやってるだけでしょ、それ。どんだけ仕事中毒なんですか」

「失礼だね。やり始めたから、区切りのいいところ迄やっておきたいだけだよ」


 断じて仕事中毒ではない。そんな不名誉な称号はいらない。自分の夢は日がな一日茶を啜りながら碁を打つことだ。

 そのために退職金を増やそうと出世しているし、ちゃんと貰えるよう会社の利益にも貢献している。

 うむ、ただそれだけのことで、自分は決してワーカホリックでは無い。


「はぁ。どうでもいいっすけど、終わって下さいよ。てか、終われ」

「なんでじゃい。いや、それよりも上司にむかって命令するんじゃありません」

「あ〜、すんません。でもまあ、ホントに今日は帰って下さいよ。いや、この後ちょっと用があるんで付き合って欲しいんですよ」

「え、面倒臭い」

「即答かよっ! 今日は俺頑張りましたよね。少しくらいいいじゃないですか」


 ふむ、どうやら割と大事な用があるようだ。

 自分の付き合いの悪さをよく知っている部下が食い下がる位であるし、よくよく見ればふざけた言葉使いの裏で、目が真剣な色をしていた。

 まあ、たまにはいいか。


 資料整理の仕事は切り上げ、雑談にふける部下たちをさっさと事務室から追い出す。

 うちの課は滞り無く仕事が終わっているが、よその部署はチラホラと人が残っている。帰らせるなら早い方がいい。同僚とのコミニケーションは休憩所でやってくれ。

 簡単に片付けと掃除をして、『俺たちも早く帰りたい。手伝ってくれ』という、よその課からの視線の圧力を無視して、自分は会社を後にした。


 部下と待ち合わせした店でスマホを弄りながらコーヒーを飲んでいた。

 店は定食屋だ。こじんまりした個人経営のお店で古き良きアットホームな雰囲気だ。

 料理は美味しく店内も奇麗なのだが、立地が悪いのもあって客はまばらだ。 隠れ家的名店と呼ぶのがしっくりくる、そんな定食屋だった。

 ちなみにこの店を見つけたのは、待ち合わせをしている部下である。


「すいません、お待たせしました」


 その部下がやって来た。女連れで。

 そう表記すると部下のイメージが悪くなるだろう。連れだってやって来た女性は部下の婚約者で再来月結婚の予定だ。自分とも面識がある。

 面識があるというか、彼女も自分の部下だ。

 三年前の年度初めに採用した大卒の正社員だ。

 部下も同時期に正社員になっているが、彼は契約社員からの叩き上げなので、肩書きは同じだが経験値が違う。

  年齢も部下の方が二つ上で仕事への理解も深く、後輩指導もそつなくできていた。

 だから、彼女の指導役にしたのだが……。


「今日はご馳走になりますね、課長」


 奢るなんて一言も口にしていないのだが、悪びれもせずニッコリと彼女が笑った。

 まあ最初から奢るつもりだったので、特に反論する気もない。


 部下と彼女を座らせて、とりあえず食事を頼む。ビールが飲みたかったが、大事な話があるようなので、自重した。

 しばらくは食事をとりつつ他愛ない雑談を交わす。部下が緊張した面持ちで本題を切り出したのは、食後のコーヒーも飲み終えた頃だった。


「それで、その、課長、俺たち再来月に結婚するんですけど……」


 うん、知ってるよ。そう言っても意地悪になるから言わないけど。

 無言で部下を見つめ、先を促す。


「え〜、つきましてお願いがありますれば、その」


 言葉遣いがおかしくなっているが、自分は突っ込まないと、自戒する。

 すると、彼女の方が小声で突っ込んでいた。しっかりしてとか、俺が言うっていってたでしょとか。

 彼女は気の強い女性だけど、家庭でもそうなんだなぁ、部下はもう尻に敷かれているんだなぁ。


「いや、結婚のお願いで、そう、結婚式で、課長に『中居』をやって欲しくて」


 なかい? 中居? 中居は旅館の接客係だとおもうのだけれど、つまり式場で給仕をやってくれってことだろうか? 他の部下や同僚たちが席に座って二人の祝福をしている中、自分は彼らに料理を運ぶのか?

 我ながら酷い扱いだ。

 だが、それが面白い。自分に給仕される部下の驚き戸惑う姿が目に浮かぶ。


「ああ、いいだろう。完璧な中居をみせてやる」


 胸を張ってそう答えた。そうと決まれば、今から中居の所作を覚えなければ。

 まあ、部下の『中居』という発言が正しければの話だが。


「いえ、中居はやらなくていいです」


 冷めた目で言ったのは彼女だ。対して、部下は何て事を言うんだと、目を見開いた。まだ上司に給仕しろと言った事に気付いて無いようだ。

 人が悪いとは思いつつも、自分が遠慮無く笑っていると、彼女が小声で何を言い間違えたか教えていた。


「笑うな、くそ。その、中居じゃなくて、仲人やって下さい」


 ……仲人ねぇ。

 正直、気乗りしないなぁ。いや、誤解しないで欲しいのだけれど、二人の結婚を祝福する気はあるんだよ。

 二人は、お互いの心象は最悪な所から始まって、いがみ合いながら仕事で結果を出して、気が付けば公私ともに仲の良い男と女になっていて、さらに色々あって一線を越えちゃって、今に至る、と。

 その紆余曲折の中で、色々と助け船を出したり、引っ掻き回して遊んで――、いや、二人が素直になれるよう、愛のある茶々を入れたりした。


 二人の馴れ初めなら初デートの内容から、最近の好きなプレイまで知ってしまっている。正直、そこは知りたく無かったが、まあそんな事を相談されるくらいには慕われている。

 そこいらをピックアップすれば仲人にふさわしいのかもしれないが、自分は独身であるし、更には自分の上司でもある部長が仲人をやりたそうにしているのだ。

 部長はちょっと大人気ない人なので、自分が仲人になれば嫌がらせの一つもしてくるだろうし、影でいじける姿も簡単に目に浮かぶ。


「せっかくだけど、その話は部長に持っていってくれる? 実は部長に遠まわしに頼まれているんだよね。君たちからお願いしにくるように、ってね」


 自分がそう言うと、彼女のほうが露骨に顔をしかめた。部長は女性職員からの評判が悪いタイプの管理職者だった。

 彼女がテーブルの下で部下の足を踏んでいる気配がする。

 そんなに嫌か。嫌なんだろうな。部長が彼女にセクハラまがいの発言をしていて、助け船を出した記憶が何度かある。

 部長には悪気はないんだけど、若い女性と話すと舞い上がって暴走するんだよね。

 つまり何が言いたいのかといえば、部長は自然体で変態なので女性に嫌われている。


「いや、その、白状すると、俺たちも部長に、こう、上から目線でやってあげてもいいけど的なことを言われて、こいつが嫌がるのはわかるんで、つーか、俺も嫌なんで、課長にお願いするからって、断ったんですよ」


 ああ、成る程。

 部長が自分にした話は、二人を説得しろって意味が半分と、自分に引き受けるなっていう牽制が半分だったのか。


 しかし、どうしたものだろうか。

 部長が何故そこまでして仲人をやりたいのかは謎だが、あんなのでも上司なので逆らうと面倒臭い。

 いや、仕事にだけは誠実なので、左遷や降格なんてことはないのだが、面倒な仕事は優先して割り振ってくるだろうし、さらに顔を合わせるたびにこの件に関して愚痴をこぼしてくるだろう。

 部長はナイーブで粘着な性格なのだ。おそらく一年ぐらいはひきずる。考えただけでも面倒臭い状況と部長だ。


 そして結婚なんて自分には縁のない文化なので詳しくないのだが、仲人をする人物が独身なのは珍しいのではないだろうか。

 結婚する当人たちがいいようなので、別段気にするほどの事でもないのだけれど、それを口実に部長が結婚しろと言い出す気がするのだ。

 いや、確実に言う。

 部長は何故か自分を結婚させたがっており、二十代半ばから三十路迄は事あるごとに話を持ちかけられた。心の底からウザかった。自分は気ままな独身がいいと何度説明したことか。


 仲人を引き受ければ愚痴と一緒に、今からでも遅くない婚活しろと言い出すのだろう。想像しただけでもストレスがたまる。


「あの、だめですか?」


 自分が押し黙っているのを見て、彼女の方がおずおずと口を開いた。上目遣いの瞳には珍しく弱気に揺れていた。

 いくら嫌いだとしても上司を蔑ろにするのは倫理観が咎めるのだろうし、それに自分を付き合わせるのも気が引けるのだろう。

 ここではっきりと、いや、遠回しにでも断れば察してくれるのは見てとれた。


 だから――


「いや、かまわないよ。やろう」


 ――仲人を引き受けることにした。


 そもそも引き受けることで生じるデメリットの根本は部長にある。部長が悪いのだから、二人に責任はない。

 ならば我慢は悪い部長がすればいい。

 それで生まれる面倒ごとは、まあなんとでもなるだろう。


「部長の方は私が説得しとくから、君たちは気にせず良い結婚式を挙げなさいな」


 そう言って、締めくくった。

 二人は安心したように見つめ合って笑みを交わしていた。微笑ましいんだけど、部長は本当に人望がないなぁ。

 それと、上手いこと締めた後に思いついたんだけど、自分は部長の説得だけして、仲人は別の人がやるっていうのはダメなのかな?


 いや、本当に二人の結婚を祝福する気はあるんだけど、独身で結婚願望も恋人もない身としては少々辛いものがあるんだよね。

 その、被害妄想だろうけど、周りから結婚しないのって、プレッシャーかけられているようで。

 二人はなんだか幸せ臭を放っているので、今は口にするべきではないと判断した。

 しかし、仲人を回避しただけでこれとは、部長が可哀想に思えてしまう。どうでもいいことだけど。

 仲人の件は適当な人材を見繕ってから、今度部下にこっそりと話してみよう……。



 会計を終えて、先に店を出ていた二人に合流した。


「今日はご馳走様でした、課長」

「面倒かけてスンマセン。いや、マジで」


 二人が頭を下げて、今日はここで別れてそれで終わりだ。

 それがいつも通りの日常で、それが唐突に終わるだなんて思わなかった。

 視界の端に一人の男がいた。視線が否応無く引き付けられる。


  印象は薄汚れた男。

 繰り返し洗濯してヨレヨレになった服に、陰気さを醸し出す猫背、無精に伸びた髪は油っぽく清潔感が無く、そこから覗く瞳は暗く精彩に欠けていながらも突き刺すような眼差しで、こちらを凝視していた。

 まともではない。

 危機意識が警報を鳴らす。


 部下たち二人はその男に気づいていない。

 それはそうだ。

 男は二人の肩越しにいて、背中を向けている二人が気づくはずは無い。

 男を刺激しないように、目で部下に注意を促す。それと同時に、男が懐に手をいれながらこちらに駆け寄ってくる。

 一瞬遅れて、部下が振り返り、自分が二人に向けてかけ出す。

 懐にいれた男の手の奥から、鈍い色の光が反射される。


「お前はっ――」


 部下の声は意味をなさない。

 男がはっきりと部下を狙っているのを確信して、その身を庇って前に出る。頭の中は真っ白で、まともな思考なんてしていない。

  突っ込んでくる男に右の拳を叩きつけて、反動を利用して男の持っているナニカを避――、



  ◇◇◇◇◇◇



「お前はっ――」


 部下の声は意味をなさない。

 男がはっきりと部下を狙っているのを確信して、その身を庇って前に出る。頭の中は真っ白で、まともな思考なんてしていない。

 男が突き出す鈍い色の何かが自分の腹に突き刺さり、同時に放った自分の右拳が男の顎を捉えた。


「くッ!」

「ふぎゃっ!」


 自分は痛みに声を失いその場にうずくまり、男は仰向けに倒れた。その際に頭でも打ったのか、意識を失っているように見えた。

 それだけ確認すると、自分の意識も急速に薄れていく。

 ナイフが深々と突き刺さった腹からは、大量の血が流れ出していた。


 何かがおかしい。


 部下と彼女がかけてくる言葉を聞くともなしに聞きながら、自分の意識は完全に闇に落ちる。

 何かがおかしいと、末期まで疑問を抱いて。




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