魔法少女を待ちながら

ターレットファイター

第1話 深夜ドライブ

 星空に現れた異常に関するニュースを伝えたあとカーラジオの深夜放送はリクエストコーナーに移る。一曲めに流されたのは、星空に片思いの相手を重ねるラブ・ソング。遠く離れた、たぶんもう二度と会えない大切な人を想う歌。

 車のタイヤが段差を踏んでリズムを刻む。

 ラブ・ソングのリズムはタイヤのそれにあまりにも噛み合わない。そのちぐはぐさが、どうにも耳に障ってわたしは思わずカーラジオの音量を下げた。かすかなエンジン音と、タイヤが段差を踏む規則的な音。静寂ではない、しかし静寂によく似た音が車の中を包む。

「なんだっけ、この音」

 わたしが何気なくつぶやいた疑問に、助手席に座っていた浅葱が即座に答える。

「タイヤが段差を超える音。規則的に音が鳴っているし、ここは高架区間だから桁の継ぎ目にある段差じゃないかな」

 浅葱は、わたしの同居人だ。三年前、大学二年生だったときからふたりでシェアハウスをしている。物理学科のわたしと、天文学科の浅葱。お互い実験や観測で不規則な生活になることが多かったから、家事を分担できることはお互いにメリットのあることだった。少なくとも、そういう利害の一致があってこそ、ふたりでの気楽な共同生活が成立したのだと思いたい。

 浅葱は、控えめに言っても「変人」という表現が似合う女性だ。とにかく、次に何をするのかが予測できない、行動原理がよくわからないと評されることが多い女性である。実際、シェアハウスを始めるまではわたしもそう思っていた。

 確かに、そういう評価はそれほど間違ったものではない。

 たとえば、浅葱は唐突にふらりと旅行に出ていくという奇癖を持っている。それぞれ別々に一人暮らしをしていた頃から、浅葱の姿を何日か見ないと思ったらラインでどこかよくわからないところの写真が送りつけられてくるということがよくあった。そういうときは、旅行に出てたのだ、と気づいたのは共同生活をするようになってからのことだった。もっとも、そのことに気づいたときには浅葱の車の助手席でその旅行の同行者とされてしまっていたのだけれど。しかも、浅葱はどういうわけかわたしのスケジュールを隅から隅まで熟知していて数日間連れ出されたとしてまったく困らないタイミングを的確に選んで連れ出すのだから嫌いになることもできない。

 もっとも、わざわざ旅行のためだけに車を買ってくるわりに浅葱の運転は目を覆わんばかりにひどいものだった。ばかりに、ではなくて初めて旅行に連れ出されたときわたしは実際途中から目を覆っていた。そして二度と、浅葱が運転する車には乗らないとわたしは心に決めたのだった。まあ、その結果として旅行の時はいつでも自分がハンドルを握る羽目になってしまい、わたしのほうがこの車のことを熟知していることになってしまったのだけど。トヨタのプロボックスの最廉価モデル。要するに営業の人とかが乗っている車だよ、というのは浅葱の談。おしゃれさとかかわいさといったものとは程遠い車だが、運転のしやすいところは気に入っている。

 そして、いまわたしが運転しているのはその車だ。だから当然のように、浅葱が助手席に座っている。当然のように、もなにも当然といえば当然なのだが、突然「旅行に行く」と言い出したわたしに浅葱がそのままついてくるとは思っていなかった。

「そういえばさ」

 ドアに頬杖をついてぼんやりと窓の外を見ていた浅葱が、ぽつりとつぶやいた。

「そういえば、茜はさ、なんで急に旅行に出たいなんて言ったの?」

 タイヤが規則的に段差を踏む音とかすかなエンジン音だけが響く静かな車内で、浅葱のその声はとてもはっきりと響いた。次に何をするのかわからない、とよく評されるが実のところ浅葱の行動はいつだって彼女自身の好奇心に裏打ちされていた。

 浅葱は、好奇心旺盛な女性だ。そんな浅葱が、わたしの突発的な旅行に興味を持たないはずはなかった。

 用意してあった答えはあった。当たり障りのない表向きの答え。出発してから考えたものだったけれど、それなりに浅葱をごまかすことはできるはずの答え。

 けれども、いざとなるとわたしはそれを口に出すことをためらってしまった。

 中央分離帯に規則的に並んだナトリウムランプの明かりが、入れ代わり立ち代わり車内にオレンジ色の光を投げかける。タイヤが路面の段差を踏む規則的な音、どこまでも繰り返すナトリウムランプの明暗の列。変化のない光景の繰り返しが、ためらいのなかで時間が止まったような錯覚を抱かせた。

 けれども、それは錯覚にすぎない。パワーウィンドウを下げ、すう、と息を吸い込むと、確かに時間は進んでいるのだと新鮮な空気が教えてくれた。

「……わたし、魔法少女だったんだ」

 口に出してから。わたしはなんてことを口走っているんだ、とわたしの心の中の冷静な部分がとツッコミを入れる。

「魔法少女?」

 案の定というべきか、浅葱の声は驚きに跳ねていた。そりゃそうだろう、同居人が急に「魔法少女だった」なんて言い出したら首を傾げてしまう。なんなら、正気を疑われたって不思議ではない。むしろ、それで「はいそうですか」と納得されたらそのほうがよほど驚いてしまう。魔法少女が本当にいるなんて思う人はそういない。

 ただ一言、「冗談だよ」と言えば引き返せる。本気で言っているよりも、冗談として口にしていると言ったほうがよほど納得される話なのだから。わたしの冷静な部分がそうささやきかける。

 だが、あとさき考えずに車を出した時点で冷静な部分はとっくに敗北していたのだ。

「そう、魔法少女。魔法少女だったんだ。十五年前のことだけど」

 だから、そのあとの言葉をわたしの冷静な部分はおしとどめられなかった。



 十五年前、わたしは魔法少女だった。

 そう、魔法少女だったのだ。

 クラスのみんなには内緒。わたしが魔法少女をやっているのを知っているのはたったふたりだけ。

 わたしと、もうひとりの魔法少女。

 わたしと、葵のふたりだけだった。

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