第18話 元カレと友達と①

「いらっしゃ…ゲッ!!」

「ちょっと…和泉さん…」


 バイト先のコーヒーショップ店内で、店員らしからぬ声を上げる太一に、知花はホイップを絞りながらやんわりと注意を促したが、太一は入口の方向を向いたまま、顔を引きつらせている。


「太一!知花!二人の働きぶりを見に来たわ!」


 ひょこっとカウンター内を覗いたのはソフィアだ。

 その後ろには買い物帰りなのか、荷物を下げたヒューズがそっと頭を下げた。

 二人が来てくれたことにテンションを上げた知花は、空いたレジへとすかさず入り込む。


「いらっしゃいませ!来てくれてありがとう!」

「ヒューズがへばったから、ちょっと休憩しようと思って」

「では、せっかくだから私が作りましょう!!ヒューズさんはいつも通りホットコーヒーでいいですか?」

「あぁ」

「ソフィアちゃんは何がいい?」

 レジ前に置かれたメニュー表を目で追うソフィアは、その中から期間限定のドリンクを「シロップ、ホイップ追加で!」と上機嫌で指差した。


 声高々に告げたトッピングに、カロリーを想像したのかヒューズの表情が曇る。

 しかし既にソフィアはレジ前から逃亡を図り、入口付近の席に座ってしまった。


「今晩の晩御飯をヘルシーにしましょうか」

「そうしよう…」


 そんなやり取りを隣で聞いていた太一が、ヒューズのホットコーヒーを隣から差し出す。


「羽曳野さん、残りの分作ったら上がっていいよ」


 太一の声に時計を見やれば、もうシフト終了五分前だ。

 残りのドリンクも作り終えると、帰り支度の為にバックヤードへと下がる。

 やがて知花が着替え終え店内へ戻ると、商品棚の所で腕を組み考え込むヒューズの姿があった。


「どうしたんですか?」

「あぁ、お疲れ様。…いや、今日のコーヒーが美味しかったから、家にミルもドリッパーもあるし、買って帰ろうか考えていただけだ」

「なるほど…今日のホットはイタリアンローストですね。ヒューズさん…ひょっとして、朝はコーヒーの方が良かったりします…?」


 知花の言葉に一瞬、沈黙が訪れる。


(コーヒー派だったか…)


 知花もソフィアも朝はコーヒーよりも紅茶派だ。

 ソフィアは元々飲めないのだが、知花はバイト先の特典として、休憩と帰宅時に好きに飲めるため、朝わざわざ飲むことをしていない。


「…だが二度手間だし、紅茶の香りに混じってしまうだろう…?」


 知花やソフィアにはまめまめしく小さなことまで世話を焼くのに、自分のことになると呆れるほどに無頓着。


「そういうことは、遠慮せずに言ってください」

「しかし…」

「言ってください?」


 二度同じことを言いながら笑顔を向けるのがヒューズには効果的だ。


「せっかくなので、私が毎朝美味しいコーヒー淹れてあげます」

 困ったような表情ではあるが「ありがとう」というヒューズの声は少し嬉そうである。

 彼の反応に満足した知花は、棚からコーヒー豆を一つ手にとりレジに向かおうとした…その時だった。


「あれ…知花…?」


 知花を呼ぶ声に、時が止まったかのように、その知花が動かなくなる。

 彼等の近くのガラス扉のハンドルを握っていたの声の主は、色素の薄い雰囲気が柔らかい青年だ。


「…た、高槻先輩…」


 知花は振り返ろうとしているのだろうが、その動きはゆっくりでぎこちなく、コーヒー豆の袋を握る指先すら震えているように見える。

 ヒューズがそっと声を掛けようとしたが、それよりも先に知花の隣にやって来たのは太一だ。

 知花を壁へ追いやるように立つと、にこりと微笑みレジに手を向ける。


「高槻先輩、お久しぶりです。注文はあちらでお受けいたしますので、並んで頂けますか?」

「あれ…和泉?ここでバイトしてたのか。ひょっとして知花も?」

「いえ、知花はたまたま来てただけです。ヒューズさん、コーヒー豆なら後で俺が届けますよ」


 ヒューズに対しても爽やかな笑顔で対応しているが、言外では『今すぐ立ち去れ』と告げていた。

 意図を理解した彼は、まだ席に座っていたソフィアを引き連れ、知花と共に店を出た。


「ありがとうございました、またお待ちしてます!」


 追い出されるように太一に見送られると、三人はそのまま家路へと向かう。


 夕暮れ時、子供達の楽しそうなはしゃぎ声がする中、知花の背中は明らかに沈んでいた。


「…知花、さっきの男の人は誰なの?」


 いつも明るい彼女が、明らかに沈んでいる様子なのが気になったソフィアは、たまらず声を掛けた。

 ハッと振り返った知花の両手の指が、重なっては離れてを繰り返す。


「………高槻颯太っていうの。…高校時代の先輩で…元カレです」


 長い沈黙の後の声は、甘酸っぱい筈の記憶とは違い、戸惑いを含んでいるようだった。

 それを如実に表すかのように、知花の背後から射す夕日が、その温かい明るさに反して、知花の表情をより暗く見せた。


(予想通りの関係みたいだけど…)


 ソフィアは隣で間抜けな表情をする、自分の騎士のわき腹を肘でつついた。

 ビクリと反応した男が、彼女の視線に促されるように背筋がいつもの位置に戻る。


(ヒューズには大分効いたわね…)


 ソフィアより十も年上なのに、恋愛に関してだけは頼りなく、見ているこっちが情けなくなる。

 軽く咳払いをして気を引き締めたソフィアが話を続けた。


「太一が知花に応対させなかったのは、何か意味があるのね」

「えっと…昔…トラブルになりまして…」


 珍しく知花が言葉を濁す。

 そしてヒューズにも食って掛かるようなあの太一が、真っ先に、あの場から知花を遠ざけることを優先させた。


(…あの穏やかそうな見た目に反して、いい人では無さそうね。これは用心することに越したことはなさそうだわ…)


 ソフィアは知花に駆け寄り、ぎゅうっと抱きつくと、とびきり愛らしい笑顔で囁いた。


「知花?何か困ったことがあるなら、いつでも私達を頼っていいのよ?」

「はぁ~天使がいる!!ありがとう!!その言葉だけで十分だよ!!」


 ソフィアに応えるように、知花も華奢なソフィアを抱きしめる。


(…これは、きっと私達には頼らないわね)


 お人好しのくせに、人に頼るのは苦手な知花。


 (だったら、こうしましょう)


 ソフィアがキュッと抱きつく腕に力をこめると、知花には気付かれぬように、小さな魔術具を彼女の鞄のサイドポケットへと忍ばせた。

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