第10話 騎士様は夏バテに勝てない
「大丈夫ですか?ヒューズさん、夏バテだったから、来る時に飛行機にも酔ったんですね…」
知花はベッドに横たわるヒューズの氷嚢を交換していた。
旅行二日目。
知花達はその日も海水浴をして遊んでいた。
夕方まで散々遊んだ三人がお風呂を入り終えた時、なんと、ヒューズが倒れた。
「…日本に来て、姫ではなく私が知花の手を煩わせている気がする…本当にすまない…」
「お気になさらず。日本の夏は日本人にも辛いですから」
ペリっと熱冷ましのシートを剥がし、ヒューズの額に貼り付けると、余程冷たかったのか一瞬彼の身体が身震いする。
「ちなみにご飯は食べられそうですか?」
「…少しなら」
「良かった!実はもう用意しちゃってるんです。ちょっと待っててくださいね!」
一度ヒューズの部屋から出た知花はキッチンから持ってきたトレーを、ベッドサイドのテーブルへ乗せる。
トレーに乗せてきた腕の蓋をそっと開けると、ベッドに座り直したヒューズがその中を覗き込んだ。
「…おにぎり…?」
腕の中に入っていたのはこんがりと焼き色のついた、三角おにぎりだ。
「ふふふ!ただのおにぎりではありません…!じゃーん!!」
知花が手に持ってヒューズに見せつけたのは、先程まで碗の隣に置いていた、小さなガラス製のポットだ。
中に入っているのは紅茶や緑茶の色では無く、淡い黄金色の液体だ。
「体調悪い時は日本ではお粥って相場が決まってるんですけど、塩分も取れそうな出汁茶漬けにしてみました!表面はこんがりおこげのおにぎり、中身は鮭です。ヒューズさん、合わせ出汁好きでしょう?だからこれなら食べれるかなって」
「あ…ありがとう」
知花はポットに入った出汁をその上にかけ、ネギや、海苔、揚げ玉などの薬味を足すと、焼きおにぎりをそっと崩す。
その中からはピンク色をした鮭が覗き、それと一緒に出汁もスプーンに掬い上げる。
「はい、どうぞ!」
そっと手を添えられて、差し出されたスプーン。
五秒はしっかりと制止したヒューズの口から「は????」っという彼らしからぬ間抜けな声が漏れる。
「食べないと夏バテは治りませんよ?あと今、完全に素でしたね?」
「っ!!聞かなかったことにしてくれ!!…い、いや、そうではなくて…なぜ、手ずから…自分で食べれ…」
「病人の世話は、基本手ずからですよ…?はい!大人しく食べましょう!」
いつまでも距離を離れない、寧ろ、ぐいぐいと近づいてくるスプーンに根負けし、ヒューズは遂に齧り付いた。
その時、少し伏し目がちになった、ヒューズの睫毛の長さに知花は目を見開く。
(ふわぁ…睫毛長い!!本当に…綺麗な顔だなぁ…)
間近で見ても肌はきめ細かく、どの角度から見ても完璧な彫刻のようである。
(騎士っていうより、王子様みたいだよね…ヒューズさんって)
咀嚼する様子をドキドキしながら観察しつつ、二口目をよそう。
ゆっくりと飲み込み一言「美味い」と溢したことに安堵した知花は、二口目をまたその美しい口元へと運ぶ。
ヒューズは何度も口に運ばれる出汁茶漬けを大人しく口にし、やがて全て食べ終えると、全身の力を抜く様にベッドに倒れ込んだ。
「ありがとう、美味しかった…」
「ヒューズさんって、意外と日本人っぽい舌をしてますよね…ワサビとかも平気でしたし…」
知花は普段の食生活を思い出した。
二人が来てから主にヒューズと知花が食事の支度をしているが、あまり洋風に偏るという事態には陥っていない。
むしろ週の半分は、焼き魚が朝から並ぶほどだ。
「…あぁ、それなら私の祖父が日本人だからな…。和食が好きなのはそのせいだ」
「え!?ヒューズさんのおじいさんって日本人なんですか!?」
驚きのあまり、知花は片付ける手を止めた。
「転移者だ」
「し、知らなかった…!!」
「言ってないのだから、知らなくて当然だ」
「じゃあ、もしかしてその黒髪も日本人の遺伝なんですか」
「そうだ。エクシアルでは黒髪は珍しい」
倒れ込んだまま、ヒューズは自身の髪を摘まむ。
真っ直ぐで漆黒の艶やかな髪は、日本人らしい髪質だ。
「…だから日本のことは割と詳しい方だと思う。祖父が良く話をしてくれたからな…」
「そうだったんですか…、ちなみに転移ってどうして起こるんですか?」
転生者については死んだ後の魂が、転生先として日本もエクシアルも対象ならあり得るだろうが、転移者に関しては何らかの現象が起こっていないと無理だ。
それこそ二人がやって来た時のような、逆の状況が起こっているに違いない。
「精霊の悪戯だ」
「…もう私の中で精霊は憧れとかじゃなくて、畏怖の対象になりました」
まさか、ここでも精霊の話題が出るとは。
「彼等に遭ったら『逃げろ』が騎士団でも鉄則だ。でも、まさか自分が日本に来るとは思わなかった」
「そういえば、エクシアルの人が日本に来ることって、本来は無いんですか?」
「無い。転移魔術が使える魔術師は非常に稀だ。我が国ではソフィア姫の兄であるルシウス殿下ただ一人だ。祖父の時代に至っては、一人も居なかったらしい。転移用の魔法陣は、王宮に刻まれたものただ一つだけなのと、何よりも術師への負担が大きいから易々とは渡れないんだ」
つまり、本当にソフィアとヒューズがこちらへやって来たのは特例中の特例なのだろう。
「…何にしても、転移にいいことはない…。祖父は、祖母と出会えて良かったと言っていたが…ある日突然、天涯孤独の身になる寂しさも、大事な者を置いていく寂しさも…想像に容易い……だから…俺…は……」
「…ヒューズさん…?」
突然静かになったヒューズに不審がった知花は、顔を背けたまま横になるヒューズを覗き込んだ。
すると彼は静かに穏やかに寝息を立てていた。
彼が寝ている姿を見るのは初めてだ。
いつも誰よりも早く起き、一番最後に眠っているからだ。
「…そうだよね…旅行に来てからどころか、日本に来てからも、ずっと気を張ってそうだったもんね……」
そっとタオルケットを肩まで引き上げ、穏やかに眠るヒューズの黒髪をそっと撫でる。
「いつもお疲れ様です。ヒューズさん」
知花は食器を手に取ると、そのまま静かに電気を消し部屋を後にした。
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