ヴィアレット家メイド兼執事 紫桃柚月

 10月も半ばを過ぎると、あれだけじりじりと身を焼くような太陽熱も木枯らしの風によって冷まされ、日陰に入ればかえってあの熱波が恋しくなってくるような寒さが訪れるようになっていた。

 ヴィアレットの屋敷でも、夏の爽やかな色調と風合いの家具備品を徐々に入れ替えるべく、屋敷の倉庫や備品室から執事とメイド達が花瓶や照明器具を手にして入れ替わり立ち替わりに忙しそうに走り回っていた。

「柚月くーん。こんな感じで大丈夫かなー?」

 昼休みも終わった頃、ロビーラウンジ奥の壁に絵画を飾り付けていたメイドの少女が背を向けたまま言った。

 彼女の背後には同じくメイド服姿の紫桃柚月が右や左へうろうろと歩き回り、その壁にかかった絵画を眺めていた。

「うーん・・」

 柚月はその目元涼やかで端正な顔を指で軽くなぞりながら、かれこれ10分近く唸りながら考え込んでいた。

「どうします?やはりこちらの絵に戻しますか?」

 柚月の隣では同僚の棗涼子が一枚の絵画を手にして立っていた。

「その絵も確かに良いけど、これから寒くなってくるのを考えるとちょっと寂しいかなと。この席はお嬢様とお坊ちゃまがいらっしゃるからね」

 柚月はそう言って、棗の手にした絵画を一瞥すると、再び細い首筋から覗く頬に指を当てて考え込んだ。棗の手にしていた絵画は、淡いパステルの色彩で描かれた異国の港町で、大きさは両手に収まる程度の小さなものだった。対し、既に壁に掛けられた絵画は金無垢に赤い薔薇が一輪描かれたもので、こちらの大きさはさらに一回りほど小さい。絵の掛けられた壁は石膏色の柔らかな色調に抑えられており、黒壇に縁取られた豪奢な金と赤が際だって見える。

 しばらくして柚月は「うん」と一言頷くと、「これでいいよ」と答えた。

「良かったー。もう腕が限界だったよー」

 柚月の手伝いで壁に絵を当て続けていたメイドの少女は、絵を棗に預けると両手をぷらぷらと揺すぶりながら言った。

「ごめんね、疲れたでしょう」

 柚月はそう言って少女の手を取ると、心配そうに顔をのぞき込んだ。

「え、えぇ~。だ、大丈夫だよー。えへへ・・」

 少女は顔を真っ赤にしながらしどろもどろと答えた。

「なかなか決められなくてね。でもとても良くなったよ。ありがとう」

 柚月がそう言ってにっこりと笑うと、少女は真っ赤になった耳を抑えながら挨拶もそこそこに駆けていった。

「はぁ、あまりウチの子達を困らせないでね柚月」

 部屋を出て行く少女の後ろ姿を見送った棗は神経質そうに眼鏡のつるを触ると、ため息をひとつ吐いた。

「心外だなぁ。困らせるつもりは無いのだけど」

 柚月は腕を組むと少し困ったように笑った。棗は再び指を眉間に当ててため息をもう一つ吐いた。


 柚月はヴィアレット家に長く仕える紫桃家の長男として生を受けた。両親はともに屋敷の家具や調度品の整理・管理の責任者の立場にあり、自然と幼少期は様々な豪華絢爛な美術品や家具に囲まれて育った。そのためか、柚月自身も非常に類い希な美貌に恵まれ、青みがかった艶やかな髪と吸い込まれそうな美しい鳶色の瞳はすれ違う人を魅了せずにはいられないものだった。当然、柚月の周囲にはその美貌を愛でる大人たちが集まったのだが、幸いにも芯の強い性格と愛情豊かな両親や友人たちの影響からか、自身の美貌に自惚れるようなことはなく、穏やかで優しい気質へと育ったのっだった。

 とはいえ、柚月自身も自らの美貌に誇りがないわけではなく、幼いながらに自身をより美しく飾ることに強い関心を持っており、親の目を盗んでは様々な服やメイクで自身を飾り立てていったのだった。初めこそはこっそりとした遊びだったのだが、イタズラ心を抑えられずに何度かメイド姿で同僚の仕事を手伝ったりして友人たちを驚かせていているうちに、「人はより美しく着飾る服を着るべき」という信念が育ったのだった。

 当然、奇異な目で見られることもないことはなかったが、一度持った信念を曲げるような性格では無かったので、何年か経つうちに周囲にも受け入れられ、両親のあとを継いで執事兼メイドとして務めることとなったのだった。


 ラウンジロビーの模様替えも一段落し、柚月と棗はロビーのテーブルに陣取ると、遅めの昼食を摂っていた。

「思えば僕はラッキーだったかもしれないなぁ」

 柚月は頬杖をついて、ふとこう呟いた。

「・・それは私も同じですよ」

 棗は柚月の言葉に少し考えた後答えた。

 柚月が棗と出会ったのは、棗がヴィアレット家に来て半年程経ってからだった。まだその壮絶な生い立ちから身だしなみに頓着するほどの余裕の無かった彼女に、化粧や髪のセットを教えたのをきっかけに二人は古い知己としてヴィアレット家でともに過ごすようになった。当時はまだ上手く人とのコミュニケーションをとることに不慣れだった棗にとっては、面倒見の良い柚月のような存在は非常に有り難く、また柚月にとっても真面目で規律正しい性格の棗は好ましい存在だった。

「さて、もう少ししたら再開しましょうか」

 棗の言葉に柚月は食後の珈琲に口を付けながら頷いた。


ヴィアレット家豆知識

柚月と棗=人がいないときはお互いに「涼ちゃん」「柚」と呼び合っている。恋愛感情は無いが、お互いに弱音を吐ける親友同士の関係。

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