第10話 鬼が食べ残した唐揚げの価値は、無限大


「……ふぅ。いよしっ!」


 時刻は朝の五時。普段よりも三十分早く目を覚ました俺は、気合も十分に布団から起き上がった。


 朝はやることがいっぱいだ。

 鬼が食い散らかしたゴミの片付けから、洗濯、朝飯探し、そして学校に行く準備など。とにかく忙しい!


 しかし今日ばかりは時間に追われて登校するわけにはいかない。

 なんせ終業式だからな! 三年生も今日で終わりともなれば、三年二組で居られる最後の日ってわけだ!


 つまりは、常夏とのラストバトル!


 ──戦績は152勝151敗。


 僅かに1勝だが、勝ち越しているアドバンテージは大きい。勝利はこの手にあると言っても過言ではない。


 とはいえあいつのことだ。俺が今日、完膚なきまでに勝利を収めれば四年生に進級して、たとえクラスが変わったとしても〝勝ち逃げは許さない〟とか言い出して、襲いかかってきそうなものだ。


 だってお前は負けず嫌いだからな!

 負けたまま終わることを良しとはしないだろ!


 だから絶対に、負けられない。

 俺が負けてしまえば瞬足の翔太の名が地に落ちるのと同時に、常夏が俺と戦う理由もなくなっちまう。


 それは嫌だ。絶対に、嫌なんだ。


 クラス替えがあるのなら、瞬足の翔太である必要はなくなるはずなのにな。……ちゃんちゃらおかしな話だぜ。


 まっ、とにもかくにも勝ちゃいいんだよ。

 俺は今日、必ずお前に勝つ! なにがあっても絶対にな!


「よぉーしっ!」


 と、息巻く俺の朝一番は洗面所で顔を洗うよりも先に、鬼の寝床を確認することから始まる。


 俺が学校に行く時間は大抵ぐーすか寝ているから平和なものだが、稀に起きている日もあるからな。


 で、こんな日に限ってまさかの……。

 破れた障子の隙間から鬼の寝床を覗くと、……姿がない。


「おいおい、まじかよ……」


 風呂か、それとも酒が切れて買いに出かけたか……。いずれにせよ、鬼は起きている。


 弱ったな……。朝はすこぶる機嫌が悪いから、出くわすだけで逆鱗に触れて標的にされちまう。


 これから常夏と命運を懸けた一戦を交えるってのに、鬼に攻撃されるのはキツイ。やられた後はしばらく体がズキズキするし……。


 万が一にもヘッドロックを交わす際にズキッてきたら、一巻の終わりだぞ……。


 と、なれば……。こればかりは仕方がないな。

 掃除も洗濯も放棄して、さっさと学校に行っちまおう! それっきゃない!


 とはいえ鬼と出くわしたらTHEエンド。

 最善の注意を払いながら忍び足でまずは朝ウンのためトイレに入ろうとすると、電気がついていた。


「(お〜、あっぶね〜!)」


 鬼の野郎! こんなところに居やがったか!


 鬼が怒り出す原因、第8位。

 “トイレに入っている時に開けようとする”ってのがあるからな。危ないところだった。


 ちなみに、その逆が第5位。

 鬼がトイレに入ろうとして俺が入っているパターン!


 堂々、第1位は“意味不明に怒り出す”ってんだから、困った奴だよ……。まっ、だから意味があって怒られる場合は避けるに越したことはない!


 居場所さえわかれば顔を合わせないように注意を払うのは簡単だ。出くわさずに学校に行く支度くらい余裕でできる!


 とりあえず物陰に潜み、トイレから出てくるのを待っていると──。

 

 出て来たのはなんと! 鬼ではなく、父ちゃんだった!


 あれれ。なんで居るんだろう。

 父ちゃんは仕事が忙しい人で、ほとんど家には帰ってこない。


 かれこれ会うのは一年ぶりくらいだ。

 でも父ちゃんは鬼には取り憑かれていないからな!

 しかも何故か父ちゃんが帰ってくる日は決まって鬼は、家には居ない。ってことはつまり! 超平和な朝じゃんか! ビビって損したぜ~!


「なんだよ父ちゃん、来てたのかよ! 珍しいな! つーかこんな朝早くに居るなんて初めてだろ!」


 なんのことなしに父ちゃんに話し掛けるも、なんだか様子が変だった。

 くたびれたスーツに生気のない顔。それはいつもどおりの父ちゃんなんだけど……。


「……もう起きたのか。早いな……。おはよう。……それにしても、大きくなったな……翔太」

「おっす! 父ちゃんは前に見たときよりも、やつれちまったか?」

「ははは……。そう見えるか…………困ったな」


 やっぱりおかしい。父ちゃんが不健康そうなのは毎度のことだけど、それでもいつもニコニコしているんだよ。それがどうしてか、今日は表情に陰りが見える。


「元気なさそうな顔してるな? なんか悪いもんでも食っちまったか?」


 父ちゃんは苦笑いを見せると首を横に振った。そして大きく深呼吸をすると、真っ直ぐ俺を見てきた。


「翔太、落ち着いて聞いてほしいんだ」

「お、どうした? 腹でも痛いのか?」


 よく見ると顔色がすごく悪い。もともと生気のない面だけど、今日は一段と体調が悪そうだ。


 まさか病気かなにかか? そんな不安が過ぎるも──。


「……もうな、母さんは帰ってこないんだ」


 え。えっ?! それって鬼のことだよな!


「な、なんだって?! 帰ってこないって言ったのか? つーか帰って来ないってどういうことだよ! 勿体ぶらずにはっきり言ってくれよ!」

「……言葉通りの意味だ。もう母さんは二度と……帰って来ないんだ。すまない。翔太……。父さんが全部、悪いんだ……。すまない、すまない……」


「何言ってんだよ! ビッグニュースじゃねえか! いっよっしゃああああああ!」


 思わず飛び跳ねジャンプでガッツポーズをしていた。

 鬼が居なくなるのなら掃除の手間も省けるし、タバコやお酒の臭いに悩まされることもない! なによりもう、痛い思いをしなくて済む!


「しょ、翔太……? もう二度と、母さんには会えないかもしれないんだぞ? 今日だけとか一週間とかじゃなく、ずっとだ」


「よっしゃよっしゃ、よっしゃああああ! やーっり! 最高だぜ父ちゃん! ビッグニュースまじサンキュー!」


 シャドーボクシングからの喜びの特大ガッツポーズをすると、何故か父ちゃんは目を見開いて俺を見ていた。


「…………母さんのこと、嫌いなのか……? もしかして喧嘩したまま、それっきりとかなのか……?」


「うん? 母ちゃんは好きだった気がするけど、もうよく覚えてねえな。でも鬼は大っ嫌いだな。つーか母ちゃんはずっと昔に死んじゃったじゃん。気づいてなかったのか? まっ、あんま帰って来ないから仕方ねえか!」


「……死んだ? 鬼……? な、なにを言っているんだ……?」

「あ! ゆっくり話してる時間なんてないんだよ! あとにしてくれ! 鬼が居ないのなら朝の日課をこなさいとな!」


 とりあえず洗濯機をまわすために脱衣所へと向かった。朝はやることがいっぱいあるからな!


 鬼が食い散らかしたゴミやタバコの吸い殻を片付けたり、その中から朝飯になりそうなものを探したり。洗濯物だって干さなきゃならねえ。


 だというのに──。

 父ちゃんが背後霊のようについてくる。邪魔だな。


「な、なにをしているんだ?」

「見てわかんないのかよ。洗濯だよ」


「やり方、わかるのか?」


「父ちゃん、なに言ってんだよ。寝言は寝て言えって! 当たり前だろ? 洗濯する物あるなら今のうちに出しておけよ。後から出されても洗ってやんねーかんな!」


 それからも、朝のクソ忙しい時間にも関わらず、父ちゃんは背後霊のように俺のあとをついてまわって、見てきた。

 

 とりあえず洗濯機は回したから、次は鬼が食い散らかした部屋の掃除だ。これをそのままにしておくと臭ってくるからな。

 

「おっ、ラッキー! 今日は唐揚げが一個残ってんじゃん! こんな日は滅多にないぞ! ごちそうだ! やっぱ鬼が居なくなった記念すべき日だから最高の一日になっちまうってことだな!」


 そして鬼が食べ残した弁当やらおつまみの中から、朝ごはんになりそうなものをハントする。


 あ~、でもそっか。鬼が居なくなると、こうして朝飯が食えなくなっちまうのか。それは困るが、鬼の居ない暮らしには変えられねえよな!


 まっ、ラストを飾るのには相応しいご馳走だ!


 だがここで、背後霊のように見ていた父ちゃんが俺の手首を掴んだ──。


「そんなもの、食べるのはよしなさい」


 そんな、もの? ご馳走を前にして、そんなものと言い放つ父ちゃんが何をいっているのかわからなかった。


 ……まさか、父ちゃんまで鬼に取り憑かれちまっているのか? ……いや、だったらもう既に攻撃されているはずだ。


 これは……ははーん。わかったぞ。そういうことだな! 


「何言ってんだよ! そう言って独り占めする気だな! あーあ! 半分ならくれてやっても良かったけど、やーめた! もう父ちゃんには半分だってくれてやんねー! 今さら謝っても手遅れだからな!!!! これは俺が先に見つけたから俺のだ! 久々に帰ってきたかと思ったら食い意地張りやがって! 情けねえよ!」


 すると父ちゃんは、まるでこの世の終わりでも見ているかのような顔をすると、ぼろぼろと泣き始めてしまった。


 おいおいまじかよ……。いや、気持ちはわかるけどさ……。


「わ、わかったよ……。このからあげは父ちゃんにあげるから泣くなよ! 腹減ってるから独り占めしようとしたんだよな? 他でもない父ちゃんだ。今回だけ特別だかんな?」


「……すまない、翔太。ごめんな…………」


「ったく。男が涙を流すとかダッセーぞ! 俺の父ちゃんならもっと男らしく、強い男で居てくんないと困るんだよ! そんなんじゃ友達に笑われちまうだろ! ……特に、常夏に…………。ほら、食えよ! 食ったら今後は泣くな! 約束しろ! ゆびきりげんまんだ!」


 自分の小指を父ちゃんの小指に強引に引っ掛けてやった。


「ゆーびきーりげーんまーん! うーそついたらーはーりせーんぼーんのーます! ────指切った! よし。これで男同士の約束は成立だ! もう泣くな!」


 言いながら父ちゃんの口の中に唐揚げを放り込んでやった。


「しっかり味わって食えよ! ごちそうだからな! 一個しかないんだからな!!」


「……翔太…………ごめんな……ごめんな…………」


「あのな父ちゃん。こういうときはごめんじゃなくて、ありがとうって言うんだよ! よく覚えておけよ! それから泣くのはやめろ! 一個しかない唐揚げを食ってるときに泣く奴があるか!」


「すまない……すまない…………翔太…………」



 だめだこれ。てんで話を聞いちゃいない。


 ったく。泣くくらい腹が減ってるなら先に言えっつーんだよ。


 でも、からあげ……。俺も食いたかったなぁ……。


 せめて半分こにすればよかったぜ……。

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