八月フィッシャーズ・決着
タキツはぐんぐんと体を前へと押し出し、目を平らにして目標個体を探す。
他のイワシには目もくれない。時間がない。
タキツが泡の中へと入ったのを見て、そう遠くない未来に他の人魚も答えに気付く。
その前に。他の人魚が多くのイワシにも手出し出来ず、目標個体も追えないでいる今の内に。
その僅かな時間だけが、タキツが勝利を手に出来る短い機会だ。
タキツの肌を波が撫でる。
〔波予測〕がタキツの脳裏を過ぎる。
タキツが尾鰭を大きく仰け反らせた。
その瞬間、開いた空間に人魚の影が過ぎる。
速度を乗せてタキツの尾鰭を狙ってそのまま過ぎ去った人魚の、鮮烈に赤い航跡がタキツの視界に大きく映る。
タキツに襲い掛かったニーシェが、飛び込んだ勢いに更に加速を乗せてタキツから離れて行く。
ニーシェの泳ぎに迷いはない。
真っ直ぐに飛ぶ。
一瞬出遅れて、タキツがニーシェを追って加速した。
タキツはまるで届かない。
ニーシェが一匹のイワシの背後に付いた。
タキツが腕を振り払い、〔ウェイブ〕をイワシにぶつけようとする。
ニーシェが割り込み、〔纏〕に〔ウェイブ〕が弾かれた。
境界でなければ、タキツもニーシェも魔力を弾かれることはない。
ニーシェの〔眼光〕がタキツを射貫く。並の人魚ならその鋭さに委縮して身を竦めただろう。
しかし、タキツは持ち前の〔頑固〕さでニーシェの〔威圧〕を受け流した。
逆に隙を突き、タキツがニーシェと併走する。
目標個体であるイワシに張り付いた二人の目の前に。幕を脱ぎ捨てるようにオリヴィエが躍り出た。
真正面から力強く突進してきたオリヴィエの起こす波に、タキツもニーシェも吹き飛ばされて切り揉みする。
先にニーシェが大勢を立て直す。
タキツは致命的に遅れた。
ニーシェは真っ直ぐに泳ぎ、タキツは大きく弧を描く。
ニーシェの背後からオリヴィエが迫る。
オリヴィエの体がぐるりと回った。海がその力に引きずり込まれて、うねる。
ニーシェも海のうねりから逃れられずに、ずぶりと呑まれた。
タキツの位置は、オリヴィエの起こした渦が届いていない。
目標個体のイワシの右手から、タキツが近付く。
タキツが体を左にずらした。
〔波予測〕で見た通り、オリヴィエが撃ち出した海水の〔バレット〕がタキツの脇を通過する。余波は〔纏〕でどうにかやり過ごした。
タキツが目標個体の後ろを捉えた。
オリヴィエが尾で海を叩こうとして。ニーシェが噛み付かんばかりに〔襲撃〕して、動きを抑える。
オリヴィエはニーシェを振り解こうとも、ニーシェは巧みな〔インファイト〕でオリヴィエを逃がさず、ただ回避運動だけを強いた。
タキツが目標個体を〔追い込み〕、泡の外へと押し出した。
目標個体のイワシは、タキツから逃れようと懸命に逃げて、思い通りに魔力の境界を越えてしまう。
タキツが目標個体を外に出したと見たニーシェが、オリヴィエに絡みつくように体を螺旋に巡らせた。その後に大量の泡が残されてオリヴィエを囲む。
ニーシェの〔バブルボム〕が一斉に爆発して、無数の気泡と衝撃がオリヴィエの姿と行動を押し潰した。
ニーシェは力強く海を尾鰭で叩き、タキツと目標個体目掛けてロケットのように推進した。
タキツは横合いから呆気なくニーシェに目標個体を奪われる。
タキツは〔ウェイブ〕を浴びせるが、ニーシェは力任せに食い破る。
タキツは身を翻してニーシェから離れて行った。
ニーシェがあらぬ方へ逃げようとする目標個体を、上手に先回りして軌道修正してゴールへと誘導している。
オリヴィエと、それからシャルマがニーシェから目標個体を奪い取ろうと迫る。
それでも歯を食いしばったニーシェは二人を寄せ付けずに距離を稼ぐ。
ニーシェがゴールを目前に睨み。
波に紛れて現れたタキツがニーシェの前から目標個体を掻っ攫った。
『こらー! 泥棒! またかー!』
今更ながらにリンケージを繋いだアナタの意識に、ニーシェの絶叫がタキツの聴覚を通してぶつけられる。
『治外法権なので』
タキツはさらりとニーシェに聲を返して、ゴールへ目標個体を導く。
タキツのゴールはニーシェの隣だから、あと十回も尾鰭を動かせば目標個体を自分の物に出来る。
だからアナタは慌てて聲を上げた。
『タキツ、まだダメだ!』
意識外からやってきたアナタの聲に、タキツの脳は一瞬戸惑い、身体の動きを止める。
それでも、そんな一瞬の間は関係なく、タキツは目標個体をゴールへ押し込む事が出来た筈だった。
透明な
『はい?』
タキツが状況を飲み込むよりも前に、宝石海月はニーシェのゴールへ向けて漂い、そして吸い込まれて消えた。
『クリスティ!? え、ちょ、飲み込まれ、ま、おま、えええええ!?』
どうやらあの宝石海月はニーシェの使役していたものらしく、彼女は名前を呼んで絶叫している。頭を抱えて叫ぶ内容によると、ニーシェにとっても宝石海月の行動は予想外のようだけども。
いずれにしても、目標個体がゴールに納まり、レース終了の光と音が魔法によって会場と観客席へ広がっていく。
『まってー! アタシの親友が飲み込まれてるんですけどー! ちょっと、待って、死んじゃうでしょあんたはー!』
ニーシェがそれはもう酷い錯乱状態でゴールの中へと突進していく。
フィッシャーズのゴールは、捕らえた魚が逃げださないように返しや水流があるので、海月なんかが入ろうものなら悲惨な事になる予想しか付かないのは共感出来るけども。
タキツはそんなニーシェのゴールを見て、脱力しきって海に漂っている。
そしてその場にいる全ての人物に届くように、レースの勝者が宣言された。
『一位、コトリ・エ・シームルグ! 九二〇七ポイント! 二位、ニーシェ・レッタ! 八四三三ポイント! 三位、フリーエ・アドニス! 四〇二八ポイント!』
観客席では歓声が上がった。確かに誰が勝つがギリギリまで分からないいい勝負だった。
オリヴィエの槍に妨害されながらも、自分が魔力を切って泡に入ってイワシを押し出し、三羽のハルピュイアにゴールまでイワシを誘導させたコトリが、目標個体のポイントと合算してもタキツの持ちポイントを越えた時。
アナタは慌ててリンケージを繫いで叫んだが、間に合わなかった。
もっとも、アナタの発した聲がタキツの意識に急静止を掛けてしまい、ニーシェの宝石海月に付け込む隙を生み出したのも事実なのだけれども。
あのままタキツが自分のゴールへ目標個体を捕獲していれば、二位入賞だったのに。
アナタは何も言葉が思い浮かばずに沈黙する。
リンケージで繋がったタキツの視界が暗転する。静かに瞼を閉じていた。
結果を残せずに負けた。その事実だけが、そこへ至る経過も押し潰してアナタの脳裏を占める。
『……お腹空いたんですけど、私達はもう一仕事ですね』
タキツが瞼を気怠く持ち上げた。
コトリが観客席に手を振りながら、この後のコンサートの準備のために会場を後にする。
他の人魚は、残ったイワシの収穫をするのが、フィッシャーズのルールだ。
タキツの動きに海が揺れて、彼女は自分の役割を果たすために泳ぎ出した。
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