第858話 紅花の群生地

「すみません、ヴァンテアンさん! 寝坊、しちゃって」

「大丈夫だよぅ、タクトくん。錆山じゃないからねー」


 うっかりかぼちゃの献立を考えてて、あちらの世界のレシピ本を読み込んでしまっていた。

 蓄音器体操の後……もう一回寝ちゃったんだよねぇ……

 これって、一番情けないパターンの二度寝だよな。

 運動しておきながら、眠くて堪らないとかさー。


 だけど十分程度の遅れでよかった……この世界だと、時計が三十分単位だからお目こぼしの範囲だ。

 あー、焦ったぁ。

 だけどちゃんと、お弁当とお菓子は持って参りましたよ。


 今日はヴァンテアンさんと一緒に碧の森の西側へ。

 こちら側は鉱石が採りにくいので、植物が手つかずで残っている場所が多い。

 だが、そんな場所なので獣道すらもないような所ばかりで進みにくい。

 こんな所で、よく紅花なんて見つけたよなぁ……


「え、なんで見つかったかって?」

「こちら側って鉱石は採りづらいし、足場もよくないでしょう? 態々何かを探しに来たのかなーって」


「……実は……凄く天気の良い日に碧の森に入って、気分良く歩いてたんだけどね。あんまり気分が良くて……いつの間にか肩掛け鞄を振り回しながら……歩いてて……水筒を吹っ飛ばしてしまって」


 何やってんだ、ヴァンテアンさん……

 碧の森のこの辺りだと、錆山には入れないから適性年齢前でなければひとりでも探索が可能だ。


 特に『移動の方陣』をちゃんと持っているのであれば、森の入口に目標を置いていたら何かあってもすぐに戻れるということもあって今はほぼ制限はない。

 ひとりで入って、楽しくなっちゃうとか……ウキウキで森に探検にでも出た子供みたいなことを。


「その水筒を探してたら……えーと、あ、この辺で……」


 ずるっ


 えっ?

 目の前からいきなり、ヴァンテアンさんが消えたっ!

 ……訳ではなく、ちょっとした段差を滑り落ちていた。

 二メートルくらいの坂道になっている……段差は急ではないけど、掴まれるところがなさそうなので滑り落ちたら下まで滑りきるしかないだろう。

 その斜め下の方から、ヴァンテアンさんの声が聞こえる。


「ごめーーん、下まで先に来ちゃったよーーー」


 怪我はしていないみたいだね……こういう、滑り台みたいな移動方法が正しいのだろうか?

 いやいやいや、ないないない。


 流石にそのやり方は嫌なので、手前から【星青魔法】を使って階段状に整えたら【造型魔法】と【加工魔法】でその辺の石からプレートを作る。

 表面はざらつかせて、滑り止め加工もバッチリですよ。

 そうして下まで降りていくと【洗浄魔法】ですっかり泥を落とし終わったヴァンテアンさんと合流。


「あははは、どうもいっつも、あそこで滑っちゃうんだよね」

「階段を作りましたから、次からはそちらを使ってくださいね……滑り落ちるなんて、危な過ぎますよ」

「え、階段? あーー、本当だ、凄いなータクトくんの魔法って! うわーー、助かるよーー!」

「戻る時はどうしていたんですか? あそこ、登れなかったのでは?」

「『移動の方陣』だよ。錆山でもそういう人達の方が多いからねー。昔は奥の方にはいる時には、必ず方陣札の『門』を仕掛けてから入ったみたいだけど」


 なるほど。

 まぁ『移動の方陣』についてはそういう使い方をしてもらうのも想定内だったし、構わないとは思う。

 だけど、帰り道でもいいものが見つかるかもしれないとは、思わないものなのだろうか……勿体ない。


 そんなことを思いつつ、先へと進んでいく。

 暫く北に向かったが、幹の太い木々の背丈が高くなってきた辺りから、少しだけ西側進むと突然、視界が開けた。

 目の前に、一面の紅花の絨毯が広げられているようだった。


「凄い……」

「僕も初めて見た時は吃驚したよ。だけど、ここまでも『道』っぽくなっていただろう? だから、僕もついつい奥まで来たんだけどさ」


 あ、そういえば歩きやすかった気がする。

 獣道に似てはいたけど、大きい木などで遮られることはなかったと振り返る。

 進んでいる時は注視していなかったけど、さっき幹が太い木々だと思っていたものは『態々植樹した』かのように、真っ直ぐに並んでいる。


 それらは……碧の森でよく見る木とは違う落葉樹。

 常緑樹が多いこの森の中では、異質なこの木々は……プラタナス。

 街路樹にも多く使われていたから俺としては馴染みがあるが、シュリィイーレの周辺では全く見たことがない。


「なんで……こんな場所に、鈴懸すずかけの木が……?」


 耐寒性のある木だが、日照条件があまり良くはない碧の森の西側でこんなに育っているなんて。

 しかも『この場所以外にはない』ということは……種が風で飛んだとしても、この並び以外では育たないということか?

 それって……魔法で……だよな?


 紅花を嬉々として摘んでいるヴァンテアンさんから少し離れ、俺は群生地の周囲を見渡す。

 そうか、この場所を取り囲むように鈴懸すずかけが植えられているんだ。

 つまりこの鈴懸すずかけは『境界』の役割をしている。

 境界と誘導路だから、この森になかった木を態々植えたのかもしれない。


 もしかしたら、と俺は神眼で『魔法』を探してみることにした。

 まだここで生きている魔法があるとしたら、その魔法はこの場所で紅花を育てるためのものだ。

 南の森にあったような祠とか、石板の可能性もある。


 あった!


 ……だけど、今はちょっと入れそうもないな……神眼だから視えるけど『歩いては近づけない』場所だ。

 花の季節が終わって、実がつく頃になったら入れるかな。

 流石に、今のこの美しい黄色い絨毯を無慈悲にめくりあげちゃいたくはないからなぁ。


「ヴァンテアンさん、花が終わって実がついたらその実、採りに来てもいいですか?」

「勿論だよ! 確か『油』が作れるんだろう?」

「ええ、とっても栄養価が高くて、美味しい油になると思うんですよ」


 この後、赤く色づいてきてから種ができるはず。

 大体、半月くらい後かな。

 いろいろな意味で楽しみだ。


 それにしても……シュリィイーレの周りって他にもこういう『忘れられている栽培地』があるのだろうか。

 あ、もしや、星青の境域が壊れていて、その時に上手く育たずに『休眠状態』だったものが、境域復活で大地の加護が行き渡るようになった……とか?

 うわーー、だとしたらこの近くの探検とか探知とか、ガッツリやりたーーーい!


 なんか凄いものが見つかっちゃうかもーー!

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